生け贄なら喜んで

3月の直ぐにでも死にたく気力失せていたマイクが 今は信じられないくらい元気です
リハと点滴だけなら退屈で 難病病棟ですので周囲を見ると マイクの先行きを見るばかりで 要らぬことを考えてしまいます
とても成るように成るなどと悠長な気持ちにはなれません
しかし今は このタブレットに向かう時間が 希望を探す時間になっているのです

愛を感ずる繋がりに こんな力があると言うことを実感しています
それでも今は殆どお一人のお陰で ある意味病気持ちふたりの同じ水脈の世界に閉じ篭っているのかも知れません
そうではなくマイク自身は 自分のことばかりを言いたい放題しているだけで 自分の病室に閉じ篭っているだけの元気なのかも知れません
折角 外との繋がりを深めるためにごお用意して頂いたのに 自分のことばかりでしかありません
勿論このブログを通して多くの繋がりをセットして頂いていることは忘れてはいません

病棟の隣の部屋に SBMAの方がおられて その方は難病者同士の繋がりだけを大切にし交流や支援に生き甲斐を持っておられていることを14日Re:決して孤独にはさせないに書き込んでいます
彼はまた同病者が多いことと 理解し合えるのは同病者に限るとも言われ 同病者の世界に篭っておられるのです
マイクにもそうすることを勧められましたが 気乗りがしません

できれば外に向かいたいマイクは昔からだったのです
引きこもりよりも 顕示欲があったのかも知れません
60になってホームページで日本をダメにしたサラリーマンを訴え始め 10年前から安楽死をブログで考え始めたのもそうだったのです

でもそれは元気な頃の話で 今は全く消え失せたかのように思っていたのです
ALS確定後は 食欲性欲物欲など全くなくなり 気力が失せました
自死の条件の一つが先ず満たされたのです
それでも現実との矛盾に気づき 悩み悩んで決行できなかったのは 家族がいたからでもあり また打ち明けた友人からのマイクへの愛ある叱責でした

兎にも角にも マイクは多くの友人の愛で生きているのです
嬉しくもまた有難いことばかりです

ちょうど今ほど点滴の時間でした
3日前の点滴針のまま今日の分を繋いだのですが 痛みがあるので 新しく針からやり直すことになった
聞くと2年目の看護師だったので心配そうな顔をしてみたら ベテランや新人やらで4人がかりで点滴をしてもらうことになった
生け贄になってと言われて覚悟をしましたが 笑いが止まらずに点滴を受けるほどの余裕があったマイクでした

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同じ水脈を生きる者として

マイクさん

返信ありがとうございます。
ぼくは今日のマイクさんの返信を、胸をチクチクさせながら読みました。
はじめてマイクさんに会って話をした時、マイクさんに対して「関心が湧きました。興味をそそられました」とお話ししたことを覚えておられますか? その時のぼくの本心を正直にお話ししますと、ぼくの文屋根性に火がついたことは確かです。
そういう意味では、ぼくをマイクさんとのお付き合いに駆り立てた動機はとても不純で、愛などというものとは対極にある、打算であるとか、魂胆であるとか、そういうドロドロとしたものでした。ですからぼくの行為を肯定されたり感謝されたりすると、ほんとうに胸がチクチクするのです。

でも、この往復書簡でマイクさんのどうしようもない不安や絶望のようなものに触れるにつけて、マイクさんのその思いに寄り添いたいと思うようになり、今となっては「死亡退院」の主人公敏秀を見ていたような抱きしめる思いさえ抱くようになりました。なぜかと言えば、敏秀やマイクさんが抱える不安や絶望のようなものは、ぼくが抱えているものと同じようなものであり、マイクさんとぼくは限られた命という同じ水脈を生きる者同士だというふうに思えるようになったからです。

それに、ぼくにはぼくを抱きしめる思いで見てくれている人たちがいます。そういう人たちに支えられて、ぼくはこれまで自由にいろんなことを、思い通りにやってこれたのだと思っています。この人たちの愛情や思いやりがなければ、ぼくはここまで生きてこれなかったかもしれないし、これからも生きていこうなどという気になっていなかったかもしれません。
同じ水脈を生きる者としては、マイクさんにマイクさんを抱きしめるような思いで見つめている人たちの眼差しを感じて欲しいし、愛情と思いやりを実感して欲しいと思っています。余計なことかもしれませんが、ほんとうにそう思っているのです。ここに至って、ぼくの文屋根性は儚くも消え去ってしまったのです。

ですからどうぞ本心でお付き合いください。
ぼくも本心でお付き合いさせていただきます。

マイクさん
最後の余計なひと言を、飲み込まないでください。どうぞすべてをぶつけてください。

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Re:愛を信じましょう。

この交換ブログを始めてそこそこになるのですが 気にしていることがあります
それはマイクがマイクのことばかりを懸命に書き込むばかりで 清水さんの病気のことを知らないわけでもなく 気にしていないわけでもなく 不確かなことしか分かっていないので でもそう思いながら それは言い訳で ついつい自分のことばかりを書き込んでしまいます
お許しください
気配り いや愛が足りないのです

マイクは北陸生まれで 元々シャイなため 話し下手ですが聞き上手なつもりです
それがこのALSになると自分のことばかりを伝えようとしてしまいます
このブログでも同じなのです

この悲運 この特殊性は本人でないと分からないと思ってしまい お茶飲み仲間との集いでも マイク独断のデス・カフェにしてしまいました
暗い面白くもない話をするマイクに 気持ちの持ちようで直せとか言うのは良いとしても 回数を重ねると 明らかに疫病神を見る目をされたりもしました
思い違いでなく
それは当たり前なのだとマイクは理解できています
だから自分から去ったのです
彼らを恨んではいません
彼等の立場になったらマイクもそうしないとは言えません
それに今のマイクには 仲間といつもしていた茶飲話には全く関心がなくなってしまい自分のことばかりを聞いてもらいたくなっていたのです
迷惑な話だと気がついたマイクから慮って去ったのです

明らかにマイクは 家族や友人に対しても 概して冷徹なのではないかと自覚しています
でも家族からは 家族には何と言っていいか分からぬ辛い思いがあるのは 家族からの愛を 今改めて確実に感ずるからです
マイクが友人知人に満遍なく愛を注いでいるとは言えないし 誰からも愛を感ずることも普段はありませんが ALS確定以降はもうマイクとの関係は多々で また複雑なのと 次第に離れて行くように感ずることも少なからずあるのです

多分治る可能性のある癌とは違う目があるのかも知れません
それ以上はまだ深く考えていませんので分かりません

でも確実に マイクに希望を持たせようとされる方がいることをマイクは知っています
その愛に応えるだけのマイクの愛を育みたいとマイクは誓います
そうでなくとも マイクを以前に変わらず心配し メールや手紙で問いかけていただく方も沢山います
愛を感じないマイクではありません
これまで何もできていなかったマイクに 嬉しい限りです

そうです
癌には希望があって ALSには希望がないかに思っているマイクに 今日のお言葉は心を刺激していただきました
愛も希望も忘れかけていたマイクに ALSも忘れられると語られているようですね

でもでも・・・・・・(余計なひと言)マイクは・・・・

愛を信じましょう。

マイクさん

何時も甘えったれのマイクで恥ずかしい限りです

   Re:決して孤独にはさせない

人はいったいいくつくらいから甘えることをしなくなるのでしょう。ぼくは、甘えることは決して悪いことではないと思っています。これが依かかりぱなしになると具合悪いし、依かかられる側にとっては面倒臭い話になると思いますが、甘えること自体はそんなに悪いことではないと思っています。
大切なことは、おたがいを思いやるということでじゃないでしょうか。思いやりがあれば少々の甘えは、甘えられる側にとってもうれしいことだと思います。そういう思いやりの通いあう関係をちゃんとつくること、それが大切なんじゃないかな、と。

では思いやりの通いあう関係はどうしたらできるのか……。まず自分の思いを伝えようとするのではなく、相手の思いをちゃんと汲み取ろうとすることからはじめたらいいんじゃないかな。自分の思いだけを一方的に伝えようとすると、受ける側は受け取ってあげなければいけないと思えば思うほどしんどくなるんじゃないかな、って思います。だから同じくらい思いあって、同じくらい甘えあって、そのくらいがちょうどいいのじゃないかと。

もう一つよく使うのは疫病神です

    Re:決して孤独にはさせない

だとすると、マイクさんが言う「疫病神」というのは、実はマイクさんの少し多い目の思いが、マイクさん自身に魔神となって取り憑いていると思えばいいんじゃないかな。ちょっと思いが強すぎたんですね。それが、自己嫌悪の種子になってやがて疫病神という魔神の姿をとり自分自身を苦しめている。そんな感じだと。

たとえば……。ぼくは以前マイクさんが話されていたことを思い出しました。それまでは親しくつきあっていた友人、知人が、ALSという診断がついた途端に自分を避けるようになったんじゃないか、楽しく参加していたサークルに顔を出しても邪魔者のような気がする。そんな話でした。

ぼくはその話を聞いて思いました。周囲の皆さんはとてもマイクさんに気をつかっておられるのだと。だって、不治の難病だと診断された人にどう声をかけていいか、わからないのが普通じゃないでしょうか。慰めたらいいのか、励ましたらいいのか、知らんぷりをしたらいいのか……。マイクさんはありのまま、普通に扱ってくれたらいいのにと思うかもしれませんが、そうは簡単に割り切れないと思います。それだけこのALSという病気について、皆さんが深刻に受け止めておられるという証だと思います。マイクさんからそうなんだと歩み寄るだけで、状況は一変するのではないかなと思います。

それはご家族にとっても同じだと思います。ぼくは数少ない機会ですがご家族の話を聞き、これからの介護に備える構えや、心算の中に、マイクさんを疫病神のように思う気持ちなんて微塵もないと思います。家族愛ですよ。愛です。
長年暮らしをともにしてきて、いろんな感情をそれぞれに持っているわけです。ある日突然それまでの感情を水に流して、さあ新しい日々をというのは不可能じゃないかな。それまでの感情を引きずりながらも、どうするのが一番いいのかを考えるはずだと思います。
ぼくだって、大嫌いな父でしたが、それでも自分の父としてどうするのが、どう接するのがいいのか、必死で考えていた記憶があります。

マイクさんは決して厄介者でも、疫病神でもありません。それはぼくだけじゃなく、ケアマネさんやリハビリのPTさんなどから見ても同じだと思います。マイクさん、マイクさんがご家族を愛しているのと同じ愛で、ご家族はマイクさんのことを考えていると思います。その表し方は人それぞれです。でも愛を信じましょうよ。それで疫病神は消えるはずです。

まして ALSの最期や尊厳死の辛さなど 医師は語ってくれるのでしょうか

   リハと点滴より生き地獄を見ておきたい

これから飛行機に乗る、としましょう。いつ墜落するか不安で不安で仕方ないと。で、CAさんに聞いたとしましょう。

「この飛行機は堕ちませんか? 堕ちるとしたらどんな時ですか? 堕ちるとしたら、どんな兆候がありますか? 堕ちたらどうなりますか?」
と。さてCAさんはちゃんと納得のいく返答をしてくれるでしょうか? ぼくはそんな話にちゃんとした返答は望めないと思います。
「これから離陸しようという時に、そんなことをお聞きになりたいですか? それなら目的地にちゃんと着くことを願いましょう」
くらいの返答があるのが関の山じゃないでしょうか。

ぼくは思います。
不安に打ち克つのはとても難しいことだと。そして不安に立ち向かうには希望が欠かせないと。
だからぼくは希望を捨てたくないと思います。今この時も、ぼくのがんという病気と、マイクさんのALSという病気と、そのほかたくさんの難病と言われる病と、全力で向き合っている研究者がたくさんいるはずです。そういう人たちの努力の中にも希望はあるはずです。
マイクさんがはじめられたラジカットの治験も、効果は4人に1人だと言われていますが、なぜ効く人と効かない人がいるのかを徹底的に研究することで、その効果は劇的に改善されるはずです。そこに患者個人の希望はもちろんですが、ALSという病気に立ち向かうすべての人々の希望があると思います。

そうして家族の愛の中にも希望は隠れているはずなのです。
ぼくはマイクさんと一緒にその希望を見つけたいと思っています。

マイクさん
愛を信じましょう。
希望を信じましょう。

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リハと点滴より生き地獄を見ておきたい

恥ずかしいことに 3月に入ってからのマイクに直ぐにでも死にたいとの思いをさせたのは 慢性腰痛が7割で 3割がALSに対する不安なのです
ALSに対する不安の殆どは 生き地獄レベルになったときのことを妄想するからで 相当先のことなのに 成り行きに任せて生きられるようなマイクではないからでもあります

腰痛はと言うと 去年の12月16日には 京都市の呉竹ホールでダンス仲間KDEの公演に 腰が痛くても出演したほどですし スポーツジムのダンスレッスンは毎日2本は受けていて こんなことで死にたく成るはずもなく ALS確定後に 精神的理由で過剰に意識しだしたように思います
実は3月の終わりまでジムで気晴らしにダンスレッスンを受けることもしていたのですが その間の痛みは軽いのです
3つの自死の条件のひとつの疼痛を 無意識にセットしようとしているのかもしれません

その通り 次第に腰痛を意識し 次第に憂鬱の主流になってきて 今回のリハビリ入院の1番の目的かと思うくらい期待をかけていますが なかなか効果を感じられていません
発音訓練はまだですが 飲み込みリハはやっていましたのに 昨日の晩に睡眠導入剤を誤飲して大騒ぎになりました
誤飲で死ぬことをも予感させられ またその覚悟をも知らしめられました

今回はリハとラジカット点滴の入院ですが 共に効果を期待していいのか分かりませんが これくらいは成るように成るの思いをしなければと 期待せずにならとやっています
隣のベッドの殆ど反応のない患者さんにまで無理矢理 また意味あるとは思えない理学リハをやっておられるのを知るにつけ ボヤキのマイクがまた騒ぎたくなります
他所さんのことを気にしたいのですが 誰も病名や症状など一切教えてもらえません
まして ALSの最期や尊厳死の辛さなど 医師は語ってくれるのでしょうか

Re:決して孤独にはさせない

何時も甘えったれのマイクで恥ずかしい限りです
でもこれがマイクのあるがままなので これでしかマイクではあり得ませんので このままでお付き合いください

確かに生き地獄を意識しすぎると自覚はしていますが これこそマイクを不安に落とし込む妄想であり 原因でもあります
しかし何れ QOL や トリアージと言ったレベルで判断する問題になりますが 主観的で とても手に負えない難問ですが 確実に訪れ 確実に悩ませられるのです
それがいつかも分からず 成るようになれとはいかないのがマイクです

もう一つよく使うのは疫病神です
家族はそのように見る目をしませんが 辛い思いであることは確しかです
他人は他人です
そう見て そう見られて当たり前です
勿論そのような人ばかりではありませんし 神様や仏様のような方も多くいます
マイクが篭りがちになるのは現実役病神視されることが次第に多くなっているように思ってしまうからです

生き地獄の問題はマイク個人の問題です
しかし疫病神は他人を見る人権問題です

と言うのは マイク自身にもそのような差別的思いがあるのではないかと気づいていて 実はマイクが安楽自死支援施設を終末期の老人に限るようにしているのは 人権問題として論ずるのを避けようとしているずるさからなのです
しかし今のマイクは 当の本人になったのですから 避けて通ってはいけないのです

いまはまだこの程度にしておきたいのですが 何れ真剣に論じたいと思います
ベッド隣には 生き地獄ではと思える患者さんが とても頑張っておられるとは思えない静かな状態でおられるのですが マイクはそれをどう見るか 見ているのか どう思ったらいいのか
マイクの目が 心が濁っているのではないか
修行の場でもあります

そして甘えったれのマイクに 家族や周囲の方々に寄り添う姿勢をとるべきではとのお言葉をいただいたことは 全くその通りです
ネガティブマイクそのもので 逃病と同じく直ぐに逃げ篭ろうとするのです

この病院で 3月10日詰まりアイクが死にたい盛りの頃に 難病カフェに参加して会ったSBMAの方(沈み込んでいるマイクを心配していただいて 名前をしっかり覚えていてくださった)も入院されていて 難病者同士で色々教えていただいた
その方は発症20年63歳 7年前認定され 手足口不自由でも 車椅子で遠くへ一人で行動され 難病患者同士 また同士だけの繋がりと支援に生きがいを感じておられます
同病者が多いことと 理解し合えるのは同病者に限るとも言われ 同病者の世界に篭っておられる

マイクは同病者を見るのも辛い人間なのでしょう
篭るなら一人 或いは そんな自分を卑下してしまい消えた方がよいと考えてしまうネガティブマイクなのです

しかしお陰様で 神様仏様に助けられ 当面の生きがいをいただいて 腰痛リハビリに期待をかけて励んでいます
外出許可をもらった昨日は 自宅での晩酌を大いに楽しんできました

Re:死に方の選択、生き方の選択

清水さんの 2019.4.13の「死に方の選択、生き方の選択」に マイクは感激し直ぐにコメント欄に返信しましたが 表に出るように投稿し直します

『夢のある人は あるいは人生に意義など考えもせずに生きていられる若さ溢れる人も 当然 死とは無縁でいいのですし 自死など考えることも無用で当たり前です
しかし現実には 自死しかできない悩める若者や もう死にたいが死ねない老人が多くいるのです

詰まり 死や自死は ALS患者だけの問題ではないのです
そのため 一般論として自死を捉えられると 例えALSであっても否定されるしかないのです

生き方は多様です
信念で最期を生きられたお父様の凄さには畏敬の念を感じます
死に方も多様なシチュエーションがあって然りなのですが 死に際に自己決定(西部邁の言う自裁死など)の余裕がある筈がありません

死に方はシンプルでいいのです
自然死ができる人はラッキーですし 不運な事故死は別として どんな病気でも いつでも 最後の最後に 安楽死さえできるならば 思い切りの闘病もチャレンジし易いし ずるい生き方かもしれませんが 逃病としてでも安心して選べるのではないでしょうか

尊厳死は確実に苦しみますし 自死がなくならないのは 自死する者の悩みの辛さを自分の事として考えられない非情な社会だからなのです

自然死と安楽死しか要らないのです

安楽死を支援する施設の必要を説いてきたマイクは 支援することが幇助罪になるならと思い 昨年から安楽自死と言い換えています
自分の意思でスイッチを入れるだけの駆け込み寺なのです
勿論誰でもと言う訳にはいきませんので 終末期老人に限定していたのですが 弱者にまで思考を巡らす資格がないと思って避けたのです
しかし悩める若者や 死にたい老人にも 赤ちゃんポストが社会的非難を受けながらも役目を果たしているように 駆け込み寺で いつでも死ねると分ったなら 多くの人は再起をすべく努力をし救われるのです

弱者にまで論ずる資格がないと思ってた去年と違って 自分が弱者になった今 自死を否定するだけの社会に反旗を振って言えるかも知れません』

決して孤独にはさせない

マイクさん

ぼくは何よりも、マイクさんがこの場にたくさんの思いを書き込んでくれていることを、とてもうれしく思います。突然ご自宅にまで押しかけて、いろんなお話をさせていただき、マイクさんを決して孤独にはさせないし、そのためにも外の世界とのパイプにぼくを使ってくださいなどと、大層なことを話した自分を、何を偉そうなこと言ったんだろと少々自嘲もしていました。でもマイクさんがこの場を使って繰り返すたくさんの発言・発信を目の当たりにして、ああこれをはじめてよかったと率直に思っています。だって、明日にでも死んでしまいたいなどと思わせるようなことを言っていたマイクさんが、こんなにパワフルだなんて。ちょっと驚いてしまいました。

このブログ、はじまったばかりですが、予想をはるかに上回る大勢の人が見てくれています。それだけでもマイクさんは孤独ではないと言えます。注目すら集めていると言っても過言ではないかと。

マイクさんが繰り返し使われる言葉に「生き地獄」があります。思うに、症状が進行した後の閉じ込め症候群や、このALSという病がどんなプロセスをたどって、つまりどんな苦しみを味わいながら亡くなっていくのかがはっきりしない不安を抱えた毎日がこれに当たるのだろうと。それはぼくだって同じです。自分がどんなプロセスをたどって死んでいくのか。それを考えると不安でたまりません。それを解消するのは、病を確実に治すということが第一だと思います。でもそれが今の時点で不可能だったらどうか……、そう考えた時そこに残るのは周囲の人の支えではないかなとも思います。そのためにはまず、自分が抱える病の事実やそれに対するご自身の思いを伝え、理解と共有を求めていくということが大切ではないでしょうか。

きっとマイクさんは言われると思います。

「理解と共有を求めるためにも、このALSという病気の事実を正確に知らなければならない」

と。その通りだと思います。だけどぼくは、たとえALSという病気の事実が正確にわからなくとも、マイクさんの場合ご自身でもおっしゃっているように、周囲の人やご家族からすると少々ネガティブな発言が目立つのではないかと気にしています。前回の書き込みで明らかにしたように、ぼくは決して安楽死を否定する立場にはありません。マイクさんだって無条件に死にたいと思っているのじゃないということは知っています。だったらもう少しだけ、周囲の人々やご家族の想いに、マイクさんから寄り添ってみられたらどうでしょう。

マイクさんはご自宅に自分の居場所がないと、だから入院を望むのだと言っておられます。だけどぼくが聞いている話では、自宅で療養生活を送ることは可能だし、ご家族はそのように環境を整えつつあると聞いています。ただ前にも書きましたが、大切なことは現実の暮らしを維持しつつ療養生活と必要な介護を維持するということです。ここでもマイクさんから歩み寄る、寄り添うということが大切になるような気がします。
確かに、マイクさんのご家族の愛情表現は少々独特のものがあるかな、とも思います(ご家族の皆さん失礼、ごめんなさい)。でも心配し、できる限りのことをしようとしておられることに疑いを挟む余地はありません。
「生き地獄」を回避するために安楽死をという想いに100%理解を示した上で言います。ネガティブな発言をする前にひとつ深呼吸をして、周囲の人々やご家族に少しだけ歩み寄り、思いをあわせてみてください。それでやはり孤独かどうかを考えてみてください。

それからもうひとつ。ALSの原因究明や治療法確率に向けて医療の現場で大きな努力が払われている一方で、リハビリテーション工学という分野では最新テクノロジーを駆使した閉じ込め症候群の解消に向けた研究が続けられていることにも触れておきたいと思います。先だって私の知人である研究者から、閉じ込め症候群に近い症状のALS患者さんに単語発信を可能にするシステムの実験に成功したとの知らせがありました。詳しくは、日本ALS協会のホームページに掲載されています。以下からどうぞ。

http://alsjapan.org/2019/03/26/post-2211/

このように、患者さん個人の周辺だけではなく、大勢の人が決して孤独にしない、させない取り組みを前へ進めています。どれだけ時間がかかるかはわかりません。マイクさんの症状進行にそれらが間に合うかどうかもわかりません。でも希望はあるということです。それだけはどうぞ忘れないでくださいね。

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一ヶ月前には遺影と辞世の句を準備

先月のこの日は「安楽自死の計画」を急がなければならない位にあやぶいマイクでした
その様子を マイクスタンディングのブログ2019.3.14の転記でみてみます

「決めていたのに全く今頃になって」
『「完全自殺マニュアル」で探して 迷惑が少なく確実なのは首吊りだと決めていたのですが 今頃になってサイトで 自殺の後処理について調べてビックリ
体から出るものが出て後始末が大変で 病院か警察で検視され 家族の負担は大きいとある
簡単には死ねないと言う事でした

それでも急ぐべきと思い今夜は 孫に着物を着たマイクの遺影を取ってもらった
それと HPの「私の解脱道」にあるマイクの辞世の句を色紙に書き込みました

太田「道灌の山吹伝説」で有名な
七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに 無きぞ悲しき
を本歌取りした

山吹の 花も実もなく ただ幹の 燈明にてや 片隅照らさん

です(幹と明は マイクのファーストネームから)

まだこの程度の余裕があるとは思えないのですが 自死しかないと思っているマイクにまたセーブが入り またまた悩みが深くなりそうです』

かなり深刻だったのですが 家族のこと考えると 世間から理解されることもない自死を マイクが選べるはずがない`
在宅療養したくないマイクにはどんな死が約束されているのか
自分の症状がどう進むのか そ以上に 生き地獄をどこで迎えるのか 先行きの見えない不安に悩んでいたのです
しかし マイクが天命をいただいていることと エンジョイデスの精神はどこかに必ず残していました

自死の3条件を満しかねないマイク

2月6日のALS確定後 ALSの特殊性を認識しても 死を覚悟することには苦労はなかった
78歳まで充分楽しんだ人生に満足し 思い残すことはありません
それより何よりどうせなら 生き地獄になる前に また家族の負担を考えると少しでも早い死をと覚悟を決めました

しかし天命としてのマイクの死に方を 詰まり 安楽死を実践するべく考えるようになると 現実には当然不可能と知ることになる
それで直ぐにでもとなると自死しかないのです

その頃のマイクは 自死しか考えられなくて 「完全自殺マニュアル」雨宮処凛 太田出版 を読み直したり その準備や遺書まで用意しました
しかし家族のこと考えると思い留まるしかないとの結論しかありません
命の電話に電話してみました
警察で自死の始末を知ろうと行ってきました
また3月24日に いのちの電話主催「もしも『死にたい』といわれたら」と題した講演会を聴講してき ました

その講演で 国立精神・神経医療研究センターの精神科医 松本俊彦氏が 「自殺」と言う言葉が言いやすい自殺社会になった 次に目指すのは死にたいと思っている人が「死にたい」と言え それを聞いてくれる人がたくさんいる社会です と語られた
マイクは「死にたい」立場で聞いたのですが 自殺願望者の心理をうまくとらえ 教えられることが多かった
自殺を否定するのではなく また聞き出すばかりでもなく 原因解決すべく支援資源にまでつなぐところまでをと
マイクの場合には 自死願望の理由は 先行きの不透明感であり 他の死に方が見つからないからで それを解決しなければ 直ぐにでも やりかねないのです

講演で松本氏は 自殺には3条件あって 潜在自殺能力(死の怖さが少なくなる)と 孤独感が高まった時と また 疼痛がある時の3条件が揃うと危ないと

マイクは腰痛持ちで疼痛状態 また死の怖さはすでになく 布団の中とか家で一人っきりの時 3条件が揃うのだと納得しました

このことを清水さんに話したら マイクには家族があり孤独ではないし 清水さんとか社会との繋がりを大切にして欲しいと言われました
ありがたいお言葉に感激し 今日今の交換ブログに至ったのです
勿論 清水さんのような神様とか まやちゃんのような仏さんの他の方からも 死にたいマイクを見守り励ましていただけるのは嬉しいのですが 本当は篭ろうとするマイクなのです
今のうちはいいのですが 生き地獄になったら篭るしかないのです