冷静なるかな医療とは/患者支援まだまだ

エコーとかMRIはまだ撮ってないのでしょうか
それにお仕事だけでなく お付き合いにもお忙しい清水さんとは言えそちらの方は 無理なくお励み下さい

今日もテレビは 川崎事件とエリートの息子殺人が 他に沢山いる引き篭もりを持つ親が 世間からの眼を意識し出したと強調されたとあって マイクかでもがまたもこの事で3連発の投稿を書き終えましたが クドくなりますので他の事にします

MBSテレビが14日にマイクの入院の様子を撮りに来ると電話があり 点滴の始まる10時に決めました
16日は稽古に参加 24日は家で酒飲むところ? そして29日がマイクの生前葬パフォーマンス本番です

京都では 6/5〜8が「パーキンソン国際学会」なのです
それに絡んで埼玉でパーキンソン患者が踊る指導者ワークショップにダンス仲間KDEのマヤちゃん他2人がここ数日参加し 大きな舞台で発表会があった様子をフェースブックに載せています
こんな仲間にマイクは恵まれて 29日があるのです

また 家内が昨日一昨日とバスで気分が悪かったので 今日はここ病院に行かないと連絡あり 歳の変わらぬ老人に激務させるのを心配しています

もう一つ心配なものを見てしまいました
昨日向かいのベッドのパーキンソンの方が 不安か処遇の不平でか涙されたのを見てショックだったと書きましたが 今日はリハビリを終えて病室に帰ると その方がベッドで意識不明で医師の介抱を受けているのです
胸を見ると呼吸をしているのですが 瞳孔が開いて?呼び掛けや体を叩いても全く反応がないのを目の当たり見ました
それにしては医師や看護師の冷静さにもショックでした
それに相当長い間なのに アンモニア検査の採血をしただけで放置されているようにも見えました
かなり経って蘇ったようにパーキンソンの震えが出だしたので 良かったと思いながら ナースセンターに走ったのですが 医師もいず 看護師も忙しそうで やっと来てくれましたが 大分してから 医師は念のためCTを撮っておこうと連れ出しました
結果的には アンモニアもCTも問題ないので経過を見るだけで終わりました

なんと医師や看護師の冷静なことか これ以上は思っても書けませんが マイクにはショックでした

5日前に ベテラン看護師さんから 勉強のために マイクの症状や思いを個人的に聞きたいと言われたので 生贄好きのマイクは喜んでオッケーしました
彼女は仕事としての医療サイドからでなく 患者サイドからの取り組みを考える仲間と繋がっているとのこと

そのような考えを End of life care と言うと教えて頂きました

死を意識した時点からの患者ケア
治療主体の医療でなく 生き方をガイドする
最期まで(に)やりたい事をサポートする
食べ続けられるよう
パッドを使わずに済むように
家族や地域の世話になれるように
看護師は患者に耳を貸す
意思決定の難しい措置導入のタイミング相談

さすがベテランんと感激して調べてみると
2019/4はエンドオブライフ・ケア協会 4周年
とあった

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地獄に目覚めよ/妄想を叶えよう

お仕事を抱えての不安ごとですので どうかご無理なされませんように ひたすら祈ります

今週末から10日間の点滴が始まる筈なので 主治医に確認したいのですが 今日も回診がありません
向かいのベッドの陽気で繊細な患者さんが 初めて不安か不平で涙されたのが今日のマイクにはショックで思うところありますが テレビは昨日の続きを書けと言わんばかりなのでそうします

川崎拡大自殺と上級国民の愚息殺人が繋がるのは意外な様でも 根源は同じ自己中な気紛れにあるのです

中高年引き篭もりを 他人事として 知識人も政府も当然愚民もが放置(後で言いますが放置ではなく育ててきた)してきたのだから 61万もの分母になった今 気紛れと違わないこの類の爆発が そこそこの頻度で事件になるのは避けられません

比較として難病患者では分母が 指定難病受給者 総数 89万2445人(H30)に相当する
その中の 難病中の難病と言われ 神の気紛れの結果としか思えないALSの発症者数は 10万人当たり1.1~2.5人(2〜6とも)を2人として これを難病総数90万に当て嵌めると 分子は18人に相当する

ALS患者は気儘だというサイトもあるくらいなので 全患者がALS患者に見習って? 人権差別を不満に感じて 身勝手な叛乱を企てたら 毎年これくらいの数 18件の事件が叛乱分子として発生して当然?

地獄思想を幼児時代に身につけたなら 我儘にならないで弁えのある育ちをすると信ずるマイクです
戦後までの神仏のいた時代に生まれ育った高齢者の筈なのに 偶々バブルを作り上げた時代にいたと言うくらいで 傲慢さを身につけてしまい 自ら自己中無神論者になったばかりでなく 我が子孫まで自分ファーストで気紛れ気儘で生きられることを見習わせてしまった
天から頂いたバブル崩壊という天罰にも気付かず 懺悔どころか罪滅ぼしなどの意識を持つような かっての企業戦士には出あったことはない

80 50問題は来るべくして起こった
繰り返しますが バブル崩壊にすら罪の意識のない無責任高齢者が 今まだバブルを作ったという妄想を盾に 戦士でもなかった準公務員(ビジネスマンでもないだだの平サラリーマン)までもが 自分たちに権利があると 社会福祉を当然の様に要求する
こんな奴らを目覚まさせるには 拡大反逆を起こすことでしか救われないと考えるしかない⁉︎
しかも高齢者だけではなく 可哀想にもそのように真似してきた世代までを巻き込まないと?

実はマイクがこんな風に思うのは 所謂自爆テロを見る眼にも同じことを考えてしまうのです
テロしか考えられなくなった一神教原理主義弱者には 世界を覇権する強者に抑圧されても 簡単には叛逆できないのが普通です
それに慣れた無神自己中ファーストからの次々の制圧の驕りに 堪忍が限界を超えて爆発するのは同情されて当然なのです
しかしその同情も覇権者に忖度し批判側に回るばかりで 更に窮地に追い込まれるだけなのです

相当に危険なことを調子に乗って喋ってしまいましたが これはまだ無責任な妄想の範疇なのです
でも妄想だけではストレスが溜まるばかりです
どこかに発散し 何処かでぶつかり 次第に責任ある実践を目指したいものです
これこそ妄想の使命なのです

一寸話外れますが マイクの安楽自死受け入れ施設には こんな妄想を叶えられなかった終末期老人に バーチャルでも思い叶えさせる役目を機能させようとしています
最期の楽しみをサポートするスイスのライフサークルにもない考えです

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神様は貪欲に生きる/弱者排除は地獄へ

清水さんの検査結果については 追加検査を待つまでもなく これまでの様に貪欲さでどんな病も払拭されるものと信じています
何しろ神様というのは 現世の罪悪を裁き導く存在です
清水さんのように優しく万人を愛する信念を持っておられる神様が自らを以って裁くようなネタはない筈です
序でに申し足しておきますと 仏様はあの世に送られた罪深い人を救うのです
マイクは ALSという天罰を頂きながら ALSを天命として 世にやるべきことがあろうと 現世で神様に導かれたのです
仏様からは 生前葬の後も地獄に落ちないよう見守って下さるようです
ありがたや!なんまんだぶ!

代々木に住む兄長男からは先週に見舞いを受けて 今日は金沢から5歳上の兄・夫婦と二人の娘が見舞いに来てくれて 何より癒されるのは 全員涙するのが兄一族なことです
兄はマイクと違って 白髪も少ないフサフサですが 年老いて涙脆くなった兄との再会に 兄もマイクもホロっとする

それにしても テレビで話題の 川崎の岩崎隆一(51)による拡大自殺と 元事務次官(76)が拡大自殺を懸念した息子(44)殺人が気になる
それに絡んで 「死ぬなら一人で死ね」発言に対する賛否が沸いている

中高年の引き篭もり61万に聞かせておきたい言葉が 却って刺激するかも知れないと激論されている
被害者意識のある者に どちらが有効かでは 何方にしても相当に多い引き篭もり分母から 相当数の危険分子が発生するのは避けられません
分母の大きさを問題にすべきなのに その議論抜きの討論で衆愚を煽るメディア
その問題解決を真剣に考えていないのは 困難さではなく他人事面の知識人の怠慢です

引き篭もりも 自死願望者も 共通する面があります
自死願望経験者マイクから考えると 孤独感で引き篭もり 被害者意識から離れる余裕を欠き 死の恐怖が麻痺する程に自己正当化 または逆に破滅的自己否定できる知性を持つ 様になる
この3つが揃うと決行に走りやすくなるのですが 被害者意識によって特定者になることが殆どで 不特定にもなるが 規模まで慎重に決める余裕はなく 偶々または 破れかぶれの手当たり次第でやることで済ますのです

エスカレートする無差別大量殺人 などにも共通するが
特攻隊 赤軍 オーム 自爆テロ は 組織される思想的弱者排除の結果
拳銃乱射 無差別路上切り込み 無差別路上車突っ込みは 個人的弱者排除の結果
の違いでしかない

超高齢少子多死時代の時代の歪み 格差拡大の個人主義の蔓延する 老人先進国は 世界のリーダーとして 神仏を哲学し 防止策としては 地獄を幼児教育するくらいでいいのではないでしょうか?

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安楽自死がムラムラと

今夜は外泊から帰って 9時消灯暫く経って 今夜の書き込みをベッドに寝転んで いつもの様に テレビを見ながらしようとしました
まず民放を幾つかみて面白くなかったので最後にNHKに切り替えてビックリ
NHKスペシャル(6/2 21:00〜50オンデマンドあり)のタイトルは「彼女は安楽死を選んだ」でした

20分は過ぎていましたので二人の女性の病名は確かではなかったが 延命措置選択を比較する興味ある また優れた番組でした NHKサイトでは次の様でした

去年、一人の日本人女性が、スイスで安楽死を行った。女性は重い神経難病を患い、自分らしさを保ったまま亡くなりたいと願っていた。患者の死期を積極的に早める安楽死は日本では認められていない。そんな中で、民間の安楽死団体が、海外からも希望者を受け入れているスイスで安楽死することを希望する日本人が出始めている。この死を選んだ女性と、彼女の選択と向き合い続けた家族の姿は、私たちに何を問いかけるのか見つめる。

安楽死を選んだのは マイクの球麻痺や手足の症状よりは確実に軽く見えるし 表情は今のマイク並みに元気でしたし マイクのような自死願望の時期があったような感じではなかったが 語りでは強い自殺の危険があったと言うより ズットのようです
一人の反対する妹を残し 二人の姉を説得し てスイスのライフサークルの許可を得て向かう
小島ミナさん(52歳)は 手続きと診断の後認められ 2日間考えた後に実行されるまでの心理を丁寧にルポしている
家族の介助を避けたい思いと 強い自殺願望を持っていたが 最後に世話になってありがたさを知るが 姉はここで迷うことの意味を考えたりでした
点滴と栓を自分で押すところも 満足そうな表情で 最後に幸せだった 見守られてありがとうで亡くなる また警察の検死撮影も実写され あっという間だったがマイクは涙した
遺灰は安楽死認められない日本に持ち帰れないので川に

もう一人の鈴木道代さん(52歳)は 家族の負担を 人の力を借りてでも生きられると説得されて人工呼吸器延命を選択する
既に文字盤の会話もままならないでの選択の様子は小島さんとつい比較してしまうような対比で構成されていて 見るのが辛かったが マイクには涙が・・・
最後に鈴木さんは2時間の外出許可で桜を見て涙されたで終わった

マイクは 清水さんのことをと思って帰ってきたのですが 今夜はここまでに

追記;再放送のことや 世間の反応について このページのコメント欄に自分で載せていています

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まだまだ楽しむ面構えは格好いい

ここ何日かは清水さんが お仕事の多忙なことで マイクの往信が続いているのだとばかり思っていました
それが・・・・
でもそんなにとも思える診断のようですが・・・・

ひとつ病を持つっていると無病息災どころでない自己管理力が備わって長生きすると言われています
だと言って癌は他の病気と違って ひとつ目の癌は長寿の宝物になれる訳でもなく どこに何が発症するかは改めての初めからの宝物でもない宝探しなのだと聞いたことがあります
だけど偶然性の高い病気だけに マイクのように自己管理に関心なく癌検診をしたことの無い者もいる
清水さんは 元より難病などに関心をお持ちでも 大腸癌の高いステージになっておられたり 結局は 結果的な運不運をメンタルにどう受け止められるかです
それでも一回経験者と初めてでは大違いでしょうか
とは言え心配の大きさは いつ誰でも同じでしょう

マイクの歳になると 前立腺と白内障は病気ではないように言う人が多いですね
若い時になって進行が早くて切除してオムツ使う友人もいるし マイクより少し上の京都のお菓子屋の社長は広島が最高だと言って1ヶ月?入院され完治したようです
これ位のことしか知らないのを 恥ずかしげもなく書いてしまいました

会社のOB会で 翌日ゴルフする元気のある友人は殆どが癌などの大病をしたものばかりです
しかも貪欲そうな 面構えは闘病経験者でないと と思いますし ギャンブラーらしいスコアで上がっているようです
人生は寄り道回り道 まだまだ楽しみは巡り続きます

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最後まで人生を楽しみたい

マイクさん

今日はぼくの話をさせてください。
5月29日に術後1年半の検査を受けました。CTと血液検査です。これにはいつまでたっても、不安と緊張で、面白いほどいっぱいいっぱいになります。この歳になって、もし問題があれば、もし再発や転移が見つかれば、また手術してとったらいいってもんじゃないかと思いますが、どうもそういうわけにはいかないのです。

ちなみに半年前の1年の検査ではCTの結果、肝臓に白い影があり、MRIで再検査を受けました。再検査前、医者からは、原発性か転移かは不明だががんの可能性は否定できないと言われて、相当落ち込んだことを記憶しています。この時のことを詳細に思い出すと、まず血液検査で腫瘍マーカーは正常値内に収まっていましたが、実際の画像に影がありましたので、念を入れて検査してみようということでした。

ぼくの中には、つらい抗がん剤治療を経て、その上の検査でなんで……、という思いが非常に強くありました。なんのためにつらい治療に耐えたのだろうって。しかし、その反面、手術時にリンパ節に転移が認められた事実を思うと、何があっても不思議じゃないなという、半ばあきらめのような思いもありました。

MRIの結果、肝臓の影は血管腫だと判断され大事には至らずホッとしました。
「もし悪性だったらどうなってたかと思うと……」というぼくに、医者はクールにひと言言いました。「悪性だったら、また取ったらいいですよ」と。それを聞いた時、ぼくは、ああ、ぼくの人生はこんなことを繰り返していくんだなと、そんなふうに思いました。

そうして今回の1年半の検査でした。29日に採血とCTを受けました。そうして1日あけ31日に結果を聞きに出かけました。さすがに今回は何もないだろうという思いと、もしなんかあったら嫌だなという、楽観と不安の両方の思いを抱えながら。

結局はぼくの不安を膨らませるものでした。CTの画像に問題が見つかったのです。今回は肝臓ではなく前立腺でした。画像だけでなく、前立腺の異常示すPSAも、医者の言葉を借りると「微妙に高い」数値でした。しかし、腫瘍マーカーは正常値内。医者の判断としては「これが即座に前立腺がんだということにはならないと思いますが、念のために専門医に見てもらった方がいいですね。エコーとかMRIを撮ればはっきりしますよ」というものでした。

ぼくには大腸がんという事実と、それが転移していたという事実があります。そのために細心の注意を払い、観察を続け、出来る限りのことをしてきました。しかしぼくの身体には、ぼくの思いがなかなか伝わらないようです。
どうやらぼくはこういうことを繰り返していく人生を送るのだろうと思います。悲観と不安と楽観の間を揺れながら生きていく人生なんだろうと。
でも頑張って生きてみようかなと思います。嫌にならずに、もう少し頑張って生きてみようかと。だってまだまだ死ぬ気になれないし、もっといろんなことやりたいし、楽しみたいし。そう、どんな状況にあっても、最後の最後まで人生を楽しみたいと、貪欲に思っているのです。

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残された死に甲斐で生きる

1年前のマイクのブログ2018/5/5「生き甲斐より死に甲斐?」(死に方教えます)に 「死に甲斐」についての思いがあります

『1年前から SNSで 生き甲斐「IKIGAI」が 世界に発信されているとか
勿体ないや おもてなしに続いて 日本の心として 日本人にも意識されてきたようです

生き甲斐とは
LOVE(好きなこと)
GREAT AT(得意なこと)
PAID FOR(稼げること)
NEED FOR(世界が必要としていること)
だとか

死に方ばかりを考えるマイクですので この様な生きる意味については 多くの賢人にお任せしています
それより死に甲斐について このような簡潔な指針を作りたいと思います

「マイクの死に甲斐」とは
もう十分生きてきたことと 終末期が近いことを既に悟っており
苦しまないで死ねることを確信できれば安心して死ねる筈です
他人にお世話になっても 迷惑をかけたくないこと 感謝して死ねること
やりたいことは残り少ないし 疲れ切っていて 自分一人ではなしえないと諦められること
それでも最期に少しは それをなし得たと 錯覚でもいいから味わって死ねるならそれに越した幸せはない

「老人マイクの死に甲斐」には 生前の自己や社会の悪行を懺悔しながら生き永らえてきたので 死ぬまでには罪滅ぼしをしてから死にたいという思いが 根底にあるのです
特に 死ぬくらいなら 社会が必要なことを 死をかけてやれるのではないかと いつも思い探しているのです

SNSに発信できるような格好良い纏め方をしたいものです
死に甲斐が 高齢先進国の悩める日本が発する 日本人の心になる日は近いのです』

1年前のこのブログには 健康寿命を過ぎたことも 余命がまだ10年もあるなどと言うことも意識することなどもない元気さがあったのに また 誰もが人生100年時代と世の中は浮かれているのに マイクは生き甲斐より死に甲斐に関心があったのです

だからと言って 生き甲斐として やり残ししたことがない訳ではありません
生き甲斐と言うより 老人の責務として マイクは社会的にも 個人的にも懺悔すべきことを考え直し既に告白しています(HPなどで)
しかし 罪滅ぼしとして 閻魔様に許されるだけのことを十分したと言う自信は残念ながらありません
それでも余生にまだ充分の余裕があると漠然とした自信があり そうする積りでいました
マイクとしてどんな罪滅ぼしがいいか それを考えださねば それを実践せねばと言う思いが老人マイクの唯一の残された生き甲斐でした
それはマイクだけの思いではなく そう言う思いを持つべきと知人友人に幾度となく説いてきましたし 同じ思いの老人もいると信じています
そのような未練を残したまま安楽自死支援施設へ来た終末期老人には その願いを バーチャルな錯覚ででも叶えてあげたいと言う構想を考えているのです

実際に罪滅ぼしや そうでなくとも 誰かに仕返しをしてから死にたいと思う友人は沢山いますが 家族や世間体を考えて 元気な内はできないことばかりです
その無念を残したまま死なせたくないのです

2/6の告知の後の2月・3月の危険状態ではこのような未練がいっぱいで死に切れなかったのです
勿論二人の神様仏さんによって精神的延命されたことには間違いありませんが この未練があったからでもあるのです
その諦めかけた未練の具体化が これからのマイクの気力体力で足りるかは分かりませんが 励みにもなり ラッキーとハッピーが続いているのです
嬉しくもありがたいことです

生に向きあおう/「ほぼ」で良いから❗️

どこかの調査です
https://www.sankeibiz.jp/business/news/180119/prl1801191302061-n1.htm
100歳まで「生きたい」12.6%、「生きたくない」65.4% とにかく不安なのは健康とお金、認知症 人生100年時代には「公的支えが必要」85.9%

ポックリで死にたいと言いながら 100歳までとは言わず何時迄も人はそのまま生きてしまいます
その日その日に向き合うことを忘れていたら 無理して死ぬことも生きることも必要ないのでしょう
しかし 成るように成るとか 在るが儘にとかではなく 向き合って生きることを忘れるなと言う条件があって欲しいものです
(5/10の往信の最後にあった「向きあおう」と言う清水さんの言葉で目が覚めたマイクです マイクはもともと向き合うことが好きでしたとその日に返信しました)

セネカは 哲学する閑暇こそが人生だと言った(古代ローマの哲学者 前4年頃~後65年)
向き合うことだけで哲学だとは言いませんが ほぼ哲学なのです
セネカは人生を短いと捉え 生の使い方を知れば長いと結論した
使い方を知るにはまず向かい合うことから 「ほぼ」哲学に繋がるのだとマイクは悟ったのです

5年前に セネカを噛み締めようとしていたマイクでした

2014/12/2「セネカは素晴らしい」(心満たされて死にましょう)https://sky.ap.teacup.com/jishi/446.html

「人生の短さについて」セネカ・浦谷計子 PHP研究所 (2009/2/21)

あなたがせわしなく過ごすうちに、人生は急ぎ足で去っていくのですよ。寸鉄のような警句が胸に刺さる、ローマの哲人、セネカの手になる古典的人生論。

セネカ 古代ローマ帝国の政治家にして哲人。紀元前4年頃~紀元後六五年
運に支配される生き方ではなく 自分の意志で生きよと説く
それならば逝き方も然りだと思う
皇帝ネロに自殺を命じられ 友人たちと会話をしながら毅然と死んだようです

今まだ読みかけですが 古ビトに教えられることが多い
そしてそれを踏まえた今様の生き方・逝き方を 考え出さなければなりません
自分の意思・自己決定による積極的な死に方を 考え出さねばなりません

“生に向きあおう/「ほぼ」で良いから❗️” の続きを読む

まっしぐらに落ちても/調子に乗っていたい❓

何時かは 清水さんのお父上の壮絶な信念ある死に方をお聞きし 昨日はお祖父さんの羨ましい生き方に 共に清水さんのDNAを見る様でした

マイクの父は 和菓子屋の祖父に子供がなく 親戚から母を貰い子し 丁稚の父と一緒になって両貰いされたのです
父は養子のように真面目生一本でしたが 菓子組合や町内や公民館の仕事を引き受け 議員の世話役など 信頼されることに喜びを得ている様子をマイクは見て育ちました

逆に祖父は40代から隠居し 女遊びの話は全く分かりませんが 盆栽 畑仕事 釣りに 小鳥を飼い 深山の苔取り ありとあるだけの知識と趣味を楽しんだばかりか 最後は在家の坊主として自宅で法話をし マイクが後継する話があったくらいです
そんな父の堅実さと 仏心と遊びの人生を見せた祖父への憧憬からは逃げられません

今も知的でお元気な95歳の清水さんのお母さんのことはよく存じ上げている積もりです
マイクの父母とも亡くなっていますが 母の子への思いは並み並ならない事を 5人兄弟姉妹の誇りとしていて 今も5人の繋がりの強さの元となっています

家内や子供・孫の話はまたにして 兄弟家族の存在は マイクには何よりも大事なこととは身に沁みて分かっているのですが 現実の人生と言う波は どの家庭でも平穏とは限りません
でもなんとか並みにやってこれたものと満足しています
そんな中でのマイクに起こった事件とも言うべきことは 皆に相当にショックを与えたと思います
しかし長い人生の一場面でしかなく それも天災や事故の被害に比べれば並みのことなのです

病は本人の体でしか苦しめないし 所詮家族には見守りがあるだけで満足なのです
かえって心配過剰は本人に気遣いの負担になります
家族とは互いに自力本願で生きており 最小限の他力本願で繋っていると心得ておくべきなのでしょう

病人に掛けてはならない言葉が参考になるかも知れません
癌患者が言われて傷つく言葉を調べています
がんばって かわいそう 前向きにならなきゃ 手術で・・・とか
『あのひとががんになったら – 「通院治療」時代のつながり方』 桜井なおみ 中央公論新社 (2018/3/20)
には家族だけではないコミュニケーションの大事さを教えてくれています

マイクの人生は 思わぬ78歳で 並みのままで予定していた身体の平均コースから外れたものの 寄り道や回り道どころか 真っしぐらに天命を果さんと道付けられました
それでも2月3月の危険状態を切り抜け 丁度ひと月先の「生前葬 パフォーマンス」に向けて駆け上がり また清水さんからのご支持を受けて マイクのぶち撒けを社会に実らすチャンスを頂いて 少し濃いめの最期を迎えられるよう生きる目標ができたのです

まっしぐらに落ちていても 錯覚にでもそう思える内は 何の不安も無いはずと信じられます
それは マイクが後期高齢者になるまでにして来た「寄り道と 回り道の人生」に 充分心身共満たされているからです
これからひたすら末期高齢者に近づくマイクは 精神力だけで心満たされることでも生きる価値があると次第に思うようになれるような気がして来たのです

一寸 調子に乗り過ぎたかな?

人生は寄り道回り道

マイクさん

「余生の濃縮化」という言葉に触れて、ぼくは50年程前に亡くなった祖父さんのことを思い出しました。脱線するかもしれませんが、今日は祖父さんの話をしたいと思います。
ぼくの祖父さん、清水忠一は腕のいい京指物の職人でした。江戸時代の中頃から続く職人の家で、忠一の父徳次郎の時代、明治の中頃が最盛期だったそうです。代々の当主たちは名人と称されるほどの手業を誇る一方で、花街に馴染みの置屋や料理屋を持ち、放蕩を絵に描いたような遊びに現をぬかしていたとも聞きました。忠一祖父さんも例外では無かったようです。

祖母さんがよく嘆いていました。ひとりで集金に出かけると、その金を持ったまま遊びに出かけ、すっからかんになるまで家に帰ってこなかったと。そこで祖母さんは幼なかったぼくを伴わせて集金に行かせました。幼い子と一緒ならそのまま遊びには行かないだろうと。ところが何の祖父さんは、ぼくを連れたまま遊郭の座敷に上がってしまうこともしばしばでした。

酒を飲み上機嫌になった祖父さんはぼくを膝に抱き上げ、必ずうれしそうな顔でこう言ったのです。
「人生は寄り道回り道。道草食ってこそ生きる道や」
と。今振り返ると、この言葉は自分の行為を自己弁護するものだったのか、ほんとうにそんな人生を目指していたのか、そのあたりはよくわかりませんが、若い頃のぼくはこの言葉を生きていくための教訓として受け止めていました。何だかカッコいいなあと。

ズバリ言って、祖父さんの生活はとても濃かったのです。それがマイクさんの言う濃縮化に重なるのかどうかわかりませんが、その濃さはゆとりとか、余裕とか、遊びとか、そんなふうに言ったらいいかもしれません。祖父さんの暮らし方は、ぼくの父に家業を委ねてからも一向に変わる気配はありませんでした。亡くなるギリギリまで遊び歩き、寄り道回り道、道草を続けていました。

そんなぼくらの家が裕福だったかと言えば、決してそんなことはありませんでした。「普通」の家だったのです。裕福どころか、ぼくは同級生の家に遊びに行くたびに、我が家は貧乏だと思っていたのです。祖母さんの怒りをよそに祖父さんはそんな生活を続けていたし、父にしたって似たようなものでした。でも、世間のあちこちにそんな祖父さん、親父たちはいっぱいいたように思います。

さて、ここで「今」の話に目を向けたいと思います。
数日前、政府が事実上の年金制度の破綻を認めたというニュースが流れました。その瞬間、SNS上で若い世代から安楽死の認可に共感する声がひろがったと話題になりました。そんな時代に惨めな思いをして老後を生きるなら、いっそのこと死んだほうが楽だし、マシだということなのでしょうか。マイクさんが言うように、長寿化が進むことによって老後の希薄化が進み、余生の濃縮、これは豊かな老後ということになるでしょうか、そんなことはよほどの財力がないと不可能だということなのでしょう。
しかも生きているのも関わらず、健康寿命の後の生き様を「生活死」とよぶなんて……。

今の世の中、ぼくの祖父さんや親父のように、自分の好き勝手に、自分が面白いと思うような人生を生き続けることは不可能なのでしょうか。

マイクさん

ぼくはマイクさんが、ALSという深刻な病と向き合いながら、とても濃縮された豊かな人生を生きられるんじゃないかと期待しています。もしマイクさんにそれが可能なら、ALSほど重い病気を得た人に余生の濃縮化が可能なら、普通に生きる人にはもっと可能なんじゃないでしょうか。ぼくはマイクさんにそれを見せてほしいし、それを見せることが「倍ほどのお世話になる」マイクさんの「倍ほどのお返しになる」んじゃないかと思います。

ぼくも濃い余生、老後を送りたいと思いました。

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