時間軸が生き地獄を妄想させるかも

再入院で 症状の進展を書き出したら 昨夜は止まらなくなりました
それでも実は球麻痺の進行を書きそびれています
ここ1ヶ月で唾が出っ放しで止まらず 喋りを邪魔していて 文字盤なしでは全く意志伝達ならない程に
食事もミキサー食でも蒸せる事が多いので 胃瘻造設をしたばかりですが これが思っていた以上に面倒なのです
マイクの食べると話すの苦労は大変なのです
まあまあなのは左足だけで全身に萎縮の兆候が現れているのです
それでもまだ自立出来ない作業動作はこれと言ってないので滅入ることはありません
だからと言って出来ない事何もない訳でなく 随分苦労するのですが誰かに手助けして貰うのに少しは躊躇し 自分でやってしまう事も多い
有り難い気持ちを伝えられる間はしてもらい易かったのです
最近は喋りが面倒で頼み控えてしまう事もあります
その内 殆ど何から何までやって貰うようになった時はなった時では任すしかありません

ここまで進んだマイクの様子を 昨日今日と少し大袈裟に書いておくのもどうかなと思いましたが 症状に時間軸を感ずるようになったからでもあるのです
この感覚は大事にしたく思い つい書いてしまいました

昨夜は清水さんから年賀状がボヤキのマイクを容認して頂くような内容でした?
ボヤキにはマイクの現実に見つけた非合理や矛盾が煮えたぐっていて 妄想に繋がるのです
マイクはその妄想を精度の高い未来像に発展させたいと思っていますが 実際には無力なマイクでは願望で終わるのが現実です
(マイクが心している石門心学は実践を重要視しているのです)
そのマイクがライフワークにしたいとしている安楽自死もそのようにして生まれた妄想なのですが 実践実現の難しさで悩むくらいで終わりそうなのです
いやそんな事のないように 実戦のチャンスの時間を天から頂いているのです
まだまだ頑張ります

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時間軸が見えてきたように

実質 在宅迎春の為の正月休みからの退院でしたが 正月明けて今日8日は再入院をしました
もっと長い在宅療養をしなければと思ってたのですが 11日土曜は家内の初釜の日であり マイクの世話なんぞしてはおられないのです
邪魔にならないよう11日まで家に戻れないのです
それが終わる12日日曜に外泊帰宅し 13日祝日は孫娘の成人式を祝う予定です

家では家内の作る病院食を時間を掛けて食べ るのですが 胃瘻から砕いた薬と流動食を摂るのも結構邪魔臭いのです
そんなこんなで懐かしい思いで再入院で同じ部屋に帰って来たのです
再入院では毎回血液検査と胸部レントゲンと心電図を撮るのが恒例ですが 今日は担当医に呼吸機能を是非とお願いした
直感で相当弱り掛けているように思うからです
自覚症状としては弱いのですがALSにとっては大事な機能なので
案の定4月の初めての入院時に測っただけで その時とは格段に低下しているのです
もう一つ自覚しているのは 右手の力がほとんど役に立たなくなっていることで生活不自由度は急に増しました
左手も遅れて進行しているのも自覚してしまいます
首の座りが悪くなっているのかなり気になります
背中と腰も弱くなっているのも感ずる
ただ右足は確かに痩せているが歩行に不自由なのは腰痛によるもので 生前葬vol.2で踊り切るくらいのことは出来ます
つまりここ1ヶ月くらいで全身にALSが現れたと言う感じなのですでも全て覚悟済みで 時間軸を意識するようになったのです
2〜3ヶ月前は自分はまだ新参者と言っていたのは 症状の進行を時間軸で判断できていなかったからです
それが殆どで進んでいて これからの生き地獄への時間軸を感ずるようになったので もう新参者ではなくどう呼んだらいいのかと考え始めた理由なのです
胃瘻造設がターニングポイントで新参者を卒業しステージ2に入ったのです

そして今日は肺機能の衰えが追加判明したのです
つまりスーパーALSを予感するステージに入ったのです
だけど時間軸は何しろ初めての経験でマイクはまだ妄想もできません
人工呼吸器の世話になって生きることはどの程度辛いことなのか スーパーの方を何人か見て知ってはいますが まだまだ先のことと思っていますので真剣には考えていません

今日は年賀状がボヤキから始まるマイクのことを清水さんにお話しした事に返信いただいた事を話題にしようとしながら書き進めたのに就眠時間を過ぎてしまいました
途中にしたまま一先ずクローズします

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もっとボヤキを!

病院の談話室で話すマイクさん、七枝さん、永山さん

マイクさん

ぼくは〈妄想の効用〉と言うことをずっと考えています。
先だってマイクさんの入院先に同行した永山由高さん、七枝大典さんと一緒にやってるネットラジオ「しみてつ×ながやん 妄想ラジオ」は、そのことを実際にやってみてそういうことがあるのかどうかを確かめてみようと思っているのです。で、これが、ええ、妄想自体がとっても微妙だなと気づきました。どういうことかというと、妄想を言葉にせず自分の頭の中に置いておくだけなら、これは文字どおり妄想なのですが、言葉にして外に向かって発信するといったいどうなるのかと。

「妄想ラジオ」では、自分について、家族について、仕事について、社会について等々様々な妄想をネットという場を借りて発信しているわけですが、聴く人によっては愚痴になり、妄言になり、屁理屈になり、泣き言になり、暴言になり、絵空事になり、ほんの稀ですが正論になったりするのです。それは「妄想ラジオ」の配信を聴いていただければなるほどとわかっていただけると思います。

大切なことは何かというと、自分の頭で妄想したことを、自分の言葉で発信することだと思っています。つまり徹底的に自分に徹するということです。極言すれば「自己中」などという言葉があてはまるのかもしれません。その背景には、世の中に溢れかえっているあまりにも「私は世間を知っています」というふうな社会的、優等生的な発言にうんざりしているぼくという存在があるのです。

“もっとボヤキを!” の続きを読む
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マイクの年賀状/ハズキルーペで

三ヶ日開けても家から出る余裕もありません
気力がないのは食事で相当くたびれる体力低下のようです
と言っているうちに明後日は再入院です
正月を迎えられたのは奇跡のような幸運なのだと言う自覚はあるのなら この入院をこれからどう活かし 今年は外部にどう働き掛けるかを真剣に考える正月にすべきなのです
この疲れは何なのか 体の衰えも元旦挟んで相当進んできたこともあるようです
何かを妄想することも全くなかったので この書簡で書こうとするテーマもありません
そのため一昨日は正月には相応しくない喪中葉書のような篭り宣言を葉書で印刷して3月には用意していたことを重ねて告白してしまいました
(毎年賀状交換している全員の住所を印刷を済ましてから病院に持ち込みました
が投函はしませんでした)
明日も入院の用意などで忙しいので 今夜はマイクの年賀を転記します
今年は来た人だけの返礼にしました
マイクの様子を知らない方もいるので つい詳しく紹介してしまい とても読み辛い小さな字になってしまいました

毎年ながら 皆様には「謹みて新年を寿ぎます」と心より申し上げます しかしまた 毎年目出度くあるべき賀状を 寿ぎとは言い難いボヤキ事で汚してばかりの私でしたこと 今年もまたまたお許しください
昨年は自分自身の体調不良を告白するなどという実に惨めな年賀になりましたこと思い起こしていただけたでしょうか その時の予感通りに2/6難病中の難病ALSの告知を受けました 医者が最もなりたくないとまで言うALSをです
一昨年の春夏に呂律を意識することがあり 精密検査で異常なく酒を控えろと言われただけでした 十二月に希望したセカンドオピニオンの検査入院できたのは翌二月でした ALSを覚悟するのには諦めのいい私です 最期の生き地獄を避けられる訳ではありません それより何より転院地獄と介護地獄は直ぐのようですし逃げ出す術も無理と知る それなら少しでも早く逝ってしまいたい願望に襲われ周りを騒がしました
余りにも自死願望をすることに心配して 四月から生前葬を企画してくれたダンス仲間と 鹿児島の作家との往復書簡ブログ立ち上げに救われました  安上がりで楽しい自死をライフワークに考えてきたマイクに天命のように頂いた病なのです 生前葬では ALSについて 安楽死について語り 自死についても語りたいのです 250名の参加者になり 毎日放送ミントと鹿児島のTV放送にも(両方のアーカイブで見られます)こんな体でその後四回公演参加し 十二月二十九日には vol.2の生前葬までやりました  ダンス仲間だけでなく色々の方の支援で 夏を越せないと思っていたマイクに今があるのです  ALSを楽しんでいます  死をも楽しもうとしているマイクです  今後ともお見守りお願いし 皆さんにはまだまだの良き日本のためにお励み頂けるよお祈り致します
令和二年  元旦   マイクスタンディングこと・・・・えんじょいデス&生前葬写真添付

情けなくも無言の妄想に

確かに今の入院のまま 土日外泊だけでは社会との繋がりが薄いのです
かと言って 24時間看護介護を家族に期待できない個人的事情を入退院の度に感じています
清水さんから「マイクの家」構想提案頂く前から 在宅療養を町内のワンルーム賃貸を借りて自立生活をできるのではないかと考えていたことをここでお話しています
しかし三食の用意を介護ヘルパーでできるのか 家族がする事となると今以上に負担になります
要支援1では週1時間2度程度の利用制限で 十分でないようです
24時間はスーパーALSになってからです
一昨日も白状しましたように入院中の安心感と比較してしまいます
看護師や病室の患者がいるだけで救われるのです
確かに家族にして欲しいことははっきり伝えることは大事です
でも負担になることは老老介護です 避けられません
賃貸でなく老健利用の可能性や老人ホームでの可能性もケアマネージャーに相談してはみましたが難しいのです
現実にそうされている方に相談できればいいのですが ピアサポートや友の会のことも進んでいないのです

この三が日の妄想ではこの状況を如何かしたいと考えたのですが 入院の居心地と転院地獄の恐怖が迫っていない所為で のらりくらりです
これでは47万人を見捨てる事になります
困った事です

社会に向かって声をあげよう!

マイクさん

おはようございます。
三ヶ日もあっというまに過ぎてしまいました。ご自宅での、ご家族に囲まれたお正月どんなだろう、楽しんでるかなあと、いろいろと想像しておりましたが、なんだかしんどそうで読んでいるぼくまで辛くなってしまいました。

食べるということはとても大切なことなんですね。普通にモノが食べられないというのは、食べられているぼくらには想像もつかない辛さがあるのだろうな。でも食べないといけないし。そのための胃ろうなんだし、もっといっぱい胃ろうから食べたらいいのにとも思いました。それだけでは味気ないだろうから、わずかな量でも口で咀嚼するだけでも、あるいはミキサー食を口からとって、ちゃんと味わえばいいんじゃないかなとも思います。栄養補給のためと言ってしまえばそれまでですが、胃ろうって食事を楽しむためにもあるんじゃないかなとも思うのです。

何が言いたいかというと、マイクさんなりの食事のスタイルをつくりあげちゃえばいいということかなと。〈これがマイクの飯の食い方だ〉ってやつですね。そう言ってそうする。それを繰り返す。周囲もそれに合わせる。合わせて欲しいと要求する。そうやってスタイルをつくりあげたらどうかと。マイクさんがそれを言わない限り、ご家族もだんだん何をどうしていいかわからない状況になってくるんじゃないかな。そのことがマイクさん自身も、ごサポートしようという家族も、結果的に疲れさせることになるのじゃないかと思います。簡単じゃないかもしれないけど、例えばメールで1日の食事の中で、コレが食べやすかったとか、あれは無理とか書くとか。そこからはじめてもいいんじゃないかと。

これは食事に限ったことではないでしょう。こんなこと想像したくもありませんが、これからさらに症状が進行し、生活のすべてに介助・介護が必要になった時、〈何をどうして欲しいのか〉〈何をどうしてあげたらいいのか〉がうまく伝わらないことほど、どちらにとってもしんどい状況になるのは目に見えているでしょう。だったらどうするか。

マイクさん、ぼくは思います。
まわりの状況に身を委ねるのではなく、様子見をするのではなく、まず自分を第一にああしたいこうしたいという声を上げないとダメなんじゃないかと。遠慮や諦めを先行させて考えるより、まず自分がしてほしいのはこうだけど、どうだろうと声をあげることが大切かと。声をあげて押し付けるのではなく、思いを伝えて相談するのです。

そう思うと、ぼくは急がなければならないなと思います。
何をって「マイクの家」構想です。マイクさんのこれからの日々を豊かにし、なおかつご家族の介護負担を軽減し、社会を巻き込んでマイクさんの療養生活をサポートする体制づくりですね。これはマイクさんのためだけではなく、後から続くぼくたち、つまり介護を必要とする人たちの、人としての豊かな暮らしをどう維持するかというモデルを構築するということなのです。死に場所を求めて彷徨う47万人の高齢者のなにがしかを救済することになるかもしれないと、ぼくは思っています。それこそがALS患者の社会的な役割になるはずです。

マイクさん。社会に向かって声をあげましょう。

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大晦日には振り返りを 三ヶ日はこれからを妄想

元旦のお言葉には 清水さんらしい前向きな生き方を 強い信念とされることが読み取れます
マイクは遅巻きですが寿ぎの言葉を皆さんへの感謝とお礼の言葉で申し上げます
旧年のお騒がせに頂いた愛とご支援に 済みませんでした そして今ある事にありがとう御座いましたと

所が この三ヶ日は毎年のと言うより ALSを自覚していた昨年の正月と比べて雲泥の差を感ずる惨めな正月でした
それは3段お重の御節には全く手をつけられません
食べられるのは何時ものミキサー食と酒だけです
甘海老は前に食べやすかったので特別に用意いてくれたのですがやはりダメでした
雑煮も汁だけ ハマグリの吸物も汁だけ
お重を眺めるだけ
家族が美味しそうに楽しく喋るのには全く付いて行けない
粘っこい唾がシッカリ残るのです
それと体の節々の痛みもこれまでよりキツイのです
症状の進みが早いのに間違いなさそう
新参者ではなくなったのに間違いないマイクをなんと呼んだら良いのか 思い付かないのももどかしい

この正月休みはもっとゆっくりできると思っていましたが とてもそんな余裕はない
何時もの土日外泊以上に疲れます
来週水曜日の再入院が待ち遠しいくらい
そんなこんなで妄想を布団の中でも全くできていません

若い現役の頃は 元旦には毎年抱負を考えていましたが高齢者になってからはボヤキを年賀状に小さな字で一杯書くようになった
今年は書き切れない程に内容が多くなったので 更に読めない位の字になってしまいました
書き切れないほど言いたいことがあることを伝えられたら良いと思い小さい字のままにしました

3月には 年賀欠礼の挨拶を出すつもりでお別れの挨拶状を印刷していました
それをこのブログで告白してます
恥ずかしながらそれをもう一度告白します
7/12 「恥ずかしいマイクをふたつ告白します」

恥ずかしいマイクをふたつ告白します

命を祝福する日

鹿児島の夜明け。初日の出まではまだもう少し

マイクさん

明けましておめでとうございます。

ぼくは別にお正月だからと言って、何か特別のことを感じたり思ったりするような人ではありませんでした。少々ニヒルな言い方をすれば、ただの1日の移り変わりくらいにしか思えず、世間はどうしてそんなに大騒ぎするんだって感じでした。だって、酒なら毎日飲んでるし、頭の中は毎日がおめでたいですから(笑)

そう〈感じだった〉っていう過去形なのです。お察しの通り、がんという病を得てからそれが変わっちゃったのです。正月というのは生きていくためのマイルストーンなったかなという感じです。がんではよく「5年後の存命率」などということを言います。ぼくも大腸がんを手術して、5年再発がなければまず大丈夫ですよと言われて、経過観察という定期的な検査を受けてきました。そういう中で重ねていく毎日は、それ以前の毎日の経過とは明らかに違う意味を持つし、その集積としての年の移り変わりが大きな意味を持つというのは当たり前のことですね。

ぼくは手術以降1日1日を数えて生きるようになりました。

術後すぐの1回目のお正月は、抗がん剤治療開始を目前にして極度に緊張したものでした。2回目は、直前の検査で肝臓に白い影が出ていると指摘され、精密検査の結果悪性のものじゃないと診断され、胸をなでおろしたお正月でした。そして今年の正月は3回目ですが、ご存知の通り去年の夏に前立腺がんが見つかりその治療を待つという緊張状態の中にあります。ぼくの5年はもろくも更新されてしまったのです。

ですからぼくにとってのお正月は、とりあえずここまで生きてこれたというマイルストーンなのです。ですから、あと何回お正月を迎えることができるかなどという受け身ではなく、あと何度もお正月を迎えて、生きてこれたという喜びを「おめでとう」という言葉に変えて祝いたいと思います。

そうお正月という新しい日は、ぼくにとってぼく自身の命を祝福する日になったのです。
今年もぼくはぼく自身に、心の底から言いました。
「おめでとう! 新しい日々を楽しもう! 生きてこれてありがとう」と。
そうしてマイクさんにも

「おめでとうございます! 新しい日々を楽しみましょう!」

と。

追伸
ENJOY DEATH prat2、いろんな画像、動画を見るにつけ、現場にいてこの目で見られなかったことが残念んでなりません。part3の企画をお願いしたいと、切にそう願います。

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生前葬vol.2に 仲間に恵まれた喜びを

清水さんからのお便りに マイクの下方比較への自覚についてのコメントと 加えてそのような比較をご自分にされた時のことを書かれています
成る程 同じようにマイクもされて 複雑な気持ちになったことがあります
比較そのものは大事なことでもあるのですが 使い方が難しいと言うことですね
大晦日なので一年前を振り返って見ます

到頭 大晦日をこのまま越せるなんて
一年前の今頃は 医者は病名も何も言わず2カ月先の検査入院を待たされる
そんな無責任なと言いたい放置に不満が積り 不安よりも苛立ちを
それでもALSではと 勝手に自覚するしかない年越しでした
待たされた挙句 予感通りの告知で しかも治療すること無しとは
後は生き地獄までの 転院地獄と介護地獄を覚悟するしかない
こんなこれしかないのなら少しでも早く逝く方がと焦ったのです
危機一髪でしたが家族の存在が 自死願望の非現実性に悩み苦しめる
4月になって二人の救世主が現れ 自死願望は消え そのお陰で今があるのです
それが無ければ年越しどころか夏越しをもしたくなかったのです

救世主となった一つはマイクのダンス仲間のリーダが6/29に生前葬を企画してくれたこと
しかも一昨日の12/29に生前葬vol.2までやってくれたのです
仲間KDEの大忘年会でもあって 実に楽しい時間を作ってもらいました
マイクもまた「恋人よ」と米津玄師の「フラミンゴ」を踊りました
しかし半年前にはそこそこ喋れたのに 文字盤使っても意思伝達ママならず 症状が相当進んでいることを皆に知れてしまいましたが それなりに楽しんでいるマイクをも見てもらえたと思います
こんな素敵で楽しい仲間に巡り合った幸せをしみじみ感じたパーティでした

vol.1ではマイクの語りを3時間喋る元気はありましたが 許された時間は3分でした
vol.2ではマイクが十分一人語りできると聞いていたので 紙芝居を用意したの
ですが時間が取れずに終わりました
多分語りの時間より喋りの伝わりに問題があったので これで良かったのです
それくらいの進行の早さでは 主治医がいつも言っていただくような進みが遅い事になるとは思えません
患者として一番知りたい余命や切開の時期については 患者が妄想するしかないのです
右手は握力ゼロだけではなく 手が上がらなくなり 指の力が全くない不自由に!
左手も弱くなっているのは確かで 生き地獄を予感させるのです
でも予感で滅入ることはまだまだ先のことと思えます
笑って済ませるのですが 新参者では次第になくなっているのは事実です

正月の準備は何もできませんし しませんが 神棚の榊と仏壇の仏花とお鏡飾りだけは亭主の仕事 それだけは昨日の仕事で済ませました
家内娘孫はお節料理で てんてこ舞いはいつもの通り頑張っています

皆さんが良いお年をお迎えられんよう切にお祈り申し上げます

ね、そうでしょマイクさん

写真展の合間に、京都木屋町の居酒屋たこ入道で

マイクさん

〈自分のことは自分で考えること。他人と比較することの無意味さに気が付いたような気がしました〉

いい感じですね。実にいい感じです。これに尽きると思います。人はみんな他人のことを気にしすぎなのです。しかも、誰かが悲劇的な状況にあると、もううれしくてうれしくて、気にする、同情するような風でいて、実は自分が思い描く悲劇的状況にその相手を押し込めようとするのです。

ご存知の通りぼくはがん患者です。大腸がんを経験し、2年も経たずに前立腺がんが見つかり、年明けから治療に取り掛かります。この前立腺がんが転移したものなのか、原発性のものなのかそれはわかりません。しかし大腸がんはリンパ節に転移が見つかり、全身のどこに飛び火していても不思議ではないなと自分でも思います。
すると周囲はこう受け取るのです。清水はとても深刻な状況にあると。本人もかなり落ち込んでいるのではないかと。体調的にもしんどいに違いないと。抗がん剤の治療で、髪の毛なんかも抜けているはずだと……。

そういう人が久しぶりに出くわしたりすると、やや残念そうな表情でこう言うのです。

「なんだ、意外に元気そうじゃないか」

そんなときぼくは心の中でつぶやきます。〈こいつはいったい何を期待してるんだ!? ごめんね期待通りでなくて〉と。つい先だっても、何度も繰り返し「意外に元気そうじゃないか」と言われて、「君は何を期待してるんだ」とつい言ってしまいました。すると彼は、「人が真剣に心配してるのに、なんだよその言い草は」とムクれてしまいました。でも本当に心配してくれているなら「意外に」などという言葉は出てこないんじゃないかと思います。

ぼくは確かにがん患者です。でも、だからと言って、何か深刻にならなければならないのでしょうか。
がん患者ですが、1000キロの道を車で飛ばして、京都で2週間の写真展をやり、毎日深夜まで動き回りました。さらに鹿児島に戻った直後に種子島に渡り、みっちり取材をして先ほど帰ったばかりです。その間に思い切り酒も飲みました。「妄想ラジオ」の動画配信では、ビールを飲みまくるぼくが登場しマイクさんも驚かれたはずです。もうちょっと節制して、身体を大切にしたらどうかとはよく言われることです。

でもぼくはこれでいいと思っています。これがぼくなのです。がんになったからといって、何も変わることもありませんし、一般的に語られるがん患者のイメージにはまりたいとも思っていません。〈心配〉してくれている皆さんには申し訳ないのですが、ぼくはぼく、ずっとこのままでいたいと思っています。自分のスタイルにこだわり、自分の生き様を大切にしたいのです。
へそ曲がりなぼくは「心配している」と言われると、「自分の心配をした方がいいよ」と言ってあげることにしています。で「もし君ががんになって落胆したり、落ち込んだりしたらいつでも話を聞いてあげるから」と言い添えることにしています。経験者の言葉は重いですよ。

ね、そうでしょマイクさん。

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