絆とは Yesの心があってこそ

清水さんのお身体の様子を想像するしか出来ませず 自分のことばかりの書きっ放しになっています
そのことを何とかしようとしても ラブレターなら 昔は相手を想う心で書き慣れていたのですが 最近はこの前の返信で昨年の「私の年賀」を見て頂いたと思いますが 宛先の方よりも自分のことばかり書き連ねるばかり
それでも賀状のスペースが足りず 老人仲間から嫌われる程の小さな活字
最近は滅多に出さなくなった手紙も 季節の言葉や挨拶もなく いきなり“Mr.No!”を連発するだけのマイクです
入院生活と言えども意外と忙しく 消灯の眠りの前にかなり右手が不自由になってキーミスに気が散り 文章力には気が回りませず とかでお許し下さい

確かにあの時 オープニングの”Have a nice day”の瞬間に マイクは マイクにはマイクの気付いていなかった絆があったのだと初めて知ったのです
それからずうっとラストまで 信じられないマイクだったのです
マイクを自死願望者に自らを追い込んだのは 信じていた友人からも ALSという疫病神と思われるのは当たり前で それくらいなら誰からも逃避すべきと
振り返るとこれはマイクの最も恥ずかしい「人でなし」を暴く事実なのです
それが危機一髪でマイクの前に現れて 誰もがそうではなく また マイクの失敬な偏見かも知れないと気付かせてくれたのが ふたりの神様仏様だったのです

オープニングからラストまでマイクは嬉しくて一人一人全ての知人友人を確かめようとしました
それ以上に嬉しかったのは全員が総立ちでマイクに視線を向けられていて 来ていただいたマイクの知人友人全員がどうしてと思われたくらいの一体感を感ずるのが出来たことです
残念なことはマイクの言葉の不自由で 今日の感激を頂いた感謝と もう一つ 正直に皆さんへの信頼を裏切りかけたことを謝りたかったのですが できませんでした
感謝と謝罪は 特に謝罪で言いたかった事は 今日感じられたこれだけの絆の存在は マイクがALSと言う特別の同情があったにしても ここにおられる皆さんにもこれ以上の絆をお持ちであるに違いないと言う事をお伝えしたかったのです

本当にステレオタイプで “Mr.No!“ でネガティヴなマイクが 妄想好きぐらいなことだけで 果たして “Mr.Yes!”マイクになったと言えるか
それよりこれからズーッとそうあれるか?
ちょっと放っておくとヤバいマイクだと
こんなこと最後に書かないようにならなければ・・・

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「絆」ということ

6月29日 生前葬パフォーマンス「えんじょいデス」会場にて

今日は7月11日。
ぼくは毎月11日、この日亡くなった友のことを思い、「絆」ということを考える日にしています。だけど、6月29日のあの瞬間を経験した今、「絆」という言葉がより切実に思えるようになりました。
あの時、会場にいたすべてのみなさんに、マイクさんに、心から伝えたいと思います。

ありがとう

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「Mr.No!」から「Mr.Yes!」に

マイクさん

怒涛の連投、ありがとうございます。追いつけていないこと、とても申し訳なく思います。「往復書簡」になってないですね。どうぞご勘弁を。

まだ6月29日の熱気と興奮が身体の中に充満しています。そうして時折、あれは夢だったんだろうかとも思ってしまいます。しかし、250人もの人が集い、そのすべての人がマイクさんへの思いでつながったというのは、紛れもない事実です。あれは現実の光景だったのです。
ぼくはあのフィナーレの光景を眺めながら、はじめてマイクさんに会った日のことを思い出していました。マイクさんの第一印象は「Mr.No!」って、すべてに否定的な姿勢でした。ぼくは、〈この人、ひとりぼっちで人生を終わろうとしている〉としか思えませんでした。

そんなのつまんないじゃん。マイクさん自身から聞いたように、それまでボランティアとか地域の活動とか、人にまみれて生きてきたのに、大勢の人の中で生きてきたのに、もっと生きようよ。ぼくならそうするし、もっと大勢の人をふりまわしてでもそうしたいと思いました。だから社会とのパイプを閉ざさないでと言ったのです。ぼくがそのパイプ役をやりますと。でもそれはぼくだけじゃなかった。
生前葬パフォーマンスを企画して実行した市川まやさんやKDE(Kyoto Dance Exchange)の仲間のみなさんもそうでした。そうしてあの一体感が生まれたのですね。ぼくにとっては鳥肌が立つような経験でした。

どうです? マイクさんは決してひとりぼっちじゃなかったでしょ。
きっとマイクさんもそう感じたはずです。そうして驚かれたはずです。こんなに大勢の人が支えてくれているのかと。でもそれは、これまでにマイクさんが大勢の人を支えてきたからにほかならないのです。
ぼくは思いました。
たしかにALSという病気になったことは不幸なことです。でもまだマイクさんにはこれだけ多くの仲間の支えがあって、これは間違いなく幸せなことなんだろうなって。

マイクさん、ぼくはマイクさんがあのイベントの最中に、「Mr.No!」から劇的に「Mr.Yes!」に変わっていく姿を目の当たりにしました。それはこれからガンに立ち向かっていくぼくにとっても大きな励みになると思いました。マイクさんの姿を自分自身にあてはめて前へ進もうと。

「ALS患者としての社会的役割を生き甲斐ならぬ死に甲斐に」
これはマイクさんがあの後よく口にしたり文字にしたりしている言葉です。
誰もが自分の人生の終わりを意識して思うことなんだろうなって思います。たしかにぼくだって、死に甲斐というものを求めて、すでに右往左往してるんだろうなって。でも一方でこうも思います。死に甲斐って最後の最後まで徹底的に生きないと見えないものだろうなって。

マイクさん
もうちょっと生きましょう。
大勢の人と一緒に、右往左往しながら生きましょう。
徹底的に生きましょう。

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ラッキー過ぎて調子に乗るな?

昨日一昨日と自死を肯定するかのような話が続いたので 今夜は再入院の様子を見ておきましょう
3クール目の点滴2週間を終えて 生前葬の29日を挟んで2週間も退院したことと 本番とその稽古で相当酷使したとみえて 身体はまだいいにしても 喋りが聞き返される頻度が多くなっていいて完全に不味くなっています
でもそのことで ショゲたりしているどころか 満足感で充実していますからご心配なく

だけど昨日今日は病院の嚥下食なのに 何度も食事最中に吹き出したり 誤嚥で咳き込んでしまい すっかり飲み込みの力が落ちたのを知ってしまって 少々ならずこの先の自信を失くしてしまいました
それでも主治医の回診で 何時ものようによく喋れているよと仰って頂けました
これはMBSのTV取材でちゃんと主治医回診がカットされないよう上手く行ったことなのかも?
またリハビリの療法士も放映されて喜んでもらえました
それどころか何人もの見にきてくれた看護師から絶賛されて スター気取りでした
TVも見てもらえて マイクがトライアスロンをしていたことまで話題になりました
なんと言っても今回の凄さには 摩耶観音と天から頂いたALSに感謝するばかりのマイクです

もう1つお知らせしたいことは またまたマイクが 看護学校の実習生の担当患者の役を頂きました
既に昨日背中を流していただき これから火曜金曜と3週間続きます
今度も前の方のように大学で外国語を学んだのに 重度障害児施設に働いた後の看護師修行なので 周りの学生より10弱ほど上なのです
ご自分が大事に育てられてきたことに生きる意味を考え悩んで選んだ道だというそんな彼女なのです
3週間で彼女から教えてもらい またマイクの経験を語り合えると思うとまたまたラッキーが如何してかマイクに舞い込んできたことに神仏を信じたくなるのです
彼女の彼氏は美術系の大学で 社会学哲学の准教授をされていて 須原一秀のことばかりでなく なんと清水哲男さんのこともご存知だと知ってしまいました

生前葬の後は身体を休めていると あの時の興奮が少しずつ覚めてゆくように感ずる寂しさがなかったとは正直言えません
然しその時のために何についてこれからの考えを広めて行こうかを考えていたその一つを教えて貰えそうだと今日は既に彼女に話しました
どうなるか?それにしても入院とはこんな?

もう一つ新しいことは 退院の前に 色々よく教えて頂いた向かいのベッドの方の後に 80歳ですが喋りも上半身も元気な方が入っておられる
幼少からの脊髄神経性の筋萎縮?で 今回は遺伝子検査の入院らいいのですが 下半身は全く不能で 上下する電動車椅子も特注で200万するという方です
また違ったご苦労をされておられると思いますのでお聞きしようと思います

ところで マイクの4クール目の点滴は 本来今週からの2週間と続く2週間の休薬なのですが 休薬で退院なら 2週間だけの入院になるのです
休薬中もリハ入院できれば 4週間になります
5クール目があるのか?分かりません
それでと言う訳でもありませんが 点滴開始が来週からとなり 少なくとも1週は伸びました

医師からではなく 転院地獄の実態を実習生から知ろうとするのは相当迷惑とかでヤバいことなのでしょうか

77歳 既にやりたいことが見つからなかった

再入院2日目で リハビリ3種と風呂だけで何もせず体を休めることに専念しました
これはこれで成るように成るとの贅沢な命の過ごし方なのでしょうけれども こんなことにでもこれで良いのかと考えたくなるマイクです
こんなマイクが1年半前の77歳の元旦のブログに 既に気力が失せた老人になったことを告白しています

マイクのブログの2018/1/1「新年に 変態の我を見つけたし」(死に方教えます)にはこうあります
https://sky.ap.teacup.com/applet/jishi/20180101/archive
『明けましておめでとうございます
今年も皆さんには恙無きことと お喜び申し上げます

私マイクも 何とかやっています
とは言え最近の書き込みには ダンス公演が続いて 途絶えがちでしたこと 寄る歳を感ずるばかりです

マイクの年賀の言葉は毎年 HPの「私の年賀」に あります
是非マイクのボヤキをお読みください

今年は 昆虫もするなる 変態を 完全または不完全かも知れませんがしたいものです
マンネリな老人をこれ以上やってはおられないと思うばかりで ボランティアやアートやダンスから足を洗いたいと思いながらも 次の目安が付きません

正月の三が日の間にでも思いついたらと 年越えて布団の中で考え続けてきました
今 酒に浸りながら
終末期老人のあるべき姿を考えようの決意は ライフワークとして変わらないことだけしか思いつきません』

その年賀状は マイクのHPにあります(vistaバージョンで画像が表示されません)
http://mike12.web.fc2.com/nenga.htm
毎年ながら「皆様には謹みて新年を寿ぎます」と心より申し上げます しかしまた毎年目出度くあるべき賀状を 寿ぎとは言い難いボヤキ事で汚してばかりの私でしたこと 今年もお許しください
世界中に 安倍・習・金・プーチン・ドゥテルテ・トランプ等の自己中ウイルスが蔓延し この日本も政府・企業の不正や議員・芸人の不倫 自殺幇助殺人や国技の醜態など 愚民を麻痺させるに事欠かず アジア隣国と全く同じレベルなのです  こんなに劣化している社会に 目を瞑る位なら 日本死ね! かも
私事では 満77歳になり 加齢を日に日に感ずるのですが おやじダンスともう一つのKDEの仲間とは昨年も 3月はびわ湖ホールでのベルギーの公演に 4月にはデンマークのアーテイストのパフォーマンスに 5月には名古屋で 8月は大阪で 11月はバレエに 年末には初のソロ出演など 十回以上のステージを楽しみました
現役時代から 7年毎に仕事や生活に変化があり また退職後もボランティアからアート鑑賞へ そしてダンスへとたっぷり彷徨いましたので ここらで次の変身をと迷っています しかし未だ見つかりません 飽きっぽい私に是非お勧めの生き甲斐ヒントをお願いします
平成三十年 元旦   マイクスタンディングこと・・・・

したいことがなくなった老人マイクですが 遣らなければならないことはあるのだとの想いだけはあったのです
まだ生き甲斐を求めていましたが 「死に甲斐」もあることには気付いていなかったようです
序でにです
QOLは知っていたと思いますが マイクの今は QOD(quality of death)と言う言葉のある事を知っています
これまた序でに
QODは緩和ケアに限っていて 英国が「クリニカル・パス」なる積極的処置システムで優れているとか それに対し 長寿日本は延命を優先するとか
もうひとつ
マイクの「死に甲斐」は 単なるターミナルケアでないことは このブログの5/31にお話ししました(マイクのブログ2018.5.5にも)
また世間にいう安楽死も自死を幇助するターミナルケアでしかありませんが マイクの訴える安楽自死は 死に甲斐をサポートすることでより豊かな死を全うさせたいとするものです

再入院で回復させたい/自死の宗教性

昨夜は何書くともなく疲れた体について書いていると突然 自死について語り始めてしまいました
今夜は更に疲れているので 去年の9月10月のまだ元気な頃に自死こそ最善の死ではないかと気付き その宗教性についても考えていたので そのマイクのブログの転記で済ませます

「自死の宗教について」
マイクのブログ2018/9/29「自ら入滅すべしと信じて」(最善の死とは)

https://sky.ap.teacup.com/jishi/849.html

の後半に 自死の宗教性について考えています

『宗教的に 自死については 神から授かった命を捨てるのは馬鹿だとするイスラム教とか
キリスト教も何の根拠なく否定しているだけなのだそうです
仏教は釈迦がある意味では自殺と言われる所為か 自死には緩いのです
現に 僧侶の即身仏や補陀落渡海が崇められているのです
倫理的には肯定されていないように思えますが 何故かまではよく分かりません
しかし日本には武士道としての切腹や特攻隊や(自爆)テロの文化を誇りとし 美化もされているのです

聖職者・生贄・戦死者・お産で死んだ女性・首吊り自殺者は楽園直行という死を神聖化するマヤ文化や仏教を見習い 万人を待っている来世の楽園に自ら行くことを イスラム教やキリスト教も 宗教者なら否定できない筈です

安楽死が欧米で認められるのは韓国の尊厳死法制化と同じく キリスト教にあると言われていて 逆に仏教国日本では何故か罪悪視されています

自殺が刑法的犯罪ではないのは 人の生命は本人に一身専属的に帰属する保護法益なので 本人がどう処分しようと自由であるとの考えと 行為者死亡により処罰が不能であるので犯罪に規定していない と考えるからですが 自殺未遂者まで違法性がないのは刑法の逃げかもしれません
このことは安楽自死にとっての強い味方になるように直感します

自殺幇助は犯罪であり 西部邁の自裁死幇助も有罪となったのです
弱い者いじめと 見て見ぬ振りが日本の文化なのです
ややこしいのは 自殺を扇動する自殺教唆罪で マイクが勧める終末期安楽自死は 完全に自裁死幇助並みにNGなのでしょうか

こんなおかしな刑法の仏教国日本なのです
これら自死や安楽自死が 倫理や宗教の面から擁護されるようになることを信じて マイクは10年以上も最善の死を求めてきているのです』

しかし現実的には 自死に犯罪性が絡むことがあるため 刑事絡みになってしまうことでゴッチャになって犯罪視化されているのです

倫理的に 自死の自由が憲法11条を含めて保証されるとしても 人の死には役目があることを忘れてはいけない
人生の最期を恥ずかしく飾ってはなりません
残されたものの模範になる様に看取られなければならないのです
それが老人の責務でもあり 老人としてのプライドと言うものなのです

時に切羽詰まった現実に迫られて 日頃から死に縁遠い若者が悲惨な手段を選んでしまうのですが 老人にはそれを許してはなりません
長い人生に社会や家族に世話になり生きてきたことに感謝する心があれば 単に死を個人の自由に任していいものではありませんし 日頃よりそろそろとメメント・モリして自覚と準備と覚悟を決めなければなりません

この3週後にも専門家に教えられてまた考えている
2018/10/20「最善の自死はある」(最善の死とは)

https://sky.ap.teacup.com/jishi/860.html

『友人が毎日新聞の10月15日の記事を紹介してくれた
「いのち追う」京できょうを生きる物語㉘竜谷大文学部准教授野呂靖さん(39)
自殺は「悪」なのかを仏教はどう教えているか
僧侶から自死すれば地獄に落ちると言われた遺族が苦しんでいるのを知って研究をしたとある
その結果仏教では自殺という「死に方」そのものについて 善や悪 肯定や否定といった形では言及されていない と説明

しかし明治以降浄土信仰を厭世的で 藤村操投身自殺事件と絡め自殺容認と批判され 教徒が自殺を認めていないと反論したことが原点にあるとする
更に昭和には芥川龍之介の自殺で 仏典の肯定否定を議論されたことも今に続くとも

現実を踏まえて死にたいという感情を否定するのではなく あるものとして受け止め 苦悩をかかえながらも生きることができる社会 多様な生と死のあり方を認め合える社会を目指す時 死に方を議論せず 生と死の不離を説く仏教との接点を見いだすことができるのではないだろうか

この様に野呂さんは議論を超えて思いを語るとあった
しかし仏教徒なのか日本人なのか 死に方を議論せずには引っかかる』

野呂さんは議論を超えてと言うが マイクは議論して「最善の死に方」を探し出したいものです
あると信ずる それは自死しかと思うマイクですが 中々です・・・・この頃こんなに・・・

死にたい詐欺ではありません/言いたかったのです

明日から4クール目の点滴のための再入院です
3クール目点滴の2週間後に休薬期間があって その期間を退院し その真ん中の29日に生前葬を無事終えました
と言いたいところですが その間にTV取材が6回と新聞取材があって 喋り過ぎたのと 家の食事は噛み締めないと飲み込めず口腔の使い過ぎが祟って 喋り具合が相当悪くなっています
おまけにイベント当日食事と水分を十分取れず 翌朝は2キロ減になっていた
体の疲れだけと思えない節々の痛みが気になり今日までは何もせず飲み食いだけにして休んだ程です
それもお酒までも 慎重にトロミをつけてエネルギー源に
果たしてALSの症状が進んだのではと思わない訳ではありませんが あれだけのことができたことの満足で 確実に嬉しいのです
この先の症状がどうなろうと恐れないマイクですが 自分の進捗はハッキリ掴んでおきたいのです
次の治療のタイミングやその時のQOLは予測しておきたく思います

大往生したけりゃば医者に行くなと言う ベストセラー本の医者がいる
そんなこと言う医者の治療は要らないし どんな病気でも それを放って置いたらどうなるかも予測できない医師の言うことではないかと 不安になるだけではないでしょうか
自信たっぷりの占い師?の方が安心させてくれそうです

マイクがALS告知後 ひと月経って落ち着いたのに 自死願望者になったのは そような病気の残酷さやこの先の読めない不安でではなく 療養・介護の現状が全く分からず そのことで家族に掛ける負担が読めず そんな状態なら早く逝きたいと決めても もっとよく分からないのは家族に迷惑をかけないで自決する方法が現実にないことで とても悩みました

自死願望を家族にも 友人知人誰彼ともなく言いまくったのは 助けを求めると言うより マイクのこんな気持ちを一人でも多く理解や同情を得たかったからです
その中に誰か自死幇助者が現れても 或いは心中を受け入れてくれる方がいても 多分マイクは躊躇するだけに終わっていたと思います
死にたいほどの悩みを抱えていることを理解された方は 医療介護関係者におられ その中には マイクの思い通りしても誰も責められないと言ってくれる人も多くて マイクは慰められました
だからと言って自死はできる筈でもないのです
自分では方法が見つからない余裕のない心況であるからこそ 何でもいいからのヒントが欲しかったのです
同情だけでも 支持の言葉だけでも いや否定でない言葉なら

こんなマイクに殆どの友人は否定し 馬鹿呼ばわりか 言われても迷惑と言い切るのです
勿論御本人は どう言っていいか分からなくて 死そのものを否定しただけなのです
然し見えない所で 勝手に死ねと強要しているようなものです
幇助は優しい人のすることなのに 刑法では罪なのです
迷惑呼ばわりは 本人には 飛び込んでしまえと言われているに同じなのです
どちらが閻魔様に裁かれるべきかとマイクは思ってしまいます

言いまくって救われたマイクです
もし誰かが死にたいと言ったら せめて理由を聞いてあげてください
死にたくないのに死しか思いつかない弱り切った人に 死ぬなと言うのは無意味なのです
疫病神扱いは しないで下さい
他人がそう思うのは仕方がありませんが弱り切った人にはすべての人にそう思われて当たり前と思ってしまい 逃避しようと孤独に籠らせてしまうのです

言いまくったから神様と仏様に出会ったのです死にたい死にたいと言ったのは 本当の真に迫るオープンな気持ちだったのです
まるで下手な芝居の詐欺師の「死にたい‘詐欺」だったかも

マイクは、一般的にALS患者は賢いと言われているとを、このブログ(6/8)に書いたことがあります。然しマイクは詐欺をするほど賢いわけではありません。

マイクは北陸加賀の生まれで、北陸3県の県民性を比して、加賀生まれは元来おっとり型だと言われてきました。

今日は元会社の販売部の大先輩に、TV報道を見たと早速見舞っていただきました。
マイクがこんなにラッキーなのは、死にたい詐欺ではなもなく、ALSでに対する同情でもなく、元々おっとり型ゆえにちょっとした心境の変化で、生きることに前向きになれたからではないでしょうか。

生前葬したからには もうひとりぼっちになれない

鹿児島にお帰りになって 水害も気になりますが お身体の調子はいかがでしょう
お陰さまで マヤちゃん企画と清水さんのテレビ誘致で 会場が一体となって盛り上がり 最高に楽しんで頂けたことに感謝します
そしてまたこれは ALS冥利に尽きるものだったことは間違いなさそうです

この生前葬の「生前」には言葉遣いを前々から気にしています
何か仏教的な仕掛けがありそうですが調べてみても分かりません
反対語は分かり易い「死後」であることから考えると 生前と死後の境は 生と死が 表裏で合体した領域があると解釈できます
それを生側からみると生前 死側から見ると死後になるのでしょうか
その境界を超える事を死という不可逆な一方通行でかつ 命が時間的にも事象的にも紙一重の違いであることを言い表しているのでしょうか
こんな屁理屈はここまでに

生前葬はこれまでの絆ある方々への感謝と お別れの言葉を存命中に済まそうとする事ですが 隠居などの変身宣言のためでもあるのです
マイクも生き還らせてもらったお礼と これからは死んだつもりで 細やかでも世直しになることをしたいとの思いを宣言することになったのです
その意味の目的も果たせたのではないかと安堵してますが これからがその責務ある余生になるのです

明後日からの再入院の前に 今日は京都市「難病連」と 「京都府・市難病支援・相談センター」に行って ALS同病者の集いとかの団体組織を聞きに行ったが ALSの会は JALSA近畿ブロックしかないと知った
ALS患者は 京都府に200人 そのうち市に100人とかなのに個人を全く把握しなくて 難病夫々の患者会の支援や個人相談を受け付けていると言う
医師は患者同士の繋がりを個人情報とかで避けていますどころか 症状の進展は個人差と言うだけでこれも言うのを避けています
同病者からの臨床的な話が役に立つ筈ですが それが出来なければ あとは占い師に教えてもらうしか?
米国では政策としてのしっかりした医療方針として 患者同士の情報交換が大事だとして ピア・サポートを推奨していると言う
調べると鹿児島や金沢にはそような動きがあるようです
かなり前に考えたり調べて投稿の準備はできているのですが長いので いつかは分割して載せるつもりです

それににしても 生前葬の後は ALSでなければご隠居ではないかと思うのですが マイクはお蔭さまで 悠々にも お隠れの「ひとりぼっち」にも もうなれないのです

決してひとりぼっちにしない

マイクさん

ぼくは鹿児島に戻ってからも生前葬パフォーマンス「えんじょいデス」の余韻を楽しんでいます。250人という大勢の人と時間と空間、それに思いを共有するなどということは、めったにできないことです。それを体験させてくれたマイクさんに深く感謝します。さらにその場を準備してくださったすべての関係者の方々に、ほんとうにご苦労様でしたありがとうと伝えたいです。

あれだけ生きることにネガティブだったマイクさんの中に、強烈な生への渇望が脈打っていたこと改めて感じました。それを素直に爆発させたマイクさんの姿は、ぼくにとっては眩しいほどの輝きを放っていました。ぼくも貪欲に貪欲に生きたいと思いました。

でも大切なのはこれからだと思います。
マイクさんの「死に甲斐」という言葉、一見すると「生き甲斐」をネガティブにとらえたものかと思えましたが、ところがどっこい自分の死を通して社会に何を残すかということを考えているのだと気付いた時、この言葉にとても力強い意思を感じました。そしてその「死に甲斐」の発露、発信の舞台がこの往復書簡になるということは、ぼくにとっても大きなやり甲斐を感じさせてくれました。これからの時間をその「死に甲斐」のために費やすというマイクさんの覚悟を全力で支えようと思っています。

「ダンスで世直し」っていい言葉ですね。ぼくはマイクさんに提案します。「ALSで世直し」やりましょうよ。難病患者とその家族が置かれている状況。医療制度、福祉制度の問題点。どうしたらすべての人が幸せな終末を迎えられるのか。そんなことをこの場で発信していきましょうよ。そんなことができたらいいなって思います。

ぼくは鹿児島に戻ってから、いわゆる「閉じ込め症候群」の解消のために、コミュニケーション機器の開発に取り組み続けてきた何人かのエンジニアと連絡をとりはじめました。約束したとおり、ぼくはマイクさんと社会のパイプ役になります。しかしぼくひとりの力では困難なことだらけだと思います。そこを大勢の知恵と工夫と技術と、その結果としての機器で乗り越えたいと。生前葬パフォーマンスで250人の心をひとつにしたあの光景を、人と人の関係に置き換えてコミュニケーションの世界で心をひとつにすることを目指したいと考えています。

マイクさんを決してひとりぼっちにしない。その思いで、これからもマイクさんとご家族を全力で支えていきます。

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芸セン藝術倶楽部通信当てお礼とご挨拶

鹿児島は大変なことになっています
何時も天災を思う時 個人を超えた運命の悪戯としか思えない その気紛れな残酷さに神仏を疑いたくなります
この半年のマイクは 運命に翻弄されて 天罰と覚悟したり天命と受け入れたり 幸運の神仏に救われたりの 浮沈を味わいましたが 天災ではそれどころではない理不尽な悲運にただ泣くしかないのです

ところで今日も疲れを休めようと飲み食べるだけで 2キロも痩せた体を回復させようとゆっくりしようとしています
今日の書き込みは 昨日と同じ内容ですが 今程 お手伝い頂いたボランティアの方々へのお礼の言葉(芸セン芸術倶楽部通信への)投稿を転記して休養に努めます

「京都芸術センターボランティアスタッフの皆さんに感謝の言葉を」

この6月29日は マイクこと藤井幹明(よしあき)にとって ALS告知後 危機一髪まで沈み込んでしまったのに ここまで再起再生できたことを 多くの方に祝ってもらった まるで誕生パーティのような「生前葬」でした
東京・金沢から親族が家族葬並みに15名 そしてダンス仲間が1/3 ボランテイア仲間が1/4 ギャラリストとアーティスト達 ジムの仲間 元会社の同僚 自治会・町内会 看護師と難病仲間 特にセンター元コーディネーターが何人もには驚き また嬉しかった
「チームマイク」で会場設営だけでなく一緒に踊って頂いた皆さんには深く低頭します
多様な方々250名が一体になって楽しんで頂いたのは 何も私の繋がり広さや深さではなく ダンス仲間のリーダーの執念だと感謝していますが 実は私のALSの残酷さを誰もが理解しておられるからでもあります
そういう意味でも 難病への社会的な理解をという主旨でしたが 私の残酷かも知れないこれからを見守って頂けるならば 世間には沢山の弱者がいることを身近に感じ受け止めて頂けるのではないかと信じられます
私のこれからは生き地獄かも知れませんが 病気を頂いたことで知った弱者の立場から 弱者支援そのものではなく 世間の目が弱者に対して優しい眼差しであって欲しいと訴えるだけでも 情け深い日本人の心を取り戻せるのではないかと このことも信じて残り有る限り生きることと決心しました
私は10年来ブログで安楽死を考えてきたのに 無力な私には絶望感だけでしたが この度のALSは天命として自らやって見せよと 天から仰せ付けられたものです
この難問は叶えられるとは未だ思えないのですが 生き地獄の前にALSのような弱者だけにでも許されるべきかと思われてしようがありません
生き地獄で苦しみ 自死願望する者に同情すらなく「一人で死ね」とネグレクトする人こそ 自殺強要者で閻魔様に裁かれるべきと思ってきました
ALSになったお蔭で また入院して知ったことで 日本の福祉の貧しさが日本人の失った心の貧しさにあることを 鹿児島の作家さんの支援を得て新しく始めた往復書簡ブログhikurashi.comで訴え続けることが出来るようになりました
幸運な私は死に甲斐なる目標を得て エンジョイ・デス出来ると思いながら死を待てるのです
こんな幸せは誰にでもあるということをも また広めたいとも思っています
最後にこんな私をお見守り ご支持いただきたく そして皆さんの益々のご活躍を祈念して止みません ありがとうございました