マイクのALSは天罰でもあり天命でも

この交換ブログの開始前に考え思いついた マイクの特殊性をお伝えした方が良いかと思いましたので 少しづつ転記などで

マイクスタンディングのブログ 2019.2.4 を転記します
「マイクのALSは天罰なのです」

『マイクがなぜALSにと考えた時に 天の悪戯とか サイエンティスト・マイクらしく 誰にでも起こる唯の偶然と思い込むことが大いに気休めになります

ところがそうではなく 腰痛に右手の不自由と口腔の痩せによる呂律障害が重なった 身体的3重苦になりました

加えて 家計的にこの12月と言うタイミングに 企業年金18年が切れ 企業年金は退職金を全て積み増したもので そのため現役並収入として18年間高い健保・住民税で150万払ってきたのはいいのですが それが来年8月まで続くのです 高齢健保負担30%も

この3重苦に加え 家庭的に妻の社会奉仕的な稽古ごとにこれまでの高額の年金も殆ど使い果たし 加えて稽古場ばかりの家で 在宅医療ができないに加え 来週妻の一世一代の大きな披露会を開くために マイクのことを嘆く余裕がないと言う このタイミングで3重苦が重なっているのです

3重苦が三つ 九重苦がこの時期に重なることは偶然でもなく確実に天罰なのです

閻魔さんフアン 仏教フアン を自称するマイクです
何の天罰かは地獄へ行ってからでないと分からないのが辛い

個人的なことを書き込んで家内に叱られるに決まっていますが ALS患者の中でも最悪のマイクなのに間違いなく 安楽自死を考えるのも無理ない事なのです』

もう一つ転記します

マイクスタンディングのブログ 20192.24
「続いてマイクのALSはマイクにぴったりの」

『ALSが 九重苦のマイクへの天罰であることに加え ALSがマイクならではの病であることもマイクは認識し これも天罰どころか 天からの恵みなのかと自覚しています

それは このブログで 須原一秀さんの「自死という生き方」を読んで 能天気過ぎる死に方を批判してきた後 自分ならの死に方を考えだし 終活本を読み漁り その後個人の死ではなく 社会的な問題として 赤ちゃんポストのように 死にきれない末期老人に安楽自死を支援する施設が必要との考えに至りました

マイクのような個人の思いの頼りなさに嘆くばかりで 何れ 知識人の誰かが自然死などを実践し 或いはマイク自身がそうすべきかとまで思い始めたその頃に マイクが得た天からの使命がALSだったのです」

マイクがALSを発症し確定した2019.2.6から その死までを覚悟をするのに殆ど苦悩はありませんでした
安楽死を 安楽自死を10年来考えてきたマイクに ピッタリの天命だと直ぐに認識したからです
ところが使命を果たすにはと考え出した3月頃からは 現実を振り返り その難しさを目の当たりにし慌てふためいたのです
それが 社会的矛盾であることを当事者として認識し 当事者としての苦しみを味わうようになり 直ぐにでも死にたいと思い始めたのです

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死に方の選択、生き方の選択

マイクさん

ぼくはひとつ気づいたことがあります。何かというと、マイクさんの自死、安楽死についての言及についてです。
ほとんどの人が「後ろ向き」だととらえているし、ネガテイブ思考だと指摘しているはずです。そんなんじゃダメだ、もっと前向きに生きて欲しいと。たとえALSで命の時間を限られようと、最後まで精一杯生きて欲しいと。実際ぼくもそう思っていました。マイクさんご自身もネガテイブマイクと仰いますね。

でも、ほんとうにそうなんだろうかって思っているのです。
マイクさんが求められているのは平穏な死なんですよね。いずれ死ぬってわかっているALSという病気になってしまった以上、症状が進み身体が衰え、ただじっとして死ぬのを待つより、地獄のような閉じ込め症候群のような状況になる前に、自ら進んで、安らかに死にたい。そういうことなんですよね。それなら、ありかなと。

父の話をします。
父は肺がんで亡くなりましたが、がんが見つかった時は既に手の施しようがなく、一般的にいうと余命半年だと宣告されました。父は医師の言葉通り半年を待たずに亡くなりました。その父の最期はとても壮絶なものでした。父はモルヒネの投与を拒みました。寝てるうちに死ぬのは、自分もわからないうちに死んでしまうのは嫌だと。医師は「苦しさは大変なものだ。到底無理だ、お父さんを説得してくれ」と何度もぼくに頼みました。しかし父から「みんなに囲まれて、これで最期だと自分で納得して死にたい。がんかて笑て死ねるわい」と言われた時、ぼくは説得を諦めました。父は自分の言葉通りの最期を迎えました。長年連れ添った妻、息子、孫、曾孫に看取られて、苦痛に表情を歪めながらも、一人ひとりの手を取り、頷くような仕草を見せ、最後に大きく息を吸い込み目を閉じました。ぼくは父の死を納得して受け入れました。父は後に遺る家族に自分の死を納得させようとしたのだろうか、ぼくは今もそう思っています。それどころか、最後までよく頑張ったなと、父を誇らしく思っています。元気なころは、顔を合わすと必ず喧嘩になる大嫌いな父でしたが。

父の死に方も、ひとつの死に方だと思うと、マイクさんの言う安楽死もひとつの死に方なのかなあと思いました。父の嫌がった、モルヒネで眠らせて苦痛なく最期を迎えさせる。これはまさに安楽死だと思いました。それにマイクさんからはオランダやフランスの事情も聞きました。避けられない苦しい死なら、安楽死という選択肢があってもいいのかも、と。何と言っても、当事者のつらさなんて決してわかるものじゃないと思いますから。
だったら絶望的な状況になったとわかったら、安楽死もその選択肢のひとつに加えてもいいのじゃないかと思いました。しかしここで明確にしなければならないのは、絶望的な状況とはどういう状況かということです。そこにぼくは、安楽死と自殺の明確な差異を求めたいと思います。それはおそらく家族や周囲の人々の納得ということも含まれるかと。絶望的な状況を誰が見てもそうだと思えなければ、まだまだ生きられるのに、死を選択するという余計な死や、家族に迷惑をかける厄介な死もありえるんじゃないかと。

諦めという意味では父は明らかに生きることを諦めていたと思います。その上での死に方の選択だったと思います。敏秀も、前提として病気からは逃れられないと、そこは諦めていたと思います。その上での生き方の選択だったと思います。難病であっても、重い障害を持っていても、寝たきりになって何もできなくても、生き方の選択はできる。そう言いたかったのだと思います。ぼくだって、おそらくぼくはこのがんという病気で死ぬんだろうなあという予感はあります。それでも、この病気と向き合ってできるだけ長く生きて死ぬという選択をしたいと思っています。そうして死ぬまで社会と関わりを持って、発言をし続けたいと思っています。これがぼくの生き方の選択であり、死に方の選択だと思っています。つまりぼくは、死に方を選択するなら必ず生き方を選択しなければならないと思っているのです。生きた上での死だと。

マイクさん

「闘病と逃病」ってとっても面白いと思いました。ぼくもこんなややこしい病気からさっさと逃げ出したいと思います。だけど逃げられない。じゃあどうするか、たっぷり考えないとと思います。その果てにマイクさんのいう安楽死、尊厳死という選択もあるかもしれません。ただしぼくの選択肢には自死、自殺というものはありません。
ここまで考えると、マイクさんのいう安楽死、尊厳死に限っては、決してネガテイブでもなく、後ろ向きでもなく、選択肢のひとつとしてとらえなければならないと思いました。その上で、生き方の選択とセットにして考えなければならないとも思いました。

マイクさん

この場所をどうぞお好きなようにお使いください。そうしてぼくに考える材料をたくさん見せてください。ぼくにもやがて死が訪れます。ぼくがぼくなりの生き方をしてぼくなりの最期を迎えられるように、たくさん考えるチャンスをください。

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諦めた夢にもう一度

若い難病患者の轟さんや 癌で闘病される清水さんとは 高齢で残された人生に夢持つことを諦められるマイクとは 闘病に価値を見いだせるお二人と それよりも逃病しか考えようとしないだけのマイクに 大きな違いがあります

それでも今のマイクは 清水さんから準備頂いたこのブログのおかげで 夢を持つことができました
それがどんな夢なのかを考える必要があります
清水さんから ALSに苦しむ私マイクには まして死についての社会的矛盾を考えてきたマイクには 社会と繋がり続け それを発信する義務があるのではと問いかけられ 諦めていたこれまでのブログでの限界に再チャレンジする気持ちになったのです
清水さんと言う後ろ盾にご縁を頂いた幸運を無駄にしたくはありません

それにしても マイクは難病ALS患者の症例としてというより 長年考えるだけだった安楽死についての思いが先行してしまいます
何しろ当の本人になったのですから

いつも清水さんの症状のことにも 名文を頂いたお礼もせず 自分のことばかり勝手に書き込んでしまいますことお許しいただけるでしょうか
まだまだ余裕や修行が足りません

ALSの3つの矛盾に苦しむ

ALS患者に安楽死できる権利があれば 高齢のマイクには何よりの病だとこの前に書き込みました

しかし現実は安楽死どころか 韓国に先を越された尊厳死の法制化もされていません
マイクがどれほど苦しんで死ぬのか それを考えると また考えても生き地獄が浮かぶだけです
それを避けるには 生き地獄レベルになる前に 自死するしかないのです

2月初めのALS確定の後は 主治医を決め 難病認定の手続き 介護認定など複雑な仕組みに悩みながら 病人なのに多忙な日を送った
それでも自死しかない事を知ってしまっているマイクは 自死の覚悟と準備にも夢中でした

それでも落ち着いて考えることを清水さんに諭された今 何に苦しんでいるかを思い直してみます

これからが次第に生き地獄状態になっても 日本では安楽死ができない事
また自死は社会的に容認されていない事
これらはALSにとって共に社会的矛盾なのです

そのためマイクの選択肢は尊厳死しかなく 病院で死にたいのですが 療養型の病床は少ないのです

詰まり 三つ目の矛盾は マイクの個人的事情から在宅医療ができないし したくないことで マイクの最期の看取りが 尊厳死できる病院なのか何処なのか 不確定なことに不安がある事
それは財政難の医療制度が変わってからの病床不足なのですが マイクには悲運では済まされないもう一つの社会的な矛盾なのです

フランスのALSでは 専用の施設があると聞いています
無料でも 多分延命の割合は少ないのではないでしょうか
オランダではALSで安楽死を選択する人が20%で 全死亡の2%の10倍だとか

どうしても静かになると 安楽死のことを考えてしまいます
成るようになると思って済ますことができるかどうか 自信がありません

「ALSを楽しめる筈なのです」

マイクスタンディングのブログ 2019年04月07日 を転記してみます

「いよいよ明日からリハビリ入院2週間が始まる
本当はそのまま尊厳死出来るまで 詰まり死亡退院を望んでいるのですが 強制退院させられます
昨日はそのようなALSの3つの矛盾を書き込みましたが ALSが悲運だけでなく 大変恵まれた病であることを述べてみます

高齢の78歳のマイクは普通なら 平均余命はあと10年です
ALSで人工呼吸器拒否しても 3から5年と言われています
老化スピードが倍3倍なのと 割とはっきりしていることです
筋萎縮でじわじわと力が衰えるのですが 生活機能に不便ではあっても また感覚は失われることもないし痛さは全くありません
不思議にも床ずれもないらしい

ポックリ死どころか 計画死ができて 知人親戚とのお別れと 断捨離も楽しくやれるのです
生き地獄になったら安楽死できるなら それ迄悩むことなくALSを楽しめるのです

しかも生き地獄が近づくのは高齢化で誰でもとは言いませんが皆が覚悟すべきことです

だからと言って誰もが生き地獄を体験して死ぬべきとは考えなかったマイクは 延命治療の後の選択ぐらいは本人の権利で 出来れば安楽死を支援できた方が安心だとの考えを持ってきたのです

尊厳死法案すら成立せず 世界趨勢の安楽死は程遠く 日本人の矛盾に対する見て見ぬふりの倫理に 特にALS患者は被害を受けるしかないのです」

もう一つ転記します
「韓国にも遅れる思考停止日本」
マイクスタンディングのブログ2018年06月19日
『数日前の毎日新聞に 韓国の尊厳死法の記事で「8500人延命中止 尊厳死法施行4カ月」とあった
韓国で今年2月から、回復が見込めない終末期の患者の延命治療を、法律に基づいて取りやめることができる制度が導入された。国から制度運営を委託される財団法人によると、今月までの4カ月間で、高齢者ら約8500人の延命治療が取りやめられた。尊厳死を法律で認めた制度といえる。日本と同様に高齢化が急速に進む韓国で、終末期医療が転換期を迎えている。
そのうち韓国では安楽死もと思うと 日本人の思考停止を情けなく思う』

エンジョイデス できるの筈のALSでも 安楽死できることが前提です
せめて尊厳死でも容認されなければ マイクはALSの矛盾の犠牲になって見せるしかないのです
プライドある令終(立派な死に方)のためには

点滴は成されるままに リハは懸命に

昨日の書き込みを繰り返します

「リハビリ2週間の予定でしたが 昨日から リルテック内服の他 ラジカット点滴を2週間することになりました
そのあと2週間休んでまた2週間点滴しますので 6週間入院が決まりました
凄いことになり気持ちの整理がつきません
4人に一人が進行を遅らすことを期待できるとかで マイクに必要かどうかと考えたくなるのですが あるがままに 成るように成ると思えるマイクになる修行の場として受け入れることに しました」

こんな気持ちで毎日朝10時から2時間の点滴を受けます
何をしても良いので退屈はしません
腕の針は3日間刺したままで 今からこのまま入浴します

するのはいいのですが 4人にひとりとか 気になることがあるだけで 特に問題はありません
でもマイクがあえて受ける気になったのは 手足の進行は遅いらしいのですが 球麻痺の進行が早く 日に日に感ずるからで 嚥下や呂律のリハも始まるのと合わせて やれることはやっておこうと思います

リハ療法士と昨日マイクの安楽死の思いを話しました
さすが現場の実態も知り尽くしマイクに共感していただけたように思います
尊厳死の苦しさの実際など少しずつ聞けるかと思います

Re:我が儘になれないマイク

マイクさん

ぼくはいま、死を強く意識しています。これまでにこんなに強く意識したことはないと言ってもいいでしょう。
数年前、父が肺がんで半年の余命宣告を受けた後、宣告通り亡くなった時にもこれほど強くは意識しませんでした。でも、マイクさんという存在に触れて、とても強く意識するようになりました。冗談のように聞こえるかもしれませんが、ポケットにいつも「死」というしわくちゃになったメモ紙をつっこんでほっつき歩いているような、そんな感じなのです。「強く意識している」を「身近に感じている」と言い換えてもいいかもしれません。マイクさんが、死を身近に引き寄せてくれたのかもしれません。

「日々できることが少なくなっていく。でも、まだ何かできるはず。できることがあるはず」と轟木さんは夢を手放さなかったのは若さだったのでしょう。

若いから……、ぼくもそう思います。でも、敏秀をそばで見ていたぼくは、とても複雑でした。彼の中には同世代の若者が経験してきたことを、そういちばん大きいのは恋愛や性体験でしたが、何も経験できなかったというとてつもない悔しさや口惜しさがありました。「そんなぼくにできること。残されているものを、人を振り回してでも追求したい」という貪欲さがありました。「でないとやがて死んでしまうぼくは不幸すぎる」と。敏秀は夢を手放さなかったというよりも、ジタバタしていたのです。右往左往していたのです。何かができるということで、近づきつつある自分の死を遠ざけたいというように。

ぼくはと言えば、正直な話をすれば、とても不安な毎日を過ごしています。体調が悪いとか、苦しいとか、しんどいとかはありません。あるいは身体が衰えつつあるということでもありません。自分の体内の「死の種子」がいつか芽吹いて、この身体を蝕んでいくのではないかと不安なのです。こんな話をすると、「そんな後ろ向きな言葉を発するもんじゃない」とか「前向きに生きろ」とか「頑張れ」とか言われます。そんな時は心の片隅でクスッと笑いながら、言葉を飲み込みます。「言われなくても前向きになろうとしてるし、頑張ってるよ」って。

しかし、発症からは、遅かれ早かれ生き地獄の終末期が訪れることを成るように成ると楽観的に見ることは出来ませんでした。どうせなら、苦悩を味わう時間積分を少なくするためにも、マイクの死は早い方がいいのです。

不安の根源は得体の知れないものだと思います。おそらく、すべての人が「地獄の終末期」に対して漠然とした、得体の知れない不安と恐怖感を抱いているのだと思います。それに打ち克つことは、一体全体可能なことなのでしょうか。多分受け容れることはできても打ち克つことなど、ぼくには到底無理なように感じられます。いや、受け容れる自信だってありません。だからぼくの死はできるだけ遠い方がいいのです。死にたくはないのです。

前向きに生きることを強いられることは、つらいことだと思います。それでも生きている以上は前向きに生きたいし、生きなければならないと、ぼくは自分に言い聞かせています。妙な言い方をしますが、ぼくはぼくが死ぬその時まで、一生懸命生きようと思っています。そのために死をいつも身近に感じていたいとも。ぼくにとっては、死を身近に感じることは、死にたいということではないのです。

マイクさんがよく口にされる「memento mori」という言葉、「死を忘れるな」。だからこそ生きるんだ、生きるために忘れるなと、背中を少し押されているような気分になります。もうちょっと頑張ってみようかなって。ジタバタしたって、右往左往したっていいんじゃないかな。それでも生きていこうと思います。でなかったら、無念のうちに死んでいった敏秀に申し訳がないなとも思います。

ぼくももっともっと考えたいと思います。マイクさん、一緒に考えましょう。マイクさんの最後のひとことに強く共感して、今回のお返事を終わります。ぼくもありのままに生きたいと思いました。

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我が儘になれないマイク

「こんな夜更けにバナナなんて」を演ずることなんてマイクには出来ません
雪国の人 北陸生まれの忍耐強い我慢の人だからかも知れません
子供の頃から 浄土宗他力本願も身に付いているからかも知れません
何事も争いを避けて 諦めることを美徳にまで信じてしまいます

「日々できることが少なくなっていく。でも、まだ何かできるはず。できることがあるはず」と轟さんは夢を手放さなかったのは 若さだったのでしょう

マイク78歳でも 発症前には まだまだ夢を持っていました
特に10年来考えてきた安楽死支援施設の必要性については 夢叶わぬと分かっていても諦めることはありませんでした
しかし 発症からは 遅かれ早かれ生き地獄の終末期が訪れることを成るように成ると楽観的に見ることは出来ませんでした
どうせなら 苦悩を味わう時間積分を少なくするためにも マイクの死は早い方がいいのです
勿論 今未だ苦悩レベルではないし 夢があるはずだと説得されても反論出来ません
でもいつ頃から生き地獄レベルになるか?それは分かる筈がないからと言って マイクに成るがままにそれを待てと言えるでしょうか
清水さんのお蔭で いまこのようなチャンスをいただいて ALSの社会的矛盾を問う機会を得たことを 夢以上の喜びとしています

もっともっと考える時間を作りたいと思います
我が儘になれないマイクでも ありのままのマイクでありたいと思っています

Re:成るように成るしかないと

マイクさん

こんにちは。
ぼくはあなたからのからのお便りが、日々長くなり深くなっていくことに、喜びを感じるとともに、問題の深刻さに打ちのめされるような気がしています。なんとかぼくも一緒に立ち向かおうと思うのですが、正直にお話しすると、もし自分がマイクさんの立場に置かれたらどんなにつらいだろうと、どんなに右往左往ジタバタするかと、立ちすくむ思いがします。

見るのも辛いのに ご本人の体の辛さを思うと心痛むのに それ以上にどんな気持ちでおられるのか 聞くまでもなく また聞いてもこちらが辛くなるばかりだと思う

その通りだと思います。だけどぼくは、これまで難病患者の方からたくさんお話を聞いてきました。そんなぼくにできることは、ただお話を聞かせていただいた方を強くぎゅっと抱きしめたいという思うことだけでした。ぼくはこの「抱きしめる思い」を大切にいろんな人に接してきたし、これからも接していこうと思っています。無力なぼくにできるのは、話を聞き、そうして心の中でぎゅっと抱きしめることくらいなのです。

件の教授が、どのような意味で「命のコスト」とおっしゃっているのか、ぼくにははかりかねるところがあります。それどころか、「生きる価値」をコストで測ることに少々違和感を抱かざるを得ません。「命のコスト」とは、生きるためにどれほどのお金が必要かということでしょうか。するとコストで測る「生きる価値」とは、どれだけお金をかけたかで決まるということなのでしょうか。ぼくにはよくわかりません。

東京で暮らす人と鹿児島の秘境といわれるトカラ列島のような離島で生きる人では、明らかに「命のコスト」は異なるはずです。でも、自分の居場所でそれぞれ必死で生きている人の「生きる価値」は比較すべきじゃないと思います。「生きる価値」を「人生の価値」と言い換えるとしたら、それぞれの場所で、それぞれの人が、自分の人生を生き切るかどうかで、「人生の価値」は決まるんじゃないかと思います。それも、人に評価されるのではなく、自分自身の評価として。

それでも今のマイクには 自分のQOLくらいは 考えるまでもなく ALSを自覚してからは毎日毎日減衰するしかないQOL体感しているのです。勿論 精神的にまで影響されることのないようなマイクでありたいのですが

ぼくのかつての友人で「死亡退院」の主人公・轟木敏秀さんは、デュシェンヌ型筋ジスで衰えゆく筋肉、動けなくなりつつある身体を自分でこう評しました。

「日々できることが少なくなっていく。でも、まだ何かできるはず。できることがあるはず」

と。そうして彼は亡くなるまで外の世界に向けて自身の思いを発信し続けました。そのためにITエンジニア、リハビリテーションの専門家、数多くのボランティア、友人を徹底的に振り回して自分の思いを遂げようとしましたし、それらの人々は喜んで振り回されていました。おそらくそれらの人々は、それぞれが「抱きしめる思い」を身体に充満させていたのだと思います。

マイクさん
どうぞわがままになってください。そんなに重い病を得てまで、善人でい続ける必要はないと思います。マイクさん自身の「生きる価値」を高めるために、どうぞわがままになってください。そうしてまず、ぼくを第一に振り回せるだけ振り回してみてください。

ラジカット、効果があるといいですね。ぼくも期待をしています。
それにマイクさんは、思ったよりも進行が遅いのではと聞きました。
これからゆっくり何をするか。そんなことを考える6週間になればいいなと思います。

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成るように成るしかないと

今朝の朝食も 食堂でいただいてみました
60歳くらいの隣の方は手足を常時5センチほど震わせて 懸命に食べておられる
見るのも辛いのに ご本人の体の辛さを思うと心痛むのに それ以上にどんな気持ちでおられるのか 聞くまでもなく また聞いてもこちらが辛くなるばかりだと思う
QOLとは確かに他人と比較するものではありません

でも今のマイクには というより元々コストパフォマンス思考のマイクで 生きる価値をコストで測りたい思いがあるのです
京大こころの科学センターのカール ベッカー教授は 命のコストを考えるべき時代が来ると唱えていた時期があります
マイクもブログで真剣に考た時期がありますが 人権や差別と絡み 考えを止めるしかありませんでした

それでも今のマイクには 自分のQOLくらいは 考えるまでもなく ALSを自覚してからは毎日毎日減衰するしかないQOL体感しているのです
勿論 精神的にまで影響されることのないようなマイクでありたいのですが

リハビリ2週間の予定でしたが 今日から リルテック内服の他 ラジカット点滴を2週間することになりました
そのあと2週間休んでまた2週間点滴しますので 6週間入院が決まりました
凄いことになり気持ちの整理がつきません
4人に一人が進行を遅らすことを期待できるとかで マイクに必要かどうかと考えたくなるのですが あるがままに 成るように成ると思えるマイクになる修行の場として受け入れることに しました