絆とは Yesの心があってこそ

清水さんのお身体の様子を想像するしか出来ませず 自分のことばかりの書きっ放しになっています
そのことを何とかしようとしても ラブレターなら 昔は相手を想う心で書き慣れていたのですが 最近はこの前の返信で昨年の「私の年賀」を見て頂いたと思いますが 宛先の方よりも自分のことばかり書き連ねるばかり
それでも賀状のスペースが足りず 老人仲間から嫌われる程の小さな活字
最近は滅多に出さなくなった手紙も 季節の言葉や挨拶もなく いきなり“Mr.No!”を連発するだけのマイクです
入院生活と言えども意外と忙しく 消灯の眠りの前にかなり右手が不自由になってキーミスに気が散り 文章力には気が回りませず とかでお許し下さい

確かにあの時 オープニングの”Have a nice day”の瞬間に マイクは マイクにはマイクの気付いていなかった絆があったのだと初めて知ったのです
それからずうっとラストまで 信じられないマイクだったのです
マイクを自死願望者に自らを追い込んだのは 信じていた友人からも ALSという疫病神と思われるのは当たり前で それくらいなら誰からも逃避すべきと
振り返るとこれはマイクの最も恥ずかしい「人でなし」を暴く事実なのです
それが危機一髪でマイクの前に現れて 誰もがそうではなく また マイクの失敬な偏見かも知れないと気付かせてくれたのが ふたりの神様仏様だったのです

オープニングからラストまでマイクは嬉しくて一人一人全ての知人友人を確かめようとしました
それ以上に嬉しかったのは全員が総立ちでマイクに視線を向けられていて 来ていただいたマイクの知人友人全員がどうしてと思われたくらいの一体感を感ずるのが出来たことです
残念なことはマイクの言葉の不自由で 今日の感激を頂いた感謝と もう一つ 正直に皆さんへの信頼を裏切りかけたことを謝りたかったのですが できませんでした
感謝と謝罪は 特に謝罪で言いたかった事は 今日感じられたこれだけの絆の存在は マイクがALSと言う特別の同情があったにしても ここにおられる皆さんにもこれ以上の絆をお持ちであるに違いないと言う事をお伝えしたかったのです

本当にステレオタイプで “Mr.No!“ でネガティヴなマイクが 妄想好きぐらいなことだけで 果たして “Mr.Yes!”マイクになったと言えるか
それよりこれからズーッとそうあれるか?
ちょっと放っておくとヤバいマイクだと
こんなこと最後に書かないようにならなければ・・・

「Mr.No!」から「Mr.Yes!」に

マイクさん

怒涛の連投、ありがとうございます。追いつけていないこと、とても申し訳なく思います。「往復書簡」になってないですね。どうぞご勘弁を。

まだ6月29日の熱気と興奮が身体の中に充満しています。そうして時折、あれは夢だったんだろうかとも思ってしまいます。しかし、250人もの人が集い、そのすべての人がマイクさんへの思いでつながったというのは、紛れもない事実です。あれは現実の光景だったのです。
ぼくはあのフィナーレの光景を眺めながら、はじめてマイクさんに会った日のことを思い出していました。マイクさんの第一印象は「Mr.No!」って、すべてに否定的な姿勢でした。ぼくは、〈この人、ひとりぼっちで人生を終わろうとしている〉としか思えませんでした。

そんなのつまんないじゃん。マイクさん自身から聞いたように、それまでボランティアとか地域の活動とか、人にまみれて生きてきたのに、大勢の人の中で生きてきたのに、もっと生きようよ。ぼくならそうするし、もっと大勢の人をふりまわしてでもそうしたいと思いました。だから社会とのパイプを閉ざさないでと言ったのです。ぼくがそのパイプ役をやりますと。でもそれはぼくだけじゃなかった。
生前葬パフォーマンスを企画して実行した市川まやさんやKDE(Kyoto Dance Exchange)の仲間のみなさんもそうでした。そうしてあの一体感が生まれたのですね。ぼくにとっては鳥肌が立つような経験でした。

どうです? マイクさんは決してひとりぼっちじゃなかったでしょ。
きっとマイクさんもそう感じたはずです。そうして驚かれたはずです。こんなに大勢の人が支えてくれているのかと。でもそれは、これまでにマイクさんが大勢の人を支えてきたからにほかならないのです。
ぼくは思いました。
たしかにALSという病気になったことは不幸なことです。でもまだマイクさんにはこれだけ多くの仲間の支えがあって、これは間違いなく幸せなことなんだろうなって。

マイクさん、ぼくはマイクさんがあのイベントの最中に、「Mr.No!」から劇的に「Mr.Yes!」に変わっていく姿を目の当たりにしました。それはこれからガンに立ち向かっていくぼくにとっても大きな励みになると思いました。マイクさんの姿を自分自身にあてはめて前へ進もうと。

「ALS患者としての社会的役割を生き甲斐ならぬ死に甲斐に」
これはマイクさんがあの後よく口にしたり文字にしたりしている言葉です。
誰もが自分の人生の終わりを意識して思うことなんだろうなって思います。たしかにぼくだって、死に甲斐というものを求めて、すでに右往左往してるんだろうなって。でも一方でこうも思います。死に甲斐って最後の最後まで徹底的に生きないと見えないものだろうなって。

マイクさん
もうちょっと生きましょう。
大勢の人と一緒に、右往左往しながら生きましょう。
徹底的に生きましょう。