「普通」ってなんだ

マイクさん

今から50年以上前です。ぼくが中学校に入学した頃の話です。
ぼくの通っていた中学校は、明治33年に開校したいう旧制中学系譜を引く古い中学校でした。校舎はモダンなタイル張りの3階建てで、とても立派な学校でした。その広い校庭の片隅に小さな木造の校舎が、ひっそり立っていました。その前には幼稚園の園庭のような小さな校庭もありました。

ぼくは少々風変わりな生徒で、同級生や誰に馴染むこともなく、休み時間はひとりでポツンと過ごしていました。入学直後、ぼくは校庭をぶらぶらしていて隠れるように立つその校舎を見つけました。この建物はいったいなんだろう。不思議に思って、休み時間終了のチャイムにも気づかず、離れた場所でじっと校舎を眺めていました。すると体操服姿の何人かの生徒が中から出てきて、1列に並び女性教師の掛け声に合わせて楽しそうに身体を動かしはじめました。その光景は、ぼくらの体育とは違い、とても楽しそうでした。

その中に小学校の同級生のT子さんの姿がありました。なぜあの子はここにいるのだろう。どうしてぼくらと違う校舎で、違う校庭で……。遅れて教室に戻ったぼくを叱責する教師に向ってたずねました。あの校舎は何なのか、と。

「特殊学級」

その時はじめて耳にした言葉でした。教師の説明では、障害や病気を持って「普通」の授業を受けられない生徒たちが集められているということでした。ぼくは「普通」という言葉に激しい違和感をおぼえて、「普通」とはどういうことなのかと詰め寄りましたが、何も答えてくれませんでした。

ぼくはT子さんのことを思い浮かべました。あの子は小学校の時、確かにぼくらと同じ教室で、ぼくらと同じ授業を受けていたのです。あの子はどうして「普通」の授業を受けられないのだろう。いったい「普通」ってなんなんだろう。ぼくの中でどうしようもない不思議が膨張していきました。それからぼくは休み時間になると、離れた場所からその校舎を眺めていました。

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弱者が情けを社会に育む

ALSの自分のことを疫病神と思ってしまっていた頃の自分を恥ずかしく思うマイクです
一人何処かで篭ろうとまで思っていたマイクは 昔の自分がALSの自分を差別していることなのです
弱者差別を普段からしていない積りでも 実際にはその様な場面をあまり体験していないし考えていないからです
そのことに気付いたのは マイクの様な鈍感な人間と (酒の)神様 (金粉の)仏様の様な人がいる事実を知って 何故鈍感な人間と 敏感で情けある人に別れるかを考えてみたからです
結論から言うと 弱者と接する頻度にも関係するのではないかと思ったのです
勿論そんな情けというものは 人それぞれの人生体験で育まれるものですが 弱者の密度や接する頻度にも要因があると思い 障害者の人数を調べてみました

厚生労働省は9日、体や心などに障害がある人の数が約936万6千人との推計を公表した。日本の全人口に占める割合は約7・4%にも。
障害者への生活実態調査からの推計で、身体障害者は約436万人、知的障害者が約108万2千人、精神障害者が約392万4千人。
いずれも高齢者が増加傾向にあり、65歳以上の割合は身体障害者の74%、知的障害者が16%、精神障害者が38%だった。(佐藤啓介朝日デジタル2018/4/9)

障害者総数 936.6万人(人口の約7.4%) のうち在宅 886.0万人(94.6%) 施設入所 50.6万人( 5.4%)
年齢別には総数のうち65歳未満 48% 65歳以上 52%

難病患者についても

指定難病受給者 総数 89万2445人(H30)
内 ALSの総数は 9千636人 年齢別に観ると
0〜9歳 10〜19 20〜29 30〜39 40〜49 50〜59 60〜69 70〜74 75以上
0 2 18 113 549 1169 2924 1853 3008
確実に高齢者が多い
発症年齢は 65〜69歳をピークに50〜75歳に広がり 男は女の1.3倍(1.5~2ともある)
発症者数は 10万人当たり1.1~2.5人(2〜6とも)

ALSを障害とか他の難病と比較することにどんな意味があるのか 漠然としたことしか掴めていないのですが 取り敢えずデータを集めてみました

他の障害との比較で ALSはラッキーなのではと思いたがっているのかも知れません
生活行動不自由になるも苦痛少ないし 比較的病状進行分かりやすい
マイクはそう思って自分を慰めようと このブログの 「ALSは楽しめる筈なのです」2019.4.14 にしっかり書いている程です
ところが 事実は 障害者認定は足が不自由でないと駄目で 自分では完全な障害者と自覚する球麻痺先行のマイクには到底無理らしいと諦めさせられました
介護判定も然りなのです

数字を見て 日本人の7.4% 937万人の障害者がいて 家族がいる社会であれば 障害に目を瞑って生きられない人が 10%どころか20%以上はいるのだと知りました
マイクは 世間が弱者を疫病神と見るのが当たり前で 健全な友人知人を同じ様に見てしまい 遂には閉じ籠ろうと思ってしまったくらいでした
そこにマイクを救うまでに考えて頂いた神様仏様が現れて 希望や可能性を知ったのです
80%の自分が10%の いや80%なのに10%の気持ちの大事さを知る皆さんに救われたのです

毎年10万人に2人発症するALSが 1億人の日本に 1万人いるのは 平均5年生きているからですが この事は 100年の一生の間にALS を発病する確率が 百人に1人なのです
パーキンソン余命15年15万人
筋ジスも15年生きて 25千人
もっと確率が高いのです

身障者・難病者合わすと 1千万人を越えていて 10人に1人がそうなのです
先に考えた様に 家族だけでなく 親戚友人知人合わせて10人いれば 10人が10人 人誰でも 弱者を無視して生きられないのです

マイクの言語障害・嚥下障害に比べても 強く生きておられる多くの視覚・聴覚・聾唖障害者の事を思うと 恥ずかしくなるだけです
お互い支え合って生きている一人なのです

それでもマイクは その様な社会の成り立ちよりも 自分の死を考え また社会に於ける死ばかりを考えるだけでした
ALSを 死をかけてなすことができる病だとか粋がってみたり
元気なうちなら・・・
自死を許せる病?
安楽死なら!!
尊厳死ならOK

このことをも今思いついて 恥ずかしくなるばかりです
また昨日清水さんに障害者・難病者に関心を持たれた動機をお聞きしたのもそんな思いからです

マイクさんがぼくを救ってくれているのです

マイクさん

「縁」という言葉に大きくうなずいてしまいました。
マイクさんとのおつきあいは、昨年末の京都での写真展を、僕の友人の紹介で観にきてくれたお嬢さん、雅子さんとの何気無い会話がきっかけでした。もうどんな会話を交わしたのか、その内容も記憶していませんが、拙著「死亡退院」を手渡しました。もしそれがなければ、マイクさんとのおつきあいもはじまっていなかったかもしれません。
年が明けて2月のかかりだったでしょうか、写真展の会場となったバーで雅子さんと偶然再会し、そこではじめてマイクさんにALSという診断がついたことを知りました。

「死亡退院」は、ひとりの筋ジス患者の療養生活を切り口に、決してあきらめないあきらめさせないという暮らしが、障がい者・難病者はもちろんですが、健常者にとってもとても大切だということを書いた作品でした。どんなに重い障害、症状を抱えていても、最後まで生を全うすることが、豊かな死につながると。

それを読んでくれた雅子さんとの相談ともつかない雑談の中で、マイクさんがALSの診断がついた直後からネガティブで、早く死ぬことばかりを考えていて、さらには「自死」しかないと親しい友人に自殺の幇助をしてくれとまで口にしていると聞かされました。そんな状態に家族も辟易としているとも。しかもマイクさんがこれまでに「自死」に深く興味を持ち、「自死」「安楽死」「尊厳死」について研究を積み重ね、一家言お持ちだということも知りました。そこでぼくのブン屋根性に火がついたことはすでにお話しした通りです。

マイクさんが言う「救いたい」とは少々違います。ブン屋根性に火がついたぼくは、マイクさんに深く興味と関心を持ちました。そうしてぼくよりも身近に死に直面した人の苦悩と本心を引き出したい。大げさにいうと、そのことをちゃんと社会に知らせることでマイクさんが生きた証を残してあげたいと、かなりおこがましいことを考えていたのです。手柄を立てたい、という野心を持っていたと言ってもいいかもしれません。それを「社会とのパイプ役はぼくがやります」などという綺麗な言葉でごまかしていたのです。

ところが、何がどうなったのか、ぼくは素直にマイクワールドに引き込まれてしまいました。多分マイクさんに「死ぬ意味」「生きる意味」を鋭く追及され、それにうまく答えられずにしどろもどろしている自分に驚くとともに、死についてそんなに深く考えてこなかった自分についつい自嘲してしまったところからそんなふうになっていったのだと思います。
今はこうやっておつきあいすることに、楽しみさへ見出していることももうご存知のことだと思います。それだけだはなく、マイクさんの気持ちの揺れに自分の揺れを見、それでも生きようとする姿に勇気をもらっています。つまり、ぼくがマイクさんを救っているのではなく、マイクさんがぼくを救ってくれているのです。これは間違いありません。

先だって、病室を訪ねて元気なマイクさんと過ごした時間はとても楽しかったし、ぼくにとっては大切な時間になりました。ありがとうございました。

この経過を思い返すと、これはもう「縁」というしかないと思えて仕方ありません。

ぼくがなぜ障がい者・難病者に感心を持つようになったかというおたずねですが、これは話すととても長くなりますので、折を見て少しずつお話ししたいと思います。

夜にもう少し書き足したいと思います。

本を読む余裕もあるのです

往復書簡も 始まって随分になります
この交換ブログが立ち上がったのは 清水さんとマイクの娘の前々からの縁がってがあってのことです
鹿児島に住まいする清水さんが 障害者・難病患者を取材する文筆家であることを 京都に住まいする娘が何処まで知っていたのかどうか
10万人に数人のALSの父のことを娘がどう言う切っ掛けで話題にしたのかを確かめていませんが 清水さんに娘が紹介したマイクのブログに関心を持っていただいたことに原点があるのだともいます

その上告知まもないマイクが自死願望に陥っているのを知って ご本人が恐縮だが関心と興味を持ったと言われた様に マイクを救いたいとも直感され コンタクトが始りました
4月8日の今の入院前から マイクのメールとブログへのコメントで励ましがスタートしています
しかもデスクトップを使うマイクが入院中は中止せざるを得ない事を知って このタブレットのご用意と 新しく「死を楽しむ毎日」往復書簡を立ち上げていただいたのです

その後は現役のお仕事の合間にマイクへの励ましと 今にもやばいマイクの願望を見抜き 多くのご叱責を頂きました
お陰で生きていて良かったと先に書きました様に 立ち直り余裕まである今に導きいただきました

ところが入院中の自由時間に合わせマイクの思うところ 昔から考え悩んでいた安楽自死しにまで考え続ける様になり お仕事に多忙で時間のない清水さんのことを忘れて自分ばかりの書き込みが続いています
マイクの妄想と清水さんからの叱責に痺れながらの療養を楽しんでいます

こんな訳ですが 自分のことばかりで申し訳ありません
マイクには清水さんの障害者・難病者への関心を持たれた切っ掛けなど知らないままですので 時間ある時にお願いします

いまから「決してあきらめない あきらめさせない」清水哲男 道出版(2007/6/10)を読み始めます