死刑囚に安楽自死の支援を/執行人不要です

昨日に続き 去年の9月頃にマイクが「天命としてのALS」を予感していたことをマイクのブログで検証します
一方で安楽自死の施設の可能性に期待を掛けられない現実にくたばっていたのです

2018/9/17「死刑囚の自死支援から学ぶ」(最善の死とは)
https://sky.ap.teacup.com/jishi/839.html
i 大体たことは 死は成り行き任せや 他人任せでは 最善の人生の目的にはならないということです
詰まりまだまだ具体性が見えないのですが 自裁自決自死を前提とすると言うことです
最期を飾る 羨ましいような死に方が最善なのです
難しいとは諦めていません
終末期なら許されるような方法がある筈です
これを老人のこととして考えるだけではなく 死刑囚のこととして考えると実現の可能性が見えてくる
死刑執行を求める死刑囚には 自死を勧めるべきです
罪滅ぼしとして 彼らはやりたいことがある筈です
献体や 補陀落渡海ならずとも無帰還火星探査機に乗るとか それを支援するのです
彼らなら老人には思いつかない素直で高貴で最善なアイデアが生まれ それらの実践を知れば大いに参考にできるはずです
オウムの7人に罪滅ぼしをさせるべきだった
彼らならできたはずだ
何故させなかったのか

2018/9/24「次は安楽死疑似体験を」(最善の死とは)
https://sky.ap.teacup.com/jishi/845.html
「最善の死」を考えてからアッという間にこのブログの集約であるかのように書き込みました
マイクが言いたいことはこれ位のものでしかないのですが 言い尽くしたわけでもありません
思いは思いで これまで色々の方に話したことばかりで また殆んどが同感していただけるのですが 誰からも現実的でないことを指摘されます

安楽死センターの実現は マイクが先導を切って最善の自死をやって見せることで 共感者や批判者を増やすことでしかできないでしょう
そうは思ってもマイクにはまだまだ終末期がいつなのかを自覚できません
その時にならなければ実践できません
思いに共感する人たちを集うことで 設立運動を起こすことも理想です
かって東京に 安楽死党なる政党があって 立候補したことがあります
マイクにその様な力量があればと悔やみます

それより最近のマイクは すっかり老化が進み 体力ばかりではなく 気力も衰えてきて 終末期に自分から近付こうとし兼ねないほど弱気になっています
マイクのもう一つのブログ「腰痛日記」を「老化日記」に変えようかなと思っているくらいです
もう少ししたら マイク自身の終末期大接近を自覚し 終末期シミュレーションを疑似体験してみたいと思います
実現のためのプロセスを考える具体的なアイデアがいっぱい生まれそう

2018/9/30「赤ちゃんポストを見習って老人ポストを」(最善の死とは)
https://sky.ap.teacup.com/jishi/850.html
マイクがこのブログで 安楽自死センターの必要性を思い立ったのは 熊本の慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」赤ちゃんポストのご苦労を知ってからです
事情があり里親とてそう簡単に見つからないで 子殺しや子捨てをせざる負えない現実に 非難を受けながら開設した

死にかけの老人も 高齢社会には多くの貧困と無知で 社会を暗くさせるに間違いはありません
死から目をそらしてきた結果から その時になって迫りくる死を如何しょうもなく他人任せにしたっ結果 医療は客として利用し 家族も無責任に社会福祉財政を利用
昨日の夕刊には 慈恵病院がこれまで特別養子斡旋を民間仲介業者に紹介するまではやってきたが 4月施行の「養子縁組児童保護法」が 許可制になり 仲介業廃業するなどの受け入れ先が減ってくる可能性があり 自ら参入すると言う
元々ポストは相談受付や里親などの救済の入り口として生まれたと言っておられる

ひとりで考えたこともない死の恐怖を抱く老人に 自死を支援することの必要性はこれから益々社会に欠かせなくなる
その走りの入り口として 老人安楽自死センター設立の前に 「老人ポスト」と言わないにしても そのようなものが必要なのかもしれません

マイクが憧れる「エピクロスの園」
http://mike12.web.fc2.com/epicurus.htm
を 老人駆け込み寺として町家のどこかでスタートできたらと 夕刊を見て思いつきました

明日に続きます

社会性を忘れては/トランプまでアジア人に

今日は 清水さんが突然見舞いに来られて 検査結果のこと これからの治療の選択肢についてのお考えをお聞きしました
不安の中にも安心感も少しおありか 元気な様子を見られて安心しました
でも病は人生共々の運命です
神様に生かされ 自らに任された運命でもあります
神頼みはしても自分をゆっくり眺められれることを感謝するのが一番だと思います

「哲男・マイクの部屋/家」の話と 「近場のALS友の会」を作りたいマイクの気持ちなどを 9/10一時退院してから具体化したいと話し合いました

帰られてから テレビを見ても ラジオのニュースも 児童虐待の話ばかりでした
社会的な赤ちゃんポストの必要性を考えるマイクは 熊本の虐待相談件数を他都市他府県と年少者人口比・相談所数比等で考えて見ました
相談所1軒しかない県ですが 社会的な関心の高さを感じられました
相談所がこれほど必要になったのは 社会的な赤ちゃんポスト(或いはポストが要らない里親制度のある共生社会)には程遠いことなのです
国際比較では 経済大国が恥ずかしい事ばかりなのです

マイノリティの共生に就ての8/28 の書き込みで 日本人と中国人が 米国人(90%利他的)より利己的(70%)だとの情報を参考にしました
それが定量的に数字で言われているのにはショックでした
マイクのHPのベースになっている 「サラリーマンは懺悔すべし」の「啓蒙思想」を裏付ける貴重なデータなのです
同じ思いを実感として抱いているマイクは 「日本人が自己中になってしまった」ことを戦後の日本の思想文化の大失敗だと 現役時代から 度ある毎に友人に発言してきました

欧米から馬鹿にされている日本の恥のランキングを嫌ほど見るにつけ 原因を払拭せねばとの思いがムラムラとするのです
それを簡単で的確なサイトで見つけたので 部分転記します

日本式の個人主義とは 困っている人を放置
インテカー社長 斉藤ウィリアム浩幸
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO85209440S5A400C1X12000/
「どうも日本人が使う「個人主義」は、困っている人を放置してそれで良しとする「selfish(利己的)」に意味合いが近いように感じられます。本来、英語で言う「個人主義(individualism)」の意味とは、集団に所属する一員としての役割や権利を相互に尊重しあう立場のことで、「私利」が「他利」に優先されるというワガママを容認してしまっては成り立たない概念です」

(利他的(altruistic)の英語が見えないので調べておきました)

マイノリティ共生だけではなく 多文化の共生する社会の思想が欧米に歴史的にあります
それに比べ 日本は維新では全体主義をうまく取り入れた積りが 軍拡の間違いで敗戦でし その束縛から解放された自由をまたも取り違えてしまったことに気づかず 間違った個人主義の欲望に走ったのです(これを自己中と言うのです)
利己的共生はあり得ない筈が 自由無責任自己中でも「誰も」咎めることせず 利他無用で マイノリティを 排除または無視するのです(弱者の犠牲で経済が)

共生思想を尊重しない 知らない日本は 欧米より社会性に遅れ ジェンダーや障害者ネグレクトや 自死念慮 安楽死 尊厳死すら見て見ぬ振りする社会なのです
昨今の 児童虐待対策も 相談所が少ないから 頼りにならないから多いのではなく 共生思想の欠如です
それを知らずか 当事者は非難し合っているのです
就職氷河期世代や中高年引きこもりも 「この世代の親」が 我が子まで利己的に放置した罪作り人間なのです

マイクは懺悔の積りで 事ある毎に 同じ世代に罪滅ぼしを考えて欲しいと語っているのです
欧米は神が見ている罪の文化(guilt culture)
日本は他人の目を気にする恥の文化(japan’s shame)
恥が無くななって欲の文化(greed culture)貪欲自己中に
欧米ではpassion interest passive dream desire に

マイクが何故この様なことを言うかは 8/26&27に 日本の自殺者が多いのは半分は 社会的な遅れによる「社会的な殺人」だと断言した事にあります

身障者問題や 自死 老人福祉 若者中高年の就労 就労格差 男女社会的格差 その他多くの恥ずかしい国際的精神的貧困 これらの原因は 社会の問題であるのに 自己中な大人が 自らの罪を認めないのではなく 悲しくも 「みっともなく」も 「情けなく」も ただ気が付いていないのです
こんなことを放っておくのは「勿体無い」と思っているからのマイクです

今夜は 吸引をシッカリして 眠りたいものです
実は 今朝は薬で 昼食は清水さんの前でペースト状のハンバーグで誤嚥してしまい 大変ショックだったのです

自然死できない人も!できる人でも!

流石の文学部の文筆家からの返信には いつも噛みしめるように熟読させられます
しかしマイクは微妙で複雑なことを受け取ることが苦手なので 只々感心するばかりですが 直感的に「生死の事など、どうでも良い人がいたら、その人は悟りを開いたと言えるだろう」との締めの言葉の中に 成るように成ると悟れない自分を見つけようとしました
でもまたも只々悟れないままと気付きました

マイクが学んだ物理は 複雑で曖昧な現象を できるだけシンプルに理解してしまうことに喜びを得ようとし それだけで何でも分かったように安堵する癖があります

山折哲雄が 死としては自然安楽死とモルヒネ安楽死があればいいと言い切ったりするのに痺れたりするのです
自然死と安楽死だけでいいことを容認されるシンプルな社会を理想としています

もう一つ気にしたのは「これは政治の問題ではなく、ぼくら自身の問題なのだと思います。」です
マイクは個人の死は 忘れていてもいいのですが それでは確実に当座になって 悩むことが殆どで 多くの人の社会問題として捉えなければなりません
安楽死を個人の問題として済ませられないのです

マイクに安楽死支援施設の必要性を考えさせた赤ちゃんポストについての マイクスタンディングのブログを転記させて下さい

“自然死できない人も!できる人でも!” の続きを読む