苦しんでない死にたくもない人に掛ける言葉

ラジオの深夜ニュースに次の話題があった

「ベルギーの車いすパラリンピック選手、40歳で安楽死」yahoo-news10/23(水) 16:32配信より
ベルギーの車いす陸上女子選手で、メダリストのマリーケ・フェルフールトさんが22日、安楽死を選んで死去した。40歳だった。
フェルフールトさんは、筋力が次第に衰える進行性の脊髄(せきずい)の病気に苦しんでいた。治療は不可能とされていた。両脚に絶え間ない痛みと発作、しびれが起こり、眠ることすら難しい状態だった。
「たくさんの人から、どうしたらあんなにすごい結果を出せて、痛みと薬による筋肉の衰えを感じながら笑顔でいられるのかと聞かれます。私には、スポーツと車いすの競争が、薬のようなものなんです」
フェルフールトさんはリオ大会後、安楽死の書類にサインしたことについて、「これで休息できる感じ。もうたくさんだと思ったら、私にはこの書類がある」とBBCに話していた。
ディーストでは23日から、市役所に追悼の記帳所を用意するという。

日本では尊厳死希望者には延命拒否カードを事前に用意していれば 安楽死できると錯覚させていることをマイクは詐欺行為だとここで何度も取り上げています
希望すればギリギリ迄生きようと自分で死に時を決められると言うことも錯覚してしまいます
尊厳死は 延命治療のタイミングだけで その時は既に相当苦しいのです
安らかな死ではないのです
それを知りながら 緩和も鎮静ケアも医師は積極的にはしないのです
ただ延命しないと自殺幇助や殺人罪になるのです
苦しみながら死に逝く人を放置できるでしょうか
情けある医師なら安楽死を・・・・

隣のベッドの若者は 殆ど寝たきりで 全てを医師や家族に任せるしかありません
多分元気なうちに延命治療拒否宣言などしていないと思います
此の儘 それも此れ迄と変わらず病院での長期療養の上 死亡退院を待つしかないように思います
こんな彼に転院地獄などあり得ません
長期入院が許されているのでしょうか

また在宅介護地獄も避けたいものです
入院であれば延命であれなんでもして生き続けて欲しいと言うでしょう
指定難病で莫大な医療費でも自己負担が少ないから 生きていて欲しいと言えるのです
在宅でも相当な負担になっても  家族としては生き続けてと言うしかないのです

昨日も同じようなことを書きながら何を言おうとしているか分からなくなりました
疲れのせいではありません
マイクの思考の限界なのです

フェルフールトさんは苦しみながらも安楽死を急がず ギリギリまで生きたのです
日本では安楽死制度がないのは苦しみながらの死をせよと言っているのです
今 日本で無責任に言い囃している自然死するしかないのです
癌まで自然死で苦しまず大往生できると言う医師や宗教学者を何とかしたいものです
マイクまで隣りの若者のに自然死ができればいいのにと思ったところで 不遜な自分を弁えなければと ここで辞めます

癌とALSの往復書簡の意味❓

往復書簡なのに マイクは自分のALSの事ばかりです
2/6の告知からの2月3月は まさかの難病に沈むばかりで 他の事を考える余裕もなかったのは当然としても 4/8からの入院生活後は 精神的な安定と時間的余裕で 毎日欠かさず またその文章のクドクドしさも 自覚はしていましたが生半端ではなかったようでした
清水さんからは優しく マイクをぶちまけるスペースだから思うようにと言われ 遠慮知らずも甚だしくではありましたが なんとかやってこられました

それでも時々 もしもマイクが癌だったらとの想像をしながら 清水さんのお気持ちを思い知ろうとの努力は してみてはいるのです
2人に1人は病むと言う癌については 誰もがかなり知っている積もりでも 色々ある癌の事を 一括りに理解しているだけです
いざ清水さんのご様子を話題にしてみようとはしても 特別の何かを思いつかず ついついまた自分のことになってしまっていました

でも 考え至って 癌と 難病の違いを
癌が ステージと生存率に賭けて闘病するギャンブル的病気
難病は 完治せず地味な病気で 逃病が似合うと
言った覚えがあります

癌で死にたいという医者(中村仁一)もいれば
ALSは医者が一番なりたくない病だと言うのが定説であったり

最近知ったのは
「阿賀野病院ブログへようこそ ALSの患者さんでは 癌(がん)になりにくいようです 横関明男」に 次のようにあった
いままでの研究から、神経変性疾患と称される神経細胞が減っていく病気では、癌になりにくいことが示されておりました。アルツハイマー病(認知症を起こす病気です)やパーキンソン病(手や足のふるえ、歩行障害をおこす病気です)などが、神経変性疾患の代表的な疾患であり、これらの病気では癌が少ないことが報告されています。

ALSの患者として喜んでいいのか 癌患者がALSにならないと言っている訳でもありませんが どうでもいい事なのでしょう

サイトで癌患者や家族の心得を探っていたら 色々ありましたが割とシンプルな気がしました
それは ALSをマイク自身が経験して悩み抜いたことから比べてですが 違いますでしょうか
マイクはALSを 癌なみに 社会に理解を広めるべき天命を頂いているのです
でもその様なサイトは一杯ありますけども?

それにしても 5/19の「マイクに自然死せよ/ 癌も苦しまない/と言う売れっ子医師」で取り上げた中村仁一医師の言う「がんは完全放置すれば痛まない」は本当でしょうか
それどころか ALSの最期を知らないのでマイクに自然死して見せて欲しいとまで発言しました彼です
本は 『大往生したけりゃ医療とかかわるな 「自然死」のすすめ』(幻冬舎新書)2012/1/30 その 第3章 「がんは完全放置すれば痛まない」 です

この程度の医師は ポックリ死信仰の日本人の類いなのです
第一生命経済研究所の若い小谷みどりは 日本人のポックリ願望70%の矛盾を突いて ポックリと言いながら 今日は死にたくないらしく 死について考えていない証拠だと

今日は入浴日で この病院のサイトのための写真に マイクが一人体を洗う姿を看護師に撮られました
如何してかよく生贄に選ばれるのです
勿論ボカシを条件にです

Re:死に方の選択、生き方の選択

清水さんの 2019.4.13の「死に方の選択、生き方の選択」に マイクは感激し直ぐにコメント欄に返信しましたが 表に出るように投稿し直します

『夢のある人は あるいは人生に意義など考えもせずに生きていられる若さ溢れる人も 当然 死とは無縁でいいのですし 自死など考えることも無用で当たり前です
しかし現実には 自死しかできない悩める若者や もう死にたいが死ねない老人が多くいるのです

詰まり 死や自死は ALS患者だけの問題ではないのです
そのため 一般論として自死を捉えられると 例えALSであっても否定されるしかないのです

生き方は多様です
信念で最期を生きられたお父様の凄さには畏敬の念を感じます
死に方も多様なシチュエーションがあって然りなのですが 死に際に自己決定(西部邁の言う自裁死など)の余裕がある筈がありません

死に方はシンプルでいいのです
自然死ができる人はラッキーですし 不運な事故死は別として どんな病気でも いつでも 最後の最後に 安楽死さえできるならば 思い切りの闘病もチャレンジし易いし ずるい生き方かもしれませんが 逃病としてでも安心して選べるのではないでしょうか

尊厳死は確実に苦しみますし 自死がなくならないのは 自死する者の悩みの辛さを自分の事として考えられない非情な社会だからなのです

自然死と安楽死しか要らないのです

安楽死を支援する施設の必要を説いてきたマイクは 支援することが幇助罪になるならと思い 昨年から安楽自死と言い換えています
自分の意思でスイッチを入れるだけの駆け込み寺なのです
勿論誰でもと言う訳にはいきませんので 終末期老人に限定していたのですが 弱者にまで思考を巡らす資格がないと思って避けたのです
しかし悩める若者や 死にたい老人にも 赤ちゃんポストが社会的非難を受けながらも役目を果たしているように 駆け込み寺で いつでも死ねると分ったなら 多くの人は再起をすべく努力をし救われるのです

弱者にまで論ずる資格がないと思ってた去年と違って 自分が弱者になった今 自死を否定するだけの社会に反旗を振って言えるかも知れません』