4/21までの ・その後7/19までの病状/病歴

マイクの病状について気になされておられる方もいらっしゃいますので時々は報告したほうが良さそうです
マイクとしても病歴履歴のつもりで

去年の春夏に何となくむせたり呂律が気になったりの自覚症状があって 7月に総合病院で精密検査を受けましたが経過観察で済ますことにされる
12月に電話での喋りのヘンテコさを兄妹たちから指摘され 金沢からセカンドオピニオンすべきと見舞いに来てくれた
翌々日の12月5日に再検査を受けたら 大学病院に検査入院するよう言われた
その時は 右手人差し指と親指で掴みに力が入らぬ程度でしたのと 呂律が回らないのも喋るのが少し億劫になる程度でした
1月初めには自分がALSであることを自覚覚悟して 断捨離を楽しむ余裕があったが 入院待ち2ヶ月の長さに 不安よりは怒りを覚えました
入院できたのは1月30日で 直ぐの2月6日にはALSが確定し告知された(2ヶ月待って1週間で しかもすぐ退院せよと)
薬は効くか効かないかも知れず 飲む意味疑問のリルテックのみ
その間に 手足の変化は殆どなく 他人が気にする程に 喋りの進行は進んでいましたが 飲み込みはそんなに気にすることもなかった

確定後の2月は 難病手続きや治験を受けるか 主治医を決める為の病院巡りや介護の申請やらで多忙でしたが ジムでのダンスレッスンは普通に受けていたりなのに 直ぐにでも死ぬ覚悟も出来ていて 深刻さは自覚していなかった
しかし先行きの不透明さに3月は殆ど死を覚悟で沈んでいましたが 症状の進行を気にすることもなかった
3月12日にやっと今の病院を昔は療養型であった理由で選んだが 4月8日からのリハビリ入院2週間だけが決まりました
が それまでの4週間の放置の長さに耐えられず 心にも 喋りの悪さにも影響が大きかった
確定後2ヶ月過ぎた入院の頃の手足は 右手指が動き辛くはなっていて 摘む力のなさに消沈することがありますが それ以外に体は不便を感じていません
しかし言葉は相当喋りにくく また飲み込みに慎重さがいる程度になって 球麻痺の進行が早いのを自覚します
特にこの3月は 自死願望で沈み込むほどに悩んだので進行したとしか思われません
入院迄の様子はこの通りですが もうひとつマイクにとっての大きな悩みは 去年からの腰痛です
確定前は痛くても我慢して普通にダンスレッスンを受けていましたが 確定後は精神的に慢性化してしまったようで 悩みと辛さの7割が ALSでなく腰痛なのです
それが次第に死にたくなるほどの疼痛なのです
そのため入院後のリハは飲み込みのリハと 腰痛のための理学・作業リハをしていています

ところが入院3日目に ラジカットを点滴をすることになり 2週間点滴・2週間休薬の1クールが継続し 4週間入院となったのです
精神的な落ち込みは1ヶ月間だけでも払拭され 平静にこれからを考える余裕が出ました

2/7の難病申請だけはすんなり言ったのですがその後の諸々の登録や申請請求作業が面倒で処理が遅く片付いたのは6月中頃?
健常者でも腹がたつ弱い者いじめとしか思えませんでした

病院生活は快適で 食べず喋らずだったら この難病病棟にいる資格がないような 腰痛7割だけのマイクです
それも死にたいくらいの疼痛ですが 入院3日目から清水さんから用意して頂いた「タブレット」が届き その前では 完全に腰のことも忘れてしまっています
もう一つ 6月29日にマヤちゃん提案で「生前葬」をすることになり これもまた精神的な余裕になり 体調が良くなった訳でもないのに 人が変わったように表情が明るくなりました

入院後の様子はハッピー/ラッキーが続き 第2・第3クール点滴まで リハビリも贅沢に受けられました
第3の休薬2週間を退院にして その中日に生前葬を 大盛況でやり遂げられました
TV取材で喋りすぎ負荷が祟った所為には違いありませんか 喋りと飲み込みは前後で大幅に進行しました
4/8再入院で第4・第5クールを受けることになりました
喋りの進行より 飲み込みの危険があるほどになり 土日毎週帰宅しての酒もトロミでないと飲めず 吸引器を家で用意することにもなりました
体重は 1月から4キロ減ですが 見るからに右腕が痩せ 全身の馬力も落ちているのを自覚します(1月58k 2月57k 3月56.5k 4月56K 5月56k 6月55k7月54k 6/30朝は52.5kでした)

それよりも右指は軽く曲がりが固定し 力が入らず 急に字が極めて書き辛くなりました
ご飯は入院時から 全粥で 右手スプーンですが 少しふるえるように
右肩が服を着るのに痛むのは 右腕の筋肉の痩なのかと勘ぐったりするようになりました
ALSの影響があるのかは気になりますが こんな贅沢なリハを受けているのですから腰痛は相変わらずですが 仕様がありません

それでもまだまだALS新参者のステージです
胃瘻のステージが近いことは分かるのですが いつかは予想すらできません
その前に窒息死の危険が迫っていると脅されている毎日です
確かに飲み込みは落ちてきています
これで死ねるとは限らないのと 姉(今も元気)の肺炎入院の話から 死ななくとも呼吸のできない苦しい辛い思いはしたくありません
況してや スーパーALSになることを拒否する時の辛さを知ってしまった今は 尊厳死協会の詐欺紛いに引っ掛かって 苦しみ踠いて死にたくはありません

再入院で回復させたい/自死の宗教性

昨夜は何書くともなく疲れた体について書いていると突然 自死について語り始めてしまいました
今夜は更に疲れているので 去年の9月10月のまだ元気な頃に自死こそ最善の死ではないかと気付き その宗教性についても考えていたので そのマイクのブログの転記で済ませます

「自死の宗教について」
マイクのブログ2018/9/29「自ら入滅すべしと信じて」(最善の死とは)

https://sky.ap.teacup.com/jishi/849.html

の後半に 自死の宗教性について考えています

『宗教的に 自死については 神から授かった命を捨てるのは馬鹿だとするイスラム教とか
キリスト教も何の根拠なく否定しているだけなのだそうです
仏教は釈迦がある意味では自殺と言われる所為か 自死には緩いのです
現に 僧侶の即身仏や補陀落渡海が崇められているのです
倫理的には肯定されていないように思えますが 何故かまではよく分かりません
しかし日本には武士道としての切腹や特攻隊や(自爆)テロの文化を誇りとし 美化もされているのです

聖職者・生贄・戦死者・お産で死んだ女性・首吊り自殺者は楽園直行という死を神聖化するマヤ文化や仏教を見習い 万人を待っている来世の楽園に自ら行くことを イスラム教やキリスト教も 宗教者なら否定できない筈です

安楽死が欧米で認められるのは韓国の尊厳死法制化と同じく キリスト教にあると言われていて 逆に仏教国日本では何故か罪悪視されています

自殺が刑法的犯罪ではないのは 人の生命は本人に一身専属的に帰属する保護法益なので 本人がどう処分しようと自由であるとの考えと 行為者死亡により処罰が不能であるので犯罪に規定していない と考えるからですが 自殺未遂者まで違法性がないのは刑法の逃げかもしれません
このことは安楽自死にとっての強い味方になるように直感します

自殺幇助は犯罪であり 西部邁の自裁死幇助も有罪となったのです
弱い者いじめと 見て見ぬ振りが日本の文化なのです
ややこしいのは 自殺を扇動する自殺教唆罪で マイクが勧める終末期安楽自死は 完全に自裁死幇助並みにNGなのでしょうか

こんなおかしな刑法の仏教国日本なのです
これら自死や安楽自死が 倫理や宗教の面から擁護されるようになることを信じて マイクは10年以上も最善の死を求めてきているのです』

しかし現実的には 自死に犯罪性が絡むことがあるため 刑事絡みになってしまうことでゴッチャになって犯罪視化されているのです

倫理的に 自死の自由が憲法11条を含めて保証されるとしても 人の死には役目があることを忘れてはいけない
人生の最期を恥ずかしく飾ってはなりません
残されたものの模範になる様に看取られなければならないのです
それが老人の責務でもあり 老人としてのプライドと言うものなのです

時に切羽詰まった現実に迫られて 日頃から死に縁遠い若者が悲惨な手段を選んでしまうのですが 老人にはそれを許してはなりません
長い人生に社会や家族に世話になり生きてきたことに感謝する心があれば 単に死を個人の自由に任していいものではありませんし 日頃よりそろそろとメメント・モリして自覚と準備と覚悟を決めなければなりません

この3週後にも専門家に教えられてまた考えている
2018/10/20「最善の自死はある」(最善の死とは)

https://sky.ap.teacup.com/jishi/860.html

『友人が毎日新聞の10月15日の記事を紹介してくれた
「いのち追う」京できょうを生きる物語㉘竜谷大文学部准教授野呂靖さん(39)
自殺は「悪」なのかを仏教はどう教えているか
僧侶から自死すれば地獄に落ちると言われた遺族が苦しんでいるのを知って研究をしたとある
その結果仏教では自殺という「死に方」そのものについて 善や悪 肯定や否定といった形では言及されていない と説明

しかし明治以降浄土信仰を厭世的で 藤村操投身自殺事件と絡め自殺容認と批判され 教徒が自殺を認めていないと反論したことが原点にあるとする
更に昭和には芥川龍之介の自殺で 仏典の肯定否定を議論されたことも今に続くとも

現実を踏まえて死にたいという感情を否定するのではなく あるものとして受け止め 苦悩をかかえながらも生きることができる社会 多様な生と死のあり方を認め合える社会を目指す時 死に方を議論せず 生と死の不離を説く仏教との接点を見いだすことができるのではないだろうか

この様に野呂さんは議論を超えて思いを語るとあった
しかし仏教徒なのか日本人なのか 死に方を議論せずには引っかかる』

野呂さんは議論を超えてと言うが マイクは議論して「最善の死に方」を探し出したいものです
あると信ずる それは自死しかと思うマイクですが 中々です・・・・この頃こんなに・・・

死にたい詐欺ではありません/言いたかったのです

明日から4クール目の点滴のための再入院です
3クール目点滴の2週間後に休薬期間があって その期間を退院し その真ん中の29日に生前葬を無事終えました
と言いたいところですが その間にTV取材が6回と新聞取材があって 喋り過ぎたのと 家の食事は噛み締めないと飲み込めず口腔の使い過ぎが祟って 喋り具合が相当悪くなっています
おまけにイベント当日食事と水分を十分取れず 翌朝は2キロ減になっていた
体の疲れだけと思えない節々の痛みが気になり今日までは何もせず飲み食いだけにして休んだ程です
それもお酒までも 慎重にトロミをつけてエネルギー源に
果たしてALSの症状が進んだのではと思わない訳ではありませんが あれだけのことができたことの満足で 確実に嬉しいのです
この先の症状がどうなろうと恐れないマイクですが 自分の進捗はハッキリ掴んでおきたいのです
次の治療のタイミングやその時のQOLは予測しておきたく思います

大往生したけりゃば医者に行くなと言う ベストセラー本の医者がいる
そんなこと言う医者の治療は要らないし どんな病気でも それを放って置いたらどうなるかも予測できない医師の言うことではないかと 不安になるだけではないでしょうか
自信たっぷりの占い師?の方が安心させてくれそうです

マイクがALS告知後 ひと月経って落ち着いたのに 自死願望者になったのは そような病気の残酷さやこの先の読めない不安でではなく 療養・介護の現状が全く分からず そのことで家族に掛ける負担が読めず そんな状態なら早く逝きたいと決めても もっとよく分からないのは家族に迷惑をかけないで自決する方法が現実にないことで とても悩みました

自死願望を家族にも 友人知人誰彼ともなく言いまくったのは 助けを求めると言うより マイクのこんな気持ちを一人でも多く理解や同情を得たかったからです
その中に誰か自死幇助者が現れても 或いは心中を受け入れてくれる方がいても 多分マイクは躊躇するだけに終わっていたと思います
死にたいほどの悩みを抱えていることを理解された方は 医療介護関係者におられ その中には マイクの思い通りしても誰も責められないと言ってくれる人も多くて マイクは慰められました
だからと言って自死はできる筈でもないのです
自分では方法が見つからない余裕のない心況であるからこそ 何でもいいからのヒントが欲しかったのです
同情だけでも 支持の言葉だけでも いや否定でない言葉なら

こんなマイクに殆どの友人は否定し 馬鹿呼ばわりか 言われても迷惑と言い切るのです
勿論御本人は どう言っていいか分からなくて 死そのものを否定しただけなのです
然し見えない所で 勝手に死ねと強要しているようなものです
幇助は優しい人のすることなのに 刑法では罪なのです
迷惑呼ばわりは 本人には 飛び込んでしまえと言われているに同じなのです
どちらが閻魔様に裁かれるべきかとマイクは思ってしまいます

言いまくって救われたマイクです
もし誰かが死にたいと言ったら せめて理由を聞いてあげてください
死にたくないのに死しか思いつかない弱り切った人に 死ぬなと言うのは無意味なのです
疫病神扱いは しないで下さい
他人がそう思うのは仕方がありませんが弱り切った人にはすべての人にそう思われて当たり前と思ってしまい 逃避しようと孤独に籠らせてしまうのです

言いまくったから神様と仏様に出会ったのです死にたい死にたいと言ったのは 本当の真に迫るオープンな気持ちだったのです
まるで下手な芝居の詐欺師の「死にたい‘詐欺」だったかも

マイクは、一般的にALS患者は賢いと言われているとを、このブログ(6/8)に書いたことがあります。然しマイクは詐欺をするほど賢いわけではありません。

マイクは北陸加賀の生まれで、北陸3県の県民性を比して、加賀生まれは元来おっとり型だと言われてきました。

今日は元会社の販売部の大先輩に、TV報道を見たと早速見舞っていただきました。
マイクがこんなにラッキーなのは、死にたい詐欺ではなもなく、ALSでに対する同情でもなく、元々おっとり型ゆえにちょっとした心境の変化で、生きることに前向きになれたからではないでしょうか。

生前葬して頂けた事ありがたきだけでは済ませられません

先程MBSミントに放映され 無事終わってホッとしています
そして改めて歓喜したのは 摩耶観音の神通力の凄さ絶大でした アリガタヤアリガタヤ❗️

生前葬が執り行われた令和元年6月29日(土)は マイクにとってどんな意味を持つのでしょうか
兎に角 危機一髪の状態から生き返ったを証明してくれたのです
しかも先ず先ず見苦しくない程度のQOL 状態でなければ カンパ制の無料公開とは言え どう祝っていいのか 悔やむべきか迷わすだけのことになります
本当にマイクはそのギリギリの状態だったのですが 結果的に 会場の250名が一体となって楽しめた奇蹟的な式典になりました
それも皆さんからのご厚意とご支援が マイクのこれまでの単なる繋がりの域を超えていたのは 医師が最もなりたくない病気と言われるほどのALSの患者であるマイクへの同情があってのことだと思います
こんなに確かな絆と思い入れを頂けると信じられず 友人知人にお別れをした後 皆さんから遠ざかり篭ろうとした疫病神マイクであったことが恥ずかしくて情けなくて
加えて誰ともなく死にたいと言いまくったこともなのです
しかしそのお陰で救いの神仏に巡り会えたのです
元々のネガティブマイクが自分の縁の大切さに気づかせてくれたのは 死にかけから救われかけた事を感じ始めたからです

色々な意味でマイクが新しいマイクであらねばならない事を 確実に御ます神仏から教えられて まるで誕生日のような記念の日となりました
多くの方々に感謝するとともに期待に応えられるよう心致そうと決心します

しかし だからと言ってこの先は確実にALSに侵されて 本葬が予感されるくらいなんです
でもこの予見こそがマイクに遺された命を計算しながらででも大事に生きるべき事と自覚していけそうにするのです
生前葬の後は命のある限り 天命となったライフワークを実践すること思っているのです
何故なら生き地獄かも知れない終末の前に成果を感ずる為に命掛けてでもやりたいのです
それこそはマイクの死に甲斐として最も大事な「世直し」なのです
安楽死の許容や弱者を受け入れる等の社会の「当たり前化」です

生前葬のパフォーマンスの一つに徹子の部屋を捩って 18人と1分間対話する「マイクの部屋」があって その一人のダンサー「あびる」さんが マイクが6〜7年前に言った事を思い出して頂きました
「ダンスで世直ししたい」と言ったようです
こんな言葉を思い出して頂けたのは ダンサーとしての使命感を持っておられるプロだからのことで この生前葬の一番のお祝いの言葉でした

「自死願望」を経験した難病患者のマイクが必然としてやらねばならないのは弱者に対する支援そのものより 世間の弱者に対する眼を 当たり前の方向に変える事だと元々思っているのです
そのことを 啓蒙実践変革することが マイクの死に甲斐としての世直しなのです
余り実践行動力のないマイクなのですが 生き地獄を前にして怖いもの無しでやらなければ男が廃るというものです
生き地獄までにどの程度のパワーとエネルギーがあるかは不透明ですが 全エネルギーを使い切ることができるかも知れない可能性を持つのがALSのいいところなのです

自ら鼓舞してやり遂げたいとALS新参者のマイクを決心させた記念日になったのです
そう心させてくれました
ありがたきかな ナンマンダブ

本を読む余裕もあるのです

往復書簡も 始まって随分になります
この交換ブログが立ち上がったのは 清水さんとマイクの娘の前々からの縁がってがあってのことです
鹿児島に住まいする清水さんが 障害者・難病患者を取材する文筆家であることを 京都に住まいする娘が何処まで知っていたのかどうか
10万人に数人のALSの父のことを娘がどう言う切っ掛けで話題にしたのかを確かめていませんが 清水さんに娘が紹介したマイクのブログに関心を持っていただいたことに原点があるのだともいます

その上告知まもないマイクが自死願望に陥っているのを知って ご本人が恐縮だが関心と興味を持ったと言われた様に マイクを救いたいとも直感され コンタクトが始りました
4月8日の今の入院前から マイクのメールとブログへのコメントで励ましがスタートしています
しかもデスクトップを使うマイクが入院中は中止せざるを得ない事を知って このタブレットのご用意と 新しく「死を楽しむ毎日」往復書簡を立ち上げていただいたのです

その後は現役のお仕事の合間にマイクへの励ましと 今にもやばいマイクの願望を見抜き 多くのご叱責を頂きました
お陰で生きていて良かったと先に書きました様に 立ち直り余裕まである今に導きいただきました

ところが入院中の自由時間に合わせマイクの思うところ 昔から考え悩んでいた安楽自死しにまで考え続ける様になり お仕事に多忙で時間のない清水さんのことを忘れて自分ばかりの書き込みが続いています
マイクの妄想と清水さんからの叱責に痺れながらの療養を楽しんでいます

こんな訳ですが 自分のことばかりで申し訳ありません
マイクには清水さんの障害者・難病者への関心を持たれた切っ掛けなど知らないままですので 時間ある時にお願いします

いまから「決してあきらめない あきらめさせない」清水哲男 道出版(2007/6/10)を読み始めます

尊厳死を認めるのは中途半端?

流石の無頼の文筆家の文章の 隅から隅に痺れます
希死念慮と自死願望
闘病と逃病
確率に賭けるギャンブル と 地味に負けつずける自己破産
こんなことを考えてしまうのは 癌とALSでは死の迫り方の違いと思ってしまうマイク流シンプルシンキングなのでしょう
神様に巡り合えてからのマイクは生きていてよかったと感謝感激しています
そのことは 明日でも述べることにさせてもらい 昨日の尊厳死の続きを先にさせてください
準備していましたものですから

尊厳死の現実を知ってしまったと思った途端に 鎮静死にまで考えが広がった
これは大事なことなのです
真実抜きには病気なんぞしていられない

マイクが告知を受ける前からALSがどんな病気かは 医師からよりもネットでかなり理解し 死を覚悟するには苦労なく 不安も涙もなかった
ALS告知の後の2ヶ月は誰彼となく死にたい死にたいと共感と理解を求めて言いまくり 多くの人に心配どころか迷惑をかけました
ALS患者の死は7割が呼吸器拒否して 3年から5年と言われている
その最期の様子は 医師も語らず 余命宣告すらしようとしない

こんなことを知る由もない友人知人の励ましは 今の症状から見て 頑張れとか気の持ちようだと言うしかないのは分かるにしても マイクは自分の生き地獄を想像するだけしか出来なかったのです
78歳で充分満足し やり残したり希望を持つ訳でもなく 家族の世話をかけたくない気持ちもあって 直ぐに死ねるし 死にた気持ちだけが先行するばかりでした
それでも自死は家族に迷惑を掛けると考えると 残された現実は尊厳死しかなかった

安楽死についてブログで10年考えてきただけに 次第に客観的にかなり分かったことで マイクが病院で胃ろう拒否か呼吸器拒否のタイミングを外すと死に切れないのを覚悟して 病院で病気死することを決めたのです
そしてやっと決めたこの病院に入院してから知った現実は 先に述べた通りに悲惨なのです
しかも安楽死以外でも

ALS告知から直ぐに色々死の準備をしました
今から思うとこれこそエンジョイ・デスではないかと 一寸やり過ぎなことも真剣にしました
これはこれで改めて白状したいと思っています
その一つに延命治療拒否宣言があります
よく考えると 尊厳死とは安楽なものと勘違いしていたことを先の書き込み通りに最近思い知ったのです

尊厳死法制化を考える議員連盟が纏めた法案2012の要点は
⑴終末期の定義を「患者が適切な治療を受けても回復の可能性がなく 死期が間近だと判定された状態の期間」
⑵終末期の判断は医師2人以上で行う
⑶患者が書面などで希望し 終末期判定を受けた場合 医師は延命措置を差し控えることができる
その場合 医師は民事 刑事 行政上の責任を問われない

まず人工呼吸器は法制化されてなくとも7割が実行されているので心配ないが 胃ろうが⑴の条件を満たしているか マイクには不安要因

嚥下障害を避けるには 胃ろうだけではなく 咽頭の機能改善手術で声は残る方法と 声は失うが喉に穴を開け呼吸と食事の通りを別にする方法があります
回復の可能性とは多分曖昧で 上記のより高度な方法をやれるかどうか やれない場合は?
もっと厳しいもは 胃ろうしなくても食べなくとも直ぐ死ぬわけもありません
死期が間近だとは曖昧だから拒否できるとはならないのでは
いくらマイクが拒否しVSED(断食往生)をする積りでも

こんなことよりもっと大事なことがある
法案は 尊厳死を安楽死と変わりないくらい容易で 安らかな死に方だと言っているのではないか
尊厳死は元々安楽死の社会的批判を避けるために創り上げたマヤカシなのです
だからと言っていい加減な死に方は許せませんし 虚言で苦しめてしまうような自死幇助です
それと勧められるようなものではない尊厳死を 勧めるのは自死教唆に値する罪なのです

ぼくはいま、しあわせです

マイクさん

今日はぼくの心境の変化についてお話ししたいと思います。

鹿児島は長い雨が続いています。なたね梅雨というやつでしょうか。
こんな時は手術の痕が痛みます。身体の表に残った傷だけではなく、身体の中の傷跡もなんだか痛んでそうで、鬱陶しい時間を過ごしています。それに、痛みとともに、身体の中にひっそりと隠れている死の種子が芽吹くのではないかと、少々の不安が頭をもたげます。

希死念慮(きしねんりょ)

具体的な理由はないけれど、漠然と死を願う状態をこう言うのだそうです。一方自殺願望というのは、解決し難い問題から逃れるために死を選択しようとすることだと。
ぼくは若い頃からこの希死念慮に取り憑かれていたように思います。もうちょっと正確にいうと、いつ死んでもいいやという思いと言えばわかりやすいかもしれません。

で、無茶苦茶な人生を送ってきたわけです。大学を出てから、一度もまともに就職などしたことがなく、その日稼ぎの仕事をしながらあちこちを放浪して歩く。願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ、などど文人を気取り、その実その日暮らしの自己破滅型の生活そのものを送ってきたのです。

それが気づくと文筆業というと聞こえはいいですが、「文屋などというヤクザな仕事に身を堕とし」(父)、最後の無頼派を自認して生きてきました。誰も頼らない、誰とも与しない、いつのたれ死んでもかまわない。そんなことを思いながら生きてきたのです。そんなぼくが、いつ死んでもいいやと思い絵に描いたような生活に堕ちていくは自然の成り行きでした。生きている実感などなく、大酒を飲み、怠惰な生活に塗れていく……。

それでも時々は、ほんとうに出所のわからない不安に見舞われ、生きてゆく行き着く先がわからないと言えばいいのか、そんな漠然とした不安でいっぱいになり、いっそのことこのままパッと消えちまうかななどと思ったことも1度や2度ではありませんでした。そんな人生を60年以上続けてきたのです。

そんなぼくを大きく変えてくれたのが、がんという病気でした。それまでのぼくなら間違いなく、いつ死んでもいいや、抗がん剤なんてどうでもいいやって思っていたはずです。が、どうしたことでしょう、死というやつが具体的ながんという形をとって目の前に現れたとたん、生きたいという思いが身体に充満したのです。間近に迫った死に恐れをなした? いえ、そうではないと思います。

「死の種子が芽吹くのではないかと、少々の不安が頭をもたげます」。これは生きることへの執着の裏返しとしての思いに違いありません。そんなふうに変化した大きな理由は、それまでひとりっきりで、無頼に生きてきたと思い込んでいましたが、実は大勢の人に支えられ、力を借りて生きていたことに気づいたことです。ぼくは生かされてきた、と。それにこんなぼくでも愛してくれる人がいることにも気づきました。ぼくは愛されている、と。

そう気づいた瞬間に、ああ、長生きしたいなと思いました。
このガンという厄介な化け物と闘おうと。たとえ打ち負けることがあってもとことん闘って、それでもダメなら死んでもいいや。それがどんな苦しい死に方でも、それでいいや。それまでは生きてみようって。そんなふうに思うようになりました。

がんという病気を得たこと。決してラッキーなことではないし、いいことではありません。でも、悪いことばかりじゃないなとも思います。ぼくはいま、しあわせです。

選択できる筈もない癌と難病

Re:愛の表現はストレートに

その通りだと思います
マイクはシャイでもオープンマインドを信念に生きてきましたので 割りと反応は遅いのですがストレートを好みます
話の最後に余計なことを言って 折角の共感を不意にすることがあるくらいです
しかし表現と受け取りは相手次第です
京女の家内はクローズマインドで マイクのような田舎もんの表現はしょっ中ネグレクトされるのです
これ位にしておきましょう

さて この難病病棟には 色々の難病患者がおられるが パーキンソン病の方がとても多いのです
全国で15万人とか ALSの1万人に比べ て 発症率が高いのと 生存期間も長いからでしょう
この病気は 昭和天皇もなられて 日本では治療方法や薬剤の開発も進んでいるようです
症状に合わせ3ヶ月クールで薬を探す入院とリハビリを繰り返しておられる
生活は徐々にし辛くなるのは同じでも 呼吸器使わないALSの3〜5倍の15年は生きられるのです
これは元々進行が遅いのか 治療の効果の所為かはマイクは分かりません

どちらがラッキーかと言われると パーキンソンはもはや難病から外されるかと心配している患者がいるほどですので 誰でもパーキンソンと言われるでしょう

しかしマイクは 「ALSは楽しめる筈なのです」2019.4.14にも書いたように 高齢でのALS発症なら 健全な人より計画的余生ができて 最期は生き地獄の前に尊厳死できてラッキーな筈なのです
かくて高齢という条件が マイクにエンジョイ・デスを謳わせたのです

パーキンソンの若い難病患者も大勢いて 見るのが辛いのですが 本人はそうでもないようにも感じます
お年寄りも篭もったりしていないようにも見えます
如何してなのでしょう
同病者と接する機会も多く また進行が緩いからの慣れなのかも知れません
割りと気長になれるのでしょうか

ALSは進行が早いので 若い人は呼吸器を選び生きようとするのかも知れませんが 全体的には7割が尊厳死を選びます

パーキンソンの尊厳死のチャンスは多分うんと少ないと思います
生き続けるしかないのかも知れません

病気の一寸したことの違いで 患者の捉え方がこんなに違うのかなと思えてきました
しかもこの事は 個人個人の環境によっても もっと大きく捉え方が違ってくるのだということを教えてくれるのです

マイクのように自死願望真っ只中であったり 愛や希望を持つことを知っただけで最悪から抜け出られたり これが難病という不思議な状況なのです
癌というギャンブル的な病気と違って 難病は地味な病気なのです
癌は考え悩む時間もなくチャレンジするしかないのではないでしようか

マイクが逃病と言ったり 闘病と言ったりする違いに 少しは納得できますでしょうか
大腸癌の清水さんからみて 癌と難病ではどちらがラッキーだと言えるでしょうか

小心でギャンブルに縁のないマイクには 地味な難病からの逃病がぴったりなのです
しかも安楽死という天からの使命を受けたことを天命と肝に命じられたのもラッキーなのです

家内とはぴったりの相性ではないのですが 北陸生まれだから堪忍できているのです

精神的延命治療に感謝して

神様仏様によって 自死願望症候群のマイクは 精神的延命治療を受けました

マイクがどんな状況の時だったのかは 思い出すのも恥ずかしいのですが 何度でも告白することで この往復書簡の意味を振り返ることになるかもしれません

マイク78歳が 2月6日にALSが確定したその時一番に思ったこと

既に人生を十分楽しんだ
やり残したことを随分前から考えてきたが 悲しいことに見つからなかった

希望のある若さなら少しの惨めさを我慢するにしても 今更酷い惨めさを味わいたくない

健康なうちに死ぬべしとする須原一秀を批判していた筈のマイクなのに 直ぐに信奉者としての自死願望症候群 と言う訳ではありません
ただ直ぐに死んだ方が利口だと判断しました
しかしこれだけで自死をする決断にはならなかったと思います

確かに2月のALS確定直ぐには 死を覚悟するものの 全く悲観的でもなくただ事実を平然と受け入れていました
何故なら検査入院前から自分で自覚していた通りでしたから納得がいったと言うくらいの余裕すらありました

しかし難病認定を申請したり主治医を決めたりの病院や行政との折衝に 弱り切った筈の患者には複雑で手間のかかる しかも遅い処理などにストレスがたまり精神的に弱いものいじめかとまで思わせられました

それよりも次第に今後の療養にについての不確定なことを意識するようになり 不安と不信が積もってきました
病気の進行については医師は全く予想したがりませんどころか 確定検査しただけで退院宣告してからは放り出されたようなものでした
今後の治療の段取りもわからず主治医探しに走りました

加えて我が家の事情で家内を拘束したくないため在宅でない療養施設を望んだのですが 長期受け入れは医療制度が変わってから無理とわかり それではどうしたらよいのか 介護ヘルパーなどに勧められて体験するなど忙しかったのですが 尚更不安が募るばかりでした

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自死の3条件を満しかねないマイク

2月6日のALS確定後 ALSの特殊性を認識しても 死を覚悟することには苦労はなかった
78歳まで充分楽しんだ人生に満足し 思い残すことはありません
それより何よりどうせなら 生き地獄になる前に また家族の負担を考えると少しでも早い死をと覚悟を決めました

しかし天命としてのマイクの死に方を 詰まり 安楽死を実践するべく考えるようになると 現実には当然不可能と知ることになる
それで直ぐにでもとなると自死しかないのです

その頃のマイクは 自死しか考えられなくて 「完全自殺マニュアル」雨宮処凛 太田出版 を読み直したり その準備や遺書まで用意しました
しかし家族のこと考えると思い留まるしかないとの結論しかありません
命の電話に電話してみました
警察で自死の始末を知ろうと行ってきました
また3月24日に いのちの電話主催「もしも『死にたい』といわれたら」と題した講演会を聴講してき ました

その講演で 国立精神・神経医療研究センターの精神科医 松本俊彦氏が 「自殺」と言う言葉が言いやすい自殺社会になった 次に目指すのは死にたいと思っている人が「死にたい」と言え それを聞いてくれる人がたくさんいる社会です と語られた
マイクは「死にたい」立場で聞いたのですが 自殺願望者の心理をうまくとらえ 教えられることが多かった
自殺を否定するのではなく また聞き出すばかりでもなく 原因解決すべく支援資源にまでつなぐところまでをと
マイクの場合には 自死願望の理由は 先行きの不透明感であり 他の死に方が見つからないからで それを解決しなければ 直ぐにでも やりかねないのです

講演で松本氏は 自殺には3条件あって 潜在自殺能力(死の怖さが少なくなる)と 孤独感が高まった時と また 疼痛がある時の3条件が揃うと危ないと

マイクは腰痛持ちで疼痛状態 また死の怖さはすでになく 布団の中とか家で一人っきりの時 3条件が揃うのだと納得しました

このことを清水さんに話したら マイクには家族があり孤独ではないし 清水さんとか社会との繋がりを大切にして欲しいと言われました
ありがたいお言葉に感激し 今日今の交換ブログに至ったのです
勿論 清水さんのような神様とか まやちゃんのような仏さんの他の方からも 死にたいマイクを見守り励ましていただけるのは嬉しいのですが 本当は篭ろうとするマイクなのです
今のうちはいいのですが 生き地獄になったら篭るしかないのです