ほどほどに生きよう/何時迄も

太田典礼(安楽死)的に死を軽率?に捉える生き方と 死より尊厳ある生に拘る生き方があるように見えますが どちらがいい悪いではないことだけは自覚していないと 多様であるべき生き方そのものの指針を間違えさせることになります

安楽死にしても決して生を安易に考える筈もあり得ません
生きるについては尊厳ある生を全うするなどと言う事だけではなく 生きていることだけで満たされる?ものかも知れません

安楽死と生の尊厳は二項対立しているようでも 人生とは個々人の中間選択の結果です
現実の多様な人生はもっと多項な生と死の多様な選択肢からなるのです
その背景には平等な人権を要求する権利が前提としてあるのです

NHK現クロで 『刑務所が「終の住処」に‼︎』で 服役囚が 被害者からは考えられない最高の療養・介護を受けているのを見せられて 平等とは何か 視聴者を悩ませるだけだったように終わった(死刑囚には安楽死が合法?)

2年前のマイクのブログにこんなのがある
しかし今は 憲法に平等を保障されて生きたいだけ生きられるのです

マイクスタンディングのブログ2017/5/30「ほどほどでいいのです」(最期はセルフネグレクト)https://sky.ap.teacup.com/jishi/760.html

今朝のラジオ深夜便【明日へのことば】は「ほどほどの生を生きる」北里大学名誉教授 新村拓 でした
1946年生まれ 日本の医療史学者 北里大学名誉教授
「日本医療史」新村拓 吉川弘文館 (2006/7/27
古代から現代まで、医療はどのような道をたどってきたのか。平安人を襲った病、戦国の医療政策、越中富山の薬売り、国民皆保険制度の成立などを、豊富な表・図版を用いて詳説。命を守る闘い=医療の歴史を振り返る。

時代と共に 養生や死生観が変わる様子を語る
江戸中期 少しでも長生きすべきとする養生訓の時代は 色の 食の 眠り の三欲を抑えてでも長生きすべきだった
生産性が高くなった江戸の終わりは 小家族となって 家族で死を賄いきれなくなって 老婢思想となり 家族に迷惑かけないほどほどの最期が良いとするようになる

昔は老人の死が25%だったが 今は90%
尚更程々に しかし計画的な生き方で 遣るべきことをやって満足して死ぬべきと結論する

程々かたっぷりかは思うようになれるとは限りませんが 少しは運命をコントロールできる自己責任ですがいい時代になったのです