強くなりたい/無頼のままで!

清水さんの昨日のお言葉を 何度復唱しても 何うしても現状(矛盾)を把握した上で課題解決する癖が取れないマイクを意識してしまいます
何でも比較したくなるのを マイクの理系の貧乏性ではないかと
しかし決して現実主義者ではなく 理想主義者・楽観主義者なのです
とお話ししています
また文系の清水さんが見るからの無頼の豪傑なのに繊細な理想主義者であられるのは多彩な経験による世間とご自分を知り尽くしておられるからなのでしょうと思っています

でも清水さんの今日の返信で 無頼のままでは生きられない人間の社会性を説かれています
その上での無頼を徹する生き方の力強さを羨ましく思います
「自分に徹する」などと言うことを生き方とするなどとは 何事にも自信のないマイクの言える台詞では在りません
然も 社会を徹底して意識すれば マイウエイが必然的にオールウエイに繋がるとの信念は素晴らしいですし 社会的なベースがなければ言えないことです

それで「自分に徹するとは」と サイトに助けを求めてみました

HatenaBlog[May the force be with us]
http://silver-stone.hatenablog.com/entry/2017/02/25/082624の答えは
2017/2/25「自分を知り自分に徹する」
『道は開ける』より
「他人の真似をするな。自己を発見し、自己に徹しよう」
不安感、劣等感など、生きていると自分を他人と比べて、劣っていると卑下してしまうことがあります。そしてイライラしてしまったり、心配のあまり集中力をなくし、本来の力を発揮できなかったり。

そんなときは「どんな時も自分らしく振舞う」ことを意識してみましょう。
私たちは「自分らしくふるまう」ことができていません。順応できない型のなかへ自分自身をはめ込もうとして、イライラしたり、不安になったりしています。
誰もが他人になることはできません。あなたはあなたでしかない、自分らしく振舞うことで、初めて本来の力を発揮できます。

「我々は本来あるべき姿にくらべると、ようやく半分だけ目覚めた状態にすぎない。我々が利用しているのは肉体的にも、精神的にも、自分の資質のごくわずかな部分だけだ。大雑把ないい方をすれば、人間は自分の限界のはるか手前のところで生活している。彼は種々雑多な力を有しながら、いつも決まってそれを発揮しない。」ウイリアム・ジェイムズ

と ありました
詰まり「マイペース」と言うことではないのです
自分を知らなければ 徹することは許されません
即ち 己の育ちを知り その育ちに従うべきか自己判断した自分の責務を意識し その上でそれに従うことができる

それにしても これにも「他人と比べたりすること」を避けるべきと言っています
しかし ヘーゲル的には 現状把握から始まるその結果 嫌でも比較することにより矛盾(保存) に気がつくのです
理想や神から始まっても 現実無視(否定なし)では高揚はあり得ないのです

妄想もマイクは上下平等比較抜きでは 人権問題なら尚のこと 高揚されないものと信じています
詰まり 清水さんの理想主義妄想と マイクの現実否定妄想が揃ってこそ人間としてのユートピアが見えるかも知れません

とかなんとか書きながら まだまだ清水さんの信念の領域に至る修行に何が欠けているかも分かっていません
でもアウフヘーベンのためには 清水さんとマイクの往復書簡の両方が役割すると言うことであることは間違いないでしょう

無頼を捨てて……。

マイクさん

台風の影響でしょうか。強い風音につつまれて返信を書いています。

ぼくは強い信念など持ち合わせていません。自分自身に頼るしかない生き方をしてきた結果ではないかと思います。カッコウをつけて言うなら無頼を気取って生きたきたのです。頼るべきものは何もいらない。自分だけを頼みに生きていく、と。それは言い換えると、究極の利己かもしれません。ただそこに社会と関わっていたいという願望があるのです。それがなくなっちゃうと、自分自身が存在する意味がなくなる……。そういうことです。

ぼくはとても弱っちい人間なのです。昨日もある女性の話を聞いて、激しく動揺してしまいました。その人のご主人は、ずいぶん前に亡くなられたのですが、大腸がんにはじまり、肺、肝臓、腎臓と続き、亡くなったと。その間ありとあらゆる治療を試みよくなったり悪くなったりを繰り返したそうです。彼女も共に立ち向かったけれど、最後はどうすることもできなかったと肩を落としました。

その話を聞きながら、ああ、ぼくも同じような道をたどるんだなとちょっと凹みましたが、その一方で母のことを思っていました。母も何度となくがんだと診断され、手術を繰り返し、そうして96歳のいまも問題を抱えながらも元気で過ごしている。そんな人生もあると思うと、ぼくもそこを目指そうとちょっと元気が湧いてきます。

でもそう思っても、無頼を気取っていたのでは、ひとりでは何もできないなというのも実感としてあります。共に立ち向かってくれる人がいれば、もっと勇気が湧いてくるんじゃないかと。だったら無頼など捨ててしまえばいいと。自分に頼るなんて、いちばん狭い生き方だなあと知ってしまったのです。そう、社会に関わり続けたいと思うのは、大勢の人の力を借りたいということと同じことなのです。自分ひとりの力ではどうにもできない。だったら人の力を借りよう。そんな思いなのです。

無頼と言えばカッコウいいかもしれませんが、ひとりぼっちだったのです。とても弱い人間だったのです。そのことに気づかせてくれたのが、がんという病気だったのです。

ぼくはいま大勢の人の支えで生きています。そのことがわかっただけでも生きる意味があるのかな、生きている意味があるのかなと思います。そうしてその意味をどういう形で実らせたらいいかを必死で考えているのです。

ぼくの信念なんて、とてもちっぽけです。この風に吹かれたら飛んで消えてしまいそうなくらい。こんな信念に振り回されて生きるより、大勢の人の中で、その人たちの力に支えられて生きる方がずっと幸せだと思います。それがたとえひとりの人であっても、共に立ち向かってくれる人がいる幸せを噛み締めたいと思います。無頼を捨てて……。