I should be a Super ALS?

清水さんのお心遣い 畏多くも嬉しく また心より感謝申し上げます

実は ご提案頂き また恥ずかしながら マイクを危機一髪にした主原因の 「在宅療養」のことを 早い段階では 相当夢を持って考えていたのです

事実 近所はワンルームマンションが一杯あるので 1人在宅することを考えて家内と相談しました
一般によく聞く離婚や生活保護を受けることまで含めて 前もって区役所で相談しましたが 収入や相続のことで 無理・不利と言われただけですが それより何より 家内に話して 酷く軽蔑されました
経済的なシミュレーションは今なら出来ると思いますが この先の状況と決まり事や条件も分からず 諦めてしまったのです

まだ新参者の内は 1人住まいして 胃瘻とかが始まる迄は 次々と知人友人を毎日呼んで 毎日酒飲みながら マイクのゴミ屋敷ほどのコレクションを断捨離を兼ねて自慢げに見せびらかす事を そして何よりマイクの生き方を語り尽くしたく思っていたのです
それが何より一番いい個別にできる生前葬だと思っていたのです
在宅療養ではなく 自宅葬儀を友人知人に Bring Your Own Bottles (供養持込)でやりたかったのです
先達ての 生前葬をあれだけの人の協力を得てさせていただいたのですが 質素でも 他の病気ならいざ知らず ALSならではの時間を掛けた個々人とのお別れができたのです
勿論本当は我が家のスペースでもできる筈だと家内に迫っても見ました
結局諦めのいいマイクは 家族の迷惑負担をかけまいと 3〜4週間は死後の遺族年金の確認や相続のことで 忙しく 断捨離と遺書・遺影撮影までしていました

そんなこんなで ALS患者が 在宅療法でしか生き続けられないのが現実だと自覚したのは 2/8の告知から3週間も経ってからです
それまでは 難病を申請し もしもの為の介護認定を受けるためにケアマネジャーを決め 訪問介護の知識を得るだけでも時間が掛かりました
病状からでは判定できないほどのまだ見掛け元気なALS新参者は 認定されるかどうか また要支援程度では何にもならないかも知れないのに判定を2〜3ヶ月待たされるのです
急性期向けの大学病院は外来だけで 主治医を決めたほうが良いと言われて 昔は療養型の病院であった今の病院にお世話になることを決めたのが3/12でした
その間にマイクを悩ませたのが 在宅療養ができない我が家の事情をどうすればいいのかを 考えなければならない事でした
近所で別居することのシミュレーションは この時点では不確かでしかなく考えから外れていたのです
そして「死亡退院」しかないのではないと結論しても その期待すら不可能と知る度に危機一髪に襲われたのです

院内生活にマンネリ化することを恐れているこの頃ですが 症状の進捗と安心安全を考えるこの頃でもあります

転院地獄は日本の貧困/非正規医療でしか

今年の2/6に 告知された後 マイクを危機一髪に追い込んだのは 残酷なALSと言う(生き地獄かもしれない)病を恐れてではなく 在宅療養ができない我が家の事情での(転院地獄)不安に苛まれていたからなのです
が やっと決まったた4/8のリハビリ入院も 2週間では何の安堵にもならず何としても 「死亡退院」しか選択肢が無いと決め込んでいたほどのマイクだったのです

それがALSを天罰と受け止め また天命とも受け入れたマイクに 幸運が降り注ぎ リハビリと点滴治療の入院が4ヶ月続いているのです
しかしこの幸運がどのような事情でもたらされたものか また何時まで続くものかは全く分からず 実はこの先の不安(転院地獄かも)は入院前と全く変わらないのです
今まだ「院内死亡退院」だけが マイクの納得できる安心な選択肢なのは変わっていないのです

ALSには急性期・回復期はなく いきなりの慢性期で その途中に胃瘻や気管切開手術が割り込むのです
素人考えかも知れませんが 実感として老人病院のようなリハビリと慢性期療養ができればいいのです
一寸洒落ていれば 安上がりな特養でも老健でも 何時でも入れると分かっていれば安心できるのにです(現実はALSでなくとも とても入れません)

その転院地獄は 財政難の厚労省が 医療費削減対策の一環としての苦肉の策で生まれた結果なのです
欧米より多い日本での在院日数を下げる名目として 急性期治療技術の進化で 短期治療(と高額医療)を可能にしたとして 在院日数を2週間に制限するルール(それ以上は支給減額)などの節税を目的にしていることが 原因です(2ヶ月 3ヶ月ルールとかも?)
急性期・回復期・慢性期と言う機能分化は効率化を目指せますが 患者には明確でなく 一率で厳格なルールでは運営歪み(儲からない慢性期・老人病院不足)となります
政策で慢性期病院を特養や老健に振ろうとしてるのですが 現実に低賃金にしても儲からないブラック施設は一向に増えないのです
(要介護1のマイクはALS平均3〜5年の命では絶望でしかありません)
また厚労省は 在宅化の政策を一番の頼みにしていて どこの病院も その時期が近くなると帰宅奨励を忖度させられるような締め付けがどう言う形でか なされているとしか思えません
確実にを何と無く強要しているように思えますが 余程の豪邸に帰りたがる患者がいるようには見えません
高齢者増に耐えられない財政不足が 病床キャパの不足となり その犠牲が地獄組になるのです
また在宅の家族労働や 介護・訪問も 非正規労働化と同じ犠牲なのです

先日7/31は 在宅が本当に効率的かを考察して 家族の犠牲を前提にしていると暴いた積りです
今日は 医療の進歩と高額化が 患者の為になっているのかを考えて見たくなりました

医療はどう見ても医師からの一方的に選択指示されたものが実状です
それを患者としては 儲け主義でもしょうがないくらい辛い 慈善事業だと理解するしかありません
しかし入院してみれば少なからず思うところがあります
先ずプライスレス事業です
国民皆保険と 高額負担限度と言う福祉国家の恩恵で 高額総医療費を気にせず請求通り文句なしで自己負担分を支払う
(マイクは年金生活なのに3割負担 上限8万 保険料も上限並みが1年7ヶ月続く「天罰」をALSと一緒に受けたことを 4/13の投稿に保険制度の中間層への矛盾だとボヤいています)

医療処置メニュー選択の自由も余りありません
入院すると管理過剰 に見えることも多く 自己責任らしきことも(酒・外出)NG?
安全管理第一で 患者からの告発を気にし 余計な事はしないか 必要なことしないか 逆に患者に過剰に世話をする
管理コストを無視した安全理想主義とでしか
個人情報の保護は徹底しているが意味‘目的が分からない過剰
欧米では開放的出入りだとも
何よりも 転院毎に 同じ検査を繰り返す

素人マイクの戯言に違いないのですが 全ての医療機関は 厳しい財政と運営にこうならざるを得ないのです
今日は本当は日頃日本の管理過剰な風潮を考えたかったのですが ここら辺りでマイクの思考の限界を感じまして終わります

清水さんの検査結果はソロソロなのでしょうか
マイクは唾の粘度が高くなって 嚥下で咳き込む頻度が高くなり ここ10日ほどで吸引機を使い慣れしたくらいです
粘っこい唾で喋りも悪くなり愈々かと思うようになりましたが?
それとリハビリで初めて 文字盤の体験をしましたが 複雑な気持ちになりました

死亡退院を夢見ていた?/有賀さつきに続け!

雨でハラハラさせられっ放しの今年の祇園祭も 昨日の山鉾巡行は見事に行われたようです
21日(日)は 生前葬をKDEの皆んなで 振り返りしますのに外泊して参加します
この日は選挙ですので 比例代表は「安楽会」を お願いします!

その安楽死に関して マイクはALSの告知を受けた今年の丁度1年前から 「有賀さつき」こそ安楽自死先駆者と崇めていたのです
哲学者でマイクを「私の自死道」http://mike12.web.fc2.com/jishidou1.htmに嵌り込ませた須原一秀の愛する「五輪書」を 有賀がバイブルとするところも そう信ずる根拠なのです
告知1年前と翌日の認定の日の マイクのブログを振り返ってみます

2018/2/6「有賀さつきが五輪の書をバイブルに」(死に方教えます)
https://sky.ap.teacup.com/applet/jishi/20180206/archive
この前にブログに書き込んだ 2018/1/24「西部邁が自裁死をとかを」では 保守論客の残念な 勿体ない自死を紹介した

昨日からテレビでは 有賀さつきの 52歳の早すぎる死を しかも急死を伝える
今日の今のテレビでは 自分の病名を家族にも伝えないよう医師に頼んでいたという
独立独行で生きてきた意志の強い彼女が自分の死で 誰にも迷惑をかけたくないと 秘かに身辺整理の準備を怠らなかったとも
彼女の生き方のバイブルは「五輪の書」だったと

52歳の死で 斯くも刺激的な死は前例を思いつかない
西部が逝く前に 彼女が先に逝っていたら 西部は立ち止まって考え直したかもしれない

知名人の死は 有意義でなければならない
そう思った

続いての翌日 2018/2/7「有賀さつきは自裁死を」(死に方教えます)
https://sky.ap.teacup.com/applet/jishi/20180207/archive
有賀さつきの死を 報道は 以外に淡々と済ませている
マイクには 自裁死を遂げた西部邁氏以上の自裁死だと直感して ここで取り上げました

乳癌だったとか カツラだったとか それこそ自殺だったのだと詮索する
だからと言って 死因を公表できない しない彼女ではないはずです

色々考えると 病院で自死したことになる
そんなことが日本でできたのだ
安楽死を 病院で

真実はわかりませんが 真実こそ日本のこれからを 有賀さつきが先駆者になってくれたのかもしれない
報道は もっとこのことをしっかり学び考え 日本のために考えて報道を進めてほしい

単なる自裁死ではなく 安樂死をも彼女は考えていたのではないか

流石のニュースキャスターだ
もっともっと 彼女から学んで欲しい

彼女は 死亡退院を夢見ていた?有賀さつきに続け!
1年半経ったブログを読み返してみて直ぐにそう思った!
持病の腰痛くらいで安楽自死を急ぐべくもないマイクの思考だけでは 日本での実現に限界のある安楽自死を そろそろ自分で仕掛けるしかないのだと悟り出した頃だったのです
それにしても有賀さつきもマイクも 同じく 自死が社会的に非難される風潮の中で 病院の中での死亡なら 世間の非難を避けられると考えたのです
それには病名を伏せることで(医師の理解か 警察への工夫がいるが)自死か又は 医師支援の鎮静死や安楽死で 院内「死亡退院」したものに違いありません

マイクは慢性腰痛ごときで自死すれば批判どころか馬鹿にされるだけのALSのステージでしたが 療養体制の不安だっただけなのに危機一髪にまで追い込まれたのです
そんな状況は余り理解されず そんなことでヘコタレルなと言われるくらいでした
それに比べ 安楽死を望んだであろう彼女の苦痛を見て 誰が幇助を拒否できるでしょう
拒否するそんな自己中・自己保身な人間は 友人・医師なら尚のこと生前に 閻魔様に裁かれるべきです

こんな気持ちは マイクのこれからに益々膨らむと思います
自死を幇助するような情け心のある人でしか 自死願望者は救えないし そんな方を閻魔様は罰する筈がない
閻魔様が裁くのは危機一髪の念慮者を見て見ぬ振りし それどころか責め立て非難するだけの情け心の微塵もない奴なのです
色々な場面で臭いものに蓋をし 我関せずの保身主義自己中ばかりの日本人を マイクは「情けない」と言い 非難をし続けているのです

(日本人を批判し 誹謗中傷する言葉は 「勿体ない・見っともない・情けない」だけで済むと信ずるマイクです)

療養も死ぬこともできない貧乏国なのです

祝日なのに今日から点滴が始まりました
身体がラジカットを欲しがっている
肉体が?
いや精神的にも肉体の落ち込みを感じているからなのです
継続・・院の・・・にも!!

外泊を心配して副看護師長から病院の吸引器を貸して頂いていたのに 何回か咳き込んだのですが 使わずに済んだ
それをナースセンターに返してから 部屋に着くとホッとする
居場所に帰ったと言う気持ちで安堵感を味わう
我が家へ帰った時より・・・?

今朝 家のテレビで丁度 生出演の村田諒太が世界戦再挑戦を決断した時の彼の言葉に 感激して来たばかりです
ボクシングで貰った「居場所」南京都高・東洋大・帝拳に感謝と報恩の為ですと
ではマイクにとっては 我が家が居場所か?
確かなことは 田舎金沢に帰ると 姉兄妹々がいるだけに そこが一番の居心地いい場所 故郷なのです
当然自慢の高校・先ず先ずの大学・有り難かった帝人・そして今の京都のど真ん中の小さい稽古場でしかないような家
勿論どれもマイクには勿体ないほどの居場所ですし 満足してい(た)ますが 最近何となく気になってきたのが この病院生活への慣れ具合です

広くはない四人合部屋ですが なんの不足も無く メイド付きのビジネスホテル以上です
個室より確実に楽しいし 勉強になります
気楽な付き合いとかで 家族以上かも知れません
食堂でも部屋へも配膳下膳してくれて 飲み込みに苦労する患者に合わせた安全に気配りされた食事です
ここにいる限り窒息死など心配不要と主治医から保証されています
週2回の風呂も流してもらえるのです
我が家では考えられないことです

病院で死ぬより家で死にたいと世間で言われているようですが どんな方のどんな状態の方なのか考え込んでしまいそうです
現実に在宅で看取られるような裕福で家族に恵まれた人は 8人に一人なのです
マイクは勿体なくまた満足している家と家族に恵まれていますが 実はその他47万人の彷徨える老人ではないにしても 在宅で看取られることない(られたくない)老人の部類なのです

元よりこの病院には 2週間のリハ入院を継続し 死亡退院をしようとの強い希望と期待を持って入ろうとしたマイクなのです
所が実際は療養型の病院は昔のことで 在宅でしか「生きられない」現実を入院前に知ってしまい危機一髪になるまでに悩まされてきたのです
マイクが転院地獄のなかった療養が許されたバブルの時代の患者なら こんなALSぐらいで悩むことなど全くなかったのです

ALSは結核やハンセンとは違って 隔離も不要で 出入り自由な介護並みの簡単な施設で ステージに合わせた医療介護体制がが取れればいい
欧米の透析はホテルのロビーの様な 或いは談話室の如き場所で 普段着のまま友達と雑談しながら受けると言う
日本ではガウンに着替え神妙に待つようで 管理過剰?無駄なコストと時間とかでも誰も批判しない

随分前 入院して暫くして直ぐに 清水さんからだったと思いますが この先の使命感で高揚しているマイクに 病院に閉じこもることなく 病院慣れしない様に言われてビクッとした事を思い出します
外との繋がりのためだったと思いますが 自己責任の効かない日本では 院内飲酒や外出もままならずの世界です
確かに病院でできることには制約がありますが 時間の余裕が増えて 妄想には適しています
その妄想を実践するには工夫や体力が要ると思いますが それはそれでこのままではやり難く苦労するでしょう

ALS発見のフランスには 専門の仏ALSセンターが16以上あると言うことまでしか把握できていません
フランスでは外国人アーテイストにも医療福祉が優しいと良く体験者から聞きました
英国は全ての病気は無料です
財政豊かなアメリカの医療費の高さは事実でも 保険がない貧困層には二つの保護政策でなんら問題ないのだと聞いています

財政的にも精神的にも貧乏国日本国ででも 参考になることはないでしょうか?

難病患者だけがわがままか!?

マイクさん

いろいろ充実のご様子、その姿を思い浮かべて、ぼくはうれしくなりました。
それにしても生前葬パフォーマンスやマイクさんの療養生活をサポートしようという人がなんと多いことか。なんと心強いことか。それは、これまでマイクさんが人のため、社会のためにいろんなことをされてきたことの裏返しだと思いました。いい人生を送ってこられたのですね。そうして思いました。人は支える側も支えられる側も、決してひとりでは生きられないのだと。人は自分が思うほど、孤独ではないのだと。

これを介護する側と介護される側にあてはめて考えてみたいと思います。「ALS患者は我が儘か?」ついての考察です。被介護者のわがまま、介護者のうんざりはよく語られるところであり、映画「こんな夜更けにバナナかよ」の中でも描かれていましたね。それはぼくの拙い作品「死亡退院」の中でも何度もくり返し登場するテーマでもありました。

例えば主人公、ディシェンヌ型筋ジス患者轟木敏秀がぼくの自宅に泊まった夜の話。
何が食べたい? 何でも好きなものを食べさせてやる。贅沢言っていいんだよと言うぼくに、彼は「目玉焼き」と答えました。寿司でも、ステーキでも、もっと贅沢言っていいんだよと言いかけて、ぼくはハッとしました。一度に大量の調理をしなければならない病院食で、当時1個ずつつくらなければならない目玉焼きは、決して口にできるものではなかったのです。こんなものが贅沢になるなんて……。ぼくは喉が詰まりそうになったことを覚えています。

逆にその夜一晩中体位を変えてくれと要求する彼にうんざりしたことも。「ゆっくり寝させてくれ」と言うぼくに、「ぼくは身体が痛くて寝られない」と訴える彼。介護、介助をしてやるから泊まりに来いと促したぼくに、身を委ねて泊まりに来た彼。ぼくはどちらがわがままなんだろうと思いながら一晩を過ごしました。

こんなこともありました。
病院で食事介助をしていた時のことです。予て好物だと言っていた冷やし中華がトレイに乗っていました。それを彼の口に運ぼうとすると、振れない首を横に振ろうとして拒絶したのです。どうして? 好物じゃないの? そうたずねたぼくに彼はこう答えました。
「切り刻んであるでしょ。麺を食べてるという気になれないの」
通りかかった看護師さんに、どうして切り刻んであるのかとたずねたら、喉に詰めたりしないようにですよとさらっと答えました。すると敏秀が、
「食べやすくじゃなく、食べさせやすいようにだよ。しかも事故を起こさないような危険回避もね。患者のためじゃない」
と吐き捨てるように言ったのです。
多くの患者を限られたスタッフで介助、介護するには仕方ないことなのかもしれませんが
「麺を長いまま食べたいと言ったら、わがまま言うなと前に言われた」
という彼の表情はとてもさみしそうでした。

危険回避と効率。それが背景にあるなら被介護者はまだ納得できるかもしれません。だけど、もし介護者に「ここまでやってやってるのになんだ……、まだ要求するのか」という思いがあるとしたら、そしてそれがもし職業として介護に携わっている人ならとても残念だし、その思いは介護される側に必ず伝わるはずです。


被介護者、介護される側は要求が多くて当たり前です。だって自分でできないことをしてもらうために介護、介助を要求するのですから、ほどほどなんてことないのです。そういう意味でいうと、被介護者であるALS患者はわがままではないとぼくは思います。ほどほどの介護で満足してなさいという介護者の方がわがままだと思いますが、いかがでしょう。

断固支持します

マイクさん

スーパーALSをめざしてください。ぼくはもとよりそのつもりでした。
ぼくの生涯の友である轟木敏秀君はこんなことをいつも言っていました。

またひとつ何かができなくなった。
でもまだできることはたくさんある。
それがぼくのスタイル。
できなくなったことをカバーするのは
意欲と工夫と大勢の人たちの協力だ。
その人たちのためにもぼくは生きる。
生きなければならない。

そうしてあいつはスーパー筋ジスになりました。

ぼくはマイクさんにはスーパーALSであると同時に、スターにもなってほしいと思っています。自身の生き様を切り口に、ALSの事実を広く知らしめるために。そうすることで、1万人近い患者さんとその家族の現状に目が向けられ、社会としてどのような支援が可能かを多くの人ととも考えるきっかけになればと。マイクさんにはそうすることを通して、社会に大きく貢献できる道が拓けていると思います。

主治医の言葉をその通りに受け取ると、人工呼吸器を想定していることは覚悟のマイクですが、神様も仏様も同じくそれを前提に支援して頂いている事を確かめたくはないのですが、明らかにそうである事を認識しています。

マイクさん
ぼくはマイクさんに呼吸器を装着することを積極的にすすめないし、想定もしていません。ぼくが言っているのは、まだ結論を出す必要はないんじゃないか、ということです。もっとゆっくり家族の皆さんとも、支援を考えてくれているマヤさんたちとも、同じ病気と向き合う患者さんやその家族とも、いろいろ話し合って、考えて、マイクさんの身体的状況に決断を必要とする時期がきたら、マイクさん自身が決断したらいいと思っています。ぼくらは、少なくともぼくはマイクさんの決断を断固支持しますし、その上で必要な支援を考えたいとも思っています。

マイクさんは自分をラッキーだと言いますが、ぼくはマイクさん自身が現状を切り拓いてきたんだと思います。何事につけても積極的に受け止めて、理解できたことに対しては、自分の考えのもと行動をしようとしているように思えるし、理解できないことは徹底的に究明しようとする。そういうあり方が、マヤさんやその仲間、そうして身の回りの人々やぼくを動かしているのだと思います。

ぼくは予々思っています。人はこうありたいと思うように動く。結果は後からついてくる、と。

昨日のイベントは楽しかったみたいですね。
投稿にも、いただいたメッセージにも、弾む思いが滲んでいました。
マイクさん、もっともっと弾みましょう。ぼくも負けないように弾みます。

マイクさんがぼくを救ってくれているのです

マイクさん

「縁」という言葉に大きくうなずいてしまいました。
マイクさんとのおつきあいは、昨年末の京都での写真展を、僕の友人の紹介で観にきてくれたお嬢さん、雅子さんとの何気無い会話がきっかけでした。もうどんな会話を交わしたのか、その内容も記憶していませんが、拙著「死亡退院」を手渡しました。もしそれがなければ、マイクさんとのおつきあいもはじまっていなかったかもしれません。
年が明けて2月のかかりだったでしょうか、写真展の会場となったバーで雅子さんと偶然再会し、そこではじめてマイクさんにALSという診断がついたことを知りました。

「死亡退院」は、ひとりの筋ジス患者の療養生活を切り口に、決してあきらめないあきらめさせないという暮らしが、障がい者・難病者はもちろんですが、健常者にとってもとても大切だということを書いた作品でした。どんなに重い障害、症状を抱えていても、最後まで生を全うすることが、豊かな死につながると。

それを読んでくれた雅子さんとの相談ともつかない雑談の中で、マイクさんがALSの診断がついた直後からネガティブで、早く死ぬことばかりを考えていて、さらには「自死」しかないと親しい友人に自殺の幇助をしてくれとまで口にしていると聞かされました。そんな状態に家族も辟易としているとも。しかもマイクさんがこれまでに「自死」に深く興味を持ち、「自死」「安楽死」「尊厳死」について研究を積み重ね、一家言お持ちだということも知りました。そこでぼくのブン屋根性に火がついたことはすでにお話しした通りです。

マイクさんが言う「救いたい」とは少々違います。ブン屋根性に火がついたぼくは、マイクさんに深く興味と関心を持ちました。そうしてぼくよりも身近に死に直面した人の苦悩と本心を引き出したい。大げさにいうと、そのことをちゃんと社会に知らせることでマイクさんが生きた証を残してあげたいと、かなりおこがましいことを考えていたのです。手柄を立てたい、という野心を持っていたと言ってもいいかもしれません。それを「社会とのパイプ役はぼくがやります」などという綺麗な言葉でごまかしていたのです。

ところが、何がどうなったのか、ぼくは素直にマイクワールドに引き込まれてしまいました。多分マイクさんに「死ぬ意味」「生きる意味」を鋭く追及され、それにうまく答えられずにしどろもどろしている自分に驚くとともに、死についてそんなに深く考えてこなかった自分についつい自嘲してしまったところからそんなふうになっていったのだと思います。
今はこうやっておつきあいすることに、楽しみさへ見出していることももうご存知のことだと思います。それだけだはなく、マイクさんの気持ちの揺れに自分の揺れを見、それでも生きようとする姿に勇気をもらっています。つまり、ぼくがマイクさんを救っているのではなく、マイクさんがぼくを救ってくれているのです。これは間違いありません。

先だって、病室を訪ねて元気なマイクさんと過ごした時間はとても楽しかったし、ぼくにとっては大切な時間になりました。ありがとうございました。

この経過を思い返すと、これはもう「縁」というしかないと思えて仕方ありません。

ぼくがなぜ障がい者・難病者に感心を持つようになったかというおたずねですが、これは話すととても長くなりますので、折を見て少しずつお話ししたいと思います。

夜にもう少し書き足したいと思います。

同じ水脈を生きる者として

マイクさん

返信ありがとうございます。
ぼくは今日のマイクさんの返信を、胸をチクチクさせながら読みました。
はじめてマイクさんに会って話をした時、マイクさんに対して「関心が湧きました。興味をそそられました」とお話ししたことを覚えておられますか? その時のぼくの本心を正直にお話ししますと、ぼくの文屋根性に火がついたことは確かです。
そういう意味では、ぼくをマイクさんとのお付き合いに駆り立てた動機はとても不純で、愛などというものとは対極にある、打算であるとか、魂胆であるとか、そういうドロドロとしたものでした。ですからぼくの行為を肯定されたり感謝されたりすると、ほんとうに胸がチクチクするのです。

でも、この往復書簡でマイクさんのどうしようもない不安や絶望のようなものに触れるにつけて、マイクさんのその思いに寄り添いたいと思うようになり、今となっては「死亡退院」の主人公敏秀を見ていたような抱きしめる思いさえ抱くようになりました。なぜかと言えば、敏秀やマイクさんが抱える不安や絶望のようなものは、ぼくが抱えているものと同じようなものであり、マイクさんとぼくは限られた命という同じ水脈を生きる者同士だというふうに思えるようになったからです。

それに、ぼくにはぼくを抱きしめる思いで見てくれている人たちがいます。そういう人たちに支えられて、ぼくはこれまで自由にいろんなことを、思い通りにやってこれたのだと思っています。この人たちの愛情や思いやりがなければ、ぼくはここまで生きてこれなかったかもしれないし、これからも生きていこうなどという気になっていなかったかもしれません。
同じ水脈を生きる者としては、マイクさんにマイクさんを抱きしめるような思いで見つめている人たちの眼差しを感じて欲しいし、愛情と思いやりを実感して欲しいと思っています。余計なことかもしれませんが、ほんとうにそう思っているのです。ここに至って、ぼくの文屋根性は儚くも消え去ってしまったのです。

ですからどうぞ本心でお付き合いください。
ぼくも本心でお付き合いさせていただきます。

マイクさん
最後の余計なひと言を、飲み込まないでください。どうぞすべてをぶつけてください。

「ALSを楽しめる筈なのです」

マイクスタンディングのブログ 2019年04月07日 を転記してみます

「いよいよ明日からリハビリ入院2週間が始まる
本当はそのまま尊厳死出来るまで 詰まり死亡退院を望んでいるのですが 強制退院させられます
昨日はそのようなALSの3つの矛盾を書き込みましたが ALSが悲運だけでなく 大変恵まれた病であることを述べてみます

高齢の78歳のマイクは普通なら 平均余命はあと10年です
ALSで人工呼吸器拒否しても 3から5年と言われています
老化スピードが倍3倍なのと 割とはっきりしていることです
筋萎縮でじわじわと力が衰えるのですが 生活機能に不便ではあっても また感覚は失われることもないし痛さは全くありません
不思議にも床ずれもないらしい

ポックリ死どころか 計画死ができて 知人親戚とのお別れと 断捨離も楽しくやれるのです
生き地獄になったら安楽死できるなら それ迄悩むことなくALSを楽しめるのです

しかも生き地獄が近づくのは高齢化で誰でもとは言いませんが皆が覚悟すべきことです

だからと言って誰もが生き地獄を体験して死ぬべきとは考えなかったマイクは 延命治療の後の選択ぐらいは本人の権利で 出来れば安楽死を支援できた方が安心だとの考えを持ってきたのです

尊厳死法案すら成立せず 世界趨勢の安楽死は程遠く 日本人の矛盾に対する見て見ぬふりの倫理に 特にALS患者は被害を受けるしかないのです」

もう一つ転記します
「韓国にも遅れる思考停止日本」
マイクスタンディングのブログ2018年06月19日
『数日前の毎日新聞に 韓国の尊厳死法の記事で「8500人延命中止 尊厳死法施行4カ月」とあった
韓国で今年2月から、回復が見込めない終末期の患者の延命治療を、法律に基づいて取りやめることができる制度が導入された。国から制度運営を委託される財団法人によると、今月までの4カ月間で、高齢者ら約8500人の延命治療が取りやめられた。尊厳死を法律で認めた制度といえる。日本と同様に高齢化が急速に進む韓国で、終末期医療が転換期を迎えている。
そのうち韓国では安楽死もと思うと 日本人の思考停止を情けなく思う』

エンジョイデス できるの筈のALSでも 安楽死できることが前提です
せめて尊厳死でも容認されなければ マイクはALSの矛盾の犠牲になって見せるしかないのです
プライドある令終(立派な死に方)のためには

Re:我が儘になれないマイク

マイクさん

ぼくはいま、死を強く意識しています。これまでにこんなに強く意識したことはないと言ってもいいでしょう。
数年前、父が肺がんで半年の余命宣告を受けた後、宣告通り亡くなった時にもこれほど強くは意識しませんでした。でも、マイクさんという存在に触れて、とても強く意識するようになりました。冗談のように聞こえるかもしれませんが、ポケットにいつも「死」というしわくちゃになったメモ紙をつっこんでほっつき歩いているような、そんな感じなのです。「強く意識している」を「身近に感じている」と言い換えてもいいかもしれません。マイクさんが、死を身近に引き寄せてくれたのかもしれません。

「日々できることが少なくなっていく。でも、まだ何かできるはず。できることがあるはず」と轟木さんは夢を手放さなかったのは若さだったのでしょう。

若いから……、ぼくもそう思います。でも、敏秀をそばで見ていたぼくは、とても複雑でした。彼の中には同世代の若者が経験してきたことを、そういちばん大きいのは恋愛や性体験でしたが、何も経験できなかったというとてつもない悔しさや口惜しさがありました。「そんなぼくにできること。残されているものを、人を振り回してでも追求したい」という貪欲さがありました。「でないとやがて死んでしまうぼくは不幸すぎる」と。敏秀は夢を手放さなかったというよりも、ジタバタしていたのです。右往左往していたのです。何かができるということで、近づきつつある自分の死を遠ざけたいというように。

ぼくはと言えば、正直な話をすれば、とても不安な毎日を過ごしています。体調が悪いとか、苦しいとか、しんどいとかはありません。あるいは身体が衰えつつあるということでもありません。自分の体内の「死の種子」がいつか芽吹いて、この身体を蝕んでいくのではないかと不安なのです。こんな話をすると、「そんな後ろ向きな言葉を発するもんじゃない」とか「前向きに生きろ」とか「頑張れ」とか言われます。そんな時は心の片隅でクスッと笑いながら、言葉を飲み込みます。「言われなくても前向きになろうとしてるし、頑張ってるよ」って。

しかし、発症からは、遅かれ早かれ生き地獄の終末期が訪れることを成るように成ると楽観的に見ることは出来ませんでした。どうせなら、苦悩を味わう時間積分を少なくするためにも、マイクの死は早い方がいいのです。

不安の根源は得体の知れないものだと思います。おそらく、すべての人が「地獄の終末期」に対して漠然とした、得体の知れない不安と恐怖感を抱いているのだと思います。それに打ち克つことは、一体全体可能なことなのでしょうか。多分受け容れることはできても打ち克つことなど、ぼくには到底無理なように感じられます。いや、受け容れる自信だってありません。だからぼくの死はできるだけ遠い方がいいのです。死にたくはないのです。

前向きに生きることを強いられることは、つらいことだと思います。それでも生きている以上は前向きに生きたいし、生きなければならないと、ぼくは自分に言い聞かせています。妙な言い方をしますが、ぼくはぼくが死ぬその時まで、一生懸命生きようと思っています。そのために死をいつも身近に感じていたいとも。ぼくにとっては、死を身近に感じることは、死にたいということではないのです。

マイクさんがよく口にされる「memento mori」という言葉、「死を忘れるな」。だからこそ生きるんだ、生きるために忘れるなと、背中を少し押されているような気分になります。もうちょっと頑張ってみようかなって。ジタバタしたって、右往左往したっていいんじゃないかな。それでも生きていこうと思います。でなかったら、無念のうちに死んでいった敏秀に申し訳がないなとも思います。

ぼくももっともっと考えたいと思います。マイクさん、一緒に考えましょう。マイクさんの最後のひとことに強く共感して、今回のお返事を終わります。ぼくもありのままに生きたいと思いました。