どこにいるかより誰といるか

マイクさんと清水哲男@えんじょい・デス 6月29日  撮影:金久まひるさん

マイクさん

祇園祭、ながく見ていないです。BSの中継で見るくらいです。京都が懐かしいです。

25日から27日の2泊3日で生検を受けてまいります。結果が黒ならまた手術ですね。どうやらぼくはこういうことをくり返しながらの人生になるようです。気落ちしていても仕方ないので、気持ちは前に向けたいと思います。

このところのマイクさんの投稿、マイクさん自身が断ち切ろうとした大勢の人との関係が、困難な時期を乗り越えて一層強く太くなり、そのことがマイクさんの背中を強く押しているということが読み取れて、ぼくはうれしくなりました。「ALS患者としての社会的役割を果たす」というマイクさんの言葉が現実のものになってきましたね。

中でもぼくは「居場所」という言葉に心を奪われてしまいました。
ぼくは若い頃から、そう10代の半ばから放浪のようなことをくり返し、大学を卒業してからは拍車がかかり、1カ所に定住し落ち着くということがありませんでした。人は移動する勇気に驚き、関心を寄せてくれます。すごいですね!と。だから文筆業みたいなことができるんだと。

ものを見る、知る、経験するという意味では、人より多くのことを蓄積してきたという思いはあります。その一方で、自分の居場所はどこかと自問すると、明確な答えは見つかりません。強いていうなら、その時関心のある場所ということになるでしょうか……。それでも若いうちはなんの気にもなりませんでした。ところが年を重ね、難しい病気などになって、ちょっと変わってきました。

振り返ってみると、確かに移動距離とそれに比例するように様々な体験はたくさんしてきたのですが、濃密な人間関係というものがないのです。無頼を気取って放浪を重ねてきたから、当たり前と言えば当たり前なんですが、今となってはずいぶんさみしい人生だなと思えてなりません。

ぼくには、マイクさんの言う「死に場所」という意味での「居場所」はないと言ってもいいかもしれません。そう感じて身震いした時気づきました。「居場所」って空間のことではないのですね。そこに誰がいて、その人たちとどういった関係をつくりあげるかということなんだとわかりました。

だからぼくにとっては最期を迎える時、どこにいるかより誰といるかが問題だと思いました。そういう人間の関係を大切に残りの時間を生きていきたいと。大切な人との関係を真ん中に置いて、マイクさんの言う「死に甲斐」を自分なりに探してみたいと思います。

でも今は、マイクさんをスーパーALSにすることに全力を注ぎます(笑)