マイクの心身が予感していた/天命としてのALSと生前葬

マイクが総合病院で 精密検査し酒を控えればいいと言われたのは去年の7/18
12月初めに再検査したら大学病院で検査入院する事になり そこで告知されたのは今年の2/6
難病それもALSと覚悟したのは告知の2週間前だったから 昨年中の安楽自死構想はただの妄想だったのです
安楽自死の展開に行き詰まり そろそろ自分がやって見せるしかないと思い始めたのは去年の9月初旬なのです
安楽自死を社会的に容認されるべきだとのマイクの長年の思案も飽和状態で これ以上発展するか自信をなくしていた頃です
去年の夏過ぎての予感は 「マイクのブログ」を読み返してみて分かります

2018/9/12「最善の死を考えるべしと」(最善の死とは)
https://sky.ap.teacup.com/jishi/834.html
・・・それでも思考を止めたらいけないと思っていると思いついたのが 「最善の死」という言葉です
最善の生き方というものはありそうですが 最善あるいは最良の死という言葉をこれまでマイクは考えたことがありません
・・・社会的な受け入れには 自死が人生の結果を飾るイベントとして これしかない つまり最善の死に方だと証明する必要があります
人生の終結としての つまり人生の結果を 自然や医者など他人に任せるのではなく 自分で演出すべきではないかとまではいかないまでも 自分で死を宣言・実践し 自分で死んでゆくことぐらいはすべきだと思っているマイク
・・・それにしても最善の死とは何か 恥ずかしくないような死に方はあるのだろうか

2018/9/13「白幽巌居が待っている」(最善の死とは)
https://sky.ap.teacup.com/jishi/835.html
記事カテゴリーを「最善の死とは」にしたのは 生き方と同様に 死に方にも自己責任があって 美しい死生観を持ち続け 他人には迷惑をかけず生きてゆくべきと同じに 最期もそれを貫くべきだと思ったことからです

介護施設や老人病院に送り込まれた自分の家族が 相模原や岐阜などの施設で起こった事件で 亡くなるのが続いた
家族は当然嘆き 犯人を恨むが 姥捨て山に捨てておきながらの自分を責めない
家族は最善の処置として 施設に最期を委託した結果なのですが 本人にとって最善であったかどうかは無視されています
それはしょうがないのです
本人が家族や他人に最期の看取りを任せてしまったのです
本人が最善の方法など考えもつかないからです
それは日頃より考えていないからです
姥捨て山には自分から行くべきなのです
・・・最期の最善の死に方は 自分で考えておく自己責任があるのです
そう簡単ではないのですが それには先ず 最期は自死だとの覚悟が要ります
他人任せでは迷惑をかけることになります
・・・マイクは HP「私の自死道」
http://mike12.web.fc2.com/jishidou1.htm
にあるように 白幽巌居跡で 酒を飲んで自死することを夢見ているのですが 実現は容易ではない
それでも自分の人生の大集成として 恥ずかしくない死に方を 細やかでいいから演出したいものです
そんなに簡単ではないとは思いますが 考えるべき時期に来ているマイクです

2018/9/17「死刑囚の自死支援から学ぶ」(最善の死とは)
https://sky.ap.teacup.com/jishi/839.html
大体分かったことは 死は成り行き任せや 他人任せでは 最善の人生の目的にはならないということです
詰まりまだまだ具体性が見えないのですが 自裁自決自死を前提とすると言うことです
最期を飾る 羨ましいような死に方が最善なのです
・・・難しいとは諦めていません
終末期なら許されるような方法がある筈です
これを老人のこととして考えるだけではなく 死刑囚のこととして考えると実現の可能性が見えてくる
死刑執行を求める死刑囚には 自死を勧めるべきです
罪滅ぼしとして 彼らはやりたいことがある筈です
献体や 補陀落渡海ならずとも無帰還火星探査機に乗るとか それを支援するのです
彼らなら老人には思いつかない素直で高貴で最善なアイデアが生まれ それらの実践を知れば大いに参考にできるはずです
オウムの7人に罪滅ぼしをさせるべきだった
彼らならできたはずだ
何故させなかったのか

明日に続きます