延命だと言われても

マイクさん

ほんとうに爽やかな季節になりましたね。とはいえ、鹿児島は1日に1年が詰まったような季節ですが。午前中は春、午後は夏、夕暮れから日没は秋、闇が降りている間は冬……、そんな感じです。朝夕は上着が必要ですが、日中はTシャツ1枚でも歩けそうな。

季節とは裏腹に、マイクさんは憂鬱な日々を過ごされているのではないかと、このブログを読みながら思っています。何をどう励ましても、目の前にある状況は変わらないのですから、言葉の持つ力の頼りなささを、言葉を使う者として痛切に感じています。とりわけ「頑張って」などという言葉の虚しさを。

今のぼくには、離れていても想いだけは共有したいし、しているつもりだとしか言えません。マイクさん、どうぞ生きてください。そう思いながら、気づいたことがあります。

「延命」

という言葉です。これって、本来ならここで終わりっていう命を、さらに延ばすってことですよね。じゃあこの「本来なら」って誰がどう決めるんでしょうねえ。私の命はここまでだと自分で決める!? あなたの命はここまでですと人に決められる!? どちらにしてもぼくにはとても違和感のある言葉です。

今のところ「死ぬ権利」はこの国では表立って認められていない。この延命措置を拒否するという緩やかな自死しか認められていないんですよね。自分で死ねない以上、この延命措置を受け入れるか拒否するかで、その後の苦痛、マイクさんの言う「生き地獄」を、回避できるかどうかが決まるということですね。それなら……。

とても乱暴なお願いをします。先に謝っておきます。すみません。
何かと言うと、その「生き地獄」ってやつがどんなものか、教えてくれませんか。もうしばらくすると、きっとコミュニケーションの方法が確立されるはずです。多くの研究者、エンジニアがその実現に必死になって取り組んでいます。はじめは会話をするようにコミュニケーションすることは無理でも、YES/NOからでも意思表示できるようになる日は近いと思います。

ぼくはマイクさんに気切が必要になる頃までに、マイクさんのそばでマイクさんのすべてを見られるような状況をつくりたいと思っています。「生き地獄」のような閉じ込めに風穴を開けるお手伝いができればいいなあと。それまで生きましょうよ。ぼくもそれまで頑張って生きたいと思っています。

おたがいに少しでも長生きしましょうよ。延命だと言われても。

安楽自死センターの世話になれたなら?

発症前から 高齢者の看取り場所としての事を考えていた次のブログを見直してみます

マイクのブログ 2018/11/5「安楽自死センターは短期受け入れ施設」(最善の死とは)
https://sky.ap.teacup.com/jishi/866.html
『ラジオ深夜便で ホスピス医が他人の世話にならない死に方は 却って遺族にとって寂しい結果を生むとして 介護の必要性を訴えていた
この前の釈迦の葬儀の書き込みで 迷惑をかけたくないとの思いから 最近は「死んだら散骨にしろ」とか「誰にも連絡せず質素にして欲しい」とか 生前に葬儀方法を指示することが流行っていると
そうではなく 役に立つ死に方もあるのではないかとも

迷惑を最小限にするのはいいとしても 役に立つ死に方はそう簡単には思いつかないし簡単に実現できない
それどころか何も考えていないと 迷惑どころか延命治療に2千万円以上も無駄遣いする羽目になる

厚労省は 医療費削減のために在宅死を推進するが そうできる恵まれた老人は1割でしかない
延命治療ばかりでなく 在宅治療ができない老人病院で長期入院する
貧乏人には 在宅より入院が安易ですが こう言う方にこそ安楽自死センターで 世の中に役立つ死に方を教えてもらい 短期に安上がりで しかももう死んでもいいと思えるくらいの楽しい体験をして 加えて献体などのお役に立って逝っていただくことをマイクは真剣に考えています

藤掛病院と大口病院で見られた姥捨て山まがいの老人病院こそ 安楽自死センターの構想を参考に 長期寝たきり専門ではなく 短期受け入れを前提に改革していってほしいものす』

京都に住むマイクは 祇園祭の頃に 呂律異常の自覚があったものの 総合病院で経過観察と言われて放置していたのですが まさかの難病の走りだとも思ってもいませんでした
そしてまた 12/5の再診で 怪しいとしれるまでは 相変わらず安楽自死センターの役割や機能を人ごとのように考えていたのです
家族の世話や医療・社会福利に最大限頼って逝くべきか
麻生の思惑に嵌まって 尊厳死や在宅死を選ぶかまでも まだ他人事だった筈なのです

それでもマイクは財政が保てず 47万人が彷徨うのを憂いて もっと相応しい安楽自死センターをと構想し続けてきたのです
このブログは ALS告知の3ヶ月前のことです
社会的にも 遺族にも最善のことと単純に信じ切っていました
まさかのまさか マイクにとって直ぐにでも最大の悩みになるとは思ってもいなかった頃のことです

マイクに自然死せよ/ 癌も苦しまない/と言う売れっ子医師

昨日の被扶養者とは国民である
国民は 憲法11条によって 扶養者である政府に人権を保証されている
国民はその人権を 政府に改革を要求する権利を持ち 政府は応える義務を持つ
14条はその平等性を保証する
ややこしいのは 平等とは?

平等は「個人の資質、能力、努力、成果に関係なく一定の規則通りに遇するシステムとなっていること」、公平は「すべての人に対し、機会が均等に与えられており、成果を上げた者が評価され、報われるシステムとなっていること」です。

平等に課税され 平等に福利配分される?
公平に相応に課税され 公平に相応に福利に預かる?

人は多様です
多用なシステムを取り纏める至難さ
膨らむユートピアに矛盾と変化
素人マイクをご指導ください

さて今日は『「ひとの世話になってなってまで 生きたくない」とは』 のテーマに惹かれ 中村仁一医師(特養同和園診療所所長79歳)の第278回「自分の死を考える集い」月例会に参加してきました(ラジカット点滴を休んで自宅で気分転換の外泊を申請し許可される)
案内葉書には
『よく、私達は、口ぐせのように「ひとの世話になってまで生きたくない」などといいます。しかし、実際に「どこまでの世話」ということを考えているわけではないようです。今月は、現実にどこまでの世話をさすのか、具体的に考えて見ることにしましょう。』

マイクは 在宅介護で家族に世話をかけたくないので 療養先が確定しない不安で 自死を考えたくらいです
ALS患者の7割が人工呼吸器延命を拒否し 殆どが家族に世話を掛けたくないからです
米国は7割が延命すると言う
フランスではALS専用棟があるらしいが確かではない (家族に負担掛けない施設?)
欧米では延命をほとんどしないと言う話と矛盾するがよく分からない

「欧米に寝たきり老人はいない – 自分で決める人生最後の医療」
宮本顕二 中央公論新社 (2015/6/10)
約200万人ともいわれる「寝たきり」大国の日本。どうすれば納得のいく人生の終え方ができるのだろうか、医療現場からの緊急提言! あなたの選択は? ★医師や看護師も受けたくないという終末期医療 ★救急救命センターは寝たきり老人でいっぱいのなぞ ★ドッキリ! 自然な看取りなのに警察沙汰とは ★胃ろうは、つけるのも地獄、断るのも地獄? ★終末期の高齢者に栄養補給は本当に必要なのか ★だれもが医療の奇跡を享受できるわけではない ★年金受給のため終わりない延命を希望するケースも ★欧米では「点滴で生きていて何の意味があるの?」 ★ひたすら我慢させる日本の医療は、世界の非常識!? ★理想の不老不死、実はみんなが困るのでは? 読売新聞医療サイト「ヨミドクター」で大反響を呼んだブログに大幅加筆・増補!

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今一度思い返してみなければ

ALSになって直ぐにでも死にたかったのに 安楽死は夢見るだけで 自死もできず それなら尊厳死しかないと決めて入院したのに 尊厳死の苦しみを知ってしまい VSEDと鎮静市というものまであること知ってしまったのです
それでもう今一度 尊厳死を思い返してみなければと思いました

患者側からすれば 確実で 直ぐに死にたいのなら 鎮痛死より安楽死を望むべきでは?
と先に書きました
患者側が尊厳死を望んだら 医師がしたがる延命治療を拒否された憤懣で そのまま苦しんでいても放置される懸念があるとも知った
そうはさせないと医師から説明があるのだろうか
VSED(断食往生)は 安楽死の厳しい制限で死ねない患者側が ハンガーストをして抵抗するものの 苦しむこと間違いないのに 医師から放置されるリスクがあるらしい

さて医師からすれば 延命は医師の務めであり 治療は天職であり 何が何でもやりたいに決まっています
古いマイクのブログの書き込みに こうある

「終末期の処置と死の因果立証に司法は次第に遠退いている
現実 医療現場は透析や呼吸器外しを公表して憚らず 実態として安楽死は存在しているのです

しかし一方 胃ろうや呼吸器や 緩和ケアも進歩しており 拒否することに医師からの批判反対も多い
また宗教や弱者差別の倫理に対して向かい合わねばなりません
また オランダでは認知症や精神障害者から視覚障害者へとなし崩しに広がると この書き込みに参考・引用させていただいた京都新聞岡本晃明さんの2018.9.25の記事にあるようなことまで」

かくて 医師にはやりたい気持ちと 司法も同じく面倒に関わりたくない気持ちとがあるが 医療ビジネスとしては 当然 責任を法制化されるよりも無法地帯での 延命を進めるのがやり易いに決まっています

現実はこう言うところなのでしょう
医師やよく分かっている者同士であれば 曖昧な方が良いのでしょうが 患者は突然で初めての病気に 探して探して決めた主治医に運を任すしかないのです
悲運な難病と 医師不信が重なり 死にたくなっても 死に方も分からない不安に取り憑かれるのです

結局何が言いたいのかと言うと マイクがALSになった当初は 不安に取り憑かれて死にたいとしか考えられなかったことを 余裕が出てきて思い直して見たと言うことなのです
尊厳死と決めて落ち着いたと勘違いだったことを知り しかもまだ何時 どんな症状で どんな死に方になるのかが今も分からないのです
こんな甘いことを言うと また必ず清水さんからのご叱責があるのですが それを自分で考え反省するより お聞きすることに快感を覚えるように?なってしまったのかも知れません
これを余裕というとまでは言いません 済みませんが宜しくお願いします

尊厳死を認めるのは中途半端?

流石の無頼の文筆家の文章の 隅から隅に痺れます
希死念慮と自死願望
闘病と逃病
確率に賭けるギャンブル と 地味に負けつずける自己破産
こんなことを考えてしまうのは 癌とALSでは死の迫り方の違いと思ってしまうマイク流シンプルシンキングなのでしょう
神様に巡り合えてからのマイクは生きていてよかったと感謝感激しています
そのことは 明日でも述べることにさせてもらい 昨日の尊厳死の続きを先にさせてください
準備していましたものですから

尊厳死の現実を知ってしまったと思った途端に 鎮静死にまで考えが広がった
これは大事なことなのです
真実抜きには病気なんぞしていられない

マイクが告知を受ける前からALSがどんな病気かは 医師からよりもネットでかなり理解し 死を覚悟するには苦労なく 不安も涙もなかった
ALS告知の後の2ヶ月は誰彼となく死にたい死にたいと共感と理解を求めて言いまくり 多くの人に心配どころか迷惑をかけました
ALS患者の死は7割が呼吸器拒否して 3年から5年と言われている
その最期の様子は 医師も語らず 余命宣告すらしようとしない

こんなことを知る由もない友人知人の励ましは 今の症状から見て 頑張れとか気の持ちようだと言うしかないのは分かるにしても マイクは自分の生き地獄を想像するだけしか出来なかったのです
78歳で充分満足し やり残したり希望を持つ訳でもなく 家族の世話をかけたくない気持ちもあって 直ぐに死ねるし 死にた気持ちだけが先行するばかりでした
それでも自死は家族に迷惑を掛けると考えると 残された現実は尊厳死しかなかった

安楽死についてブログで10年考えてきただけに 次第に客観的にかなり分かったことで マイクが病院で胃ろう拒否か呼吸器拒否のタイミングを外すと死に切れないのを覚悟して 病院で病気死することを決めたのです
そしてやっと決めたこの病院に入院してから知った現実は 先に述べた通りに悲惨なのです
しかも安楽死以外でも

ALS告知から直ぐに色々死の準備をしました
今から思うとこれこそエンジョイ・デスではないかと 一寸やり過ぎなことも真剣にしました
これはこれで改めて白状したいと思っています
その一つに延命治療拒否宣言があります
よく考えると 尊厳死とは安楽なものと勘違いしていたことを先の書き込み通りに最近思い知ったのです

尊厳死法制化を考える議員連盟が纏めた法案2012の要点は
⑴終末期の定義を「患者が適切な治療を受けても回復の可能性がなく 死期が間近だと判定された状態の期間」
⑵終末期の判断は医師2人以上で行う
⑶患者が書面などで希望し 終末期判定を受けた場合 医師は延命措置を差し控えることができる
その場合 医師は民事 刑事 行政上の責任を問われない

まず人工呼吸器は法制化されてなくとも7割が実行されているので心配ないが 胃ろうが⑴の条件を満たしているか マイクには不安要因

嚥下障害を避けるには 胃ろうだけではなく 咽頭の機能改善手術で声は残る方法と 声は失うが喉に穴を開け呼吸と食事の通りを別にする方法があります
回復の可能性とは多分曖昧で 上記のより高度な方法をやれるかどうか やれない場合は?
もっと厳しいもは 胃ろうしなくても食べなくとも直ぐ死ぬわけもありません
死期が間近だとは曖昧だから拒否できるとはならないのでは
いくらマイクが拒否しVSED(断食往生)をする積りでも

こんなことよりもっと大事なことがある
法案は 尊厳死を安楽死と変わりないくらい容易で 安らかな死に方だと言っているのではないか
尊厳死は元々安楽死の社会的批判を避けるために創り上げたマヤカシなのです
だからと言っていい加減な死に方は許せませんし 虚言で苦しめてしまうような自死幇助です
それと勧められるようなものではない尊厳死を 勧めるのは自死教唆に値する罪なのです

答えなんか見つからないんだろうなあ

マイクさん

今日も、安楽死の話しをしたいのですが その前に、尊厳死で退院したいと決めてからは 自死することを考えることもなく、この往復書簡で余裕ある療養生活を楽しんでいます。

このひと言とてもうれしいです。いい感じですね。

今朝NHKの地上波で「病院ラジオ」という番組をみました。
人気コントコンビのサンドウィッチマンが、東京・世田谷区にある、子どもに関するさまざまな病気を診る国立病院に出向き、2日間限定のラジオ局を開設。入院しながら難病に向き合う子どもたちや、闘病するわが子に寄り添う家族の、日ごろ言えない気持ちを、リクエスト曲とともに聞いていくというものでした。

入れ替わり立ち替わり、難病と向き合い今を生きる子どもたちが登場しました。その中でとても印象に残った男の子がいました。その子はわずかでも紫外線に曝されと皮膚がんを発症する恐れがあるという難病と向き合っています。UVをカットする顔まで覆う帽子をかぶり、その上に日傘をさし、服は長袖、長ズボン、付き添っていた父親は、夏がかわいそうだとつぶやきました。

男の子は友だちからきかれたそうです。
「なんでそんな帽子をかぶってるの?」と。
男の子はその問いにすぐさま答えたそうです。
「これがぼくだもん」と。
この何気ないやりとりの中に、ぼくはこの男の子の勇気をものすごく感じました。ちゃんと自分を受け止めて生きて行こうとしているなと。難しい治療を続けながら、その上で不自由な生活を続ける。外で友だちと遊ぶこともできない……。でもそれがぼくなんだと。

ある母親が登場しました。この母親と父親の遺伝子が一緒になると必ず子どもには障害が出るそうです。その障害は肝臓に腫瘍となって姿を現したそうです。就学期前の3人の子どもたちは、確実に病に蝕まれていました。上の2人には父親と母親から肝臓を移植してもらい、命を繋いだそうです。3人目の子どもはこれからだと。

ある女の子は、生まれつき排泄ができなくて、ずっとストマ(人工肛門)を着けていると。女の子は生まれてきても、数日しか生きられないかもしれないと言われていたそうです。それでもお母さんは私を産んでくれた、と感謝を口にしました。産んでくれたから今がある。生まれてきたから今がある。

延命治療の範囲とは、意味とは

マイクさん
ぼくは彼ら、彼女たちの姿を見、言葉を聞き、マイクさんのこの疑問をほんとうにどうとらえていいのかわからなくなりました。ぼくもじっくり考えてみたいと思いました。
でも結局、答えなんか見つからないんだろうなあとも、薄々感じています。

尊厳死の現実を知ってしまった!

「 この視点が欠落すると、社会という化け物を跋扈させることにならないでしょうか。」には同感ですが 化け物にどう対処するかで悩むべきか悩まざるべきか マイクはその答えを見つけようとして更に悩んでしまっていたのです
(長年考えてきた社会を意識しての安楽死支援施設が 無駄な考えに終わってしまいそうに思うしかありませんでした)

個人の力を信じても 結果的には 成るように成るとしか実感できないのが多くの人の現実なのではないかと 思ってしまいます
このように考えてしまう多くの社会人は マイクのような根暗か自己中で生きていくことに自信がある人なのでしょう
社会はそのような人ばかりではないことを 自ら弱者になった今 信じられるようになったばかりか 愛や希望と 忘れかけたものまでいただいたのです

今日も 安楽死の話しをしたいのですが その前に 尊厳死で退院したいと決めてからは 自死することを考えることもなく この往復書簡で余裕ある療養生活を楽しんでいます
しかしそう思えると信じていた入院前とは違って 難病病棟で現場のの事実を少しですが知った今 尊厳死とはそんな甘いものではないと知ってしまったのです

そのことを知ってしまったことで 益々安楽死の必要性を 考える様になり 安楽死3連チャンをマイクに投稿させたのですが 一旦 尊厳死についての最近の思いを述べさせて下さい

尊厳死は確実に苦しい
それならなぜ緩和ケアをしない?
しないのではなく 痛みどころか延命措置する時点では どうしようもない苦しい状態に確実になるのにです!

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安楽死を医者任せではなく

昨日の「そこまで言って委員会」で 「医者には絶対書けない幸せな死に方」講談社 (2018/1/20)の著者 たくきよしみ をゲストで 病院で亡くなるには診療点数3ヶ月定額などによるたらい回しや また延命治療の高額高度化で拷問されての死が待っていると
尊厳死と自殺の違いとは 在宅死は安らかか などの並みの話でしたが 3月30日にも安楽死をテーマにしているほど社会的関心事になってきたことだけは確かです

マイクは法制化に反対する理由は 医者任せの方が稼ぎや責任に都合がいいからなのだと見抜いている積りです
少し前にここで 韓国では 去年の2月に尊厳死が法制化され 4ヶ月で8500人施行との紹介をしました
キリスト国家の方が安楽死とか受け入れやすいとも言われています

マイクは随分前から 終活的な個人の死に方よりも 社会問題として捉えるべき時代がくると考えて また尊厳死を医師まかせだけの対応をすべきではないと思い 安楽死支援施設の必要を説いてきました
しかしマイクの個人的な思いだけの虚しさに陥っているしかできませんでした

ところが昨日のテレビで「日本看取り士会」が紹介されていたことに 流石にと嬉しく思いました
看取りされる場所は2030年には47万人がどこにもなくなるとの厚労省予測から新しい施設がないと 看取り難民となり 自死するしかないのです
出来ることなら 個人問題としての たくきよしみさんレベルの指導士と啓蒙だけではなく マイクが願う看取りための安楽死支援施設まで展開されんことを願うばかりです

またこれらの論議で欠けていることが気になります
尊厳死するかしないかではなく その前に大事なことを忘れています
延命治療はするしないでなく どのレベルでしたらどのレベルに回復または生命維持できるかの前提がなければなりません
これが一番判断を難しくするのです
ギャンブルでもあるのですが ギャンブルでなくはっきりした病もあるのです