こんな現実を無責任に見過ごしたくない

読売TV「そんなこと言って委員会」9/15の今日
医療費抑制対策がテーマに取り上げられ ゲスト長尾和宏(尼崎の町者で 中村仁一の受け売りの様な本35冊もある またマイクが虚偽と誇大広告違反で訴えたいと痛感している尊厳死協会の副理事長であることも引っかかる)医師が
今話題になっている花粉症などの薬を健康保険対象外薬品にする厚労省案の他に 自身の案として

薬は5つまで
4種類の高認知症役は保険適用外に
男性80歳、女性85歳以上のがん治療は保険適用外に
「大往生手当」 (マイクの言う安楽死希望者に出すべき還付金と同じ)
「医者ログ」(食べログならずのイシャログ)

を提案していた

この内の高齢者のがん治療を 保険から外せと言うのは 麻生副総理が 2013/1/21終末医療について 社保国民会議で 老人が「さっさと死ねるように」と言ったのと同じことです

この様な現実が迫っていることを見過ごす事のできない現実主義者の本音について 2012/2015/2018に マイクのブログで取り上げています
75歳過ぎたら覚悟せよと 高齢者差別排除の時代を感じると案じたのです

2018/11/8「75歳安楽死法案が映画化」(最善の死とは)
https://sky.ap.teacup.com/jishi/868.html

月・木の井戸端会議の仲間から 映画「十年」 “Ten Years Japan”が上映中との紹介を受けた
調べてみると 10年後の香港を舞台に、5人の若手新鋭監督達が近未来を描き、
社会現象となった短編オムニバス作品『十年』(2015年製作。日本公開2017年)。 とある
短編5作の一つが 『PLAN75』
監督:早川千絵 出演:川口覚、山田キヌヲ、牧口元美 ほか
75歳以上の高齢者に安楽死を奨励する国の制度『PLAN75』。公務員の伊丹(川口覚)は、貧しい老人達を相手に“死のプラン”の勧誘にあたっていた。

長生きは恥 高齢者を減らさなければこの国の未来はありません 等 10年後の未来を考えさせるテーマを扱っている

マイクのteacupブログ内検索「75歳」で11件の同じ内容を取り上げています
中でも
2015/10/29「極め付きの75歳限界論が」
https://sky.ap.teacup.com/jishi/532.html
の新潮45 11月号 特別寄稿「医学の勝利が国家を滅ぼす」臨床医 里見清一とはズバリですし

2012/3/10「70歳強制自死法まで8年」
https://sky.ap.teacup.com/jishi/58.html
で紹介した小説『七十歳死亡法案、可決』垣谷美雨 幻冬舎のことと同じなのです

反響や如何に
話題になって欲しいものです

なかでも里見清一は 尊敬して止みません
安楽自死支援の必要を思い悩んだ3つの原点 「麻生発言」と 「厚労省の死に場所2030年のその他が47万人の推計図 」と 「赤ちゃんポストの活動」に重なり 彼の勇気に痺れたままです
でも 彼の内容は 対策の無い麻生も厚労省よりも 具体的であっても完璧でなく実践の運動には繋がってはいないのです
それに比べ凄いのは赤ちゃんポストなのです

久しぶりにこんな事を書かせていただきました
読売TV「そんなこと言って委員会」で 「安楽死・尊厳死」が取り上げられ Nスペで「私は安楽死を・・」が放映され 参議院選で「れいわ」程ではなかったが「安楽会」も話題になった
時は来た!

保守的ポピュリストに妄想を/臆病を経て安堵を

今日の清水さんの返信にある「臆病」という言葉は一見清水さんに不似合いと誰でも思います
でも マイクの好きな言葉に 「臆見」があります
ちょっと暗くて意味深ですが 妄想と同じに捉えていて 臆病とは病を妄想することと読み解きました
癌やALSほどの人生に差し障りある病なら尚更 風邪とか便秘くらいでも 放っておいても大丈夫か考えないとなりません
臆病は程度の差こそあれ誰でも必須の過程なのです
臆病/妄想あってのこと 闘病するか マイクの様に逃病するかに落ち着けるのではないでしょうか

さて 昨日は日頃のマイクの考える残忍かも知れないのですが 治療の映像化は患者に役立ち 不可能でないと望む本心を書きました
もうひとつ 今日書きたいのは なぜ出来ないのか ここまで考えている人がいるのに?日本では?
それは 台湾や韓国すら法制化施行されていると言うのに 日本では反対勢力が堂々といる尊厳死のことと 次のステップの安楽死に就てです

安楽死と刑法―医事刑法研究〈第1巻〉甲斐克則成文堂 (2003/2/1)
序章 終末期医療と刑法
第1章 安楽死と病者の自己決定―嘱託・同意殺の可罰根拠に関連して
第2章 ドイツの「臨死介助」論にみる患者の自己決定権と医師の刑事責任
第3章 死期を早める疼痛治療の許容性―「間接的臨死介助」に関するドイツ連邦通常裁判所刑事判決の分析・検討
第4章 末期医療とイギリス刑法
第5章 日本における安楽死論議の新展開―東海大学病院「安楽死」事件判決に寄せて
終章 安楽死問題の行方―安楽死および医師による自殺幇助の立法化の問題点

尊厳死と刑法―医事刑法研究〈第2巻〉 2004/7/1 甲斐 克則
尊厳死の意義と問題の所在、アメリカ判例法における「尊厳死」論のさらなる展開、末期医療と延命拒否、ドイツ法における「尊厳死」論等、著者が約18年間に亘って書いてきた論文をまとめる。03年刊「安楽死と刑法」の続編。

終末期医療と刑法 (医事刑法研究 第7巻) 2017/11/29甲斐克則

医療事故と刑法 (医事刑法研究) 2013/1/1甲斐克則

こんな凄い学者さんの成果がどう評価され社会に役立っているのか
何の為の学者さんか?
信念や実現に向けての熱意はないのか?
議論下手のお抱え学者なのでしょうか?日本はそんなのばかり?
マイクも10年来 安楽死の社会的な必要性をマイクスタンディングのブログで考えてきました
しかし恥ずかしながら マイクの妄想/臆見遊びに終わるしかありません
欧米や台湾韓国でも進んでいる思想が 日本の学者さんの論文の不十分さや熱意の不足なら別ですが そうではない日本の保守性にありそうに思えてならないのです

その保守性を破ってくれそうなのが 僅か2名のれいわ議員なのです?
日本文化の哲学性の無さななんでしょうか 非宗教性なのでしょうか
戦後の利己主義の甘さに酔ってしまったサラリーマン文化の所為だとマイクは現役時代から訴えてきましたが 友人からは反論も無く同意されるものの これでいいのだと変人扱いや無視されてきました
「れいわ」が国風を変えると選挙後暫くは騒がれました
でも太郎氏と2人に 人ごとの様に期待するだけではいけないのです

社会を変えるには哲学し妄想する風土を畏敬する文化を作ることでしかあり得ないのです
多文化共生社会もそうでなくてはあり得ないとこれまで言ってきました
台湾や韓国までそれに近づこうとしているのです
妄想好きな日本人だったことを取り戻せるはずです
妄想どころか思想や学問は出来上がっているのです
利己的で現状に満足する保守的ポピュリストを批判・軽蔑することで社会は変わるのです
みっともない・情けない・勿体無いだけの言葉だけで非難すれば済むと度々言ってきました
この程度のマイクですが 凄い学者さんが れいわと組んで(サポートで) 頑張って欲しいのです

死の不安を妄想/例によって比較し安堵と不安

不安の最中の清水さんの心中を考える積もりで タブレットに向かい合いました
強靭で知識も並でない清水さんは 病気そのものよりも まだはっきりしない診断そのことなのでしょうと直ぐに思いました
病気だけではなく人生の出来事一般に誰にでも言えることで マイクの自死願望の原因もそうだったのですから

病気そのものについては必ずしも死に繋がるものではなく 不安があるとすればもしも死に繋がるかも知れないとすると その死がどんな死なのかまではあまり考えないので 漠然とした不安を持ってしまうのではないでしょうか
そこでまたまたマイクの何時もの癖がむらむらしてきて 癌とALSの死に方恐怖・不安比較をしてみようと思いました
多分モヤモヤとしたまま死の不安を放置するより何か安堵感まではいかなくとも精神的に楽になりそうではと直感します

日頃なんとなく感じていたのはパーキンソン病とALSの死に方の違いでした
対処療法?が進んで 症状がアップアンドダウン(薬の効きがスィッチ・オンオフ)するものの エンドレスと言われるほど パーキンソン病では死ねないのです
こけて寝込むとかしか?
これでは自死のタイミングもパーキンソン病で死ぬこともないのです
結構患者さんは楽天的に見えます
比較的ですしマイクの偏見でも

ALSは尊厳死のチャンスがある(胃瘻拒否・気管切開拒否)またそれらの前後の自死もできることを嫌でも考えさせられました
但し呼吸器後はエンドレスに自死のタイミングは難しくなり チャンスを失いかけるのではないかと今 マイクは大変なことに気が付きました

癌は手術や抗癌剤などの治療の失敗(または不運)で処置されて亡くなるのでしょうか
発見の早遅によらず 死は失敗でしかないのでしょうか
転移や多発とか症状は色々あるにしても 生存期間の差異となるだけで それもステージという分かりやすい基準で自覚できるのです
こう比べると 癌は分かりやすい し 運にも左右され易いと言っていいでしょうか
別の言い方をすれば運に任せ また諦めやすいと?

それに比べ パーキンソンは 死の認識が薄く 鈍感な死の待ち方のように思えます
癌も多分マイクのような天罰・天命とまでは考えないのではないでしょうか

そしてALSは 何時来るとなくも確実に近付くとは言いながら それを癌ほどはハッキリ自覚予感することはできそうではなく また尊厳死と言う死に方を選択するステージに巡り合うのは結構なことですが 精神的な負担は 発症時以上に切羽詰まって相当なものになるのでしょう
しかもスーパーALSでは長期に亘って 生き地獄と思うかもしれない命を哲学し迷うことになるのです

もしマイクが健常者なら こんなことを書いたマイクを清水さんはお怒りになることとは当たり前ですが ここは妄想としてお許し下さい

同じ進行性の病気でも 考えてみると大違いなのです
癌も半分の人が経験すると言われていますが かなりの割合で運を天に任すしかないことを知って 神仏を信じてみようとはならないのでしょうか
ギャンブラーになって闘病すると言っても 運に任せるに代わりはなさそうです

パーキンソンは 研究や薬で 最早 難病ではないと言われています
パーキンソン病棟は 高齢女性が多く人生100年時代の到来かと思われるくらいですし 又まるで一度訪問したことがある今や完治するハンセン病の療養所の感じすらします

ALSは 天罰・天命として受け入れるしかなく 逃病を夢見て祈るしかないのです

脳卒中や心臓病の死に方も序でに
突然死もあれば症状が残ったり完治も多い治療と回復に癌並みに多様です
症状が残るか死ぬかか それは節制が原因と医者は言いたいでしょうが 殆どは運としか言いようのないことに間違ないのです
やっぱり神仏にすがる方がいいに決まっています
死に方には余り良く考えたくもないのが認知症ですが これは無視しておきます

死に方は別として 苦しいのは 緩和治療でも手に負えないのが呼吸に関する痛みのようです
癌は肺癌でなければラッキーと思ったら間違いないのです
ここでマイクはまたもビビり出すのです
ALSの気管切開の必要な時期では相当苦しいことを このブログで強調して説明しています
尊厳死など容易にできるような状態でなく 苦しんで死ぬか 延命で生き延びるかを十分考える間もなく決断しなければなりません
それは大変な選択で患者の意思に任すというのは自殺幇助か営利目的でやるに等しい位なのに 医師としての倫理的責任放棄に思えます
マイクがスーパーALSになるべきかどうかに関わっているのです
多分延命気管切開を早くすれば苦しみが少ないと思うのですが それまでに意思決定を急げるでしょうか
実はもう一つ安楽死や自死が可能になったらと言う選択肢が増えたらまたややこしいのです
何しろALS患者には知性と理性と生命哲学が求められているのです
選ばれた患者でなければ?⁉️?

安楽自死センターの世話になれたなら?

発症前から 高齢者の看取り場所としての事を考えていた次のブログを見直してみます

マイクのブログ 2018/11/5「安楽自死センターは短期受け入れ施設」(最善の死とは)
https://sky.ap.teacup.com/jishi/866.html
『ラジオ深夜便で ホスピス医が他人の世話にならない死に方は 却って遺族にとって寂しい結果を生むとして 介護の必要性を訴えていた
この前の釈迦の葬儀の書き込みで 迷惑をかけたくないとの思いから 最近は「死んだら散骨にしろ」とか「誰にも連絡せず質素にして欲しい」とか 生前に葬儀方法を指示することが流行っていると
そうではなく 役に立つ死に方もあるのではないかとも

迷惑を最小限にするのはいいとしても 役に立つ死に方はそう簡単には思いつかないし簡単に実現できない
それどころか何も考えていないと 迷惑どころか延命治療に2千万円以上も無駄遣いする羽目になる

厚労省は 医療費削減のために在宅死を推進するが そうできる恵まれた老人は1割でしかない
延命治療ばかりでなく 在宅治療ができない老人病院で長期入院する
貧乏人には 在宅より入院が安易ですが こう言う方にこそ安楽自死センターで 世の中に役立つ死に方を教えてもらい 短期に安上がりで しかももう死んでもいいと思えるくらいの楽しい体験をして 加えて献体などのお役に立って逝っていただくことをマイクは真剣に考えています

藤掛病院と大口病院で見られた姥捨て山まがいの老人病院こそ 安楽自死センターの構想を参考に 長期寝たきり専門ではなく 短期受け入れを前提に改革していってほしいものす』

京都に住むマイクは 祇園祭の頃に 呂律異常の自覚があったものの 総合病院で経過観察と言われて放置していたのですが まさかの難病の走りだとも思ってもいませんでした
そしてまた 12/5の再診で 怪しいとしれるまでは 相変わらず安楽自死センターの役割や機能を人ごとのように考えていたのです
家族の世話や医療・社会福利に最大限頼って逝くべきか
麻生の思惑に嵌まって 尊厳死や在宅死を選ぶかまでも まだ他人事だった筈なのです

それでもマイクは財政が保てず 47万人が彷徨うのを憂いて もっと相応しい安楽自死センターをと構想し続けてきたのです
このブログは ALS告知の3ヶ月前のことです
社会的にも 遺族にも最善のことと単純に信じ切っていました
まさかのまさか マイクにとって直ぐにでも最大の悩みになるとは思ってもいなかった頃のことです

妄想で・酔い痴れるしか・院内暮し

妄想は徹底的にやれるし やるべし
しかし実践はできるだけしかできないし そこまでで諦める?
否 諦めることはない 妄想が足りないと思え
その妄想は 現実の矛盾や悪を破壊するためです
その実践のためには 先ずそして必ず現実を把握し 矛盾や課題を発見するべし
それらを崩す為であり 真実を掴んだ上での 戦い方を妄想する為なのです
妄想だけで実現する幸運もありますし そのような社会であればありがたいのです
しかし妄想はできても 現実の社会が途轍もなく大きく頑固なときは 時を待つしかないかも知れません
が 決して諦めるのではなく 少なくとも祈る姿を人にアピールするぐらいのことをして 共感者を募り もし妄想のヒントを貰えるならば また膨らむ可能性があるのです
もし実力不足であっても 少なくとも時間掛けてでも祈り続けるのです
必ず祈りが妄想を後押しし 共感者が必ず現れると信ずるしかありません
それでも大方の妄想が例え萎んんでしまっても それは悲劇ではなく喜劇として人生そのものの使命感を養い 生きてきたことの幸福感を満たしてくれ筈です
貧しい者よ 来たれ! 心あれば妄想だけで 腹も満たされ 苦悩する頭も和らげられ 生まれたことに酔い痴れるのです

実はこれは 元々 安楽自死センターで 終末期の老人が 安楽自死すする前に 生前 世間体を考えてできなかったことを 安上がりでできるよう 妄想でいいからやった気持ちになれるような支援をする機能を持ちたいと考えてきたことに繋がります
47万人の一部でも 例えば1万人が 延命治療の2千万円を拒否すれば 2千億円を麻生に協力したことになりますから 厚労省からその一部500億頂いて完全自動自死装置装備したセンターを運営できるのです
楽しい妄想を味わうお手伝いには 一人500万も掛からないでしょう

韓国は去年2月の尊厳死法施行後4ヶ月で8500人が(何も楽しい思いをするどころか 苦しんだであろう)尊厳死を選んだのです
ここまで膨らんだ妄想が どうして日本で・・・

マイクの妄想を諦め掛けさせたALSでしたが これこそマイクへの天命と妄想が気付かせてくれたし またマイクの思いが届いて神様と仏様が現れたのです
まだまだ現実を見つめ 矛盾と戦う為に 妄想します
ご支援ありがたく思い 又まだまだお願いします

今一度思い返してみなければ

ALSになって直ぐにでも死にたかったのに 安楽死は夢見るだけで 自死もできず それなら尊厳死しかないと決めて入院したのに 尊厳死の苦しみを知ってしまい VSEDと鎮静市というものまであること知ってしまったのです
それでもう今一度 尊厳死を思い返してみなければと思いました

患者側からすれば 確実で 直ぐに死にたいのなら 鎮痛死より安楽死を望むべきでは?
と先に書きました
患者側が尊厳死を望んだら 医師がしたがる延命治療を拒否された憤懣で そのまま苦しんでいても放置される懸念があるとも知った
そうはさせないと医師から説明があるのだろうか
VSED(断食往生)は 安楽死の厳しい制限で死ねない患者側が ハンガーストをして抵抗するものの 苦しむこと間違いないのに 医師から放置されるリスクがあるらしい

さて医師からすれば 延命は医師の務めであり 治療は天職であり 何が何でもやりたいに決まっています
古いマイクのブログの書き込みに こうある

「終末期の処置と死の因果立証に司法は次第に遠退いている
現実 医療現場は透析や呼吸器外しを公表して憚らず 実態として安楽死は存在しているのです

しかし一方 胃ろうや呼吸器や 緩和ケアも進歩しており 拒否することに医師からの批判反対も多い
また宗教や弱者差別の倫理に対して向かい合わねばなりません
また オランダでは認知症や精神障害者から視覚障害者へとなし崩しに広がると この書き込みに参考・引用させていただいた京都新聞岡本晃明さんの2018.9.25の記事にあるようなことまで」

かくて 医師にはやりたい気持ちと 司法も同じく面倒に関わりたくない気持ちとがあるが 医療ビジネスとしては 当然 責任を法制化されるよりも無法地帯での 延命を進めるのがやり易いに決まっています

現実はこう言うところなのでしょう
医師やよく分かっている者同士であれば 曖昧な方が良いのでしょうが 患者は突然で初めての病気に 探して探して決めた主治医に運を任すしかないのです
悲運な難病と 医師不信が重なり 死にたくなっても 死に方も分からない不安に取り憑かれるのです

結局何が言いたいのかと言うと マイクがALSになった当初は 不安に取り憑かれて死にたいとしか考えられなかったことを 余裕が出てきて思い直して見たと言うことなのです
尊厳死と決めて落ち着いたと勘違いだったことを知り しかもまだ何時 どんな症状で どんな死に方になるのかが今も分からないのです
こんな甘いことを言うと また必ず清水さんからのご叱責があるのですが それを自分で考え反省するより お聞きすることに快感を覚えるように?なってしまったのかも知れません
これを余裕というとまでは言いません 済みませんが宜しくお願いします

尊厳死を認めるのは中途半端?

流石の無頼の文筆家の文章の 隅から隅に痺れます
希死念慮と自死願望
闘病と逃病
確率に賭けるギャンブル と 地味に負けつずける自己破産
こんなことを考えてしまうのは 癌とALSでは死の迫り方の違いと思ってしまうマイク流シンプルシンキングなのでしょう
神様に巡り合えてからのマイクは生きていてよかったと感謝感激しています
そのことは 明日でも述べることにさせてもらい 昨日の尊厳死の続きを先にさせてください
準備していましたものですから

尊厳死の現実を知ってしまったと思った途端に 鎮静死にまで考えが広がった
これは大事なことなのです
真実抜きには病気なんぞしていられない

マイクが告知を受ける前からALSがどんな病気かは 医師からよりもネットでかなり理解し 死を覚悟するには苦労なく 不安も涙もなかった
ALS告知の後の2ヶ月は誰彼となく死にたい死にたいと共感と理解を求めて言いまくり 多くの人に心配どころか迷惑をかけました
ALS患者の死は7割が呼吸器拒否して 3年から5年と言われている
その最期の様子は 医師も語らず 余命宣告すらしようとしない

こんなことを知る由もない友人知人の励ましは 今の症状から見て 頑張れとか気の持ちようだと言うしかないのは分かるにしても マイクは自分の生き地獄を想像するだけしか出来なかったのです
78歳で充分満足し やり残したり希望を持つ訳でもなく 家族の世話をかけたくない気持ちもあって 直ぐに死ねるし 死にた気持ちだけが先行するばかりでした
それでも自死は家族に迷惑を掛けると考えると 残された現実は尊厳死しかなかった

安楽死についてブログで10年考えてきただけに 次第に客観的にかなり分かったことで マイクが病院で胃ろう拒否か呼吸器拒否のタイミングを外すと死に切れないのを覚悟して 病院で病気死することを決めたのです
そしてやっと決めたこの病院に入院してから知った現実は 先に述べた通りに悲惨なのです
しかも安楽死以外でも

ALS告知から直ぐに色々死の準備をしました
今から思うとこれこそエンジョイ・デスではないかと 一寸やり過ぎなことも真剣にしました
これはこれで改めて白状したいと思っています
その一つに延命治療拒否宣言があります
よく考えると 尊厳死とは安楽なものと勘違いしていたことを先の書き込み通りに最近思い知ったのです

尊厳死法制化を考える議員連盟が纏めた法案2012の要点は
⑴終末期の定義を「患者が適切な治療を受けても回復の可能性がなく 死期が間近だと判定された状態の期間」
⑵終末期の判断は医師2人以上で行う
⑶患者が書面などで希望し 終末期判定を受けた場合 医師は延命措置を差し控えることができる
その場合 医師は民事 刑事 行政上の責任を問われない

まず人工呼吸器は法制化されてなくとも7割が実行されているので心配ないが 胃ろうが⑴の条件を満たしているか マイクには不安要因

嚥下障害を避けるには 胃ろうだけではなく 咽頭の機能改善手術で声は残る方法と 声は失うが喉に穴を開け呼吸と食事の通りを別にする方法があります
回復の可能性とは多分曖昧で 上記のより高度な方法をやれるかどうか やれない場合は?
もっと厳しいもは 胃ろうしなくても食べなくとも直ぐ死ぬわけもありません
死期が間近だとは曖昧だから拒否できるとはならないのでは
いくらマイクが拒否しVSED(断食往生)をする積りでも

こんなことよりもっと大事なことがある
法案は 尊厳死を安楽死と変わりないくらい容易で 安らかな死に方だと言っているのではないか
尊厳死は元々安楽死の社会的批判を避けるために創り上げたマヤカシなのです
だからと言っていい加減な死に方は許せませんし 虚言で苦しめてしまうような自死幇助です
それと勧められるようなものではない尊厳死を 勧めるのは自死教唆に値する罪なのです

答えなんか見つからないんだろうなあ

マイクさん

今日も、安楽死の話しをしたいのですが その前に、尊厳死で退院したいと決めてからは 自死することを考えることもなく、この往復書簡で余裕ある療養生活を楽しんでいます。

このひと言とてもうれしいです。いい感じですね。

今朝NHKの地上波で「病院ラジオ」という番組をみました。
人気コントコンビのサンドウィッチマンが、東京・世田谷区にある、子どもに関するさまざまな病気を診る国立病院に出向き、2日間限定のラジオ局を開設。入院しながら難病に向き合う子どもたちや、闘病するわが子に寄り添う家族の、日ごろ言えない気持ちを、リクエスト曲とともに聞いていくというものでした。

入れ替わり立ち替わり、難病と向き合い今を生きる子どもたちが登場しました。その中でとても印象に残った男の子がいました。その子はわずかでも紫外線に曝されと皮膚がんを発症する恐れがあるという難病と向き合っています。UVをカットする顔まで覆う帽子をかぶり、その上に日傘をさし、服は長袖、長ズボン、付き添っていた父親は、夏がかわいそうだとつぶやきました。

男の子は友だちからきかれたそうです。
「なんでそんな帽子をかぶってるの?」と。
男の子はその問いにすぐさま答えたそうです。
「これがぼくだもん」と。
この何気ないやりとりの中に、ぼくはこの男の子の勇気をものすごく感じました。ちゃんと自分を受け止めて生きて行こうとしているなと。難しい治療を続けながら、その上で不自由な生活を続ける。外で友だちと遊ぶこともできない……。でもそれがぼくなんだと。

ある母親が登場しました。この母親と父親の遺伝子が一緒になると必ず子どもには障害が出るそうです。その障害は肝臓に腫瘍となって姿を現したそうです。就学期前の3人の子どもたちは、確実に病に蝕まれていました。上の2人には父親と母親から肝臓を移植してもらい、命を繋いだそうです。3人目の子どもはこれからだと。

ある女の子は、生まれつき排泄ができなくて、ずっとストマ(人工肛門)を着けていると。女の子は生まれてきても、数日しか生きられないかもしれないと言われていたそうです。それでもお母さんは私を産んでくれた、と感謝を口にしました。産んでくれたから今がある。生まれてきたから今がある。

延命治療の範囲とは、意味とは

マイクさん
ぼくは彼ら、彼女たちの姿を見、言葉を聞き、マイクさんのこの疑問をほんとうにどうとらえていいのかわからなくなりました。ぼくもじっくり考えてみたいと思いました。
でも結局、答えなんか見つからないんだろうなあとも、薄々感じています。

尊厳死の現実を知ってしまった!

「 この視点が欠落すると、社会という化け物を跋扈させることにならないでしょうか。」には同感ですが 化け物にどう対処するかで悩むべきか悩まざるべきか マイクはその答えを見つけようとして更に悩んでしまっていたのです
(長年考えてきた社会を意識しての安楽死支援施設が 無駄な考えに終わってしまいそうに思うしかありませんでした)

個人の力を信じても 結果的には 成るように成るとしか実感できないのが多くの人の現実なのではないかと 思ってしまいます
このように考えてしまう多くの社会人は マイクのような根暗か自己中で生きていくことに自信がある人なのでしょう
社会はそのような人ばかりではないことを 自ら弱者になった今 信じられるようになったばかりか 愛や希望と 忘れかけたものまでいただいたのです

今日も 安楽死の話しをしたいのですが その前に 尊厳死で退院したいと決めてからは 自死することを考えることもなく この往復書簡で余裕ある療養生活を楽しんでいます
しかしそう思えると信じていた入院前とは違って 難病病棟で現場のの事実を少しですが知った今 尊厳死とはそんな甘いものではないと知ってしまったのです

そのことを知ってしまったことで 益々安楽死の必要性を 考える様になり 安楽死3連チャンをマイクに投稿させたのですが 一旦 尊厳死についての最近の思いを述べさせて下さい

尊厳死は確実に苦しい
それならなぜ緩和ケアをしない?
しないのではなく 痛みどころか延命措置する時点では どうしようもない苦しい状態に確実になるのにです!

“尊厳死の現実を知ってしまった!” の続きを読む

安楽死事件に見る現実

古くに衝撃的な京北病院事件 1996 があったことを忘れかけていましたので
まず概要を見てみます

「21年前、筋弛緩剤を投与した医師が「事件」の真相を語った」
「安楽死を遂げるまで」小学館 の著者 宮下洋一が綴る(ZAKZAK)

21年前、京都の山間部の町を安楽死騒動が襲った。町で絶対的な存在だった院長が殺人容疑で書類送検されてしまう──。この1年、欧米諸国の安楽死現場を歩んだ筆者が見たものは、「個人主義」の価値観から生まれた死の世界だった。疑い、納得し、時には、共感した。・・・・・・・1996年4月27日、国保京北病院(現・京都市立京北病院)の山中祥弘(よしひろ)院長が、当時48歳の末期ガン患者・多田昭則さん(仮名)に筋弛緩剤を点滴の中に投与し、死亡させた。1か月後、内部告発によって、警察が捜査に乗り出し、6月に事件が表面化し、報道が過熱。その後、殺人容疑で書類送検されるが、翌年の12月12日、嫌疑不十分で不起訴処分が決まった。・・・・・「今日、私が貴方に会おうと思ったのは、ちょうど私の親父が死んだ年齢だったからです。もしかしたら死ぬかもしれない。そろそろ、誰かに話をしておきたいと思ったからなんです」

死は個人のものでもあるが家族・友人他のものでもある
山中院長は友人の 癌告知してない多田患者に 意思確認しなかったがそれでも不起訴で終わる

纏めとして別の記事(クール・スーサン)には
京都府警は殺人容疑でT院長を書類送検とした。しかし平成9年12月12日、京都地検は死因との関連性や殺意の立証が困難としてT前院長を不起訴処分にした。T院長を不起訴処分にした地検の判断は、文字通り証拠不十分で立件を断念したのではなく、証拠不十分を理由に安楽死を法律で裁くことを回避したといえる。この地検の判断によって、京北病院事件におけるT院長の刑事責任は不問にされたが、それに異を唱える者がいなかったことが地検の英断と思われる。

概略は斯くの如し

さてと この事件では 下記するそれ以前の判例にあるの安楽死の4要件が使われた
1962年 1991年の判例で安楽死が明確に容認されているのです
然も 京北事件では 意思確認の条件が欠けているのに

今更何故尊厳死法案に反対するのか 反対する必要もなく 終末期医療の現場では現実には実践されているのに
ホスピスを安楽死施設との違いとして見ても 確かな違いがあるのでしょうか
尊厳死を法制化せず曖昧にしておくことが 医師の自由度や責任逃れに有利なのだと思います
然も ビックリしたことに安楽死も然りなのです
判例や 要件には 消極的ならいいが 積極的が悪いと言うことを考えてもいないようです
ホスピスとの条件の違いなどあるのかまでは調べ切れませんが では何故 法制化など待たなくて 終末期医療がもっと積極的に堂々と取り組めないのか 取り組まないのか

安楽死の4または6要件とは

東海大病院安楽死事件1991 横浜地裁有罪判決の安楽死4要件

1. 治療行為の中止のためには、患者の意思が推定できる家族の意思表示でも足りる。
2. 医師による積極的安楽死の4要件は、
⑴ 耐えがたい肉体的苦痛があること、
⑵ 死が避けられずその死期が迫っていること、
⑶ 肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし他に代替手段がないこと、
⑷ 生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があることである。

山内事件1962 名古屋高裁 成田 薫判事の安楽死6要件

⑸ 医師によること
⑹ 倫理的であること

世論は衝撃的だったかも知れませんが 本人確認取れればと それだけで済んだ?
社会的な受け取り方には 容認条件の拡大解釈を懸念するとあるくらいでした?