まだまだ楽しむ面構えは格好いい

ここ何日かは清水さんが お仕事の多忙なことで マイクの往信が続いているのだとばかり思っていました
それが・・・・
でもそんなにとも思える診断のようですが・・・・

ひとつ病を持つっていると無病息災どころでない自己管理力が備わって長生きすると言われています
だと言って癌は他の病気と違って ひとつ目の癌は長寿の宝物になれる訳でもなく どこに何が発症するかは改めての初めからの宝物でもない宝探しなのだと聞いたことがあります
だけど偶然性の高い病気だけに マイクのように自己管理に関心なく癌検診をしたことの無い者もいる
清水さんは 元より難病などに関心をお持ちでも 大腸癌の高いステージになっておられたり 結局は 結果的な運不運をメンタルにどう受け止められるかです
それでも一回経験者と初めてでは大違いでしょうか
とは言え心配の大きさは いつ誰でも同じでしょう

マイクの歳になると 前立腺と白内障は病気ではないように言う人が多いですね
若い時になって進行が早くて切除してオムツ使う友人もいるし マイクより少し上の京都のお菓子屋の社長は広島が最高だと言って1ヶ月?入院され完治したようです
これ位のことしか知らないのを 恥ずかしげもなく書いてしまいました

会社のOB会で 翌日ゴルフする元気のある友人は殆どが癌などの大病をしたものばかりです
しかも貪欲そうな 面構えは闘病経験者でないと と思いますし ギャンブラーらしいスコアで上がっているようです
人生は寄り道回り道 まだまだ楽しみは巡り続きます

まっしぐらに落ちても/調子に乗っていたい❓

何時かは 清水さんのお父上の壮絶な信念ある死に方をお聞きし 昨日はお祖父さんの羨ましい生き方に 共に清水さんのDNAを見る様でした

マイクの父は 和菓子屋の祖父に子供がなく 親戚から母を貰い子し 丁稚の父と一緒になって両貰いされたのです
父は養子のように真面目生一本でしたが 菓子組合や町内や公民館の仕事を引き受け 議員の世話役など 信頼されることに喜びを得ている様子をマイクは見て育ちました

逆に祖父は40代から隠居し 女遊びの話は全く分かりませんが 盆栽 畑仕事 釣りに 小鳥を飼い 深山の苔取り ありとあるだけの知識と趣味を楽しんだばかりか 最後は在家の坊主として自宅で法話をし マイクが後継する話があったくらいです
そんな父の堅実さと 仏心と遊びの人生を見せた祖父への憧憬からは逃げられません

今も知的でお元気な95歳の清水さんのお母さんのことはよく存じ上げている積もりです
マイクの父母とも亡くなっていますが 母の子への思いは並み並ならない事を 5人兄弟姉妹の誇りとしていて 今も5人の繋がりの強さの元となっています

家内や子供・孫の話はまたにして 兄弟家族の存在は マイクには何よりも大事なこととは身に沁みて分かっているのですが 現実の人生と言う波は どの家庭でも平穏とは限りません
でもなんとか並みにやってこれたものと満足しています
そんな中でのマイクに起こった事件とも言うべきことは 皆に相当にショックを与えたと思います
しかし長い人生の一場面でしかなく それも天災や事故の被害に比べれば並みのことなのです

病は本人の体でしか苦しめないし 所詮家族には見守りがあるだけで満足なのです
かえって心配過剰は本人に気遣いの負担になります
家族とは互いに自力本願で生きており 最小限の他力本願で繋っていると心得ておくべきなのでしょう

病人に掛けてはならない言葉が参考になるかも知れません
癌患者が言われて傷つく言葉を調べています
がんばって かわいそう 前向きにならなきゃ 手術で・・・とか
『あのひとががんになったら – 「通院治療」時代のつながり方』 桜井なおみ 中央公論新社 (2018/3/20)
には家族だけではないコミュニケーションの大事さを教えてくれています

マイクの人生は 思わぬ78歳で 並みのままで予定していた身体の平均コースから外れたものの 寄り道や回り道どころか 真っしぐらに天命を果さんと道付けられました
それでも2月3月の危険状態を切り抜け 丁度ひと月先の「生前葬 パフォーマンス」に向けて駆け上がり また清水さんからのご支持を受けて マイクのぶち撒けを社会に実らすチャンスを頂いて 少し濃いめの最期を迎えられるよう生きる目標ができたのです

まっしぐらに落ちていても 錯覚にでもそう思える内は 何の不安も無いはずと信じられます
それは マイクが後期高齢者になるまでにして来た「寄り道と 回り道の人生」に 充分心身共満たされているからです
これからひたすら末期高齢者に近づくマイクは 精神力だけで心満たされることでも生きる価値があると次第に思うようになれるような気がして来たのです

一寸 調子に乗り過ぎたかな?

人生は寄り道回り道

マイクさん

「余生の濃縮化」という言葉に触れて、ぼくは50年程前に亡くなった祖父さんのことを思い出しました。脱線するかもしれませんが、今日は祖父さんの話をしたいと思います。
ぼくの祖父さん、清水忠一は腕のいい京指物の職人でした。江戸時代の中頃から続く職人の家で、忠一の父徳次郎の時代、明治の中頃が最盛期だったそうです。代々の当主たちは名人と称されるほどの手業を誇る一方で、花街に馴染みの置屋や料理屋を持ち、放蕩を絵に描いたような遊びに現をぬかしていたとも聞きました。忠一祖父さんも例外では無かったようです。

祖母さんがよく嘆いていました。ひとりで集金に出かけると、その金を持ったまま遊びに出かけ、すっからかんになるまで家に帰ってこなかったと。そこで祖母さんは幼なかったぼくを伴わせて集金に行かせました。幼い子と一緒ならそのまま遊びには行かないだろうと。ところが何の祖父さんは、ぼくを連れたまま遊郭の座敷に上がってしまうこともしばしばでした。

酒を飲み上機嫌になった祖父さんはぼくを膝に抱き上げ、必ずうれしそうな顔でこう言ったのです。
「人生は寄り道回り道。道草食ってこそ生きる道や」
と。今振り返ると、この言葉は自分の行為を自己弁護するものだったのか、ほんとうにそんな人生を目指していたのか、そのあたりはよくわかりませんが、若い頃のぼくはこの言葉を生きていくための教訓として受け止めていました。何だかカッコいいなあと。

ズバリ言って、祖父さんの生活はとても濃かったのです。それがマイクさんの言う濃縮化に重なるのかどうかわかりませんが、その濃さはゆとりとか、余裕とか、遊びとか、そんなふうに言ったらいいかもしれません。祖父さんの暮らし方は、ぼくの父に家業を委ねてからも一向に変わる気配はありませんでした。亡くなるギリギリまで遊び歩き、寄り道回り道、道草を続けていました。

そんなぼくらの家が裕福だったかと言えば、決してそんなことはありませんでした。「普通」の家だったのです。裕福どころか、ぼくは同級生の家に遊びに行くたびに、我が家は貧乏だと思っていたのです。祖母さんの怒りをよそに祖父さんはそんな生活を続けていたし、父にしたって似たようなものでした。でも、世間のあちこちにそんな祖父さん、親父たちはいっぱいいたように思います。

さて、ここで「今」の話に目を向けたいと思います。
数日前、政府が事実上の年金制度の破綻を認めたというニュースが流れました。その瞬間、SNS上で若い世代から安楽死の認可に共感する声がひろがったと話題になりました。そんな時代に惨めな思いをして老後を生きるなら、いっそのこと死んだほうが楽だし、マシだということなのでしょうか。マイクさんが言うように、長寿化が進むことによって老後の希薄化が進み、余生の濃縮、これは豊かな老後ということになるでしょうか、そんなことはよほどの財力がないと不可能だということなのでしょう。
しかも生きているのも関わらず、健康寿命の後の生き様を「生活死」とよぶなんて……。

今の世の中、ぼくの祖父さんや親父のように、自分の好き勝手に、自分が面白いと思うような人生を生き続けることは不可能なのでしょうか。

マイクさん

ぼくはマイクさんが、ALSという深刻な病と向き合いながら、とても濃縮された豊かな人生を生きられるんじゃないかと期待しています。もしマイクさんにそれが可能なら、ALSほど重い病気を得た人に余生の濃縮化が可能なら、普通に生きる人にはもっと可能なんじゃないでしょうか。ぼくはマイクさんにそれを見せてほしいし、それを見せることが「倍ほどのお世話になる」マイクさんの「倍ほどのお返しになる」んじゃないかと思います。

ぼくも濃い余生、老後を送りたいと思いました。