「パタカラ」って結構いいもんです/ナースこそ修道の人

今日は 清水さんの生検が始まって 検査結果が出るまでのお気持ちを察するのですが マイクは下手な 要らぬ言葉が出ないかと思うだけで気遣いしてしまいます
祈りながらお待ちしますとだけでお許しください
誰もこんな時 と言うよりマイクは 占いや祈祷などは虚しく ただ運命に従う心でしか向き合えません
幸運や悲運も 何よりも何も変わらない日常すら これを運命だと(感謝する)しかないのです
京アニの あんな事件にも ただ同じような言葉(諦める)しか浮かばないようでは マイクの心の貧困を情けなく思います

今日は3週間の看護学生の実習の最後でした
ナイチンゲールにも負けない献身的な心の彼女に刺激されたことが マイクにとって大いにこれからを考えさせてくれました
彼女とは 昨日一昨日の論文?を書く切っ掛けとなった彼女のパートナーの本物の論文を通じて繋がり続けられそうにも思います
彼女からは 前回の実習生の(嚥下体操図)のように マイクの似顔絵と(嚥下の喉の様子を図解)したパネルに 留意事項を書いて渡されました
またまた皆んなに見せびらかす物が増えました
そんなことよりこれからの彼女が思いあって選んだこの道で 尽くされることを信じまた祈ります

マイクの症状は このブログのこの月の19日に載せました通りですが 飲み込みと喋りの悪化が深刻で 昨日は色々な食べ物(造影剤処理)を飲み込む様子を動画レントゲンで撮影しました
結果は多分27日です
今日の入浴では肺炎で喉仏から酸素補給するお爺さんをしっかり観察しました
低酸素でいいので 喋りの問題がない部位なのです
胃瘻や気管切開が愈々かと思っているマイクですが 医師にもう直ぐですかと聞くのは野暮と言うものらしい?です
それより 今日貰ったパネルにある「パタカラ」訓練に精を出そうと思います
口腔の機能を 飲み込みも発声も保持する基本的な発声訓練です
ゆっくり正しく発音すればいいのですが ALSだけはやりすぎが却って悪くすると言う難しさがあります
困ったものですが まだまだ新参者でいられる筈ですので 笑顔は当分続きます
入院も結構忙しい生活で 土日は自宅へ帰りながらも 吸引機に守られ 随分休んでいる断捨離に手が付けられないくらい あれこれと用事があって身体を使っています
これもALSにとってやり過ぎは良くないと リハビリ療法士からキツく言われています
でも勇気を出すまでもなく やれることをやっておきたいマイクです

生も死も自分自身のもの

マイクさん

雅子さん(マイクさんのご長女/主介護者の1人)と少々お話をしました。雅子さんは最近のマイクさんについて、こんなふうに話しておられました。

「この『往復書簡』、文章は未だに少々長いけど、以前のようにひどい理屈をこねたりもしなくなったし、ネガテイブな表現を借りるのではなく、言いたいことが本音として出るようになってきたと思います。丸裸になれてきたかなって感じかな。病院でも入浴時に研修生に身体を洗わせてあげるの楽しんだり……。言葉の端々にもそれが出てると思います。少しずつ父の中で起きているそういう変化に、気づいてあげられたらよいなぁって思います」

ぼくも同じようなことを強く感じていました。特に今回の、

色々あるにしても、諦めないこと 詰まり「生きる」ことこそ原点なのです
例え自死願望であった頃のマイクでも、「生きること」を真剣にメメント・モリした結果が今にあるのです

という一節に「生きる」宣言以前はあまり見られなかった、心情のストレートな発露に触れたような気がしました。その背景にあるのが「当事者としての気づき」ではないでしょうか。これは早川一光さんの「こんなはずじゃなかった」という言葉がすべてを物語っていると思います。
医療を提供する側としての立場から最善の在宅医療システムを構築したはずなのに、いざ自分が医療を受ける側の立場になると、あまりにも患者当事者の思いとかけ離れたシステムだったというものです。ぼくもそういうギャップに悩む療養者の姿を数多く見てきました。ほとんどの場合、患者本人のことよりも、医療を提供する側、介護する側が<しやすいように>考えられていると思いました。

「生も死も自分だけのものではない」

そんなふうに考えると、家族の負担にも、社会の負担にもならずに、最大公約数のような生と死を考えればいいのかもしれません。おそらく今の在宅医療システムや介護システムはそういう最大公約数の上に成り立っているのでしょう。そこにいちばん欠けるものは、早川先生がご自身で気づかれたように、当事者にならない限り見えてこないものではないでしょうか。それは当事者本人の生や死に対する思いと言っていいでしょう。

マイクさんは首尾一貫して仰っています。
自分の症状がどのように進行するのか、それにあわせて在宅になった場合の家族への介護の負担がどうなるのか。先行き不透明の中で、家族への負担をかけたくないというマイクさんが、胃ろう、呼吸器を拒否する以上に、自死への願望を強められたことはよくわかります。リハビリのための入院が予想以上に長い入院になり、退院・在宅療養を避けてこのまま病院にいたいという気持ちは、そういう先行き不透明な状況に家族を巻き込みたくないからという思いもよくわかります。
ぼくも実際、在宅での療養生活は家族の負担も含めて「こんなはずじゃなかった」という話を、患者本人からよく聴きましす。

マイクさん
病気慣れしている人などいないと思います。しかも難病患者で。
でも療養生活慣れというならなんとなくわからなくもありません。
で、その療養生活慣れとは何かというと、ほとんどの在宅療養患者場合わがままだと言われない、迷惑をかけない「よい療養者」となるために、自分の希望・要求を抑える、あるいは諦めることに慣れてしまうことだと思います。

社会の中で生きて死ぬとすれば、生も死も自分だけのものではないという言葉はとても説得力があるように思えますが、ぼくは、もしそうであっても、生も死もまず自分のものなのだというところからスタートすることが大切だと思いました。

生も死も、マイクさん自身のものであり、ぼく自身のものなのです。
「生きる」ことを原点とするなら、生も死もまず自分自身のものなのだと強く思いました。

今夜は導眠剤不要かも‼️

今日は マイクが恰も迫り来る重症患者であるかの様な何時もの戯言を遠慮して 今日の出来事だけをお話しようと思います

昨日までの世間通りの10連休明けで 入院中のこの病院も外来診療を再開しました
相当忙しそうで 何時もの入院患者の回診がありませんでした
明日の外出許可と 今週から始まる点滴のスケジュール確認をしたかったのです
18日と23日の外出許可も早めに言っておいた方が良いと思ってもいたのにです
ですから明日はダンス仲間とボランティア会議にどうしても出たいので 朝から無断外出をどうしてもします

リハビリ3種類と 風呂と朝晩の服薬だけで 多分明後日から再開する点滴は明日までないのです
それと 殆ど動きのなかった隣のベッドのパーキンソンの方の後に 新しく元気そうで忙しそうなご老人が入院された
病名はまだ分かりませんが 何度も入退院されている様で 看護師さんと慣れ親しくされています

こんなことよりご報告したいことがあります
今日から看護学校3年生の実習が始まり 50床のこの病棟に6人が回されて マイクがその一人と1クール2週間のお相手をすることになり 正直言って興奮しています
前の検査入院の時も依頼され 確定前の不安をを打ち明けたりした事を思い出します
マイクは結構こう言う生贄になってお役に立つのを率先してしたがるのです

当然 この3ヶ月の悩んだことや いまの余裕がどうしてかまで一挙に話ししてしまいました
その彼女は 同級生より10歳ほど上という
何故なら 同志社法学部を出て 法律事務所に勤めたのに クライアントと接触できることが少なく 看護師の方が自分に合っていると思い直したのだと言う
お姉さんが東京でダンスの仕事にしてたとのことも気になりました
彼氏と婚約していることも
これ以上は書きませんが何よりも美人で可愛い事を書かないと眠れません