死刑囚に安楽自死の支援を/執行人不要です

昨日に続き 去年の9月頃にマイクが「天命としてのALS」を予感していたことをマイクのブログで検証します
一方で安楽自死の施設の可能性に期待を掛けられない現実にくたばっていたのです

2018/9/17「死刑囚の自死支援から学ぶ」(最善の死とは)
https://sky.ap.teacup.com/jishi/839.html
i 大体たことは 死は成り行き任せや 他人任せでは 最善の人生の目的にはならないということです
詰まりまだまだ具体性が見えないのですが 自裁自決自死を前提とすると言うことです
最期を飾る 羨ましいような死に方が最善なのです
難しいとは諦めていません
終末期なら許されるような方法がある筈です
これを老人のこととして考えるだけではなく 死刑囚のこととして考えると実現の可能性が見えてくる
死刑執行を求める死刑囚には 自死を勧めるべきです
罪滅ぼしとして 彼らはやりたいことがある筈です
献体や 補陀落渡海ならずとも無帰還火星探査機に乗るとか それを支援するのです
彼らなら老人には思いつかない素直で高貴で最善なアイデアが生まれ それらの実践を知れば大いに参考にできるはずです
オウムの7人に罪滅ぼしをさせるべきだった
彼らならできたはずだ
何故させなかったのか

2018/9/24「次は安楽死疑似体験を」(最善の死とは)
https://sky.ap.teacup.com/jishi/845.html
「最善の死」を考えてからアッという間にこのブログの集約であるかのように書き込みました
マイクが言いたいことはこれ位のものでしかないのですが 言い尽くしたわけでもありません
思いは思いで これまで色々の方に話したことばかりで また殆んどが同感していただけるのですが 誰からも現実的でないことを指摘されます

安楽死センターの実現は マイクが先導を切って最善の自死をやって見せることで 共感者や批判者を増やすことでしかできないでしょう
そうは思ってもマイクにはまだまだ終末期がいつなのかを自覚できません
その時にならなければ実践できません
思いに共感する人たちを集うことで 設立運動を起こすことも理想です
かって東京に 安楽死党なる政党があって 立候補したことがあります
マイクにその様な力量があればと悔やみます

それより最近のマイクは すっかり老化が進み 体力ばかりではなく 気力も衰えてきて 終末期に自分から近付こうとし兼ねないほど弱気になっています
マイクのもう一つのブログ「腰痛日記」を「老化日記」に変えようかなと思っているくらいです
もう少ししたら マイク自身の終末期大接近を自覚し 終末期シミュレーションを疑似体験してみたいと思います
実現のためのプロセスを考える具体的なアイデアがいっぱい生まれそう

2018/9/30「赤ちゃんポストを見習って老人ポストを」(最善の死とは)
https://sky.ap.teacup.com/jishi/850.html
マイクがこのブログで 安楽自死センターの必要性を思い立ったのは 熊本の慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」赤ちゃんポストのご苦労を知ってからです
事情があり里親とてそう簡単に見つからないで 子殺しや子捨てをせざる負えない現実に 非難を受けながら開設した

死にかけの老人も 高齢社会には多くの貧困と無知で 社会を暗くさせるに間違いはありません
死から目をそらしてきた結果から その時になって迫りくる死を如何しょうもなく他人任せにしたっ結果 医療は客として利用し 家族も無責任に社会福祉財政を利用
昨日の夕刊には 慈恵病院がこれまで特別養子斡旋を民間仲介業者に紹介するまではやってきたが 4月施行の「養子縁組児童保護法」が 許可制になり 仲介業廃業するなどの受け入れ先が減ってくる可能性があり 自ら参入すると言う
元々ポストは相談受付や里親などの救済の入り口として生まれたと言っておられる

ひとりで考えたこともない死の恐怖を抱く老人に 自死を支援することの必要性はこれから益々社会に欠かせなくなる
その走りの入り口として 老人安楽自死センター設立の前に 「老人ポスト」と言わないにしても そのようなものが必要なのかもしれません

マイクが憧れる「エピクロスの園」
http://mike12.web.fc2.com/epicurus.htm
を 老人駆け込み寺として町家のどこかでスタートできたらと 夕刊を見て思いつきました

明日に続きます

点滴のお陰で 今日から3ヶ月目/天敵は許せない

暑かった5月とは言え 入院中のマイクにはあまり関係なかった
しかし窓の外の曇天の庭を見ていると 症状が進行しそうで滅入ります
それでも今日は久しぶりに 主治医回診があり 今日から3クール目の 平日10日2週間の点滴が始まり その効果?か進行がゆっくりなのではとのお言葉を頂いた
その話の流れに乗せて 4クール目はありですかとの質問にすうっと答えて頂いて 確約頂いた
それと 何度か話して頂いている 主治医の開発されたメコバラミン筋肉注射が来年から使えるようになるのを期待して欲しい由 今日も付け加えらました
このまま来年9月まで主治医のお世話になる?
いや スーパーALSまで⁉️

3クール終わりで 3ヶ月になりますが 休薬期間にうまく29日の「えんじょいデス」公演をやれるのもラッキーなのです
その公演のMBSテレビ取材に合わせて 14日にも入院風景を撮るについては主治医からOKを頂いているばかりか 当日は個室でとの配慮まで頂きました ラッキー‼️

さて 基本的にALSは在宅で 入院は1ヶ月 長くて3ヶ月を転々とするものだと理解していますのに 不思議なマイクです
それなのに 向かいのベッドの震えがきつくまた不規則なパーキンソンの方が3ヶ月になり退院されるのです
マイクに色々と教えて頂いた有難い方なのですが ご本人は覚悟されているように振る舞っていますが マイクにはとても在宅独り住まいは無理にしか思えません
そのことと思いますが数日前も陽気で繊細な彼が涙し 今日もそうだった
気の持ち方ぐらいしかお話しできませんでしたが 如何しようもなくて辛かった

昔 と言っても2年前のマイクのブログを転記で付け足して置きます

2017/7/14「新しいカテゴリーを」(他人の死をも考えねば)
このブログは 自分の死を考え初めてもう長年になり 自分のことだけでなく社会的に安楽死センターが必要な時代になると予感して発展させてきましたが 考えるだけではなく 実践を急がねばならないと焦ってきたこともあって カテゴリー「最期はセルフネグレクト」で 自死の具体的な状況作ろうとしたのでした

このブログでも度々紹介し 死に方の本を多く出し また京都で「自分の死を考える集い」を主催する中村仁一老人ホーム「同和園」附属診療所所長のことを 尊敬申し上げますが よく考えると 中村さんは 老人の個々の方の死についてを考えておられるだけで 社会的な問題として 安楽死センターなどの必要性については全く述べておられない
(この交換ブログ5/18に ALSのマイクに自然死してみて欲しいと言ったことを書きました許せない医師です)

マイクとしては 個人の死は個人の問題で 最期はセルフネグレクトすれば 他人に何の迷惑もかけないとかの死に方が出来るのですが 実際は 誰にでもそう出来る訳でもなく ヘルプも必要なのです
詰まり自分の死よりも 社会的に 他人の死に方にもっと関心と支援を必要とするのです
『他人の死を支援する』『他人の死を考える集い』などが大事なのではないか
そう思って 今日から カテゴリーを新しくしてみました

(天敵は 他人に 無責任に自然死を勧める 苦しもうと我関せずというのは 自死者を見て見ぬ振り 弱者支援救済放棄で 閻魔様に裁かれます)

老人は美しくセルフネグレクトを❓

2年前は ゴミ屋敷がテレビを賑わす
それを老人の自己否定とか自己放任とか言って嫌老社会を煽っていたのを思い出します
拡大自殺もトーンダウンしたかと思うや 高齢者事故で次々と叩かれ続けています
そこで思い出したように 2年前のセルフネグレクトを老人の死に方問題として見直します

2017.4.27「セルフネグレクトを放任するのではなく」(最期はセルフネグレクト)
このカテゴリーを「最期はセルフネグレクト」としたのは ごみ屋敷の原因を 病的扱いとするところから出来た異常症候群の一つの表れとしたことと マイクの思い願う終末期は同じであるべきではないかと直感したからです

小学館/デジタル大辞泉によると『セルフネグレクト』とは
成人が通常の生活を維持するために必要な行為を行う意欲・能力を喪失し、自己の健康・安全を損なうこと。必要な食事をとらず、医療を拒否し、不衛生な環境で生活を続け、家族や周囲から孤立し、孤独死に至る場合がある。防止するためには、地域社会による見守りなどの取り組みが必要とされる。自己放任。

とある
ところが 一般には ごみ屋敷に限定されているかのように使われていて 恰も汚れて汚いもののように思われているのが残念です
老人の生活能力が衰えるのは避けられず それでも象が死に場所に向かうように 美しい最期を迎えたいとの思いを大事にしているのかもと思います

ネグレクトを意識する→自己価値認識(自己否定)→セルフネグレクト(自己放任)→習慣化→症候群
次は 周囲から放任されると →ゴミなどに価値を認めて友人知人の様に安心する→ごみ屋敷

このような症候群状況になるのは避けれれない
それを避けるには マイクが必要と考える安楽自死センターの 一つの機能として セルフネグレクトサポートも大事だと思うこの頃です

2017/3/13「積極的なセルフネグレクトを」(最期はセルフネグレクト)
孤独死やゴミ屋敷の問題と「セルフ・ネグレクト(自己放任)」がとても密接な関係にあるとある
「ADHD(注意欠陥・多動性障害)」「アスペルガー症候群」など 発達障害や「セルフネグレクト(自己放任)」「統合失調症」「認知症」と言われる精神疾患の可能性もあるとか
指導・叱責しても無意味なばかりか 余計なプレッシャーを与えて逆効果の場合もあり 凶暴性があるとも

マイクが考えるセルフネグレクトは 性格の優しい人ほどなり易い 他人に迷惑を掛けたくなくて孤独によって解決しようとするケースを想定しています

このカテゴリの前は(死は他人事ではない)でした
死を自分のことであることを忘れてはいけないとの思いが 実際に家内の弟の死に接した最近のことで身に染みました
優しい一人身の彼の最期に 何の手伝いもできなかったことを悔やんでいますが メメント・モリの機会を深めたことを感謝するばかりでした

厭世や精神疾患でセルフネグレクトになるようなことではなく マイクは もっと積極的なセルフネグレクトを 安楽死と絡めて考えてみたいと思います

最近の精気が低下しているマイクには ボチボチになるかもしれませんが・・

( )は2019.6.6追記
(ボチボチなどと こんな生気のないことを書き込んでいますが 2年前にはまだ元気そのものだったマイクには こうなると言う予知能力があったとしか考えられません)
(2年前はゴミ屋敷問題がよく取り上げられていて 無責任な住人心理を世間はこう説明して批判するだけでした)
(自分自身を断捨離するべく死に逝く老人が そん風にワルになるべきではないことを思いながら 積極的に美しいセルフ断捨離をさせてあげるべきと2年前には思っていたのです)
マイクは(ALS確定前には)養子でもないのに家内から養子以下の扱いをされ 子供や孫からもネグレクトされているのを感じています
(ALSはそんなに悪い病ではないと前に書きましたが(このブログ2019.4.12) 個人的には 家族が激変して優しくなったというメリットもプラスするのです)
(或いはマイクのように老人性ALSになって→自己価値認識すると→セルフネグレクト→自死願望症候群)

(何を言おうとしているのか分かり難かったことをお詫びします
実は 自分を見失ったゴミ屋敷高齢者が 嫌老社会を煽るのでなく 彼等の最期を象のように美しく導いてあげる施設としたかったのです 安楽自死支援施設を)
(そしてまた付け足しますと 自己否定や如何でもいいなどと思わせないように 人生最期までに出来なかったことを バーチャルでもいいから叶えてあげたかったのです)

地獄に目覚めよ/妄想を叶えよう

お仕事を抱えての不安ごとですので どうかご無理なされませんように ひたすら祈ります

今週末から10日間の点滴が始まる筈なので 主治医に確認したいのですが 今日も回診がありません
向かいのベッドの陽気で繊細な患者さんが 初めて不安か不平で涙されたのが今日のマイクにはショックで思うところありますが テレビは昨日の続きを書けと言わんばかりなのでそうします

川崎拡大自殺と上級国民の愚息殺人が繋がるのは意外な様でも 根源は同じ自己中な気紛れにあるのです

中高年引き篭もりを 他人事として 知識人も政府も当然愚民もが放置(後で言いますが放置ではなく育ててきた)してきたのだから 61万もの分母になった今 気紛れと違わないこの類の爆発が そこそこの頻度で事件になるのは避けられません

比較として難病患者では分母が 指定難病受給者 総数 89万2445人(H30)に相当する
その中の 難病中の難病と言われ 神の気紛れの結果としか思えないALSの発症者数は 10万人当たり1.1~2.5人(2〜6とも)を2人として これを難病総数90万に当て嵌めると 分子は18人に相当する

ALS患者は気儘だというサイトもあるくらいなので 全患者がALS患者に見習って? 人権差別を不満に感じて 身勝手な叛乱を企てたら 毎年これくらいの数 18件の事件が叛乱分子として発生して当然?

地獄思想を幼児時代に身につけたなら 我儘にならないで弁えのある育ちをすると信ずるマイクです
戦後までの神仏のいた時代に生まれ育った高齢者の筈なのに 偶々バブルを作り上げた時代にいたと言うくらいで 傲慢さを身につけてしまい 自ら自己中無神論者になったばかりでなく 我が子孫まで自分ファーストで気紛れ気儘で生きられることを見習わせてしまった
天から頂いたバブル崩壊という天罰にも気付かず 懺悔どころか罪滅ぼしなどの意識を持つような かっての企業戦士には出あったことはない

80 50問題は来るべくして起こった
繰り返しますが バブル崩壊にすら罪の意識のない無責任高齢者が 今まだバブルを作ったという妄想を盾に 戦士でもなかった準公務員(ビジネスマンでもないだだの平サラリーマン)までもが 自分たちに権利があると 社会福祉を当然の様に要求する
こんな奴らを目覚まさせるには 拡大反逆を起こすことでしか救われないと考えるしかない⁉︎
しかも高齢者だけではなく 可哀想にもそのように真似してきた世代までを巻き込まないと?

実はマイクがこんな風に思うのは 所謂自爆テロを見る眼にも同じことを考えてしまうのです
テロしか考えられなくなった一神教原理主義弱者には 世界を覇権する強者に抑圧されても 簡単には叛逆できないのが普通です
それに慣れた無神自己中ファーストからの次々の制圧の驕りに 堪忍が限界を超えて爆発するのは同情されて当然なのです
しかしその同情も覇権者に忖度し批判側に回るばかりで 更に窮地に追い込まれるだけなのです

相当に危険なことを調子に乗って喋ってしまいましたが これはまだ無責任な妄想の範疇なのです
でも妄想だけではストレスが溜まるばかりです
どこかに発散し 何処かでぶつかり 次第に責任ある実践を目指したいものです
これこそ妄想の使命なのです

一寸話外れますが マイクの安楽自死受け入れ施設には こんな妄想を叶えられなかった終末期老人に バーチャルでも思い叶えさせる役目を機能させようとしています
最期の楽しみをサポートするスイスのライフサークルにもない考えです

安楽自死センターの世話になれたなら?

発症前から 高齢者の看取り場所としての事を考えていた次のブログを見直してみます

マイクのブログ 2018/11/5「安楽自死センターは短期受け入れ施設」(最善の死とは)
https://sky.ap.teacup.com/jishi/866.html
『ラジオ深夜便で ホスピス医が他人の世話にならない死に方は 却って遺族にとって寂しい結果を生むとして 介護の必要性を訴えていた
この前の釈迦の葬儀の書き込みで 迷惑をかけたくないとの思いから 最近は「死んだら散骨にしろ」とか「誰にも連絡せず質素にして欲しい」とか 生前に葬儀方法を指示することが流行っていると
そうではなく 役に立つ死に方もあるのではないかとも

迷惑を最小限にするのはいいとしても 役に立つ死に方はそう簡単には思いつかないし簡単に実現できない
それどころか何も考えていないと 迷惑どころか延命治療に2千万円以上も無駄遣いする羽目になる

厚労省は 医療費削減のために在宅死を推進するが そうできる恵まれた老人は1割でしかない
延命治療ばかりでなく 在宅治療ができない老人病院で長期入院する
貧乏人には 在宅より入院が安易ですが こう言う方にこそ安楽自死センターで 世の中に役立つ死に方を教えてもらい 短期に安上がりで しかももう死んでもいいと思えるくらいの楽しい体験をして 加えて献体などのお役に立って逝っていただくことをマイクは真剣に考えています

藤掛病院と大口病院で見られた姥捨て山まがいの老人病院こそ 安楽自死センターの構想を参考に 長期寝たきり専門ではなく 短期受け入れを前提に改革していってほしいものす』

京都に住むマイクは 祇園祭の頃に 呂律異常の自覚があったものの 総合病院で経過観察と言われて放置していたのですが まさかの難病の走りだとも思ってもいませんでした
そしてまた 12/5の再診で 怪しいとしれるまでは 相変わらず安楽自死センターの役割や機能を人ごとのように考えていたのです
家族の世話や医療・社会福利に最大限頼って逝くべきか
麻生の思惑に嵌まって 尊厳死や在宅死を選ぶかまでも まだ他人事だった筈なのです

それでもマイクは財政が保てず 47万人が彷徨うのを憂いて もっと相応しい安楽自死センターをと構想し続けてきたのです
このブログは ALS告知の3ヶ月前のことです
社会的にも 遺族にも最善のことと単純に信じ切っていました
まさかのまさか マイクにとって直ぐにでも最大の悩みになるとは思ってもいなかった頃のことです

妄想で・酔い痴れるしか・院内暮し

妄想は徹底的にやれるし やるべし
しかし実践はできるだけしかできないし そこまでで諦める?
否 諦めることはない 妄想が足りないと思え
その妄想は 現実の矛盾や悪を破壊するためです
その実践のためには 先ずそして必ず現実を把握し 矛盾や課題を発見するべし
それらを崩す為であり 真実を掴んだ上での 戦い方を妄想する為なのです
妄想だけで実現する幸運もありますし そのような社会であればありがたいのです
しかし妄想はできても 現実の社会が途轍もなく大きく頑固なときは 時を待つしかないかも知れません
が 決して諦めるのではなく 少なくとも祈る姿を人にアピールするぐらいのことをして 共感者を募り もし妄想のヒントを貰えるならば また膨らむ可能性があるのです
もし実力不足であっても 少なくとも時間掛けてでも祈り続けるのです
必ず祈りが妄想を後押しし 共感者が必ず現れると信ずるしかありません
それでも大方の妄想が例え萎んんでしまっても それは悲劇ではなく喜劇として人生そのものの使命感を養い 生きてきたことの幸福感を満たしてくれ筈です
貧しい者よ 来たれ! 心あれば妄想だけで 腹も満たされ 苦悩する頭も和らげられ 生まれたことに酔い痴れるのです

実はこれは 元々 安楽自死センターで 終末期の老人が 安楽自死すする前に 生前 世間体を考えてできなかったことを 安上がりでできるよう 妄想でいいからやった気持ちになれるような支援をする機能を持ちたいと考えてきたことに繋がります
47万人の一部でも 例えば1万人が 延命治療の2千万円を拒否すれば 2千億円を麻生に協力したことになりますから 厚労省からその一部500億頂いて完全自動自死装置装備したセンターを運営できるのです
楽しい妄想を味わうお手伝いには 一人500万も掛からないでしょう

韓国は去年2月の尊厳死法施行後4ヶ月で8500人が(何も楽しい思いをするどころか 苦しんだであろう)尊厳死を選んだのです
ここまで膨らんだ妄想が どうして日本で・・・

マイクの妄想を諦め掛けさせたALSでしたが これこそマイクへの天命と妄想が気付かせてくれたし またマイクの思いが届いて神様と仏様が現れたのです
まだまだ現実を見つめ 矛盾と戦う為に 妄想します
ご支援ありがたく思い 又まだまだお願いします

コストあってのプライスレス/安楽自死支援施設

マイクもそういう社会であって欲しいと思います

しかし 昨夜の最後を繰り返しますが「命に値段などつけられない、つけるべきではないと言う見解はずっとありました。それはつまるところ、実際はそうせざるをえないけれども、それを認めることはできないという意味です」と経済学者のルイーズ・ラッセルに言わしめた現実が 日本の途轍もない大勢の高齢者に迫ってくるのです

厚労省の今後の看取り場所(2006)がマイクの原点です

https://www.mhlw.go.jp/shingi/2009/06/dl/s0611-2b_0003.pdf

83%が65歳以上で 病床を減らし 在宅死を増やしたい厚労省・財務省でも そんな幸せな家族はほんの一握り
僅かな老人施設にも入れないその他47万人が彷徨う残酷さを見過ごしたくないのは 誰にしても当たり前のことですが 余りにもデカイ人数・割合と その殆どが 恵まれない老人であろうことを憂わざるを得ないのです

杉浦敏之 幻冬舎(2017/2/28)にある「死ねない老人」のために 看取りの施設を と考えてきたマイクです
高齢者ビジネスとして プライスレスでも儲かるまでの施設なのですが わずかな施設の赤ちゃんポストのような困難があって然るべきではないと思います

まず始めは 赤ちゃんポストのようで ホスピスのような小さな そういう会社であって欲しいのです

VSEDとか鎮静死より安楽死だけで!

多分 月末のお仕事でお忙しいことと存じます
何よりも生産性ある命に価値を感じてしまうマイクにいつもお叱りをいただくように マイクは現(に)役(役立つ)を終えたことの寂しさを感ずるのは自分だけのことでいいのですが 世間に世話になるばかりなのに 感謝も忘れた年寄り老人が贅沢しすぎと思えて腹立つのです
お忙しいことは羨ましいことです 現役を全うしてください 返信よりも

さてALSを自覚する前の マイクのブログを見返していたら「鎮静死」と言う言葉を改めて知った
そしてまた 当事者として 最期の答えは見つけないとならないのですとも 返信を見て思いました

マイクスタンディングのブログ 2018/9/27 「鎮静死が自殺幇助ではないのに」(最善の死)では

「今朝のラジオ深夜便【明日へのことば】で 「待ち受ける”死”に向けて」の映画監督 関口祐加さんが マイクをびっくりさせるお話をされた
最新作『毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル 最期に死ぬ時。』2018年7月
『毎日がアルツハイマー2』(2014)『毎日がアルツハイマー』(2012)
コメディ・ドキュメンタリー作品を心がける明るくて本音で生きる素敵な女性だ

安楽死が 医師任せのグレーな強制処置であることを疑問視し スイス(自死幇助クリニック院長エリカなど)の自死幇助を唱える
また強制安楽死ではなく 鎮静死であるべきとも
日本は自死幇助や安楽死は認められていませんが 人工的に眠らせたまま息を引き取る「ターミナル・セデーション」(鎮静死)は実際に行われています

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自然死できない人も!できる人でも!

流石の文学部の文筆家からの返信には いつも噛みしめるように熟読させられます
しかしマイクは微妙で複雑なことを受け取ることが苦手なので 只々感心するばかりですが 直感的に「生死の事など、どうでも良い人がいたら、その人は悟りを開いたと言えるだろう」との締めの言葉の中に 成るように成ると悟れない自分を見つけようとしました
でもまたも只々悟れないままと気付きました

マイクが学んだ物理は 複雑で曖昧な現象を できるだけシンプルに理解してしまうことに喜びを得ようとし それだけで何でも分かったように安堵する癖があります

山折哲雄が 死としては自然安楽死とモルヒネ安楽死があればいいと言い切ったりするのに痺れたりするのです
自然死と安楽死だけでいいことを容認されるシンプルな社会を理想としています

もう一つ気にしたのは「これは政治の問題ではなく、ぼくら自身の問題なのだと思います。」です
マイクは個人の死は 忘れていてもいいのですが それでは確実に当座になって 悩むことが殆どで 多くの人の社会問題として捉えなければなりません
安楽死を個人の問題として済ませられないのです

マイクに安楽死支援施設の必要性を考えさせた赤ちゃんポストについての マイクスタンディングのブログを転記させて下さい

“自然死できない人も!できる人でも!” の続きを読む

安楽死を医者任せではなく

昨日の「そこまで言って委員会」で 「医者には絶対書けない幸せな死に方」講談社 (2018/1/20)の著者 たくきよしみ をゲストで 病院で亡くなるには診療点数3ヶ月定額などによるたらい回しや また延命治療の高額高度化で拷問されての死が待っていると
尊厳死と自殺の違いとは 在宅死は安らかか などの並みの話でしたが 3月30日にも安楽死をテーマにしているほど社会的関心事になってきたことだけは確かです

マイクは法制化に反対する理由は 医者任せの方が稼ぎや責任に都合がいいからなのだと見抜いている積りです
少し前にここで 韓国では 去年の2月に尊厳死が法制化され 4ヶ月で8500人施行との紹介をしました
キリスト国家の方が安楽死とか受け入れやすいとも言われています

マイクは随分前から 終活的な個人の死に方よりも 社会問題として捉えるべき時代がくると考えて また尊厳死を医師まかせだけの対応をすべきではないと思い 安楽死支援施設の必要を説いてきました
しかしマイクの個人的な思いだけの虚しさに陥っているしかできませんでした

ところが昨日のテレビで「日本看取り士会」が紹介されていたことに 流石にと嬉しく思いました
看取りされる場所は2030年には47万人がどこにもなくなるとの厚労省予測から新しい施設がないと 看取り難民となり 自死するしかないのです
出来ることなら 個人問題としての たくきよしみさんレベルの指導士と啓蒙だけではなく マイクが願う看取りための安楽死支援施設まで展開されんことを願うばかりです

またこれらの論議で欠けていることが気になります
尊厳死するかしないかではなく その前に大事なことを忘れています
延命治療はするしないでなく どのレベルでしたらどのレベルに回復または生命維持できるかの前提がなければなりません
これが一番判断を難しくするのです
ギャンブルでもあるのですが ギャンブルでなくはっきりした病もあるのです