ケ・セラ・セラな気持ちには中々

「ありのままに 全力で」
清水さんの返信にある東福さんのこの言葉を見て 3月頃の悩めるマイクに知人友人から多く頂いた言葉を思い出します
「成るがままに」も 友人知人からの励ましの言葉として頂いたことを大変嬉しく思いました
だけど不遜にもこれをケ・セラ・セラぐらいにしか受け止められず 他力本願で あるがまま なるがまま と考えることで確かに気持ちが安らぐのですが 暫くするとどうにでもなれと思ってしまいそうなのです
確かに安らぐのですが それだけでなく何か物足りなさがあるのに気付くのです
それは間違いなくマイクには邪念や未練を振り切ることが難しいからなのです
しかも 「全力で」生き抜いたら尚更ケ・セラ・セラでいいのかと思ってしまいます

心身の衰えを過剰に感じてしまい易いマイクには 全力とは無理かも知れません
これまで マイクが安楽自死を勧めるのは 力衰えた終末期の老人しか対象にしていません
若者や身障者で自死を望む人にも必要なのではないかと そんな想いは心にないことはないのですが 倫理的な問題視はマイクの手に負えない事と決め込んで触れることを避けてきました

しかし今 30歳のMSA患者が隣のベッドいることは マイクを否応なく マイクが卑怯にも避けてきた若者・障害者にまで当て嵌めてもいいものか?
それを考え直さねばならないようになったのです
30歳とは言え殆ど寝たきりで終末期のように見える彼に 安楽自死を勧めることは無責任な不届き者でしかありません
そう思わせるのは家族(妹さん)の励ましの言葉を聞いたからです
当事者の彼の想いは全く聞けないのですが 家族は生き続けてくれることを願っているのです

マイクが他人事のような無責任を避けるには 彼に変わって考えることだと 昨日今日と悩んでいるうちに思い付きました
それも数日前から隣にベッドを並べているのです
考えざるを得ないのです
しかし本人から本人の意向を聞くにはかなり難しい病状なのです
パイプを幾つも付け 一日中イビキを掻いているだけです
それならマイクが彼に成り切って考えることしかありません
彼に自分のQOLを語れるだけの生命力を感じません
またマイクにも彼に代わってQOLの向上を考えられるように思えません
それでも 考えることにします

安楽自死の終末期老人のことは 誰でも賛同してくれるのです
しかも自分が認知症になったら 安楽死を望むと言います
しかし認知症の老人は終末期に自己判断できないかも知れず その程度ならと言うような基準も難しいと思われます
マイクが心身障害者のことを考えないのもそのことなのです

こんなことを考えていたここ数日ですが 何も進展せず 書き上げた文章も支離滅裂で 考え続けることができないことを改めて知っただけでした
投稿の価値がないのですが 悩んでいることを知っていただくために返信します

胃瘻の話しでの疲れか/卑怯では居られなくなった

10/11の後 書き込みが滞っていました
胃瘻の話が主治医から突然出た事が出たことの精神的な疲れかも知れません
実は 一月前から食べ辛くなっていることは自覚していて そろそろかと覚悟していたのですが 突然であるのはそれ程急ぐべき状態なのか 余裕のある事なのかハッキリ言われていないのです
今週の日曜日は瀬田の東光寺で恒例のアートフェスで またその翌々日10/22は 琵琶湖ホールでのパフォーマンスフェスにマイクが参加するのは問題ないのですが 11/17と大事な12/29には生前葬Vol2もあるのです
胃瘻するには2週ほど別の病院に入院する事になるのですが 医師には生前葬のことはまだ相談していません
ミキサー食のメニューは見ても意味ないくらいなので 直接胃に入れる抵抗は全くありません

書き込みが滞っていたもう一つは 例の甘えったれの騒がしい叔父さんの隣では眠れぬだろうと 10/10に看護師長が別の静かな患者の部屋に変えてくださったのです
所が 今日はその叔父さんをナースセンター近くに変えたと言うのでまた元のベッドに戻ったのです
そしたら隣には既に30歳の若者が入っていて それがもっと治療で大変な患者なのです
彼は小さい頃からのMSAで 胃瘻をしていて気管切開はしていないが殆ど喋れていないのです
多分向かいの93歳の胃瘻のお爺さんを勉強だと言って真剣に観察しているマイクのために もう一人の胃瘻の先輩を当てがって下さったのでしょうか?
しかし彼は殆どイビキで寝たままで 妹さんのお見舞いの間も寝たままに近かった
それでも妹さんとその友達に実に明かるく励まされていて マイクにまで頑張る様に励ましの拳タッチを貰った

マイクには甘えったれの叔父さんのお相手している面白さより 彼の様子を見ながら若者の患者とマイクのような年寄りの患者での生き続ける命の意味を考える機会を頂いたとの思いで すっかり疲れが吹っ飛んだのです
しかし明日からは 多分これまでとは違った見方ができる様になるかは自信ありませんが 刺激されたことは間違いありません

でもマイクには余りにも難しそうです
実はマイクは 安楽自死の考えを 終末期の老人に限定してきたのです
それを マイク自信の卑怯さと自覚してきたくらいです
47万人の死ねない老人のためだけに考えてきたことにしているのです
他の死にたい人 自殺願望者や 末期の病人や身障者については マイクの思考を超えると考えて避けてきたのです
それが 今日からです 間違ってでも考えるべき立場になったように思います
どうなる事でしょう

マイクの心身が予感していた/天命としてのALSと生前葬

マイクが総合病院で 精密検査し酒を控えればいいと言われたのは去年の7/18
12月初めに再検査したら大学病院で検査入院する事になり そこで告知されたのは今年の2/6
難病それもALSと覚悟したのは告知の2週間前だったから 昨年中の安楽自死構想はただの妄想だったのです
安楽自死の展開に行き詰まり そろそろ自分がやって見せるしかないと思い始めたのは去年の9月初旬なのです
安楽自死を社会的に容認されるべきだとのマイクの長年の思案も飽和状態で これ以上発展するか自信をなくしていた頃です
去年の夏過ぎての予感は 「マイクのブログ」を読み返してみて分かります

2018/9/12「最善の死を考えるべしと」(最善の死とは)
https://sky.ap.teacup.com/jishi/834.html
・・・それでも思考を止めたらいけないと思っていると思いついたのが 「最善の死」という言葉です
最善の生き方というものはありそうですが 最善あるいは最良の死という言葉をこれまでマイクは考えたことがありません
・・・社会的な受け入れには 自死が人生の結果を飾るイベントとして これしかない つまり最善の死に方だと証明する必要があります
人生の終結としての つまり人生の結果を 自然や医者など他人に任せるのではなく 自分で演出すべきではないかとまではいかないまでも 自分で死を宣言・実践し 自分で死んでゆくことぐらいはすべきだと思っているマイク
・・・それにしても最善の死とは何か 恥ずかしくないような死に方はあるのだろうか

2018/9/13「白幽巌居が待っている」(最善の死とは)
https://sky.ap.teacup.com/jishi/835.html
記事カテゴリーを「最善の死とは」にしたのは 生き方と同様に 死に方にも自己責任があって 美しい死生観を持ち続け 他人には迷惑をかけず生きてゆくべきと同じに 最期もそれを貫くべきだと思ったことからです

介護施設や老人病院に送り込まれた自分の家族が 相模原や岐阜などの施設で起こった事件で 亡くなるのが続いた
家族は当然嘆き 犯人を恨むが 姥捨て山に捨てておきながらの自分を責めない
家族は最善の処置として 施設に最期を委託した結果なのですが 本人にとって最善であったかどうかは無視されています
それはしょうがないのです
本人が家族や他人に最期の看取りを任せてしまったのです
本人が最善の方法など考えもつかないからです
それは日頃より考えていないからです
姥捨て山には自分から行くべきなのです
・・・最期の最善の死に方は 自分で考えておく自己責任があるのです
そう簡単ではないのですが それには先ず 最期は自死だとの覚悟が要ります
他人任せでは迷惑をかけることになります
・・・マイクは HP「私の自死道」
http://mike12.web.fc2.com/jishidou1.htm
にあるように 白幽巌居跡で 酒を飲んで自死することを夢見ているのですが 実現は容易ではない
それでも自分の人生の大集成として 恥ずかしくない死に方を 細やかでいいから演出したいものです
そんなに簡単ではないとは思いますが 考えるべき時期に来ているマイクです

2018/9/17「死刑囚の自死支援から学ぶ」(最善の死とは)
https://sky.ap.teacup.com/jishi/839.html
大体分かったことは 死は成り行き任せや 他人任せでは 最善の人生の目的にはならないということです
詰まりまだまだ具体性が見えないのですが 自裁自決自死を前提とすると言うことです
最期を飾る 羨ましいような死に方が最善なのです
・・・難しいとは諦めていません
終末期なら許されるような方法がある筈です
これを老人のこととして考えるだけではなく 死刑囚のこととして考えると実現の可能性が見えてくる
死刑執行を求める死刑囚には 自死を勧めるべきです
罪滅ぼしとして 彼らはやりたいことがある筈です
献体や 補陀落渡海ならずとも無帰還火星探査機に乗るとか それを支援するのです
彼らなら老人には思いつかない素直で高貴で最善なアイデアが生まれ それらの実践を知れば大いに参考にできるはずです
オウムの7人に罪滅ぼしをさせるべきだった
彼らならできたはずだ
何故させなかったのか

明日に続きます

在宅療養とは忙しい?/賞味期限切れ?

入院中の食事と違って 家族の食事はありがたい事に美味しい材料で沢山懸命にミキサー食を作ってくれるのですが どうしても いやそれと チビチビ飲み乍らなものだから 時間が掛かるのです
3食合わせると 他のことをする時間が相当少ないのです
何もしていないのに 随分忙しく感ずるのは その所為でしかないのになのです

冷蔵庫を覗くことなかったのに 何を食べたいかと聞かれるようになったのもあって たまに覗く
そこに賞味期限という記載を見て 余計なことを考えてしまいました

人間の消費期限とは平均寿命 賞味期限は健康寿命に相当しますかな?
しかし個々の人間は量産商品でないので表示義務はなく 個人管理・自己責任でもあります
製造年月日は個人情報保護風習に習って秘密主義も任意の様です
生産国生産地 ・材料材質・加工法・添加物を求められることも多々あります
人間にも旬がありそうですが人 夫々と言うことにしておかないとヤバイですね
それより期限切れの他人をどう見るかなどは 滅多に口にはできません
そもそも 消費も賞味も その期限を自己管理できる様なものではありませんで 生まれつき授かった運命と悟るべきものです
なに分布かは知りませんが運命と任せるには辛いくらい幅がありますし 期限の訪れ方も突然とであったり マイクの様にジワジワとであったり 何故なのか分からぬなりの天罰から天命であったりと それこそ運命と思うしかないのです

かって いや今もです 安楽自死をブログで真剣には考えていたのですが 死そのものは他人事として考えていたのでしょう 美人や偉人には 早めの自死を勧めたいなどと書いていました

2017/8/20「お勧め美人薄命・偉人短命」(他人の死をも考えねば)
https://sky.ap.teacup.com/applet/jishi/msgsearch?0str=%82%A0&skey=%88%CC%90l%92Z%96%BD&x=0&y=0&inside=1
「枯れ葉散る夕暮れは・・」を十八番とし 五輪真弓ファンのマイクの 今年一番のショックは 大阪公演の合間の4月26日に 関西テレビ「よーいドン!」に出演した時に見た彼女の顔!!
あの知的で個性的だった方だとは信じられないほどの・・・・無残としか言えない

8月13日の 特攻隊のドキュメント番組にでた八千草薫は 86歳とはいえ何を言おうとして出て来たのか ぼそぼそと何かを少し語るだけで 見るのではなかった

美人薄命と言う言葉は何のためにあるのか
美人や偉人には 早めの自死を勧めたい

2017/9/16「美人薄命を願う」も

https://sky.ap.teacup.com/jishi/788.html

こんなことを平気で書いていましたが 今のマイクは ALSを天命とし頂いた時から そして天命のお陰で あの頃の不遜を承知で恥知らずなことを平気で書いていたマイクとは違うのです?

マイクの人生観 /エンジョイエブリシング

今日は昨日の退院で少し疲れていそうでしたが早速「難病連」に顔を出しました
対応して頂いた方にマイクのALSピア構想を話しましたが 具体的支援を得られるかまでは納得いきませんでしたが ここしかないので指導を受けられ量まだまだ粘ってみます
もう一つの件も相談してきましたが 明日詳細を報告します

今晩は 拙い乍らもマイクの人生観を「マイクスタンディングのHP」で人生の締めくくりを意識して 随分昔に公開していますそのことを紹介してみます
開けっ広げにすることを「懺悔」の積りにしていて 現役の方なら実生活に差し支えて言い難いようなことこそをと敢えて話題にしてきました積りです

理想主義者のトルストイも晩年は日記で自分の醜さや妻の悪口まで公開し (世界の3大悪)妻と離婚しているのです
(と ラジオ深夜便「絶望名言集」で知って 丸で 自分のことだと悦に入っているマイクです)

マイクのHPはvista version以降では 画像表示がされなくなって面白くありませんが 暇な時に覗いてください
(wordとexcel の原文をメールでお送りできます)
http://mike12.web.fc2.com/top1.htm
(開き直りマイクのこの程度の人生の喜び)
私の仙人道
私の未練道
私の食道
私の性道
私の酒道
(そして究極のライフワーク)
私の自死道
楽しい死を求めて
死は老人の責務
心満たされて
終わりよければ全てよし
自死の勧め
(老人は弁えるべし)
私老人の秘密道
私老人の失敗道
老人のリスク道
諦める老人道
闘う老人道
私のバランス道
私の解脱道と辞世の句

秘密こそ 失敗こそ 病気でも 死をも人生道として楽しんでしまいたいとの思いです
老人を意識するとそれを話さずには死にきれなくなる 只そんな気持ちになるのです

しかし楽しめないものもあるけどもと 思い返すこともあります

痴呆 植物人間 苦痛取れぬ病 安楽死しかない状況
もっとありそうですが考えたくはありません

先に 抽象的なQuality of Death より マイクの掲げる死に甲斐の方が具体的で生き甲斐にも通ずるとお話ししました
そしてここまでは既に懺悔の積りで思考を巡らし済みです

しかし思考が止まってしまったことがあります
マイクが自死や安楽自死を勧めるのは 無駄に苦しむのを救いたいからです
楽しんでからなら死ねるのではないか
また死に甲斐も 生きてる内に死を納得して置きたいからです
マイクからそう言われて マイクに反論する方はいませんが 本気で納得して頂けてないような雰囲気を感じてしまうのです
何故か?

補陀落渡海や 即身仏のような入滅は 誰にでもできる訳ではありませんが 信心がそうさせることを理解できます
切腹や 特攻隊・自爆テロもそうせざるを得ない 或いは マインドコントロール?だとか理解してしまいます
同じようにマイクの持論を納得・理解てもらうには何が足りないのか
それは?

彼らは 死んだらいいことがあるのを信じられるからです
マイクの死に甲斐にしても 生きている内の満足でしかありません
死んでいいことがなければ勧められないのでしょうか
考えても考えても今のところその様ないいことは考え付きません
天国へ行けるとか 名誉が残る・恥を晒さないとかの様な利己的に 或いは利他的に遺族の為に 社会の為にも 死んでこそと

マイクらしい答えを探っているのですが 未だ気配すらありません

生きている内にしたいことは食欲 性欲 物欲よりもっと大事なことがあると信じて探してまいりました
それよりも人生体験?
復讐?
など色々ご意見をお聞きしました
高齢者マイクは 死ぬ前に世直しをしたいとの強い想いから 逆のステップで告白から考え始めたのです

告白・懺悔・罪滅ぼし・世直し = 生きている内の死に甲斐のステップ

そこで逆に 目的から発想すればいいのかも知れません
詰まり 死に甲斐となる世直しに確実になるなら死んでもいいのです
暗殺とか 個人的な復讐でもする価値を信じられるのなら

実はマイクには自爆テロ願望の様な危険思想があるのです
安楽自死センターの機能の一つ これがか叶ったらもう死んでもいい願望の一つにその類の願望を バーチャルででも叶えてあげたいと思っているのです

実は中村主水之介必殺仕掛け人とかが夢なのです
もっと誰にでも出来る 原発廃炉処理高齢者ボランティアなどのアイデアばかり思いつくのです
もっと夢のある本当に楽しい夢を早く見つけたいのです

何だか疲れの所為で か 酒がよく回っている様で 書いていることか 死んでからのいいこと探しで無くなっています
ここらで一休みします

死亡退院を夢見ていた?/有賀さつきに続け!

雨でハラハラさせられっ放しの今年の祇園祭も 昨日の山鉾巡行は見事に行われたようです
21日(日)は 生前葬をKDEの皆んなで 振り返りしますのに外泊して参加します
この日は選挙ですので 比例代表は「安楽会」を お願いします!

その安楽死に関して マイクはALSの告知を受けた今年の丁度1年前から 「有賀さつき」こそ安楽自死先駆者と崇めていたのです
哲学者でマイクを「私の自死道」http://mike12.web.fc2.com/jishidou1.htmに嵌り込ませた須原一秀の愛する「五輪書」を 有賀がバイブルとするところも そう信ずる根拠なのです
告知1年前と翌日の認定の日の マイクのブログを振り返ってみます

2018/2/6「有賀さつきが五輪の書をバイブルに」(死に方教えます)
https://sky.ap.teacup.com/applet/jishi/20180206/archive
この前にブログに書き込んだ 2018/1/24「西部邁が自裁死をとかを」では 保守論客の残念な 勿体ない自死を紹介した

昨日からテレビでは 有賀さつきの 52歳の早すぎる死を しかも急死を伝える
今日の今のテレビでは 自分の病名を家族にも伝えないよう医師に頼んでいたという
独立独行で生きてきた意志の強い彼女が自分の死で 誰にも迷惑をかけたくないと 秘かに身辺整理の準備を怠らなかったとも
彼女の生き方のバイブルは「五輪の書」だったと

52歳の死で 斯くも刺激的な死は前例を思いつかない
西部が逝く前に 彼女が先に逝っていたら 西部は立ち止まって考え直したかもしれない

知名人の死は 有意義でなければならない
そう思った

続いての翌日 2018/2/7「有賀さつきは自裁死を」(死に方教えます)
https://sky.ap.teacup.com/applet/jishi/20180207/archive
有賀さつきの死を 報道は 以外に淡々と済ませている
マイクには 自裁死を遂げた西部邁氏以上の自裁死だと直感して ここで取り上げました

乳癌だったとか カツラだったとか それこそ自殺だったのだと詮索する
だからと言って 死因を公表できない しない彼女ではないはずです

色々考えると 病院で自死したことになる
そんなことが日本でできたのだ
安楽死を 病院で

真実はわかりませんが 真実こそ日本のこれからを 有賀さつきが先駆者になってくれたのかもしれない
報道は もっとこのことをしっかり学び考え 日本のために考えて報道を進めてほしい

単なる自裁死ではなく 安樂死をも彼女は考えていたのではないか

流石のニュースキャスターだ
もっともっと 彼女から学んで欲しい

彼女は 死亡退院を夢見ていた?有賀さつきに続け!
1年半経ったブログを読み返してみて直ぐにそう思った!
持病の腰痛くらいで安楽自死を急ぐべくもないマイクの思考だけでは 日本での実現に限界のある安楽自死を そろそろ自分で仕掛けるしかないのだと悟り出した頃だったのです
それにしても有賀さつきもマイクも 同じく 自死が社会的に非難される風潮の中で 病院の中での死亡なら 世間の非難を避けられると考えたのです
それには病名を伏せることで(医師の理解か 警察への工夫がいるが)自死か又は 医師支援の鎮静死や安楽死で 院内「死亡退院」したものに違いありません

マイクは慢性腰痛ごときで自死すれば批判どころか馬鹿にされるだけのALSのステージでしたが 療養体制の不安だっただけなのに危機一髪にまで追い込まれたのです
そんな状況は余り理解されず そんなことでヘコタレルなと言われるくらいでした
それに比べ 安楽死を望んだであろう彼女の苦痛を見て 誰が幇助を拒否できるでしょう
拒否するそんな自己中・自己保身な人間は 友人・医師なら尚のこと生前に 閻魔様に裁かれるべきです

こんな気持ちは マイクのこれからに益々膨らむと思います
自死を幇助するような情け心のある人でしか 自死願望者は救えないし そんな方を閻魔様は罰する筈がない
閻魔様が裁くのは危機一髪の念慮者を見て見ぬ振りし それどころか責め立て非難するだけの情け心の微塵もない奴なのです
色々な場面で臭いものに蓋をし 我関せずの保身主義自己中ばかりの日本人を マイクは「情けない」と言い 非難をし続けているのです

(日本人を批判し 誹謗中傷する言葉は 「勿体ない・見っともない・情けない」だけで済むと信ずるマイクです)

77歳 既にやりたいことが見つからなかった

再入院2日目で リハビリ3種と風呂だけで何もせず体を休めることに専念しました
これはこれで成るように成るとの贅沢な命の過ごし方なのでしょうけれども こんなことにでもこれで良いのかと考えたくなるマイクです
こんなマイクが1年半前の77歳の元旦のブログに 既に気力が失せた老人になったことを告白しています

マイクのブログの2018/1/1「新年に 変態の我を見つけたし」(死に方教えます)にはこうあります
https://sky.ap.teacup.com/applet/jishi/20180101/archive
『明けましておめでとうございます
今年も皆さんには恙無きことと お喜び申し上げます

私マイクも 何とかやっています
とは言え最近の書き込みには ダンス公演が続いて 途絶えがちでしたこと 寄る歳を感ずるばかりです

マイクの年賀の言葉は毎年 HPの「私の年賀」に あります
是非マイクのボヤキをお読みください

今年は 昆虫もするなる 変態を 完全または不完全かも知れませんがしたいものです
マンネリな老人をこれ以上やってはおられないと思うばかりで ボランティアやアートやダンスから足を洗いたいと思いながらも 次の目安が付きません

正月の三が日の間にでも思いついたらと 年越えて布団の中で考え続けてきました
今 酒に浸りながら
終末期老人のあるべき姿を考えようの決意は ライフワークとして変わらないことだけしか思いつきません』

その年賀状は マイクのHPにあります(vistaバージョンで画像が表示されません)
http://mike12.web.fc2.com/nenga.htm
毎年ながら「皆様には謹みて新年を寿ぎます」と心より申し上げます しかしまた毎年目出度くあるべき賀状を 寿ぎとは言い難いボヤキ事で汚してばかりの私でしたこと 今年もお許しください
世界中に 安倍・習・金・プーチン・ドゥテルテ・トランプ等の自己中ウイルスが蔓延し この日本も政府・企業の不正や議員・芸人の不倫 自殺幇助殺人や国技の醜態など 愚民を麻痺させるに事欠かず アジア隣国と全く同じレベルなのです  こんなに劣化している社会に 目を瞑る位なら 日本死ね! かも
私事では 満77歳になり 加齢を日に日に感ずるのですが おやじダンスともう一つのKDEの仲間とは昨年も 3月はびわ湖ホールでのベルギーの公演に 4月にはデンマークのアーテイストのパフォーマンスに 5月には名古屋で 8月は大阪で 11月はバレエに 年末には初のソロ出演など 十回以上のステージを楽しみました
現役時代から 7年毎に仕事や生活に変化があり また退職後もボランティアからアート鑑賞へ そしてダンスへとたっぷり彷徨いましたので ここらで次の変身をと迷っています しかし未だ見つかりません 飽きっぽい私に是非お勧めの生き甲斐ヒントをお願いします
平成三十年 元旦   マイクスタンディングこと・・・・

したいことがなくなった老人マイクですが 遣らなければならないことはあるのだとの想いだけはあったのです
まだ生き甲斐を求めていましたが 「死に甲斐」もあることには気付いていなかったようです
序でにです
QOLは知っていたと思いますが マイクの今は QOD(quality of death)と言う言葉のある事を知っています
これまた序でに
QODは緩和ケアに限っていて 英国が「クリニカル・パス」なる積極的処置システムで優れているとか それに対し 長寿日本は延命を優先するとか
もうひとつ
マイクの「死に甲斐」は 単なるターミナルケアでないことは このブログの5/31にお話ししました(マイクのブログ2018.5.5にも)
また世間にいう安楽死も自死を幇助するターミナルケアでしかありませんが マイクの訴える安楽自死は 死に甲斐をサポートすることでより豊かな死を全うさせたいとするものです

再入院で回復させたい/自死の宗教性

昨夜は何書くともなく疲れた体について書いていると突然 自死について語り始めてしまいました
今夜は更に疲れているので 去年の9月10月のまだ元気な頃に自死こそ最善の死ではないかと気付き その宗教性についても考えていたので そのマイクのブログの転記で済ませます

「自死の宗教について」
マイクのブログ2018/9/29「自ら入滅すべしと信じて」(最善の死とは)

https://sky.ap.teacup.com/jishi/849.html

の後半に 自死の宗教性について考えています

『宗教的に 自死については 神から授かった命を捨てるのは馬鹿だとするイスラム教とか
キリスト教も何の根拠なく否定しているだけなのだそうです
仏教は釈迦がある意味では自殺と言われる所為か 自死には緩いのです
現に 僧侶の即身仏や補陀落渡海が崇められているのです
倫理的には肯定されていないように思えますが 何故かまではよく分かりません
しかし日本には武士道としての切腹や特攻隊や(自爆)テロの文化を誇りとし 美化もされているのです

聖職者・生贄・戦死者・お産で死んだ女性・首吊り自殺者は楽園直行という死を神聖化するマヤ文化や仏教を見習い 万人を待っている来世の楽園に自ら行くことを イスラム教やキリスト教も 宗教者なら否定できない筈です

安楽死が欧米で認められるのは韓国の尊厳死法制化と同じく キリスト教にあると言われていて 逆に仏教国日本では何故か罪悪視されています

自殺が刑法的犯罪ではないのは 人の生命は本人に一身専属的に帰属する保護法益なので 本人がどう処分しようと自由であるとの考えと 行為者死亡により処罰が不能であるので犯罪に規定していない と考えるからですが 自殺未遂者まで違法性がないのは刑法の逃げかもしれません
このことは安楽自死にとっての強い味方になるように直感します

自殺幇助は犯罪であり 西部邁の自裁死幇助も有罪となったのです
弱い者いじめと 見て見ぬ振りが日本の文化なのです
ややこしいのは 自殺を扇動する自殺教唆罪で マイクが勧める終末期安楽自死は 完全に自裁死幇助並みにNGなのでしょうか

こんなおかしな刑法の仏教国日本なのです
これら自死や安楽自死が 倫理や宗教の面から擁護されるようになることを信じて マイクは10年以上も最善の死を求めてきているのです』

しかし現実的には 自死に犯罪性が絡むことがあるため 刑事絡みになってしまうことでゴッチャになって犯罪視化されているのです

倫理的に 自死の自由が憲法11条を含めて保証されるとしても 人の死には役目があることを忘れてはいけない
人生の最期を恥ずかしく飾ってはなりません
残されたものの模範になる様に看取られなければならないのです
それが老人の責務でもあり 老人としてのプライドと言うものなのです

時に切羽詰まった現実に迫られて 日頃から死に縁遠い若者が悲惨な手段を選んでしまうのですが 老人にはそれを許してはなりません
長い人生に社会や家族に世話になり生きてきたことに感謝する心があれば 単に死を個人の自由に任していいものではありませんし 日頃よりそろそろとメメント・モリして自覚と準備と覚悟を決めなければなりません

この3週後にも専門家に教えられてまた考えている
2018/10/20「最善の自死はある」(最善の死とは)

https://sky.ap.teacup.com/jishi/860.html

『友人が毎日新聞の10月15日の記事を紹介してくれた
「いのち追う」京できょうを生きる物語㉘竜谷大文学部准教授野呂靖さん(39)
自殺は「悪」なのかを仏教はどう教えているか
僧侶から自死すれば地獄に落ちると言われた遺族が苦しんでいるのを知って研究をしたとある
その結果仏教では自殺という「死に方」そのものについて 善や悪 肯定や否定といった形では言及されていない と説明

しかし明治以降浄土信仰を厭世的で 藤村操投身自殺事件と絡め自殺容認と批判され 教徒が自殺を認めていないと反論したことが原点にあるとする
更に昭和には芥川龍之介の自殺で 仏典の肯定否定を議論されたことも今に続くとも

現実を踏まえて死にたいという感情を否定するのではなく あるものとして受け止め 苦悩をかかえながらも生きることができる社会 多様な生と死のあり方を認め合える社会を目指す時 死に方を議論せず 生と死の不離を説く仏教との接点を見いだすことができるのではないだろうか

この様に野呂さんは議論を超えて思いを語るとあった
しかし仏教徒なのか日本人なのか 死に方を議論せずには引っかかる』

野呂さんは議論を超えてと言うが マイクは議論して「最善の死に方」を探し出したいものです
あると信ずる それは自死しかと思うマイクですが 中々です・・・・この頃こんなに・・・

安楽自死がムラムラと

今夜は外泊から帰って 9時消灯暫く経って 今夜の書き込みをベッドに寝転んで いつもの様に テレビを見ながらしようとしました
まず民放を幾つかみて面白くなかったので最後にNHKに切り替えてビックリ
NHKスペシャル(6/2 21:00〜50オンデマンドあり)のタイトルは「彼女は安楽死を選んだ」でした

20分は過ぎていましたので二人の女性の病名は確かではなかったが 延命措置選択を比較する興味ある また優れた番組でした NHKサイトでは次の様でした

去年、一人の日本人女性が、スイスで安楽死を行った。女性は重い神経難病を患い、自分らしさを保ったまま亡くなりたいと願っていた。患者の死期を積極的に早める安楽死は日本では認められていない。そんな中で、民間の安楽死団体が、海外からも希望者を受け入れているスイスで安楽死することを希望する日本人が出始めている。この死を選んだ女性と、彼女の選択と向き合い続けた家族の姿は、私たちに何を問いかけるのか見つめる。

安楽死を選んだのは マイクの球麻痺や手足の症状よりは確実に軽く見えるし 表情は今のマイク並みに元気でしたし マイクのような自死願望の時期があったような感じではなかったが 語りでは強い自殺の危険があったと言うより ズットのようです
一人の反対する妹を残し 二人の姉を説得し てスイスのライフサークルの許可を得て向かう
小島ミナさん(52歳)は 手続きと診断の後認められ 2日間考えた後に実行されるまでの心理を丁寧にルポしている
家族の介助を避けたい思いと 強い自殺願望を持っていたが 最後に世話になってありがたさを知るが 姉はここで迷うことの意味を考えたりでした
点滴と栓を自分で押すところも 満足そうな表情で 最後に幸せだった 見守られてありがとうで亡くなる また警察の検死撮影も実写され あっという間だったがマイクは涙した
遺灰は安楽死認められない日本に持ち帰れないので川に

もう一人の鈴木道代さん(52歳)は 家族の負担を 人の力を借りてでも生きられると説得されて人工呼吸器延命を選択する
既に文字盤の会話もままならないでの選択の様子は小島さんとつい比較してしまうような対比で構成されていて 見るのが辛かったが マイクには涙が・・・
最後に鈴木さんは2時間の外出許可で桜を見て涙されたで終わった

マイクは 清水さんのことをと思って帰ってきたのですが 今夜はここまでに

追記;再放送のことや 世間の反応について このページのコメント欄に自分で載せていています

“安楽自死がムラムラと” の続きを読む

昨日のこと忘れて/マイクの在宅拒否の理由を

94歳で亡くなった「わらじ医者」早川一光さんを 京都市は誇りとして敬い親しむ
105歳で亡くなった日野原重明医師が日本の長寿化に貢献したと言われていますが 早川医師は地域医療のあり方について 現場実践で信頼を築かれたのです
昨日のことを忘れる為にもご紹介したく
https://myfavoritetopics.net/archives/1019
を一部転記して見ます

『そんな早川一光さんでしたが、2014年10月、90歳のときに腰の圧迫骨折により入院します。
そのときに血液がんである多発性骨髄腫であることを告げられます。
以後、堀川病院時代の同僚だった根津幸彦医師を主治医とし、自らが地域に根付かせた在宅医療を受けることになります。
しかし、いざ自分がそのサービスを享受する側になったとき、早川一光さんの口をついて出てきた言葉は「こんなはずじゃなかった」でした。
在宅医療を受ける生活は、自分が医師として患者を診ていたときからは想像がつかないくらい、居心地の悪いものに感じられていたようです。
在宅とはいえ、夜は一人きりになるのが寂しくて、携帯電話を手放せない。
家族や昔の同僚など、近しい人に毎日を世話をされるのがとても居心地が悪く、特に風呂に入れてもらうのが嫌なのだそうです。
かと言って自分一人で風呂に入ることもできない。
人の世話にはなりたくないが、世話されないと何もできない、自分自身がそんな患者の状態になってみてはじめて見えてきたことがたくさんありました。
そして、「自分はよかれと思って在宅医療を普及させてきたが、実は患者の気持ちを少しも理解していなかったのではないか」と思い至り、それが「こんなはずじゃなかった」という言葉になって現れたのでしょうね』

“昨日のこと忘れて/マイクの在宅拒否の理由を” の続きを読む