バカばっかり

6月29日 えんじょい・デスのフィナーレ 撮影:清水哲男

マイクさん

「尊厳死協会の詐欺紛い」には笑ってしまいました。
でもちょっと考えてしまいました。ぼくらを取り巻く環境の中で、そういうことってたくさんあるんじゃないかって。

中でもいちばんの詐欺紛いは、医療費総額制度ってやつじゃないですかね。疾病によって医療費がどれくらいかかるか患者にわかりやすくするために、ですって。でもこれ、患者個別の症状に合わせた医療をというんじゃなくて、医療費を抑える目的で導入された制度ですよね。ぼくの経験でいうと、患者は手首にバーコードを巻かれ、何かあるたびにスキャンされる。どれだけ医療費がかかっているかすぐにわかるように。で、決められた総額を超えることはできない。

ぼくの大腸がんの場合、手術から退院まで6日間でした。
なんだ、ぼくの病気はそんなもんなんだと軽く考えちゃいました。6日間で普通の生活に戻れて、すぐに社会復帰(笑)して、仕事にも戻れるんだと。甘かったです。入院6日間で、ぼくにかけられる医療費は上限に届くんですよね。知人の医者が教えてくれました。「6日で退院させられたと言ったほうがいいかもね」って。あとは自宅療養しなさいってことですよね。

ぼくは抗がん剤治療も在宅、通院でしましたから、退院後の方が大変でした。6日間というのは手術でできた傷が治るだけで、体力が回復して普通の生活に戻るというわけではないのです。それでも6日で退院させる。それ以上の医療費はかけられないということなんでしょうね。患者のためではないのですよ。ぼくらはいざという時のために、社会保険や国民健康保険で高い保険料を払っているのに……、って感じです。

マイクさんも、難病中の難病だと言われるALSの患者さんなのに、入院し続けたいのに入院できないのは、そんなことが背景にあるのかもしれませんね。在宅で療養するにも、今度は介護保険制度というおかしな制度が待っていますしね。これまた高い介護保険料を払っても、こちらが望む介護を受けられるわけではない。必要な介護はこの程度だからあとは自分でなんとかねって言われてんですよね。

でも、介護保険の発端は、家族の負担を減らして社会で介護の負担を共有するってことじゃなかったかと記憶しています。これもやっぱり財政の問題で、制限を加えようという方向に進んでいますね。「自助自立」っていうんですか。なんのための介護保険なんでしょうねえ。真面目にじっくり考えてみると、なんだかよくわからなくなってしまいますね。マイクさんの療養生活に対する不安も、こういうところから出てくるんでしょうね。お察しいたします。どうやらこういう制度を決める、国民の代表者であるはずの政治家たちが、「色々な場面で臭いものに蓋をし、我関せずの保身主義自己中ばかり」なのかもしれませんね。

ぼくが鹿児島でやっている「妄想ラジオ」的に言うと、バカばっかり、ということになります(笑)

徹底的に妄想を!

マイクさん

ぼくはどんなにコストがかかっても、助けたい命があり、救わなければならないのが社会だという論点に立っています。
そういう社会でありたいということですね。コストを否定しているわけではありません「命のコスト」から、どんな社会が望ましいか、どんな制度が望ましいかという議論になれば面白いかなあ。救いたい命のためのコストを社会全体でどう分担するか……。福祉の全体像みたいな話ですが。目指すべき社会のあり方も遠くに見えているような気がします。

でも、「救いたい命にかけるコスト」という表現は捉え方によっては違和感を感じる人もいるかもしれませんねえ。
たとえば「救いたい」と「救いたくない」の選択の話や、ぼくが思うように「命」に対して「コスト」という表現が適切かどうかというところですね。
たとえその先に社会や福祉の理想像があるあったとしても。

それに「救いたい命」の対極に「救いたくない命」「救う必要のない命」があるのかと指摘する人もいるでしょう。
その指摘に対しては、「たぶんぼくは、すべての人の命を救いたい!と思う」と答えたいと思います。
というか、生きたいと人が思うさま生きられない社会の矛盾をただしたい、と。

そうかと言って、死にたいという人を、簡単に死なせたくはないとも思います。
死にたいと思う理由、原因を見極めて、それを改善の方向に持っていけるような社会を目指せないのかということです。
「妄想ラジオ」では、そういう妄想を徹底的にしてみたいと思ってます。

救いとしての安楽死や尊厳死の判断も難しいですね。でもそこも妄想したいと思います。極論が出てくるかもしれませんが、極論を楽しみたいとも思います。思うに、誰もが言いたいことが言えない世の中なんじゃないかな。マイクさんみたいに言いたいこと言ってる人は珍しいと思います。だから極論で議論することも時にはいいかもって。
今流行りのプラグマティズムのような、現実にがんじがらめにされた議論は、結局何も生み出さないんじゃないかと思っています。
現実から離れた所の議論を自由に、活発にすることだけでも、なにがしかの意味があるのではないでしょうか。

愛の表現はストレートに

マイクさん

この「往復書簡」の映像化、ラジオ化を喜んでいただけてうれしいです。でもこれはまだぼくの地元鹿児島ローカルだけでの企画です。マイクさんの尊厳死、安楽死に関する主張をもっと広く伝えるには、関西や首都圏、あるいは様々なメディアが取り上げてくれることがいちばんだと思い動いています。マイクさんの地元、京都、関西での動きは仏様マヤさんの企画に合わせて動いてみたいと考えています。一つひとつの問題を解決し、壁を乗り越えて、乗り越えられない時は穴を掘ってでも前へ進みましょう。

ところで、生前葬をした人は長生きするって聞きましたよ(笑

ここでもう一つ別の見方でマイクの心情を白状しますと、ALSそのものの悲惨さではなくて、この病を抱えて家族たちにどれほどの負担や迷惑をかけるかでした。その先の見えない症状を想像するにつけ 少しでも早く逝った方が良いと考えました。

マイクさん

はじめてあった時から、ぼくにはマイクさんの家族への思い、わかりました。
ぼくは大勢の難病患者さんを見てきたし、お付き合いをしてきました。そのほとんどの人が言葉は違えども同じことを口にします。それは「家族の負担になりたくない」、あるいは「家族に迷惑をかけたくない」ということでした。そんな彼らが「気管切開をして呼吸器をつけるのは嫌だ。早く死にたい」と口にするのは当然の帰結だと言えます。そこには愛があるからです。愛があるから、自分の命を縮める決断ができるのだと思います。

確かに自分の予後がどんなふうになるのかわからない。まるで生き地獄だと、絶望感に苛まれ早い死を望むということもあるでしょうが、マイクさんの場合は、そうは言っていてもご家族への愛があると思いました。特に奧さんには、我が家の事情とことわりながらも、「家内を拘束したくないため在宅でない療養施設を望んだ」とおっしゃってます。これは、どう読んでもラブレターだな、と思ってしまいましたよ(笑 マイクさんにとっては、愛は家族のために、そうして家族そのものがマイクさんの希望なのだと思いました。

だけど、マイクさんの愛情表現は、少し屈折してるかなとも思っています(笑 もっと愛をストレートに表現したらどうかな。そんなふうにも思います。

的外れだったらごめんなさい。

マイクの生前葬が電波に?

最近 清水さんのご活躍で このブログをラジオやテレビで取り上げられそうだと教えて頂きました
凄いことになりそうだと知って 勿論喜んでいます
流石の行動力の文屋さんですね

嬉しいのですが マイクの文章力が恥ずかしくないかと気になりますし それ以上に これからどれだけ発声や飲み込みが衰えないか そうなるとまたもマイクの弱々しい気力がまたも落ち込んでしまうのです

加えてマイクが所属していたダンスカンパニーのリーダーマヤちゃんが 6月にマイクの生前葬として トークとダンスのパフォーマンスの集いをセットしてくれることにもなりました
共に嬉しい限りです

10年かけて考えてきた安楽死について 一人の妄想で終わるしかないかと寂しい気持ちになっていたマイクに お二人から 引き続いてのチャンスを用意していただいたのです
希望を頂いたこれらのためにも 喋れなくなったり落ち込んだりはしていられないのです