不遜に生きる

「かごしま酒場探訪」なる新企画をはじめました
マイクさん、鹿児島に来られませんか?
一緒に飲み歩きましょう

マイクさん

長く返信できずにすみません。ここしばらくのマイクさんの投稿を読んで、どんなふうに返信していいか、ちょっと悩んでいたんです。ひとつには雅子さんからマイクさんの様子を聞いて、嚥下障害がひどくなったり、言葉が出なくなったり、ああ、この間病院であった時よりもずいぶん症状も進行したんだなって、どう声をかけていいかわからないなって思ったこと。もうひとつは、

〈生きている価値や生き続ける価値まで定量化できるものならして見たいと思っているマイクですが、そんなこと考えるだけで不遜な人間だとは分かっているばかりに、妄想すらできません〉

という言葉に触れて、ぼくはぼく自身の〈人としての価値〉というものを考えてしまったのです。〈生きている価値や生き続ける価値〉と〈人としての価値〉はまったく違うなと思ったからです。〈人としての価値〉は死んでいなくなった後も残るんじゃないかと。じゃあ、ぼくはいったい何を残せるんだろうかと考え込んでしまいました。そんなことを考えるのはもっと不遜なのかもしれません。

たとえば40歳で安楽死ベルギーの車いすパラリンピック選手は、QOLと苦痛を考えた時〈QOL<苦痛〉という結論に立っただろうし、さらにはその間で可能な限り生きていくつかの生きた証を残せたと思ったんじゃないでしょうか。自分自身十分よくやった。よく生きたと。自分自身の〈人としての価値〉に納得したということなんでしょうね。他者からの評価ではなく、自身としての評価が明確になったとき、人は満足して死を選べるんだなって思いました。

ぼくはそこまでギリギリに生きているかと自問したとき、あまりにもちゃらんぽらん、いい加減な自分ばかりが目についちゃって自己嫌悪の泥沼にはまっちゃいました。で、マイクさんにも偉そうなことばかり言ってるなと。

でもひとつ思ったことは、何を思っても、何を言っても不遜になるなら、それでもいいかなって。あらためて、ぼくはこの往復書簡でマイクさんにいろんなことを教えてもらってるし、いろんなことを気づかせてもらってます。ここはとても大切な場所なんです。

誰にでも、これを失うと生きていけないという大切なものがあると思います。生き甲斐みたいなものかな。でもそれはそんなに簡単に見つかるものでもないなとも思います。ぼくは65年生きてきて、これがぼくの生き甲斐だと自信を持って言えるものはありません。でもマイクさんや、いろんな人との会話ややり取り、関係の中で、必ずそう言えるものを見つけ出したいと思っています。もちろん自分自身のために。

前立腺がんの治療は未だにはじまりません。年明け早々からの予定ですが、がんが見つかったのが6月。半年が経過することになります。ステージ2で見つかったがんが、その半年でどうなるのか不安がないと言えば嘘になります。でも医者が大丈夫だと言うので、それを信じてそれまでに自分にできることに全力を注ぎたいと思っています。12月には京都で写真展をやる予定でいます。並行して新刊の準備も進めています。さらに治療後の写真展の準備も進めています。臆病ながん患者ですが、忙しくすることで不安を蹴散らしたいと。

不遜ですが、マイクさんにお願いします。言葉が出なくなったら筆で、筆が持てなくなったら身振り手振りで、それもダメになったらあらゆる手段・テクノロジーを使って意思を表明してください。伝えることを諦めないでください。そのためにぼくに何ができるか、ぼくの仲間たちと何ができるか、話し合い試行錯誤を繰り返しています。

人からなんと言われようと、人がどう思おうと、ぼくはでかい顔をして不遜に生きていきます。自分の〈人としての価値〉を見つけるまでは。