プライドの守り方

マイクさん

昨日の書き込みで マイクが生き地獄になった自分を卑下するような人間であることを白状しました
しかも まだ生き地獄とはどんな状態をマイクが思い込んでいるかも分からず 唯なんとなく惨めな自分を想像するだけなのに

で、辛いというマイクさんの気持ち、よくわかるような気がします。自分が実際どんなふうになるのかわからないけど、どうやらそれは生き地獄のような状態らしい。そうなったら自分も惨めだし、家族の負担にもなるし、それならそうなる前に……。マイクさんの中では至極当然の帰結だと思います。

QOLを弱者や他人だけでなく、自分自身の元気な時と生き地獄になった時とで絶対値比較で捉えようとするのもうなずけます。ただし命をコストでとらえることについては以前同意しかねる旨の書き込みをしましたので、ここで再び書くことはやめておきます。

ぼくは、自分のことにかぎって言うなら、絶えず二項対立の間を揺れて生きていると言っても過言ではありません。

生:死
強:弱
若:老
動ける:動けない
健康:病気
惨め:立派
……

この延長が自分の外に出た時、他者に対する同情、見下し、シンパシー、アンティパシー、さらには区別、差別などという感情に繋がっていくのではないかと思っています。すべては自分の中の好まざる自分への見方の投影だと思っています。

マイクさんの同室の患者さんへの見方は、まさに

ちゃんとしたマイクさん:生き地獄のマイクさん

という二項対立がそのまま投影された結果だと思います。マイクさんが「生き地獄になった自分を卑下するような人間」だと吐露されている通りです。

マイクさん
これから先、マイクさんがどのような予後が待っているのか。マイクさん自身がどのような道をたどるのか、準備としての知識の蓄積、心算としてはっきりしたいというマイクさんの気持ちは痛いほどわかります。しかし他者の姿を見て想像することはひとつの手段ですが、マイクさん個別の状況をきちんと前提にしたマイクさんの道を、主治医の先生にちゃんと説明してもらう必要があると思います。

もちろんすでに、主治医の先生にはおたずねになっているでしょう。これはぼくの知人である医者の言葉ですが、「そういう予後の説明はしにくいもんだ。あくまでも一般的なコトしか説明できない」と。でもそれでは死に方の選択ができないじゃないか。それがぼくの感想です。ちゃんと生きて、自分が思い描くような死に方を選択するためには、どうしてもそれを知らなければならないし、知る権利があると思います。逆に医療側にはそれを説明する義務があるのではないでしょうか。

ある意味医療の現場に波風を立てるかもしれませんが、マイクさんの辛さを取り除くにはそれが大前提になると思います。ちょっとした闘いになるかもしれませんが、自分自身がこの先どうなっていくのかちゃんと知っておきたいというのは当然のこと。それを訴え続けましょうよ。それは生き死にの問題だけではなく、家族への介護負担をどう軽くするか、どのような終末医療が受けられるのか、そういう問題も含めてですね。そこには目下の医療制度や、介護制度、行政の対応なども含めての話になるかもしれません。

多分、プライドというのは、そうやって徹底的に闘ってこそ守られるものだと思います。

プライドは捨てられません

癌というギャンブル的病気と闘っておられるだけに また色々な状況を経験されておられれるだけあって 何時もいつもお教えいただくお言葉には毎回毎回目覚めさせられます
11条は 国民の生きる権利と国の義務を説いています
マイクは死ぬ権利ばかりを義務かのように思ってしまっていたのかも知れません
確かに生きる権利があるならば 生きるべき義務もあるのを気づかせていただきました

マイクのALSは 地道ですが計画的な逃病を許された地味な しかも確実性の高い病なのです
発症から暫くは人ために 家族のためにと断捨離に精を出し 迷惑や苦労を少なくしようと色々の手続きを済ましたりしましたし その余裕がありました
しかしこの先は確実に自分を惨めに思うようになり 家族にも負担になるのが確実な病です
それでも生きているだけで満足する家族もあるでしょうし でも多分私の意思を大事にしてくれるのがマイクの家族だと信じています

昨日の書き込みで マイクが生き地獄になった自分を卑下するような人間であることを白状しました
しかも まだ生き地獄とはどんな状態をマイクが思い込んでいるかも分からず 唯なんとなく惨めな自分を想像するだけなのに

また 自分自身を差別視すような人間だから マイクがそんな人間になるくらいならと自死を覚悟してしまうのも容易だったのです
このような弱者を見捨てるようなマイクが本当なのではと思い知ってしまうのです
こんなマイクに九重苦を天罰としてALSをもらったのかも知れません

マイクのこう言う性格はどこから来たのでしょう
弱者差別は 社会的には 文化や倫理観から生まれるにしても 個人の生まれ育ちにもよるのでしょう
黒人差別は白人のエリート意識
知識人もその傾向がないとは言えない
それと理系のマイクは なんでも価値観で比較しようとする
QOLを弱者や他人だけでなく 自分自身の元気な時と生き地獄になった時とで絶対値比較で捉えようとするのです

生きる価値を生産性と人件費で考え 命をコストで捉え 赤字の命を許さない
勿論そうならなうように対処策を実践するための捉え方としてはいいにしても 冷徹すぎて 人権無視と批判されるに決まっています
しかしそのようにするしかない時代が来るとカール・ベッカーも言っている
マイクまでこんなことを言っていると 誰にからも看取って貰えないに違いありません

街を歩いていてもお年寄りを見るにつけ何時もこんな見方をしてしまう
そうでなくとも この難病病棟にはいっぱいいるのです
隣のベッド方はまったく動かず反応もないのに 確かなのは家族のためにだけ生きておられる
ご本人に意思があるようには見えないのです
ご本人とご家族が選択されたと言うより 成るように任せただけの結果のように思えてしまうのです

今 週2回の風呂を済ませてきました
マイクは自分で洗えますが 洗ってもらう人ばかりです
隣のベッドの方はストレッチャーに乗せられたままのスチームバスでしたが その下肢は見るに耐えない細さでした
そう思ったマイクは 自分の右腕の下腕筋の細くなっている自分自身に気づいてしまい寂しくなる

この問題はマイクには辛い課題なのです

いま点滴中です
看護師に山田さんの点滴パックの写真を見せたら 「やめて下さいよ 私らには生活に関わりますよ」と大笑いされました

Re:成るように成るしかないと

マイクさん

こんにちは。
ぼくはあなたからのからのお便りが、日々長くなり深くなっていくことに、喜びを感じるとともに、問題の深刻さに打ちのめされるような気がしています。なんとかぼくも一緒に立ち向かおうと思うのですが、正直にお話しすると、もし自分がマイクさんの立場に置かれたらどんなにつらいだろうと、どんなに右往左往ジタバタするかと、立ちすくむ思いがします。

見るのも辛いのに ご本人の体の辛さを思うと心痛むのに それ以上にどんな気持ちでおられるのか 聞くまでもなく また聞いてもこちらが辛くなるばかりだと思う

その通りだと思います。だけどぼくは、これまで難病患者の方からたくさんお話を聞いてきました。そんなぼくにできることは、ただお話を聞かせていただいた方を強くぎゅっと抱きしめたいという思うことだけでした。ぼくはこの「抱きしめる思い」を大切にいろんな人に接してきたし、これからも接していこうと思っています。無力なぼくにできるのは、話を聞き、そうして心の中でぎゅっと抱きしめることくらいなのです。

件の教授が、どのような意味で「命のコスト」とおっしゃっているのか、ぼくにははかりかねるところがあります。それどころか、「生きる価値」をコストで測ることに少々違和感を抱かざるを得ません。「命のコスト」とは、生きるためにどれほどのお金が必要かということでしょうか。するとコストで測る「生きる価値」とは、どれだけお金をかけたかで決まるということなのでしょうか。ぼくにはよくわかりません。

東京で暮らす人と鹿児島の秘境といわれるトカラ列島のような離島で生きる人では、明らかに「命のコスト」は異なるはずです。でも、自分の居場所でそれぞれ必死で生きている人の「生きる価値」は比較すべきじゃないと思います。「生きる価値」を「人生の価値」と言い換えるとしたら、それぞれの場所で、それぞれの人が、自分の人生を生き切るかどうかで、「人生の価値」は決まるんじゃないかと思います。それも、人に評価されるのではなく、自分自身の評価として。

それでも今のマイクには 自分のQOLくらいは 考えるまでもなく ALSを自覚してからは毎日毎日減衰するしかないQOL体感しているのです。勿論 精神的にまで影響されることのないようなマイクでありたいのですが

ぼくのかつての友人で「死亡退院」の主人公・轟木敏秀さんは、デュシェンヌ型筋ジスで衰えゆく筋肉、動けなくなりつつある身体を自分でこう評しました。

「日々できることが少なくなっていく。でも、まだ何かできるはず。できることがあるはず」

と。そうして彼は亡くなるまで外の世界に向けて自身の思いを発信し続けました。そのためにITエンジニア、リハビリテーションの専門家、数多くのボランティア、友人を徹底的に振り回して自分の思いを遂げようとしましたし、それらの人々は喜んで振り回されていました。おそらくそれらの人々は、それぞれが「抱きしめる思い」を身体に充満させていたのだと思います。

マイクさん
どうぞわがままになってください。そんなに重い病を得てまで、善人でい続ける必要はないと思います。マイクさん自身の「生きる価値」を高めるために、どうぞわがままになってください。そうしてまず、ぼくを第一に振り回せるだけ振り回してみてください。

ラジカット、効果があるといいですね。ぼくも期待をしています。
それにマイクさんは、思ったよりも進行が遅いのではと聞きました。
これからゆっくり何をするか。そんなことを考える6週間になればいいなと思います。

成るように成るしかないと

今朝の朝食も 食堂でいただいてみました
60歳くらいの隣の方は手足を常時5センチほど震わせて 懸命に食べておられる
見るのも辛いのに ご本人の体の辛さを思うと心痛むのに それ以上にどんな気持ちでおられるのか 聞くまでもなく また聞いてもこちらが辛くなるばかりだと思う
QOLとは確かに他人と比較するものではありません

でも今のマイクには というより元々コストパフォマンス思考のマイクで 生きる価値をコストで測りたい思いがあるのです
京大こころの科学センターのカール ベッカー教授は 命のコストを考えるべき時代が来ると唱えていた時期があります
マイクもブログで真剣に考た時期がありますが 人権や差別と絡み 考えを止めるしかありませんでした

それでも今のマイクには 自分のQOLくらいは 考えるまでもなく ALSを自覚してからは毎日毎日減衰するしかないQOL体感しているのです
勿論 精神的にまで影響されることのないようなマイクでありたいのですが

リハビリ2週間の予定でしたが 今日から リルテック内服の他 ラジカット点滴を2週間することになりました
そのあと2週間休んでまた2週間点滴しますので 6週間入院が決まりました
凄いことになり気持ちの整理がつきません
4人に一人が進行を遅らすことを期待できるとかで マイクに必要かどうかと考えたくなるのですが あるがままに 成るように成ると思えるマイクになる修行の場として受け入れることに しました

Re:難病病棟は修行の場に

マイクさん

早速のお便りありがとうございます。
リハビリ、お疲れではないですか。ゆっくりぼちぼちいきましょうね。

全員車椅子でマイクより高齢の女性が多く介添えのいる方もおられる
ベッドにはもっとキツイ方がおられるでしょうし
入院前からそのことをマイクがどう捉えるか
心配でもあり辛さを予感していたのです

マイクさんがそう感じられるの、当然だと思います。
ご自分がこの先どのような道を歩んで行くのか、それは気になって当然のことだと思いますし、しかも医療側の人たちは、もちろん気を使ってのことですが具体的な道のりについて多くを語ってくれない場合が多いと思います。
では、マイクさんがいつも気にしておられる「私はどのように死に行くのか?」を探ろうと思えば、ご自身より重症の患者さんに学ぼうとされても当然のことではないでしょうか。
しかし、大切なことは、それは標準化できないということです。それぞれの患者さんに個別の症状、個別の状況があると思います。それぞれの患者さんは、過酷な闘病をそれぞれの状況の中で闘っておられるということではないでしょうか。

食べながら不遜にももとより関心があった相模原事件を思い出しました
マイクは自分をクオリティオブライフで見るばかりか
他人までそう見てしまう習性が抜けない
老人と若い人では見方考え方が違うことも分かっているのですが
現場にいて考えがどう揺れ動くか焦らずに修行のつもりで悩んで見ます

ぼくはこの一節を読んで、マイクさんがQOL=quality of lifeを生きる価値ととらえられているんじゃないかと思いました。
QOLは生きる価値ではなく、文字通り生活の質の問題だと思います。ぼくは、それを高めることがQOLの意味だと思っています。でも、その質が高いかどうかなんて人それぞれ感じ方が違うのではないでしょうか。そこは他者との比較ではなく、つまり他人を見るのではなく、自分自身の中に生きる意味、生きる価値を見いだすことが大切なのではないでしょうか。少なくともぼくはそう思って日々を生きています。

ぼくにとっての生きる意味、生きる価値については、またあらためてお話ししたいと思います。

僭越な物言いをお許しください。