最近書き込みが進んでいません
現役の清水さんと違い 年金暮らしでしかも入院生活7ヶ月と言う呑気な病院暮らしです
自由時間と静かな空間に恵まれ また入院当初からこの往復書簡には話題がいっぱいありました
それなのにここ数日 書き留めるほどの話題がなく 日中からベッドに寝そべってしまっています
ALSの病状を知って頂くだけでも普通の人には馴染みのない筈の病気ですから マイクの球麻痺症状の進行具合を報告すればいいのですが しかしながら ALSは日に日に悪くなるという訳でもなく 微妙な変化を説明しても面白くもないと思います
全く話題がない訳でもなく 隣のベッドの若者がいることチャンスに彼のことを考えてみようとしましたが それが逆にマイクの妄想のブレーキになったのです
これまでの病室にはパーキンソン病の方ばかりですが色々の症状や人生を抱えてきた人ばかりで お聞きするだけで勉強になり マイクと絡めて妄想するのに役に立ちました
ところが 今度の9/30再入院は全く同じ部屋へ戻ったのですが 隣のベッドは30歳の若者で殆ど会話もできずズッとイビキだけなのです
これまで若者の難病患者と話していないのでいいチャンスだと期待したのですが 全く喋ることなく近づけません
それでも折角だから 彼になった積もりで 年寄りの安楽死と違って若者のこととして考えてみようとこの2週間妄想してみたのです
元々 障害者や若者ことを考えないようにしてきたマイクですが それは倫理的な問題になると手に負えないと自覚していたからです
それでもこれがチャンスと夜な夜な考えようとしましたがとても無理だと分かり 分かっただけでなく疲れを覚えてしまいました
彼にはQOLとして何かありそうか?全く意思表示できていないのです
彼の身になってマイクが考えようとしても イエスが奇跡をもたらさない限りQOLらしき希望や生きている証になる現象を見つける可能性はありません
それでもいずれマイクが 彼の様になったら マイクならどうするかぐらいを考えようとしたのですが 結果がすぐ見えてしまうのです
その様な結論をここでは書き留めるなんて出来ません
生きている価値や生き続ける価値まで 定量化できるものならして見たいと思っているマイクですが そんなこと考えるだけで不遜な人間だとは分かっているばかりに 妄想すらできません
実は明日 マイクに命にコストを考える時代が来ると思わせた超本人 カール・ベッカー京大大学院特任教授の講演会を聴講するのです
このブログでも5/11他何度も取り上げています
石田梅岩先生開講290周年記念講演会で 「心学を未来に活かす」が演題です
彼は命のコストについてはかなり前から訳あって 話するのを避けているのです
マイクと同じく倫理的な難しさからだと思います
しかし命をコストだけで見ることはミクロな見方にしか参考にならないのですが 保険業界や裁判で使われているように必要でまた可能です
命の価値はコストよりプライスで表すもので プライスは主観的なものであり QOLと同じ様に 抽象的であり 扱いは難しいのです
またもこんな話をしてしまいました