お世話になって「生きてます」

「生きる宣言」の後 「世話になるならない」が続いたので 今夜で締めます

世話になるくらいなら
誰に
家族や社会からも
何を 何処まで 最後の最期とは
邪魔したくないから
家族の生活を?それだけで?

色々あるにしても 諦めないこと 詰まり「生きる」ことこそ原点なのです
例え自死願望であった頃のマイクでも 「生きること」を真剣にメメント・モリした結果が今にあるのです

マイクが安楽自死しか考えていなかった始めの頃からの思いを
「世話になる」で ブログ内検索すると次のように 8件あります(「世話に」では27件)

https://sky.ap.teacup.com/applet/jishi/msgsearch?0str=%82%A0&skey=%90%A2%98b%82%C9%82%C8%82%E9&x=59&y=12&inside=1

それを見返し見て 気になる中身を拾って見ます

2018/9/23 早めに別れて ひとり者になった方が 誰に遠慮することもなく最善の最期を迎えられる筈です

2015/2/16 終末期やそれに近い老人には トリアージタグを貰えない程の老人を延命処置することになる
余計なお世話になるでしょう

2014/5/23 生活死(健康寿命が尽きて)の後 生物死(臨終・寿命)までは 医療ビジネスに貢献する神様としてのお客様であり 皺寄せは他人様に降りかかるのです
麻生がさっさと死んで欲しいというのも尤もですが 安上がりに最後を楽しむのもアリなのです

2012/8/25 親族や国費でこれだけの世話になる価値がある命なのか如何かを考えることが如何してタブーなのか マイクには分かりません
生きている価値がなければ直ぐに死ぬべきとは思いませんが 考えるだけはすべきだと思います(認知症のコストデータも)

勿論 命の価値や人権についても難しいと理解しながらも考え続けようとしていました
しかし何時も何度も言ってますように麻生の言葉と 厚労省データで洗脳されていたことは事実です

麻生副総裁兼財務相は2013.1.22「終末期の高額医療費に関連し、「死にたいと思っても生きられる。政府の金で(高額医療を)やっていると思うと寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらうなど、いろいろと考えないと解決しない」と持論を展開した。」
2013.4.24「食いたいだけ食って、飲みたいだけ飲んで、糖尿病になって病院に入っているやつの医療費はおれたちが払っている。公平ではない。」とか本音を語った

延命や大往生も出来なくなる人が多くでる 2030年問題が頭から外れなかった頃です
https://www.mhlw.go.jp/shingi/2009/06/dl/s0611-2b_0003.pdf

安楽自死センターの世話になれたなら?

発症前から 高齢者の看取り場所としての事を考えていた次のブログを見直してみます

マイクのブログ 2018/11/5「安楽自死センターは短期受け入れ施設」(最善の死とは)
https://sky.ap.teacup.com/jishi/866.html
『ラジオ深夜便で ホスピス医が他人の世話にならない死に方は 却って遺族にとって寂しい結果を生むとして 介護の必要性を訴えていた
この前の釈迦の葬儀の書き込みで 迷惑をかけたくないとの思いから 最近は「死んだら散骨にしろ」とか「誰にも連絡せず質素にして欲しい」とか 生前に葬儀方法を指示することが流行っていると
そうではなく 役に立つ死に方もあるのではないかとも

迷惑を最小限にするのはいいとしても 役に立つ死に方はそう簡単には思いつかないし簡単に実現できない
それどころか何も考えていないと 迷惑どころか延命治療に2千万円以上も無駄遣いする羽目になる

厚労省は 医療費削減のために在宅死を推進するが そうできる恵まれた老人は1割でしかない
延命治療ばかりでなく 在宅治療ができない老人病院で長期入院する
貧乏人には 在宅より入院が安易ですが こう言う方にこそ安楽自死センターで 世の中に役立つ死に方を教えてもらい 短期に安上がりで しかももう死んでもいいと思えるくらいの楽しい体験をして 加えて献体などのお役に立って逝っていただくことをマイクは真剣に考えています

藤掛病院と大口病院で見られた姥捨て山まがいの老人病院こそ 安楽自死センターの構想を参考に 長期寝たきり専門ではなく 短期受け入れを前提に改革していってほしいものす』

京都に住むマイクは 祇園祭の頃に 呂律異常の自覚があったものの 総合病院で経過観察と言われて放置していたのですが まさかの難病の走りだとも思ってもいませんでした
そしてまた 12/5の再診で 怪しいとしれるまでは 相変わらず安楽自死センターの役割や機能を人ごとのように考えていたのです
家族の世話や医療・社会福利に最大限頼って逝くべきか
麻生の思惑に嵌まって 尊厳死や在宅死を選ぶかまでも まだ他人事だった筈なのです

それでもマイクは財政が保てず 47万人が彷徨うのを憂いて もっと相応しい安楽自死センターをと構想し続けてきたのです
このブログは ALS告知の3ヶ月前のことです
社会的にも 遺族にも最善のことと単純に信じ切っていました
まさかのまさか マイクにとって直ぐにでも最大の悩みになるとは思ってもいなかった頃のことです

妄想で・酔い痴れるしか・院内暮し

妄想は徹底的にやれるし やるべし
しかし実践はできるだけしかできないし そこまでで諦める?
否 諦めることはない 妄想が足りないと思え
その妄想は 現実の矛盾や悪を破壊するためです
その実践のためには 先ずそして必ず現実を把握し 矛盾や課題を発見するべし
それらを崩す為であり 真実を掴んだ上での 戦い方を妄想する為なのです
妄想だけで実現する幸運もありますし そのような社会であればありがたいのです
しかし妄想はできても 現実の社会が途轍もなく大きく頑固なときは 時を待つしかないかも知れません
が 決して諦めるのではなく 少なくとも祈る姿を人にアピールするぐらいのことをして 共感者を募り もし妄想のヒントを貰えるならば また膨らむ可能性があるのです
もし実力不足であっても 少なくとも時間掛けてでも祈り続けるのです
必ず祈りが妄想を後押しし 共感者が必ず現れると信ずるしかありません
それでも大方の妄想が例え萎んんでしまっても それは悲劇ではなく喜劇として人生そのものの使命感を養い 生きてきたことの幸福感を満たしてくれ筈です
貧しい者よ 来たれ! 心あれば妄想だけで 腹も満たされ 苦悩する頭も和らげられ 生まれたことに酔い痴れるのです

実はこれは 元々 安楽自死センターで 終末期の老人が 安楽自死すする前に 生前 世間体を考えてできなかったことを 安上がりでできるよう 妄想でいいからやった気持ちになれるような支援をする機能を持ちたいと考えてきたことに繋がります
47万人の一部でも 例えば1万人が 延命治療の2千万円を拒否すれば 2千億円を麻生に協力したことになりますから 厚労省からその一部500億頂いて完全自動自死装置装備したセンターを運営できるのです
楽しい妄想を味わうお手伝いには 一人500万も掛からないでしょう

韓国は去年2月の尊厳死法施行後4ヶ月で8500人が(何も楽しい思いをするどころか 苦しんだであろう)尊厳死を選んだのです
ここまで膨らんだ妄想が どうして日本で・・・

マイクの妄想を諦め掛けさせたALSでしたが これこそマイクへの天命と妄想が気付かせてくれたし またマイクの思いが届いて神様と仏様が現れたのです
まだまだ現実を見つめ 矛盾と戦う為に 妄想します
ご支援ありがたく思い 又まだまだお願いします

弱者が情けを社会に育む

ALSの自分のことを疫病神と思ってしまっていた頃の自分を恥ずかしく思うマイクです
一人何処かで篭ろうとまで思っていたマイクは 昔の自分がALSの自分を差別していることなのです
弱者差別を普段からしていない積りでも 実際にはその様な場面をあまり体験していないし考えていないからです
そのことに気付いたのは マイクの様な鈍感な人間と (酒の)神様 (金粉の)仏様の様な人がいる事実を知って 何故鈍感な人間と 敏感で情けある人に別れるかを考えてみたからです
結論から言うと 弱者と接する頻度にも関係するのではないかと思ったのです
勿論そんな情けというものは 人それぞれの人生体験で育まれるものですが 弱者の密度や接する頻度にも要因があると思い 障害者の人数を調べてみました

厚生労働省は9日、体や心などに障害がある人の数が約936万6千人との推計を公表した。日本の全人口に占める割合は約7・4%にも。
障害者への生活実態調査からの推計で、身体障害者は約436万人、知的障害者が約108万2千人、精神障害者が約392万4千人。
いずれも高齢者が増加傾向にあり、65歳以上の割合は身体障害者の74%、知的障害者が16%、精神障害者が38%だった。(佐藤啓介朝日デジタル2018/4/9)

障害者総数 936.6万人(人口の約7.4%) のうち在宅 886.0万人(94.6%) 施設入所 50.6万人( 5.4%)
年齢別には総数のうち65歳未満 48% 65歳以上 52%

難病患者についても

指定難病受給者 総数 89万2445人(H30)
内 ALSの総数は 9千636人 年齢別に観ると
0〜9歳 10〜19 20〜29 30〜39 40〜49 50〜59 60〜69 70〜74 75以上
0 2 18 113 549 1169 2924 1853 3008
確実に高齢者が多い
発症年齢は 65〜69歳をピークに50〜75歳に広がり 男は女の1.3倍(1.5~2ともある)
発症者数は 10万人当たり1.1~2.5人(2〜6とも)

ALSを障害とか他の難病と比較することにどんな意味があるのか 漠然としたことしか掴めていないのですが 取り敢えずデータを集めてみました

他の障害との比較で ALSはラッキーなのではと思いたがっているのかも知れません
生活行動不自由になるも苦痛少ないし 比較的病状進行分かりやすい
マイクはそう思って自分を慰めようと このブログの 「ALSは楽しめる筈なのです」2019.4.14 にしっかり書いている程です
ところが 事実は 障害者認定は足が不自由でないと駄目で 自分では完全な障害者と自覚する球麻痺先行のマイクには到底無理らしいと諦めさせられました
介護判定も然りなのです

数字を見て 日本人の7.4% 937万人の障害者がいて 家族がいる社会であれば 障害に目を瞑って生きられない人が 10%どころか20%以上はいるのだと知りました
マイクは 世間が弱者を疫病神と見るのが当たり前で 健全な友人知人を同じ様に見てしまい 遂には閉じ籠ろうと思ってしまったくらいでした
そこにマイクを救うまでに考えて頂いた神様仏様が現れて 希望や可能性を知ったのです
80%の自分が10%の いや80%なのに10%の気持ちの大事さを知る皆さんに救われたのです

毎年10万人に2人発症するALSが 1億人の日本に 1万人いるのは 平均5年生きているからですが この事は 100年の一生の間にALS を発病する確率が 百人に1人なのです
パーキンソン余命15年15万人
筋ジスも15年生きて 25千人
もっと確率が高いのです

身障者・難病者合わすと 1千万人を越えていて 10人に1人がそうなのです
先に考えた様に 家族だけでなく 親戚友人知人合わせて10人いれば 10人が10人 人誰でも 弱者を無視して生きられないのです

マイクの言語障害・嚥下障害に比べても 強く生きておられる多くの視覚・聴覚・聾唖障害者の事を思うと 恥ずかしくなるだけです
お互い支え合って生きている一人なのです

それでもマイクは その様な社会の成り立ちよりも 自分の死を考え また社会に於ける死ばかりを考えるだけでした
ALSを 死をかけてなすことができる病だとか粋がってみたり
元気なうちなら・・・
自死を許せる病?
安楽死なら!!
尊厳死ならOK

このことをも今思いついて 恥ずかしくなるばかりです
また昨日清水さんに障害者・難病者に関心を持たれた動機をお聞きしたのもそんな思いからです

安楽死・安楽自死を見直したい

本当は若くて元気なら生きたい この先に希望が見え愛が溢れているなら
そんな贅沢は云う積りありませんし そうでなくともこれまで死にたいなどと思ったことはありません
でも事実2万人かの人が自死し このままでは厚生省が2030年には死にたくても死ねない47万人が自死?するしかないと言うのです
個人や環境によって死にたいくらい辛い方がいるのです 増えるのです それも凄いことになるのです
天罰として自死願望者を経験したマイクには 天命として「死にたくないが死しか見えなくなっている人を救う」義務があるのです
そのために10年来 他人事として考えてきた安楽死を考え直して 自分を生贄にしてでも考え続けたいのです では 安楽死とはから

安楽死・安楽自死を見直したい

この往復書簡では 自死・尊厳死のことに限ってしかお話をしていませんでした
マイクの元々のブログ「マイクスタンディングのブログ」では 現実離れかも知れないと認識しながらも 安楽死だけを妄想のように考えてきました

安楽死が世間で注目を浴びるようになったことの大きな貢献者は「安楽死で死なせて下さい」文藝春秋 (2017/8/18)の橋田壽賀子に間違いない
多くの賛同もあるのは確実ですが批判も激しい

4月22日に「そこまで言って委員会」で取り上げられた批判を紹介しましたが もう一度上げておきます
⑴人の死に国家が関与すべきでない
⑵医療費削減や臓器移植の狙いに
⑶尊厳ある死とない死との線引きすべきではない
⑷死にそうな人に自己決定能力あるとは
⑸遺産を狙った犯罪
⑹気が変わったら
⑺認知症の人は
⑻死ぬ義務を義務化されるのでは(難病遺族会)
⑼障害者を死に追い込む

厚労省が2030年に看取られる場所なくて死ぬ人が47万人とする
病床が足りず 特養とかは一杯で だから在宅で死ねと言われても余裕ある家族があるはずもないのです
殆んどの人が橋田壽賀子のようにスイスへ行ける訳でもなく その他には自死しか考えられません
多分マイクの自死願望体験からして 家族や社会に迷惑をかけない自死をするには 殆どの人がそんな気力も体力もないはずです

その時点で安楽死や尊厳死が許されても 医者に任すだけでは追いつかないのです
赤ちゃんポストのような ホスピスのような専門施設として受け入れる体制がないと機能できないのです
安楽死支援施設は決して人を殺めるためではなく 赤ちゃんポストと同じくらい社会的に必要なのです

死にたくなっても 人は少しでも我慢できる限界まで施設があることで安心して生きることができます
支援施設がなければ 赤ちゃんを捨てるか殺すしかないし 自死願望者は迷惑構わずの自死しか思いつかないのです

勿論この自死は 誰にでも許されるものではなく 終末期老人だけをマイクは考えてきました
病人や障害者とか自死願望者などの弱者一般については考えを避けてきました
それは人権に絡み マイクの手に負えなかったから当面問題化する老人終末期だけに限るべく避けて済まそうとしたのです

でもはっきり言って 終末期に間違いないALSの老人マイクが自死願望者を体験したから 当の本人のことして必要だ(った)と言えるのだと思って 無責任でも 如何なることかは分かりませんが 安楽死について考え直して語りたいと思っています

尊厳死が去年2月に法制化された韓国では 4ヶ月で8500人が施行したという
公式には韓国が日本人の安楽死を受け入れる日を待つしかなくても 尊厳死が実際には日本でも容認されていることを考えれば 和民とか民間がヤクザ紛にやって貰いたいと昔から願っていました
そのようなことを思いつくだけを楽しんでいたマイクでしたが 実現不可能を感じて虚しくもありました
しかし今は そのような波が来ているような世相を感じます

もう一つ別の見方で考えたいことがあります
京北病院事件から20数年 これを振り返ることをマイクはこれまでしてこなかった
振り返るにはマイクが自分でするには限界がありますが 考えたいと思います
当時とは全く違う受け取り方ができるはずと思うからです

安楽死を医者任せではなく

昨日の「そこまで言って委員会」で 「医者には絶対書けない幸せな死に方」講談社 (2018/1/20)の著者 たくきよしみ をゲストで 病院で亡くなるには診療点数3ヶ月定額などによるたらい回しや また延命治療の高額高度化で拷問されての死が待っていると
尊厳死と自殺の違いとは 在宅死は安らかか などの並みの話でしたが 3月30日にも安楽死をテーマにしているほど社会的関心事になってきたことだけは確かです

マイクは法制化に反対する理由は 医者任せの方が稼ぎや責任に都合がいいからなのだと見抜いている積りです
少し前にここで 韓国では 去年の2月に尊厳死が法制化され 4ヶ月で8500人施行との紹介をしました
キリスト国家の方が安楽死とか受け入れやすいとも言われています

マイクは随分前から 終活的な個人の死に方よりも 社会問題として捉えるべき時代がくると考えて また尊厳死を医師まかせだけの対応をすべきではないと思い 安楽死支援施設の必要を説いてきました
しかしマイクの個人的な思いだけの虚しさに陥っているしかできませんでした

ところが昨日のテレビで「日本看取り士会」が紹介されていたことに 流石にと嬉しく思いました
看取りされる場所は2030年には47万人がどこにもなくなるとの厚労省予測から新しい施設がないと 看取り難民となり 自死するしかないのです
出来ることなら 個人問題としての たくきよしみさんレベルの指導士と啓蒙だけではなく マイクが願う看取りための安楽死支援施設まで展開されんことを願うばかりです

またこれらの論議で欠けていることが気になります
尊厳死するかしないかではなく その前に大事なことを忘れています
延命治療はするしないでなく どのレベルでしたらどのレベルに回復または生命維持できるかの前提がなければなりません
これが一番判断を難しくするのです
ギャンブルでもあるのですが ギャンブルでなくはっきりした病もあるのです