自分に何ができるかを考えること

マイクさん

なんの盛り上がりもない低調な選挙でしたね。ぼくらのいる場所から、ずっと離れたところでの権力争いみたいな。本来政治というものは、暮らしと表裏一体になっていなければならないと、ぼくは思っています。台所に立ったとき、ガス、電気、水道などといった公共料金だけではなく、大根1本の値段、キャベツ1個の値段、牛乳、バターの値段などで、今の政治状況が読み取れるかどうかが大きな問題だろうと。そういう目で見ると、TPPとかEPAなどというわかりにくいことも、ずいぶんわかりやすくなるはずです。でもこの頃の政治は、そういうところに目を向けていろんなことを考えようにも、すでに答えありきで何を言っても無駄なような気さえするのです。

そうは言うものの、砂を嚙むような思いを抱えながら投票には行ってきました。自ら社会参加を放棄するつもりはありませんから。

しかし、京都というか大都市の状況はある意味羨ましいなと思いました。
鹿児島のような「田舎」になると、残念ながら経済に対する問題意識が突出します。地域経済にとって、中央と太いパイプを持っていちばん働いてくれるのは誰かということです。経済の多くの部分を公共投資、補助金、助成金から切り離して考えることができません。街頭インタビューなどで、福祉の問題、年金の問題などを最重要課題に挙げる人は少なくありません、しかし、最終的には地域の活性化、経済の活性化というところに集中していくのです。

言葉を換えると「利権」ということになるでしょうか。つまり自分の利害に合わせて誰がいちばん利益をもたらしてくれるかが最大の興味なのです。そしてそれが候補者を選ぶ場合の最大の判断基準になるようです。政治の多様性、革新性はもちろん、政治の細部が自分の暮らしとどのように結びついているかなど、まったく関係ない、知ったことではないのです。れいわ新撰組をポピュリズムだというメディアや人が多くいるようですが、あれだけ情熱を持って政治理念を語れる政党、人は近年いなかったのじゃないかな。安楽会も同じような気分で見ていました。残念ながら投票することはありませんでしたが、大きく期待をさせてくれる政治勢力だと思いました。多くの政党の候補者が、議員という身分を求めて右往左往しているのに比べるとずいぶん気持ちいいなと。N国党はちょっと……。

鹿児島の話に戻ります。
じゃあ鹿児島の福祉は最低なのかというと、決してそんなことはありません。革新性の強い京都や大都市に比べると、保守王国の鹿児島は福祉の分野が遅れているんじゃないかとは、大都市に住む友人からよく聞かれることです。くり返します、決してそんなことはありません。

その背景には、政治の力よりも、行政の力よりも、政治、行政を動かそうという市民県民の力があるのだとぼくは思っています。例えばALS協会や患者会、家族会を見てもそうなのです。もちろん個々の患者さん、家族、関係者の頑張りに支えられてですが、行政の制度、施策で不備なところをうまくカバーしていると言っていいでしょう。

鹿児島のALS患者会・日本ALS協会鹿児島県支部では、もしALSだと診断されたらどうするか……。療養生活にとって必要なことは何か……。福祉用具、コミュニケーションツール、呼吸器などはどうしたらいいのか。療養生活の不安はどのように解決したらいいのかなど、難病であるからこそ、不安だからこそのきめ細やかな対応とサポートを目指しています。
さらに、そういった難病関連の患者会が結集して、かごしま難病支援ネットワークを設立し支援活動に力を入れています。

ある会員さんに話を聞いたことがあります。その人はこう言いました。
「政治の状況、制度の不備に一喜一憂するよりも、自分に何ができるかを考えること。そこから政治を変えようという意思が出てくるのではないでしょうか」
政治で大切なことは、政治に対して何かを求めるということよりも、政治を変えたいのならそのように動くことだと、ぼくは思いました。