ありのままに、全力で

東福光治さん

マイクさん

〈彼の様子を見ながら若者の患者とマイクのような年寄りの患者での生き続ける命の意味を考える機会を頂いたとの思いで〉の一節、ぼくもある人たちの生き様に触れて、同じようなことを考えていました。その前に〈豊かでもない人達が死を大げさに考える余裕がどこから生まれるのか〉の行でもちょっと考え込んでしまいました。とても素朴な疑問なのです。

死を大げさに考える余裕があるなら、なんで生をもっと大げさに考えないのだろうか、と。生きることを徹底的に考えた上で死を考えているのだろうか、と。

ぼくには重い障害と向き合いながら生きる友人が何人かいます。彼らの生き様をみながら思うのです。ぼくはちゃんと生きているだろうかと。そういう思いを持たせてくれる何人かの友人を、これから少しずつ紹介したいと思います。

東福光治さん(65歳)は重い脳性麻痺と向き合って生きてきました。自分の意思で動かすことができるのは左右の足だけです。が、立って歩くことはできません。車椅子を離れると座っていることすらできないのです。構音障害のために言葉を発することもできませんし、嚥下障害もあり普通の食事もままなりません。

彼は電動車いすのスティックを左足で操り自力で移動をし、音声発生器付きワープロのキーボードを足の指で入力し意思を伝えます。もっとも簡単なイエス・ノーの表明は、右足を高く上げるとイエス、上げなければノーと、そうやって65年を生きてきました。

いくつか、いやかなりの不自由を抱えながらも、ぼくとまったく同じ時間を生きてきたのです。ぼくとまったく同じ、酒が好きで、少々エッチで、冗談の好きなおじさんなのです。でも彼がぼくと違うところは、彼がれっきとした画家であるということです。これまでに鹿児島県県美展に何度も入選、入賞した経験を持ち、多くの尊敬を集める芸術家なのです。

彼がどのようにして絵を描くのかというと、自由のきく足に下駄を履き、特別な器具をつけてそこに絵筆をつけて絵を描くのです。はじめて県美展に入賞した時、審査にあたった審査員はその絵を純粋に評価しました。それどころか彼が重度の障害を持っていることなど知らされてはいなかったのです。後に審査にあたったは「東福さんの絵には生きる力と生きる喜びがあふれていると、誰もが感じたと思います。テクニックやうまさじゃない、ありのままの描きたいという思いが素直に表現されているんですよ」と話してくれました。

ぼくも彼の絵に秘められた力に惹きつけられたひとりです。鹿児島の出版社から出した本の表紙に彼の絵を使わせてもらい、何点かの挿画を描いてもらいました。その作業の合間に彼と話し合ったことは、今も忘れることができません。ぼくがつまらないことを聞いてしまったのです。

「もしあなたに障害がなかったら。あなたはどんな画家になっていただろうか……」
「障害があるなしは、絵を描くことに関係はない」
「関係ない?」
「障害があるから絵を描いているのではない。描きたいから描いている」
「でももっとすごい絵が描けたんじゃないか?」
「すごい絵ってなんだ」
そこでぼくは言葉に詰まってしまいました。
「重い障害があろうがなかろうが、自分の思いをありのままに表現することができるかどうか。それが問題なんだ。俺はありのままに生きて、ありのままに描きたい」

ありのまま……。ぼくはこの言葉に強い衝撃を受けました。ぼくはその頃、いえ、今だって、思い切り虚勢を張って、実際以上に自分を大きく見せようと必死になっているのです。ぼくのありのままって一体なんなんだろうって考え込んでしまいました。ぼくが黙り込んでいると、彼は言葉を継ぎました。

「俺だって、こんな身体じゃなかったらって、こんな障害がなかったらって、思わないことはない。でもそんなこと思ったって仕方のないことなんだよ。でもこれは諦めじゃないよ。今の自分の力を全部使って、全力で絵を描くってことなんだ。それしかできないんだよ」
ありのままは、全力で生きること。ぼくにそれができているだろうか……。答えはノーでした。

「でもな、全力を出したって、人の手を煩わせないと絵は描けないんだ」
イーゼルを立ててキャンバスを掛け、絵筆をつけ、絵の具を出し、筆を洗う……。そんないろんなことを誰かに手伝ってもらわないと、彼は絵が描けないのです。
「だから、全力で絵を描くんだ。手伝ってくれた人たちに報いるためにも」
ここでも彼は教えてくれました。ありのままは決してひとりで生きることじゃないって。それに、人は決してひとりで生きてはいけないと。

障害があろうがなかろうが、人は多かれ少なかれ人の力を借りて生きている、多くの期待があり、支援があり、その期待を超えた結果を産もうと全力をふり絞る。頑張るっていう言葉はあんまり好きではありませんが、自分自身をありのままに表現することなら、なんとなくできそうかな。彼と話していて、肩の力がすうっと抜けていくのを感じていました。

マイクさん

〈金額的に国の厄介に相当なっています〉

ぼくは国や人に厄介にならずに生きている人などいないと思います。東福光治さんの言葉を借りれば、たとえ厄介になってもありのまま、全力で生きればいいんじゃないかと思います。ぼくは彼のようにありのままに生きたいと強く思っています。