最期は在宅より施設で罪滅ぼしや世直しとかを味わってから

8日9日に続く今日の続きを終えてから 清水さんへの返信をします

去年の今頃は 呂律が少し気になる程度で 医師からは1日6合のお酒を控えるよう指示されただけでした
去年の9/12以後のブログでは 天命を予感するような書き込みが続きました
また安楽自死支援施設が必要なマイクの事情まで予感していました

2018/11/3「最期に役に立つのは最善の死」(最善の死とは)
https://sky.ap.teacup.com/jishi/865.html
2日の新聞に 佐々木閑(しずか)花園大インド仏教学教授が「現代のことば」の欄に 釈迦が自分が死んだらこの世で一番豪華に火葬し 残った灰を信者に与え 立派な墓で供養させよ」と言ったとある
釈迦の時代のインドは「業」の世界に生きており 「立派な人に供養すれば何倍もの果報が戻る」と考えていた
悟りを開いた釈迦がなくなると「涅槃」に入り完全消滅するので それでも供養を続けられるような葬儀の仕方を指示したのだという
つまり豪華な葬儀と立派な墓での供養は釈迦の信者への慈悲だという

迷惑をかけたくない死に方を望むのが最近の終活の流行りですが 筆者はもっと役に立つ死に方を考えてはどうかと また「自分の死が他人の人生に恩恵を与え 道しるべとなるなら それこそ立派な死に甲斐というものだ」「人の役に立つ死に方とはなにか」と結んでいる
流石だ その通り と感服する

マイクは 終末期の老人に 必殺仕掛人になることをお勧めする
元気な内は 世間体や家族のことを考えるとできないが 人生の最期に罪滅ぼしとしてやるべきことがいっぱいある
安楽自死センターにはそのような思いの老人に バーチャルでもいいから体験させてあげられるようにしたいものだと考えています
人の役に立つ最善の死に方だと信ずるマイクです

2018/11/5「安楽自死センターは短期受け入れ施設」(最善の死とは)
https://sky.ap.teacup.com/jishi/866.html
ラジオ深夜便で ホスピス医が他人の世話にならない死に方は 却って遺族にとって寂しい結果を生むとして 介護の必要性を訴えていた
この前の釈迦の葬儀の書き込みで 迷惑をかけたくないとの思いから 最近は「死んだら散骨にしろ」とか「誰にも連絡せず質素にして欲しい」とか 生前に葬儀方法を指示することが流行っていると
そうではなく 役に立つ死に方もあるのではないかとも

迷惑を最小限にするのはいいとしても 役に立つ死に方はそう簡単には思いつかないし簡単に実現できない
それどころか何も考えていないと 迷惑どころか延命治療に2千万円以上も無駄遣いする羽目になる

厚労省は 医療費削減のために在宅死を推進するが そうできる恵まれた老人は1割でしかない
延命治療ばかりでなく 在宅治療ができない老人病院で長期入院する
貧乏人には 在宅より入院が安易ですが こう言う方にこそ安楽自死センターで 世の中に役だつ死に方を教えてもらい 短期に安上がりで しかももう死んでもいいと思えるくらいの楽しい体験をして 加えて献体などのお役に立って逝っていただくことをマイクは真剣に考えています

藤掛病院と大口病院で見られた姥捨て山まがいの老人病院こそ 安楽自死センターの構想を参考に 長期寝たきり専門ではなく 短期受け入れを前提に改革していってほしいものです

長々と 10/8・9・10とに亘って1年前のブログを振り返って見ました
今年の2/6の告知の相当前に ALSとは知らずに こうなることの予感能力がマイクにあったことをブログで検証出来たように思います

マイクの心身が予感していた/天命としてのALSと生前葬

マイクが総合病院で 精密検査し酒を控えればいいと言われたのは去年の7/18
12月初めに再検査したら大学病院で検査入院する事になり そこで告知されたのは今年の2/6
難病それもALSと覚悟したのは告知の2週間前だったから 昨年中の安楽自死構想はただの妄想だったのです
安楽自死の展開に行き詰まり そろそろ自分がやって見せるしかないと思い始めたのは去年の9月初旬なのです
安楽自死を社会的に容認されるべきだとのマイクの長年の思案も飽和状態で これ以上発展するか自信をなくしていた頃です
去年の夏過ぎての予感は 「マイクのブログ」を読み返してみて分かります

2018/9/12「最善の死を考えるべしと」(最善の死とは)
https://sky.ap.teacup.com/jishi/834.html
・・・それでも思考を止めたらいけないと思っていると思いついたのが 「最善の死」という言葉です
最善の生き方というものはありそうですが 最善あるいは最良の死という言葉をこれまでマイクは考えたことがありません
・・・社会的な受け入れには 自死が人生の結果を飾るイベントとして これしかない つまり最善の死に方だと証明する必要があります
人生の終結としての つまり人生の結果を 自然や医者など他人に任せるのではなく 自分で演出すべきではないかとまではいかないまでも 自分で死を宣言・実践し 自分で死んでゆくことぐらいはすべきだと思っているマイク
・・・それにしても最善の死とは何か 恥ずかしくないような死に方はあるのだろうか

2018/9/13「白幽巌居が待っている」(最善の死とは)
https://sky.ap.teacup.com/jishi/835.html
記事カテゴリーを「最善の死とは」にしたのは 生き方と同様に 死に方にも自己責任があって 美しい死生観を持ち続け 他人には迷惑をかけず生きてゆくべきと同じに 最期もそれを貫くべきだと思ったことからです

介護施設や老人病院に送り込まれた自分の家族が 相模原や岐阜などの施設で起こった事件で 亡くなるのが続いた
家族は当然嘆き 犯人を恨むが 姥捨て山に捨てておきながらの自分を責めない
家族は最善の処置として 施設に最期を委託した結果なのですが 本人にとって最善であったかどうかは無視されています
それはしょうがないのです
本人が家族や他人に最期の看取りを任せてしまったのです
本人が最善の方法など考えもつかないからです
それは日頃より考えていないからです
姥捨て山には自分から行くべきなのです
・・・最期の最善の死に方は 自分で考えておく自己責任があるのです
そう簡単ではないのですが それには先ず 最期は自死だとの覚悟が要ります
他人任せでは迷惑をかけることになります
・・・マイクは HP「私の自死道」
http://mike12.web.fc2.com/jishidou1.htm
にあるように 白幽巌居跡で 酒を飲んで自死することを夢見ているのですが 実現は容易ではない
それでも自分の人生の大集成として 恥ずかしくない死に方を 細やかでいいから演出したいものです
そんなに簡単ではないとは思いますが 考えるべき時期に来ているマイクです

2018/9/17「死刑囚の自死支援から学ぶ」(最善の死とは)
https://sky.ap.teacup.com/jishi/839.html
大体分かったことは 死は成り行き任せや 他人任せでは 最善の人生の目的にはならないということです
詰まりまだまだ具体性が見えないのですが 自裁自決自死を前提とすると言うことです
最期を飾る 羨ましいような死に方が最善なのです
・・・難しいとは諦めていません
終末期なら許されるような方法がある筈です
これを老人のこととして考えるだけではなく 死刑囚のこととして考えると実現の可能性が見えてくる
死刑執行を求める死刑囚には 自死を勧めるべきです
罪滅ぼしとして 彼らはやりたいことがある筈です
献体や 補陀落渡海ならずとも無帰還火星探査機に乗るとか それを支援するのです
彼らなら老人には思いつかない素直で高貴で最善なアイデアが生まれ それらの実践を知れば大いに参考にできるはずです
オウムの7人に罪滅ぼしをさせるべきだった
彼らならできたはずだ
何故させなかったのか

明日に続きます