人生は寄り道回り道

マイクさん

「余生の濃縮化」という言葉に触れて、ぼくは50年程前に亡くなった祖父さんのことを思い出しました。脱線するかもしれませんが、今日は祖父さんの話をしたいと思います。
ぼくの祖父さん、清水忠一は腕のいい京指物の職人でした。江戸時代の中頃から続く職人の家で、忠一の父徳次郎の時代、明治の中頃が最盛期だったそうです。代々の当主たちは名人と称されるほどの手業を誇る一方で、花街に馴染みの置屋や料理屋を持ち、放蕩を絵に描いたような遊びに現をぬかしていたとも聞きました。忠一祖父さんも例外では無かったようです。

祖母さんがよく嘆いていました。ひとりで集金に出かけると、その金を持ったまま遊びに出かけ、すっからかんになるまで家に帰ってこなかったと。そこで祖母さんは幼なかったぼくを伴わせて集金に行かせました。幼い子と一緒ならそのまま遊びには行かないだろうと。ところが何の祖父さんは、ぼくを連れたまま遊郭の座敷に上がってしまうこともしばしばでした。

酒を飲み上機嫌になった祖父さんはぼくを膝に抱き上げ、必ずうれしそうな顔でこう言ったのです。
「人生は寄り道回り道。道草食ってこそ生きる道や」
と。今振り返ると、この言葉は自分の行為を自己弁護するものだったのか、ほんとうにそんな人生を目指していたのか、そのあたりはよくわかりませんが、若い頃のぼくはこの言葉を生きていくための教訓として受け止めていました。何だかカッコいいなあと。

ズバリ言って、祖父さんの生活はとても濃かったのです。それがマイクさんの言う濃縮化に重なるのかどうかわかりませんが、その濃さはゆとりとか、余裕とか、遊びとか、そんなふうに言ったらいいかもしれません。祖父さんの暮らし方は、ぼくの父に家業を委ねてからも一向に変わる気配はありませんでした。亡くなるギリギリまで遊び歩き、寄り道回り道、道草を続けていました。

そんなぼくらの家が裕福だったかと言えば、決してそんなことはありませんでした。「普通」の家だったのです。裕福どころか、ぼくは同級生の家に遊びに行くたびに、我が家は貧乏だと思っていたのです。祖母さんの怒りをよそに祖父さんはそんな生活を続けていたし、父にしたって似たようなものでした。でも、世間のあちこちにそんな祖父さん、親父たちはいっぱいいたように思います。

さて、ここで「今」の話に目を向けたいと思います。
数日前、政府が事実上の年金制度の破綻を認めたというニュースが流れました。その瞬間、SNS上で若い世代から安楽死の認可に共感する声がひろがったと話題になりました。そんな時代に惨めな思いをして老後を生きるなら、いっそのこと死んだほうが楽だし、マシだということなのでしょうか。マイクさんが言うように、長寿化が進むことによって老後の希薄化が進み、余生の濃縮、これは豊かな老後ということになるでしょうか、そんなことはよほどの財力がないと不可能だということなのでしょう。
しかも生きているのも関わらず、健康寿命の後の生き様を「生活死」とよぶなんて……。

今の世の中、ぼくの祖父さんや親父のように、自分の好き勝手に、自分が面白いと思うような人生を生き続けることは不可能なのでしょうか。

マイクさん

ぼくはマイクさんが、ALSという深刻な病と向き合いながら、とても濃縮された豊かな人生を生きられるんじゃないかと期待しています。もしマイクさんにそれが可能なら、ALSほど重い病気を得た人に余生の濃縮化が可能なら、普通に生きる人にはもっと可能なんじゃないでしょうか。ぼくはマイクさんにそれを見せてほしいし、それを見せることが「倍ほどのお世話になる」マイクさんの「倍ほどのお返しになる」んじゃないかと思います。

ぼくも濃い余生、老後を送りたいと思いました。

出来るか分からなくってもやって見たい

程々に生きて 長生きできるとは思ってもいなかった筈なのに 偶々あっという間に100歳となっていたと言う程度のラッキーとしか言いようのない元気老人ばかりが 人生100年時代と言う話題に持ち上げられています
これを中村仁一は浮かれ過ぎではないかと言っている
実際 100歳まで 心満たされて生きられる確率は どれ程なのかと疑問視しているのです
でも素直にラッキーはラッキーで羨ましいし あやかりたいものです
死にたいのに死ねない老人がどんなに多くてどんなご苦労をされているのか マイクはそれの方を知りたくて また何とかせねばならないと思い続けています

さて今夜は マイクをどう作りあげるかを
マイクの78歳は 健康寿命7年を過ぎ 平均余命は後10年と言われる年齢です
健康寿命の後の生き様を「生活死」というらしく 人のお世話になっても当たり前と許されるらしいのですが 幸いにもマイクにはその意識がありません7年でした
もうお世話したくとも出来なくなったと言われかねない様になると覚悟すべきまでには10年ある筈でした
ところが前7年後10年というほぼ真ん中の78歳の今 どうした訳か もう10年も要らないのではと問いかけられもせずに 半分以下の3〜5年で良いなら 精々倍ほどのお世話になっても良いよと 天命として ALSを頂いたのです

なのに 何を焦ったのか 告知からの2ヶ月は家族の世話になりたくないとかなんとか言って 他人の迷惑顧みず 少しでも早くと危険状態を自らセットする事ばかりの日々でした

こんなマイクですが 結構ネガティブながらあれこれ考える習性を楽しんでもいました
それを見抜いた清水さんがマイクの『エンジョイデス』に興味を持って頂いたのだと思います
そうなればこれからは 皆さんのご支持に感謝し 公的な支援を 遠慮なく受け入れて生きますこと ありがたきかなであります

しかし倍ほどのお世話になることは倍ほどのお返しをせねばならないのです
せめてマイクの余生は 長寿化で希薄化する老後に逆らい ALSならではの余生の濃縮化を天命として課せられているのです

お世話になって「生きてます」

「生きる宣言」の後 「世話になるならない」が続いたので 今夜で締めます

世話になるくらいなら
誰に
家族や社会からも
何を 何処まで 最後の最期とは
邪魔したくないから
家族の生活を?それだけで?

色々あるにしても 諦めないこと 詰まり「生きる」ことこそ原点なのです
例え自死願望であった頃のマイクでも 「生きること」を真剣にメメント・モリした結果が今にあるのです

マイクが安楽自死しか考えていなかった始めの頃からの思いを
「世話になる」で ブログ内検索すると次のように 8件あります(「世話に」では27件)

https://sky.ap.teacup.com/applet/jishi/msgsearch?0str=%82%A0&skey=%90%A2%98b%82%C9%82%C8%82%E9&x=59&y=12&inside=1

それを見返し見て 気になる中身を拾って見ます

2018/9/23 早めに別れて ひとり者になった方が 誰に遠慮することもなく最善の最期を迎えられる筈です

2015/2/16 終末期やそれに近い老人には トリアージタグを貰えない程の老人を延命処置することになる
余計なお世話になるでしょう

2014/5/23 生活死(健康寿命が尽きて)の後 生物死(臨終・寿命)までは 医療ビジネスに貢献する神様としてのお客様であり 皺寄せは他人様に降りかかるのです
麻生がさっさと死んで欲しいというのも尤もですが 安上がりに最後を楽しむのもアリなのです

2012/8/25 親族や国費でこれだけの世話になる価値がある命なのか如何かを考えることが如何してタブーなのか マイクには分かりません
生きている価値がなければ直ぐに死ぬべきとは思いませんが 考えるだけはすべきだと思います(認知症のコストデータも)

勿論 命の価値や人権についても難しいと理解しながらも考え続けようとしていました
しかし何時も何度も言ってますように麻生の言葉と 厚労省データで洗脳されていたことは事実です

麻生副総裁兼財務相は2013.1.22「終末期の高額医療費に関連し、「死にたいと思っても生きられる。政府の金で(高額医療を)やっていると思うと寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらうなど、いろいろと考えないと解決しない」と持論を展開した。」
2013.4.24「食いたいだけ食って、飲みたいだけ飲んで、糖尿病になって病院に入っているやつの医療費はおれたちが払っている。公平ではない。」とか本音を語った

延命や大往生も出来なくなる人が多くでる 2030年問題が頭から外れなかった頃です
https://www.mhlw.go.jp/shingi/2009/06/dl/s0611-2b_0003.pdf

愛の表現はストレートに

マイクさん

この「往復書簡」の映像化、ラジオ化を喜んでいただけてうれしいです。でもこれはまだぼくの地元鹿児島ローカルだけでの企画です。マイクさんの尊厳死、安楽死に関する主張をもっと広く伝えるには、関西や首都圏、あるいは様々なメディアが取り上げてくれることがいちばんだと思い動いています。マイクさんの地元、京都、関西での動きは仏様マヤさんの企画に合わせて動いてみたいと考えています。一つひとつの問題を解決し、壁を乗り越えて、乗り越えられない時は穴を掘ってでも前へ進みましょう。

ところで、生前葬をした人は長生きするって聞きましたよ(笑

ここでもう一つ別の見方でマイクの心情を白状しますと、ALSそのものの悲惨さではなくて、この病を抱えて家族たちにどれほどの負担や迷惑をかけるかでした。その先の見えない症状を想像するにつけ 少しでも早く逝った方が良いと考えました。

マイクさん

はじめてあった時から、ぼくにはマイクさんの家族への思い、わかりました。
ぼくは大勢の難病患者さんを見てきたし、お付き合いをしてきました。そのほとんどの人が言葉は違えども同じことを口にします。それは「家族の負担になりたくない」、あるいは「家族に迷惑をかけたくない」ということでした。そんな彼らが「気管切開をして呼吸器をつけるのは嫌だ。早く死にたい」と口にするのは当然の帰結だと言えます。そこには愛があるからです。愛があるから、自分の命を縮める決断ができるのだと思います。

確かに自分の予後がどんなふうになるのかわからない。まるで生き地獄だと、絶望感に苛まれ早い死を望むということもあるでしょうが、マイクさんの場合は、そうは言っていてもご家族への愛があると思いました。特に奧さんには、我が家の事情とことわりながらも、「家内を拘束したくないため在宅でない療養施設を望んだ」とおっしゃってます。これは、どう読んでもラブレターだな、と思ってしまいましたよ(笑 マイクさんにとっては、愛は家族のために、そうして家族そのものがマイクさんの希望なのだと思いました。

だけど、マイクさんの愛情表現は、少し屈折してるかなとも思っています(笑 もっと愛をストレートに表現したらどうかな。そんなふうにも思います。

的外れだったらごめんなさい。

プライドは捨てられません

癌というギャンブル的病気と闘っておられるだけに また色々な状況を経験されておられれるだけあって 何時もいつもお教えいただくお言葉には毎回毎回目覚めさせられます
11条は 国民の生きる権利と国の義務を説いています
マイクは死ぬ権利ばかりを義務かのように思ってしまっていたのかも知れません
確かに生きる権利があるならば 生きるべき義務もあるのを気づかせていただきました

マイクのALSは 地道ですが計画的な逃病を許された地味な しかも確実性の高い病なのです
発症から暫くは人ために 家族のためにと断捨離に精を出し 迷惑や苦労を少なくしようと色々の手続きを済ましたりしましたし その余裕がありました
しかしこの先は確実に自分を惨めに思うようになり 家族にも負担になるのが確実な病です
それでも生きているだけで満足する家族もあるでしょうし でも多分私の意思を大事にしてくれるのがマイクの家族だと信じています

昨日の書き込みで マイクが生き地獄になった自分を卑下するような人間であることを白状しました
しかも まだ生き地獄とはどんな状態をマイクが思い込んでいるかも分からず 唯なんとなく惨めな自分を想像するだけなのに

また 自分自身を差別視すような人間だから マイクがそんな人間になるくらいならと自死を覚悟してしまうのも容易だったのです
このような弱者を見捨てるようなマイクが本当なのではと思い知ってしまうのです
こんなマイクに九重苦を天罰としてALSをもらったのかも知れません

マイクのこう言う性格はどこから来たのでしょう
弱者差別は 社会的には 文化や倫理観から生まれるにしても 個人の生まれ育ちにもよるのでしょう
黒人差別は白人のエリート意識
知識人もその傾向がないとは言えない
それと理系のマイクは なんでも価値観で比較しようとする
QOLを弱者や他人だけでなく 自分自身の元気な時と生き地獄になった時とで絶対値比較で捉えようとするのです

生きる価値を生産性と人件費で考え 命をコストで捉え 赤字の命を許さない
勿論そうならなうように対処策を実践するための捉え方としてはいいにしても 冷徹すぎて 人権無視と批判されるに決まっています
しかしそのようにするしかない時代が来るとカール・ベッカーも言っている
マイクまでこんなことを言っていると 誰にからも看取って貰えないに違いありません

街を歩いていてもお年寄りを見るにつけ何時もこんな見方をしてしまう
そうでなくとも この難病病棟にはいっぱいいるのです
隣のベッド方はまったく動かず反応もないのに 確かなのは家族のためにだけ生きておられる
ご本人に意思があるようには見えないのです
ご本人とご家族が選択されたと言うより 成るように任せただけの結果のように思えてしまうのです

今 週2回の風呂を済ませてきました
マイクは自分で洗えますが 洗ってもらう人ばかりです
隣のベッドの方はストレッチャーに乗せられたままのスチームバスでしたが その下肢は見るに耐えない細さでした
そう思ったマイクは 自分の右腕の下腕筋の細くなっている自分自身に気づいてしまい寂しくなる

この問題はマイクには辛い課題なのです

いま点滴中です
看護師に山田さんの点滴パックの写真を見せたら 「やめて下さいよ 私らには生活に関わりますよ」と大笑いされました