マイクさん
先の見えない不安、お察しいたします。ぼくの方も検査結果はお盆過ぎになるということで、悶々とした毎日を過ごしています。わからないって、嫌ですね。不安ですね。たまりませんね。
マイクさんのことを思うと、もっと大変だろうなって、ぼくなんかはまだまだマシな方だと、勇気づけられます。
マイクさんは病気、病状の不安に加えて、療養生活についての不安が大きいのですよね。家族に過大な苦労をかけるのじゃないか、それが家族の生活の崩壊につながるんじゃないか、受け入れてくれる病院、施設はあるのか、なかったらどうしたらいいのか、死に場すら思いのままにならないのかって。そんな不安は今まで積み上げてきた生活を一気に突き崩してしまうという不安にもつながるのだと思います。不安が不安を呼ぶ、まさに不安の連鎖ですね。いったいどうしたらいいのかな……。ぼくもちょっと考えました。
マイクさん
発想の転換をしませんか。
受け入れてくれる病院や施設を探して竟の住処とすることが難しい。一方で在宅での療養は、家族にどんな負担を与えるかわからない。入院、入所も無理、在宅も無理。そんな状況がマイクさんの苦悩の根底にあるとしたら、とぼくは思いました。そうしてひとつ思いあたりました。在宅療養ってほんとうに無理なんだろうかって。
在宅って、自分の家にいるってことですよね。マイクさんの場合、その家が奥さんの仕事場になっていて、それを中心に据えた生活のあり方を変えない限り在宅での療養は困難だって。だから不可能だってマイクさんは考えてるんですよね。
だったら自分の家を変えちゃったらどうかって思いました。今の自宅と雅子さんの自宅の中間か近辺に、療養するに十分なスペースさえ確保できれば、小さくてもかまわないから家を借りてマイクさんの自宅=療養の場とする。
「何を言ってるんだか!?これから身体が動かなくなって、だれかの手を借りないと生きていけないんだよ。コミュニケーションだって難しくなるんだよ。そんなこと不可能に決まってるじゃないか!」
と叱られてしまいそうですね。でもそんなこと承知の上での話です。
ぼくは、重い障害を持ちながら、あるいは難病と向き合いながら、自立した生活を続けてきた人、続けている人を何人も見てきました。そうして思います。マイクさんにも可能なはずだと。決して簡単ではありませんが、決して不可能ではないと思います。
そうしてあの生前葬パフォーマンス「えんじょい・デス」を目の当たりにして、マイクさんならできると確信に近いものを持ちました。マイクさんは「ALS患者としての社会的役割を果たす」とはっきり言われました。その背景には大勢の仲間が、友人・知人の輪が大きな支えとしてあります。たとえ自分の身体が動かなくなっても動いてくれる人は大勢いるのです。家族の支えに、そういった人たちの支え、介護保険のサービス、可能な範囲の有償サービスなどを組み合わせることによって、マイクさんの住みたい場所での自立した生活は可能なのではないかと思いました。下の図は思いついたままに描いた素案みたいなものです。
ひとつ一つ問題点を解決し、具体化していけば必ず実現できるとぼくは思います。

この中でぼくが大切だと思っていることは、もちろんサポート体制をしっかり構築するということもそうですが、マイクさんに「仕事」をしてほしいということです。モニターになったり情報を発信するということは、ちゃんとした仕事として成立すると考えています。そういう面でのサポート体制もしっかり構築しなくっちゃと。
マイクさん
マイクさんにはまだ時間が残されていると思います。その時間を有効に使って、自立した生活を目指しませんか。今ならまだ間に合うと思います。ぼくは今日、今から、その実現に向けていろいろ動いてみたいと思います。でもぼくの動きに過大な期待や希望は持たないでください。これはぼくのではなく、マイクさん自身の思い、動きが希望につながっていくのですから。
ALS患者の自立的一人暮らしの実現。「ALS患者としての社会的役割を果たす」という言葉にふさわしいテーマだと思います。「ALSの患者さんに可能なんだから、私たちにだって」という難病患者さん、障害を持った人たちが自立を目指し、それが実現可能な社会になる。その第一歩をマイクさんに記してほしいなと思います。
無理なら自分でつくっちゃいましょうよ、ね。