「理念」を数字で裏付ける力あるか

「れいわ維新組」について もう少し問い詰めて見たい
「安楽会」が今ひとつ頑張り不足だったのは何故かを問い詰めたいからでもあるのです

国民や難病身障者の代表者としての 228万票の数字の重さの実感を前々回のブログでしました
それにはそれだけの重さだけの魅きつけたものがあったからです
それは 山本太郎の演説で繰り返し取り上げたのが 社会のあるべき「理念」です
新聞から選挙活動を読み解いてみます
「生産性がないと(生きる)価値がないのではなく 存在するだけで価値があるのです」
「弱者が住みやすい国に なって欲しい そんな社会をつくろうとする政治を」
こんな弱者の愚痴を問題提起に持ち上げ 「生産能力で 人の価値を測る風潮が『同調圧力』となり 弱者自身に自己責任論を押し付けてしまっているのだ」と熱弁を振るう
「権力へのゴマスリと忖度が横行する社会を壊して欲しい」とツイッターで広がる
欲望社会が社会をトリクルダウンで潤すとの体制側の「理念」に裏切られ信じられなくなった右派ポピュリストが期待したのでしょうか

この選挙結果は 繁栄を前提とする欲望社会ではなく 平等を前提とする社会への理念作りに新しい社会の可能性を求めようとするマイノリティの存在を ハッキリした数字で見える化したものとして 認識されているのです
ただの一時的左派ポピュリズムだと軽視していたのに 自民幹部に「やっかいな敵が現れた」と身構えさせたともある

日本農業新聞には
参院選で示した政策を見ると、食料安全保障を「最重要事項」とし、食料自給率目標は「100%」に据える。その実現に向け、農業だけでなく全ての第1次産業就業者への戸別所得補償を主張する。夢のような政策も並ぶが、政権批判の舌鋒はどの政党よりも鋭い。国会での農政論戦でも“台風の目”となるか注目だ。・・・・・

理念だけでは政治はできないが 理念なき保守政治に理念を求め始めた大衆が左派ポピュリストに育ってゆくようにも感じられてなりません

しかしながら実際は山本太郎への信頼性を疑わない人はいないではなくて当然2人へのヘイトも飛び交う
議員としての仕事を疑問視し 無駄とは言わなくても余計な税金を使うなとのバッシングがツイッターに
れいわは 「5%に減税」ほか ウケ狙いの公約も見えるが 2人を確実に守ることなくば・・・

所が 5%減税については 山本の税収に関する「独自計算」に基づき「財政赤字にはならない おつりが来る」と言う
計算の論拠が公開されていて討議に値するものであることを期待したい
まさか 財務省の年金2000万円不足の二の舞でないことをと 祈ります

さて「安楽会」については マイクが「安楽自死施設」の採算性を説いています
安楽会の公約に使って欲しかったと今更ながら悔んでいます?

情けない・みっともない・勿体無い/NO!虐めの文化

今日の祇園後祭巡行は 梅雨明けに合わせたかのように盛大に行われた様です

昨日は 山田創平さんのジェンダー芸術論に刺激され 社会に於ける弱者と平等について考えながら返信を書き込んでいるうちに 支離滅裂の状態にはまり込んでしまい抜け出せなくなりました
エクセル型の升枠を埋め尽くそうとするマイクの文章癖が 何時まで経っても抜けません

言いたかったのは 「虐め文化」の日本社会を非難したかっただけなのです
実に「情けなく」も「みっともない」ことだと思うからです

例えば弱者を差別する虐め側の本当の理由は 弱者排除と言う意地ましい敵対意識以前に 軽い気持ちで偶々見付けたくらいのマイノリティであっても それをターゲットにしてみたことで 自分がマジョリティのリーダー感覚を味わえたことから始まるのです
こんな程度の弱い者虐めの構造は 確実に脆弱に決まっていますし リーダーの信念も熱意もないに等しいのです
だけど一度味わうと簡単には手放そうとしません
その構造が持続するのはリーダーの思想や信念が優れているからでもなく その軍団の一体感によるのです
一体感は付和雷同する国民性にあると言ってもいいかも知れません
マジョリティ帰属本能なのかも知れません
大衆迎合型の民族レベルなのです
政治と国民を見てもそれを否定できません
国家の保守的構造は 革新的な筈の明治維新の不完全さによるものなのでしょう
今現在の問題は 野党まで与党を虐めることしか考えていない政治文化なのです
(れいわ維新や安楽会がそれを気づかせてくれればいいのですが)

ではどうすればいいのか
例えばマイノリティであっても自国民なのです
排除や差別を自国の文化と言い切るなら別ですが 共生と平等を掲げる日本であろうとするなら マイノリティの存在を蔑視することは罪に値するのです
弱者や少数者がいる社会は現実であり それを敵対視や虐める現実があっても それは歴史の中で改善されるべきものです

弱者差別する者を非難することも世間で多く見られるし 嬉しいことに多くの社会運動にもなっています
しかし 弱者差別する者を非難することは戦いに違いなく 時に悲惨で醜い
彼等は彼等で 既得権保身で身を張るのです
彼らと戦うのは至難で歴史の運命を待たねばならないほどです
政治とはこのような無駄な戦いなのです

しかし 弱者差別する者を非難する前に 弱者を蔑視し 弱者を無視すろことをも非難したい
実はこの輩は 必ずしも弱者批判者でもなく関心が無いだけのポピュリストでしかないのです
しかも国民の大方はポピュリズムの中身も知らず 大衆迎合に満足していて しかもそれがマジョリティなので 安心感と一体感で結ばれているだけなのです
問題はこの無頓着層を少しでも減らすこととで解決させたいのですが 理論も信念もない保身だけの自己中を崩すことです
甘い水や人参ぐらいで済むのですが そこはもっと別のやり方があるはずです

虐められる者を救うためには 虐める者やそれに加担する者だけでなく その前に 虐めを黙認したり 見ぬ振りしたり 自己保身の心しかない者全てを漏れなく非難せねばならないのです
虐める者より その方が効率的で 確実性が良いのです
この考え方は 個人主義が蔓延る以前は 文化としてあったのです
エリートがポピリスト導く責務があるのに それを忘れた政治家・知識人・報道人までもが保身の自己中ポピュリストに落ちぶれ 彼等がマジョリティなる大衆を先導しているのです
彼等を閻魔様に裁かせる前に いや無関心で騙されているだけでも地獄へ行くことを 国民こそ知るべきなのです

昨日と代わりなくなりました
明日は別のテーマを探してみます