不安の最中の清水さんの心中を考える積もりで タブレットに向かい合いました
強靭で知識も並でない清水さんは 病気そのものよりも まだはっきりしない診断そのことなのでしょうと直ぐに思いました
病気だけではなく人生の出来事一般に誰にでも言えることで マイクの自死願望の原因もそうだったのですから
病気そのものについては必ずしも死に繋がるものではなく 不安があるとすればもしも死に繋がるかも知れないとすると その死がどんな死なのかまではあまり考えないので 漠然とした不安を持ってしまうのではないでしょうか
そこでまたまたマイクの何時もの癖がむらむらしてきて 癌とALSの死に方恐怖・不安比較をしてみようと思いました
多分モヤモヤとしたまま死の不安を放置するより何か安堵感まではいかなくとも精神的に楽になりそうではと直感します
日頃なんとなく感じていたのはパーキンソン病とALSの死に方の違いでした
対処療法?が進んで 症状がアップアンドダウン(薬の効きがスィッチ・オンオフ)するものの エンドレスと言われるほど パーキンソン病では死ねないのです
こけて寝込むとかしか?
これでは自死のタイミングもパーキンソン病で死ぬこともないのです
結構患者さんは楽天的に見えます
比較的ですしマイクの偏見でも
ALSは尊厳死のチャンスがある(胃瘻拒否・気管切開拒否)またそれらの前後の自死もできることを嫌でも考えさせられました
但し呼吸器後はエンドレスに自死のタイミングは難しくなり チャンスを失いかけるのではないかと今 マイクは大変なことに気が付きました
癌は手術や抗癌剤などの治療の失敗(または不運)で処置されて亡くなるのでしょうか
発見の早遅によらず 死は失敗でしかないのでしょうか
転移や多発とか症状は色々あるにしても 生存期間の差異となるだけで それもステージという分かりやすい基準で自覚できるのです
こう比べると 癌は分かりやすい し 運にも左右され易いと言っていいでしょうか
別の言い方をすれば運に任せ また諦めやすいと?
それに比べ パーキンソンは 死の認識が薄く 鈍感な死の待ち方のように思えます
癌も多分マイクのような天罰・天命とまでは考えないのではないでしょうか
そしてALSは 何時来るとなくも確実に近付くとは言いながら それを癌ほどはハッキリ自覚予感することはできそうではなく また尊厳死と言う死に方を選択するステージに巡り合うのは結構なことですが 精神的な負担は 発症時以上に切羽詰まって相当なものになるのでしょう
しかもスーパーALSでは長期に亘って 生き地獄と思うかもしれない命を哲学し迷うことになるのです
もしマイクが健常者なら こんなことを書いたマイクを清水さんはお怒りになることとは当たり前ですが ここは妄想としてお許し下さい
同じ進行性の病気でも 考えてみると大違いなのです
癌も半分の人が経験すると言われていますが かなりの割合で運を天に任すしかないことを知って 神仏を信じてみようとはならないのでしょうか
ギャンブラーになって闘病すると言っても 運に任せるに代わりはなさそうです
パーキンソンは 研究や薬で 最早 難病ではないと言われています
パーキンソン病棟は 高齢女性が多く人生100年時代の到来かと思われるくらいですし 又まるで一度訪問したことがある今や完治するハンセン病の療養所の感じすらします
ALSは 天罰・天命として受け入れるしかなく 逃病を夢見て祈るしかないのです
脳卒中や心臓病の死に方も序でに
突然死もあれば症状が残ったり完治も多い治療と回復に癌並みに多様です
症状が残るか死ぬかか それは節制が原因と医者は言いたいでしょうが 殆どは運としか言いようのないことに間違ないのです
やっぱり神仏にすがる方がいいに決まっています
死に方には余り良く考えたくもないのが認知症ですが これは無視しておきます
死に方は別として 苦しいのは 緩和治療でも手に負えないのが呼吸に関する痛みのようです
癌は肺癌でなければラッキーと思ったら間違いないのです
ここでマイクはまたもビビり出すのです
ALSの気管切開の必要な時期では相当苦しいことを このブログで強調して説明しています
尊厳死など容易にできるような状態でなく 苦しんで死ぬか 延命で生き延びるかを十分考える間もなく決断しなければなりません
それは大変な選択で患者の意思に任すというのは自殺幇助か営利目的でやるに等しい位なのに 医師としての倫理的責任放棄に思えます
マイクがスーパーALSになるべきかどうかに関わっているのです
多分延命気管切開を早くすれば苦しみが少ないと思うのですが それまでに意思決定を急げるでしょうか
実はもう一つ安楽死や自死が可能になったらと言う選択肢が増えたらまたややこしいのです
何しろALS患者には知性と理性と生命哲学が求められているのです
選ばれた患者でなければ?⁉️?