利己の安心安全か 利他行動力か?/在宅?

昨日は 一時退院でしたかったことの一つを 楽しみました
金沢に日帰りで 墓参りに家内と行くことです
朝イチ7:29京都発 金沢の実家(長姉長兄の家)で仏壇を拝む
持参した昼食の食べ具合を見て また喋りの半分も分からぬ様になったことに驚いた様子! 尤もです
妹2人と4人で野田山の墓参りへ 元気で歩くマイクに安心した様でした
妹の家への 夫々訪問も定番
夜7:05金沢を去る(ホームで兄妹と姪たちに派手に見送りされる)
ありがたきかな 兄弟姉妹の多い一族
また兄家族に 初ひ孫が出来て目出度きかな
こんなマイクの土産に困ったと思う! 最近は ALSには「燃料は酒」が定番になってしまいました

一時退院でやりたかったもう一つは 「難病連」で 近隣のALSピア(同病者)のネットを作ることで その見通しを得た
今現在は スーパーALSの増田さんと 1年先輩のTさんがマイクのメンバーです
この2人には15日と16日にお会いできて マイクの症状について確認したきことをお聞きすることができました

更にパーキンソン病患者にダンスワークショップを楽しんでもらうマヤちゃんプロジェクトの広報のために 難病連のパーキンソン友の会会長に 10/6のWS案内パンフレットを会員150名全員に配って貰えるよう段取りできました

多分 京都に2000人以上はいるパーキンソン病患者の友の会メンバーが150人なら ALS100人のピアネットは良くて10人かも知れないとイメージすることに

また今度の一時退院で やっぱり入院中の土日だけではできないことを幾つもできました
在宅の魅力を実感しました
歯医者も3週間で済ませる様お願いして通っています
退院日にお二人 明日も先輩が来られます
ギャラリーもいくつか巡りました

もう一つの 「哲男・マイクの家」構想の準備として 賃貸不動産会社へは顔を出しましたが 構想自体の具体化すれば直ぐ行動できるのではないかと思いました
それより在宅をどの時点で判断しないといけないのか シミュレーションの必要性などを考えてからと思いました

一時退院の半分が過ぎました
入院中と大きな違いは 一日中食事とチビチビのみに時間が取られ 外出の時間を取り難く このブログの時間すら少ないことです
快適で安全安心な入院が懐かしい様な・・・?

何時まで新参者でいられるか/自立するスーパー目指し

5クール目のラヂカット点滴2週間が今朝から始まりました
詰まり9月初めには退院するとを決め それまでの5ヶ月ものマンネリ入院を思い返してみる積りです

マイク自身は胃瘻が近いと最近は強く自覚しているのに 主治医からはまだまだだと言われます
4/8に2週間限りのリハビリ入院したあの頃は 家族に迷惑少ないのは死亡退院しかないと考えていて 胃瘻拒否が最短のチャンスと決め込んでいたのです
ところが2週間で球麻痺が進行する筈もなく 最近になってやっと近付いたと言うことでもないのですが 手足がこう元気では 胃瘻拒否しても断食往生は不可能なのは明白です
こう考えるとマイクは手足先ず先ず元気な儘 気管切開に至る可能性もないとは言えないかも?

マイクが「スーパーALS」と言い始めたのは 5/23難病の日のコンサートに「気切のALS患者」が多数参加すると開催者から知らされてからです

ラッキーが続いています/スーパーラッキー

スーパーとは他人事でしかないと思っていたマイクに それ以来身直かに感じられるようになったのです
加えて入院以来の往復書簡や生前葬に続くスーパーラッキーがそうさせました

難病患者にも元気な方は実業や芸能で「スター」紛いの方も多いと聞きます
「れいわ」の議員もその類でしょう
マイクは難病という特例を受けて延命の可能性を頂く限りは 死に甲斐のためにも社会的なお返しをできればと願っています
ALS患者の現状に社会的な矛盾を知った当事者としての発信をどう進めるか
弱者共存社会の理想を当たり前化する共生啓蒙活動にもマイクなりの遣り方をやれたらと願っています

取り敢えずは 「ALSピア活動」の不十分な京都に 定着させたいとの思いがあります
ダンス仲間のKDEが パーキンソン病患者がエンジョイダンスできるサポート活動を進めていて その事業は出来る限りお手伝いせねばと思っています
またKDEには マイクを活かしたパフォーマンスを外部からの依頼であります
年内はこれらの在宅活動が 可能かどうか 気力や体力を掴みたいと思います
ALS新参者が そろそろ終焉かとの思いがあるのですが そんな弱気ではいけません
マイクの症状に関係なく 清水さんのご提案の自立支援の家/部屋についてを真剣に考えながら そうなる準備/考えを進めてまいります

暮らしたいまちで最後まで

マイクさん

スーパーALSってなんだ?! ぼくは考え込んでしまいました。
たしかぼくは、マイクさんにこんなふうに言いました。「マイクさんをALS患者のスターにする!」って。これにはいろんな解釈が成り立ちます。でもこの言葉を聞いた多くの人たちが思い描いたのは、あの「えんじょい・デス」の時のように、華々しくイベントを成功させ、メディアの注目を集め、ALS患者として有名、著名な存在になっていくマイクさんの姿ではないでしょうか。それは間違いでも、的外れでもありません。「えんじょい・デス」以後のマイクさんは、自らの存在と思量に自信を深め、文字通り綺羅星のごとく輝いてますもんねえ(ちょっと言い過ぎかな)。

実は何を隠そう、ぼくもはじめはそう思っていました。超有名になったマイクさんが、医療制度や介護保険制度、難病患者の療養支援の在り方などに発言することで、社会に対する影響力を行使するみたいな。そのためにメディアの世界とも関わりを持って生きているぼくの力を発揮していこうと。

でもぼくは今、ちょっと違った考え方をしています。それはマイクさんに注目を集める方法です。イベントで話題をつくって注目を集め、それがメディアに取り上げられることで、さらに注目度を高めていく。そんなことを考えていたのですが、ちょっと違うことを考えるようになったのです。
たしかにイベントというのは効果があるし、注目も集め、人も集まるだろうけど、結果としてマイクさんのための支援、サポートに具体的にどう結びついていくのかな、もう少し直接的な支援、サポートにつながる方法はないのかと考えるようになったのです。直接的に支援することから始められないだろうか、と。
並行して、スーパーALSってなんだろう? 何をもって「スーパー」って言うんだろうって考えたわけです。いろいろ思い悩みましたが、ぼくの結論はこうです。

どんなに症状が進行して、身体状況が悪くなったとしても、自分が暮らしたいまちで最後まで暮らす。どんなに思い難病、障害でも、向き合いながら地域社会に参加し続けること。これが「スーパー」と呼ぶにふさわしい条件じゃないかなと。つまり、マイクさんが暮らしたいまちで、普通に暮らし続けることこそ大切だと。それがぼくがサポートすべきことだと考えたのです。

イベントで話題をつくり、注目を集めてメディアに取り上げられる方が、インパクトは強いじゃないかという声もあります。もちろんそうですし、その方法を放棄するつもりはありません。大切なサポートのひとつとして考えています。しかし、先だっての「マイクの家」が実現し、マイクさんの自立生活が可能になれば、そちらの方がスーパーだし、インパクトは強いに決まってるじゃないかとぼくは思います。
あわせて、ALSに関する情報や知識をひろく流布していく取り組みもはじめていきたいと考えています。その情報や知識は、マイクさんの暮らしの中で蓄積されるものも含めてです。マイクさんには、ALS患者ではじめてのピアカウンセラーとして社会と関わるという道もあるのではないでしょうか。それがマイクさんの竟の仕事になるかもしれません。あるいは患者の立場で、福祉用具や機器、コミュニケーションツールの開発などに関わることも可能でしょう。
この暮らしと仕事を車の両輪にして、前に進んで行きたいなあと。

ぼくは鹿児島でこの2つを実現するために、仲間たちと動きはじめています。鹿児島でも同じことを考え、思いを共有できる人たちがいます。京都であれ、鹿児島であれ、1つの成功例をつくることができれば、その経験と知恵を全国にひろめることができます。それがALSにかぎらず、多くの難病患者さん、障害を持ったみなさんの希望になればいいな、それをマイクさんに担って欲しいなと思っています。

どんなに思い難病や障害があっても、暮らしたいまちで最後まで社会の一員として生き抜く。そんなことをスーパーだと思わなくてもいい、当たり前にできる社会になればいいと思います。

スローペース/こんな事でスーパーになれるか?

清水さんが「同じ水脈」と言われる意味を考えているうちに5日もゆったりした時間を過ごしてしまいました
この間 心境が少し変化しているかも知れません

その前に「同じ水脈」についてマイクも妄想してみます
この世の中が理想郷を求めているからこそ 人間の歴史には紆余曲折があったにしても進歩を歴史に見ることができます
地球の生物が 長い時間を経て進化しているのは 生物の進化系統図が証明しているのですが そのシステムが「突然変異による多様性の自然淘汰」だとするのは動物だけで このシステムだけでは絶滅の危機は避けられないのも事実です
人間には 自然淘汰に加えて 人と人の繋がりをより強くするシステムとして 王者ライオンの子育てのような「優生保護」と 孤独な狼などの「棲み分け」と 群れを作る弱い者・植物にまで見られる「共存/共生/協調」を意識する事を覚え それらの選択を時には学習して「世間」を作ってきた結果の進歩なのです

マイクはそう考えてユートピアとは何か?はあるか?を考え 優勢保護の持つ意味(絶対悪か?)を知ろうとし 多様性を棲み分けることで保つべきか? 共生に限界がありや? など 随分昔に「マイクスタンディングのHP」で 「マインドイノベーション」のテーマの一つにして考えてきた事なのです
(マイクが中々悩んだもう一つの「ユートピア」と同じようなテーマは「民主主義はあるか?」です)

「同じ水脈」とは 社会全体のこととではなく ほんの少しでも繋がりのある範囲という意味の「世間」のことだと思います

国家社会には優秀な人材を必要とし社会をリードして理想世界に導いて欲しいものです
(歴史には これを完全否定した史実が多数の国にあります)

世界には自治権を尊重した棲み分けで治まっている国も多いのです(合衆国・自治国)

しかし世間と言う眼の届く範囲では 差別は見たくないものです
世間は必ずしも公平ではありませんが 世間は平等でなければなりません
そうでなくとも自由博愛も備わって そうありたいものです
同じ水脈に生きるものは平等でなければなりません
そしてまた実際の社会の世間は多様であり また多様に構成されてあるのです
現実 あることではある仲間 あるところでは別のグループと渡り歩く変身者にもなれる
それらの世間はこのように棲み分けられることで格差を閉ざし容認することで 多様性と共存することができてい複雑な閉鎖社会でもあるのです

では世間の中にも多様性と自由を保ったっまま平等を権利として主張できるか
お互いが見える世間では 死にかけの人でも生きる権利がある事を否定しない博愛を示すのが世間での共存の条件なのです
妄想は中途半端ですが マイクに纏める力がありませんのでここまでにします

最後に 初めに言いかけた心境の変化というのは マイクの自立生活プロジェクトの思考が進展していないことです
8月末に退院を決めたので プロジェクトのタイミングにピッタリなのですがこれをチャンスとはいかないお尻の重いマイクに自分ながらがっくりしているのです
それは借家調査ぐらいは始められるにしてもこの暑さでと言い訳したくなりますが そうではなく 体の力が全身落ちてきた感じが強く それ以上に球麻痺が進行しているのに何故退院?と言う疑問も重なっているのです
でも退院後でも歩けない訳でもなくしたいこともある筈なので 決心は決まっています
しかし次のマイクの症状の予測がつかず 再入院や胃瘻の説明が全くないのです
と言うのは人工呼吸器の気管切開にしても色々のケースがあり事前に知っておかないといけない事を他の患者から知りました

でもこんな程度のことですのでご心配入りません
でも確かに言えそうなのは 始めの入院以来のハッピーラッキー続きも退院まで?

生前葬アーカイブ

6/29の生前葬を終えて 今頃になって 「生前葬 マイク」で Google検索してみました
facebookやInstagramにもありますが 纏まっている下記を是非見てください

ミント ニュース特集
https://www.mbs.jp/mint/news/2019/07/03/070724.shtml
Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190703-00010001-mbsnews-life&p=2
芸術センターHP
https://www.kac.or.jp/events/26281/

中でも イトウ カヌレ さんの力作にビックリしました 有難う御座います
「Let’s enjoy death(死)!!~最高に楽しいお葬式~」
https://note.mu/chipica/n/n1e9d03d5ee7d

生前葬とは 生前に繋がりのある方々に 感謝とお礼をし残さないように 大方は自分が準備万端でするものなのです
その為にはそこそこの元気がいるのですが マイク状況を察して頂き 殆どお任せでやって貰ったのです
本当に幸せなマイクでした
KDEは 12月に第二弾のパフォーマンスを考えていると宣言しているそうです
果たしてそこまで元気かどうかは分かりませんが その為には スーパーALSをも覚悟しておかなければなりません
スーパーALSのダンサー甲谷匡賛さんの企画されたチェロコンサートの事は 5/22 5/23 のこのブログで紹介しています
甲谷さんや舩後議員を意識して マイクにできるのは何かを妄想することが当面の生き甲斐です
その時は 3時間ほど語りたいとは言ってみましたが あの喋りが出来なくなった今では もっと時間が欲しいのです?

昨日はMBCニュースで藤原キャスターが 往復書簡と生前葬のことを話されたと聞きました
後半の今日は 生前葬シーンが出るそうです

南日本新聞「生きる」宣言②(毎月第4水曜日)には 清水さんの投稿があります

理念が先で生きるか 欲望を先にして生きるか

新聞書評欄で マイクの性癖を 代わって批判してくれそうな本を見つけたので紹介させてください(読んで頂くほどでもなく マイクの愚痴癖の為のご紹介でしかありません)
https://www.msz.co.jp/book/detail/08793.html
「測りすぎ――なぜパフォーマンス評価は失敗するのか? 」ジェリー・Z・ミュラー みすず書房(2019/4/27)
「成功へのカギは成果評価にある」――今日あらゆる組織に蔓延している信念だ。
しかしわれわれは業績を数字化することに固執するあまり、測定そのものを目的化ししまっていないだろうか。その結果、この「測りすぎ」が組織のみならず個人の生活を破壊しつつあるのだ。

マイクは一応サイエンティストの積りですが 物理を学んだ縁で ホーキングに憧れてALSになった訳でもありません?
理論物理の彼でもそうですが 実証のために欠かせない実験物理学なら尚更に数字に拘るのが宿命なのです
この本は数字に拘り過ぎると数字により繊細な信号に気付かずして より本質を見落とす可能性があり 合わせて悪用される恐れがあることを警告しています

マイクにして見ればそんなこと当たり前で 心配過剰だと思います
それよりも 数字なしの人間の気持ちや機微だけで 妄想や理念作りをやられる事の方が見ておられません
マイクが言っているのは 現実把握の為には 数字が「便利」ですとだけです
それも多面的に見れば見るほど妄想を刺激してくれるのです

人間のコストやQOLは 見方によって変わる筈だし 多様な価値観に合わせた見方をすれば 人夫々のボンヤリした価値(プライス)を重さとして実感できるならば 社会で共有・理解できるかも知れません
本当にそれが出来るかどうかより その数字の使われ方の心配も懸念しておくべきです
理想が先にあれば 悲観的現実を数字で知ることにもなり 思考が止まります
目的や目標が先行した欲望思考なら 偽造データが簡単に利用されてしまいます
情けないことに 自己ファーストに落ちぶれた世間ではこの様なことが当たり前のように流行って絶えません

マイクが 石田梅岩顕正会で学んできたことを何度かお話ししてきました
その心学から生まれた近江商人の「三方よし」をトランプに教えたいのですが その裏技は数字しかないのです
計数経済学者に 先ず心学を学んでもらって 今一番やって欲しいことです

それも自由・資本主義の「欲望」が先行する経済社会が数字的に優勢なようでは ポピュリズムを分かり易い数字が後押しするのです
欲望が支配する世界など 見飽きて見たくもないとは思いませんか
それより「理念」が将来を作る可能性を信じられるような 経世済民社会であったはずの時代に戻らなくてはと思います
数字はその為の理念を妄想する手段としての また妄想を実現させる可能性を導くと信じています

マイクは 難病患者の数字を調べてからでないと 議員の役割りを重さで納得し切れないし 「れいわ」が議会内のバリアフリーを越えて マイノリティをも越えて 公平・平等な社会に向かい始めた兆しだと 早過ぎる安堵を得票数を見て味わいました
マイクが 限りある命のコスト(殆ど多額な療養費)を使い切って どんな価値(社会的貢献)あることができるか
スーパーALSになってからではなく 今できるその為の準備は何か 病院のベッドからではなく 市井に交わらなくてはと前々から悩んでいるのですが 当分何か見付かるよう ベッドの中で夜な夜な妄想する積りです

どこにいるかより誰といるか

マイクさんと清水哲男@えんじょい・デス 6月29日  撮影:金久まひるさん

マイクさん

祇園祭、ながく見ていないです。BSの中継で見るくらいです。京都が懐かしいです。

25日から27日の2泊3日で生検を受けてまいります。結果が黒ならまた手術ですね。どうやらぼくはこういうことをくり返しながらの人生になるようです。気落ちしていても仕方ないので、気持ちは前に向けたいと思います。

このところのマイクさんの投稿、マイクさん自身が断ち切ろうとした大勢の人との関係が、困難な時期を乗り越えて一層強く太くなり、そのことがマイクさんの背中を強く押しているということが読み取れて、ぼくはうれしくなりました。「ALS患者としての社会的役割を果たす」というマイクさんの言葉が現実のものになってきましたね。

中でもぼくは「居場所」という言葉に心を奪われてしまいました。
ぼくは若い頃から、そう10代の半ばから放浪のようなことをくり返し、大学を卒業してからは拍車がかかり、1カ所に定住し落ち着くということがありませんでした。人は移動する勇気に驚き、関心を寄せてくれます。すごいですね!と。だから文筆業みたいなことができるんだと。

ものを見る、知る、経験するという意味では、人より多くのことを蓄積してきたという思いはあります。その一方で、自分の居場所はどこかと自問すると、明確な答えは見つかりません。強いていうなら、その時関心のある場所ということになるでしょうか……。それでも若いうちはなんの気にもなりませんでした。ところが年を重ね、難しい病気などになって、ちょっと変わってきました。

振り返ってみると、確かに移動距離とそれに比例するように様々な体験はたくさんしてきたのですが、濃密な人間関係というものがないのです。無頼を気取って放浪を重ねてきたから、当たり前と言えば当たり前なんですが、今となってはずいぶんさみしい人生だなと思えてなりません。

ぼくには、マイクさんの言う「死に場所」という意味での「居場所」はないと言ってもいいかもしれません。そう感じて身震いした時気づきました。「居場所」って空間のことではないのですね。そこに誰がいて、その人たちとどういった関係をつくりあげるかということなんだとわかりました。

だからぼくにとっては最期を迎える時、どこにいるかより誰といるかが問題だと思いました。そういう人間の関係を大切に残りの時間を生きていきたいと。大切な人との関係を真ん中に置いて、マイクさんの言う「死に甲斐」を自分なりに探してみたいと思います。

でも今は、マイクさんをスーパーALSにすることに全力を注ぎます(笑)

死の不安を妄想/例によって比較し安堵と不安

不安の最中の清水さんの心中を考える積もりで タブレットに向かい合いました
強靭で知識も並でない清水さんは 病気そのものよりも まだはっきりしない診断そのことなのでしょうと直ぐに思いました
病気だけではなく人生の出来事一般に誰にでも言えることで マイクの自死願望の原因もそうだったのですから

病気そのものについては必ずしも死に繋がるものではなく 不安があるとすればもしも死に繋がるかも知れないとすると その死がどんな死なのかまではあまり考えないので 漠然とした不安を持ってしまうのではないでしょうか
そこでまたまたマイクの何時もの癖がむらむらしてきて 癌とALSの死に方恐怖・不安比較をしてみようと思いました
多分モヤモヤとしたまま死の不安を放置するより何か安堵感まではいかなくとも精神的に楽になりそうではと直感します

日頃なんとなく感じていたのはパーキンソン病とALSの死に方の違いでした
対処療法?が進んで 症状がアップアンドダウン(薬の効きがスィッチ・オンオフ)するものの エンドレスと言われるほど パーキンソン病では死ねないのです
こけて寝込むとかしか?
これでは自死のタイミングもパーキンソン病で死ぬこともないのです
結構患者さんは楽天的に見えます
比較的ですしマイクの偏見でも

ALSは尊厳死のチャンスがある(胃瘻拒否・気管切開拒否)またそれらの前後の自死もできることを嫌でも考えさせられました
但し呼吸器後はエンドレスに自死のタイミングは難しくなり チャンスを失いかけるのではないかと今 マイクは大変なことに気が付きました

癌は手術や抗癌剤などの治療の失敗(または不運)で処置されて亡くなるのでしょうか
発見の早遅によらず 死は失敗でしかないのでしょうか
転移や多発とか症状は色々あるにしても 生存期間の差異となるだけで それもステージという分かりやすい基準で自覚できるのです
こう比べると 癌は分かりやすい し 運にも左右され易いと言っていいでしょうか
別の言い方をすれば運に任せ また諦めやすいと?

それに比べ パーキンソンは 死の認識が薄く 鈍感な死の待ち方のように思えます
癌も多分マイクのような天罰・天命とまでは考えないのではないでしょうか

そしてALSは 何時来るとなくも確実に近付くとは言いながら それを癌ほどはハッキリ自覚予感することはできそうではなく また尊厳死と言う死に方を選択するステージに巡り合うのは結構なことですが 精神的な負担は 発症時以上に切羽詰まって相当なものになるのでしょう
しかもスーパーALSでは長期に亘って 生き地獄と思うかもしれない命を哲学し迷うことになるのです

もしマイクが健常者なら こんなことを書いたマイクを清水さんはお怒りになることとは当たり前ですが ここは妄想としてお許し下さい

同じ進行性の病気でも 考えてみると大違いなのです
癌も半分の人が経験すると言われていますが かなりの割合で運を天に任すしかないことを知って 神仏を信じてみようとはならないのでしょうか
ギャンブラーになって闘病すると言っても 運に任せるに代わりはなさそうです

パーキンソンは 研究や薬で 最早 難病ではないと言われています
パーキンソン病棟は 高齢女性が多く人生100年時代の到来かと思われるくらいですし 又まるで一度訪問したことがある今や完治するハンセン病の療養所の感じすらします

ALSは 天罰・天命として受け入れるしかなく 逃病を夢見て祈るしかないのです

脳卒中や心臓病の死に方も序でに
突然死もあれば症状が残ったり完治も多い治療と回復に癌並みに多様です
症状が残るか死ぬかか それは節制が原因と医者は言いたいでしょうが 殆どは運としか言いようのないことに間違ないのです
やっぱり神仏にすがる方がいいに決まっています
死に方には余り良く考えたくもないのが認知症ですが これは無視しておきます

死に方は別として 苦しいのは 緩和治療でも手に負えないのが呼吸に関する痛みのようです
癌は肺癌でなければラッキーと思ったら間違いないのです
ここでマイクはまたもビビり出すのです
ALSの気管切開の必要な時期では相当苦しいことを このブログで強調して説明しています
尊厳死など容易にできるような状態でなく 苦しんで死ぬか 延命で生き延びるかを十分考える間もなく決断しなければなりません
それは大変な選択で患者の意思に任すというのは自殺幇助か営利目的でやるに等しい位なのに 医師としての倫理的責任放棄に思えます
マイクがスーパーALSになるべきかどうかに関わっているのです
多分延命気管切開を早くすれば苦しみが少ないと思うのですが それまでに意思決定を急げるでしょうか
実はもう一つ安楽死や自死が可能になったらと言う選択肢が増えたらまたややこしいのです
何しろALS患者には知性と理性と生命哲学が求められているのです
選ばれた患者でなければ?⁉️?

症状を尺度で知りたい/要らなくなった仕掛けを

今日で第3クールの点滴が終わり 来週から2週間の休薬期間になるのです
それで6/24からその2週間を一時退院にします
この中日が到頭29日のパフォーマンス公演日になります
あと9日しかありませんので明日から家で そろそろ気を入れて 気にかかっている未準備品を作リ終えなければなりません

3月12日に4月8日からのリハビリ入院2週間が決まったのですが この2週間の間に どう希望しても胃瘻拒否で尊厳死できるとは考えられず その時のために 十分長く入院できるよう主治医を脅せる仕掛けを実は持ち込んでしまっているのです
こんな事を見つかれば強制退院になってしまうのを覚悟だったほど 尊厳死できなければ自死しかないと考え凹んでいたのです

その仕掛けが何かは入院中の今夜は書けません
折角主治医にテレビ撮影に出てもらい マイクがスーパーALSになる可能性に期待されているまでになったのですから
この往復書簡を看護師さんが読まれていますし 何人かは見にきていただくのです
相当危険な事を侵しているマイクです
でも相当エンジョイできる仕掛けなのでまだまだ内部告発はされない方が賢いと想います

それにしても相当やばいのは この事より実は マイクの身体なのです
患者思いと評判の主治医からは 回診の度に 症状の進行が遅いと安堵させて頂きますが 確実に 見て聞いてわかるほどの構音障害が進み 右腕も見るのが情けなくなるほど痩せてしまい 手指の動きも情けなくなるほどに悪くなってきました
食べにくさ飲み込みにくさも進んでいて 昨夜は看護師からこの2週間は嚥下に覚悟して欲しいと経験談を交えて本気で脅されました

今朝は 29日までは調子を保つよう懸命にマイクを指導してくれたスピーチセラピーの言語聴覚士からも当日のために頑張ってきたのだから その先のことを考えず 思いっきりやるよう励ましがありました
再入院までのマイクの身体を心配して下さるのです
嬉しくもあり不安なようでもありますが
そしてこのリハビリは延命目的ではなく目的を目的としたものですと
その後はその時にとまで

実は 今夜は 昨日一昨日の尺度の必要性を妄想しようとしましたが 書き始めると仕掛けの話とマイクの症状になってしまいました
この症状について 医療としてはもっと計測技術を採用して欲しいと思っているマイクの心境を訴えたかったのですが これで十分お分かりいただけると思いますのでここまでに

どう感謝したらいいのか悩むマイクです

今日は昼からMBSミントのテレビの取材があった
29日本番の前撮りとしてALSダンサーマイクの入院の様子を見せるのですが スーパーALSには及びもつかない新参者ですから 全く見栄えがしなかったかも知れません

ALSについてはホーキングと言うだけでイメージして貰えるほどの知名度があります
マイクがALSになっても 難病中の難病であることを多くの方が既にご存知でしたが 実際にはそこまでであるのは当然ですね
マイク自身も告知少し前までは同じだったのです
去年の12月には慶応で iPS創薬治験のニュースがあったのに マイクには関心ありませんでした
今年の3月には 京大でiPSを使って白血病治療薬での効果を治験するニュースはで 知人友人から次々と教えられただけでなく 京大に問い合わせてくれまでした摩耶観音様には敬服の至りでした
(残念なことに 球麻痺先行のマイクは対象外でした)

最近のことですが 名大のALS研究に対するファンドを見つけて寄付したダンス仲間の事を 6/11のここに書きました
昨日また 今度29日の赤字覚悟の「生前葬」パフォーマンスで マイクに関した物品販売などで利益が出たら ALSに関係したファンドに寄付したい由 摩耶観音から打診がありました
勿論嬉しい限りですし よくぞここまで考え至ってくれた事に 愛ある親切を感じて震えました

こんなに気にしてくれている仲間に如何感謝したら良いのか ありがたい悩みとなります
でも実際にマイクは直ぐにでも死にたい時期があったことは忘れない積もりですし 今がある訳も忘れるなんて出来ません
その感謝 お礼としてしなければならないのは自分を曝け出すことでありそれが 難病だけでなく 自死願望者の救いにもなれるような気がします
憧れのトルストイのように⁉︎になって 広く弱者の立場に立って 矛盾や課題を見つける事で お二人のほか多くの支援を頂いている皆さんに応えなければと思います

清水さんがマイクにご期待いただいておられる様に できるかなぁ⁉️

今日のインタビューの最後に 鋭く29日は皆さんに何を訴えるんですかと聴かれました
こんなにして頂けるなんて考えてもいなかったマイクに 人を愛し信ずることの大切さを教えてもらったことへの2人の神様と仏様と多くのご支援をいただく仲間に感謝を述べたいのと そして何よりも マイクが誤解し逃避しそうになったような世間ではなく 優しい人が皆さんの周りにいっぱいいる事を 改めて知って頂きたいと思っている事を告白したいと申しました

弱者を見る目が自らを育み 自分ばかりか世間も優しくなるに違いないと信じられる今のマイクです