一か八かの決断?

マイクさん

〈何だか疲れの所為でか、酒がよく回っている様で……〉

いいですね。飲んでるんですね。魂を解放する薬ですからね。そう易々とやめるわけにはいきませんよね。と言いながらぼくは少々お酒を控えています。何を今更と自分を笑いもしますが、なんとなく酒がうまくなくて……。飲んでも酔えない、酔うと悪い酒になる。そんな具合なのです。酒に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

さて、目下のぼくの病状が明らかになってきましたので、ご報告致します。
大腸がん手術から2年を待たずに見つかった前立腺がんですが、これ自体は先だってもお話ししましたがステージ2で、まだまだ治療の選択肢もあり深刻な状況ではありませんでした。しかし、ではどういった治療方法を選択するかという段階になって、ちょっと複雑な状況になってきました。

複雑にしているのは、大腸がんでした。切除・縫合部分が前立腺に近く、特に縫合部分が前立腺に癒着しているようなのです。で、この縫合部分がほぼ直腸にあたっているというのが大きな原因なのです。これを治療法との関連で見ると

①手術:癒着を切り離すのが困難で、前立腺が取れたとしても癒着部分(直腸)も同時に取ることになり、結果として人工肛門になるリスクが高い。
②放射線治療:前立腺に照射すると縫合部分にも放射線が当たることになり、その影響が懸念される。具体的には縫合部が破れる可能性がある。それが数年後か10年後になるのかはわからないが、リスクは高い。
③ホルモン治療:進行を止めるだけの治療で、効果は数年だと考えられる。その後は抗がん剤などの治療が必要。

ということです。
どれもこれもマイクさんのいう「ギャンブル的」な治療になってしまうわけです。
「リスクがある」
「可能性は否めない」
まあ、何を選んでも一か八かの決断になりそうです(笑)

しかし、とぼくは思っています。
どうせ一か八かの賭けになるなら、いろんな人の話を聞き、情報を集め、納得の上で賽を振りたいと。同じような経験をしている人がいるはずです。同じような症例を診てきた医者がいるはずです。そういう人たちから実体験を含めていろんな話を聞きたいと思っています。でないと本当の一八勝負になってしまいますもんね(笑)

そうして思いました。これを乗り切れたら、次はぼくが自分の経験を同じような病状を抱える人に話をすることができたらいいなと。後ろ向きだった頃のマイクさんにずっと言ってきたことを思い出しました。

〈同じ悩みを乗り越えた人の経験から学ぶことが大きな力になる。だから生きてALSの事実を後に続く患者さん、その家族に経験として伝えることはALS患者としての社会的な役割じゃないでしょうか〉

今度はぼくがそれを自分に言い聞かせる番だと。

臆病を笑わないで

マイクさん

〈全粥の上に練り味噌で“Love”〉

ですか。いいですね。うれしくなって周りの人に見せているマイクさんの姿目に浮かびます。
愛はそうやって人を救うんですね。愛されているということは、生きる力につながるんだと思いました。

マイクさんのALSは体の変化を雄弁に語る嫌なやつですね。ぼくのガンちゃんは、医者に知らされるまで何も語ってくれませんでしたし、知らされた後も少しも本性を現しません。ガンちゃんの本性をぼくがみた時、ぼくの命はガンちゃんに横取りされてしまうのです。本当に恐ろしいやつです。憎らしいやつです。でも、そんなガンちゃんに魅入られたぼくは、ちゃんと定期的にガンちゃんの出現を警戒して早期発見に努めているのです。

前立腺に現れたガンちゃんは、医師の説明では「ステージ2、未だ前立腺内に止まって、他臓器や骨への転移などはみられない」ということでした。この話をみんなに報告すると、

「よかったじゃないですか!」

と異口同音に喜んでくれます。中には「運が良かったですね」と言ってくれる人も。これは最初の大腸がんの時もそうでした。まあ、処置ができる間に見つかったんだから、よかったんだろうなと思いますが、本当に運が良かったらがんなどにはならないのになと苦笑いをしてしまいます。〈でも、俺、がんなんだよなあ……〉って。

前回の返信で〈ただただ恐れるだけではなく、不安を募らせるだけなく、意味を明らかにし、本質を見極め、その病と向き合って生きていく〉などと大層なことを言いましたが、本当はビクビクしているのです。ぼくはこんなことを繰り返して、そのうちに命果ててしまうのだろうなって。あと何度こんなことを繰り返すのかなと。でも臆病を笑わないでくださいね。なんせ、立派ながん患者なのですから。

さっきも親しい人にこんなことを書いて送りました。
〈人前では、ヘラヘラしてるけど大腸ガン、前立腺ガン、さて次は……と考えると怖いし、ずっと平常心でいられる自信はない。ちょっと後ろ向きになると心が折れそうになる。情けないけどね。でも、頑張るって約束してるし、頑張るよ。立ち向かうよ。力つきるまで〉
自分自身の生きたいと思う気持ちを、支えてくれる人の愛で補強して、前へ進む。進むしかない。そう思います。だからぼくは神頼みではなくて、人頼みしたいと思います。

〈全粥の上に練り味噌で“Love”〉

ぼくにもそんな日々がいつか訪れるのでしょうね。
臆病なぼくは、ビクビクしながらそれを楽しみにしたいと思います。

治療や死に様まで映像で知りたい/バーチャで治療・死体験

清水さんは17時間運転で鹿児島にお帰りとか
若さや元気は「ガンちゃん」に好かれる?と聞きますが 嫌われるようでは寂しいし 丁度いい位のお元気でありますように

胃瘻をそろそろ覚悟すべきかと思うこの頃のことを最近書き込む事が多いマイクです
医師には 余命宣告や癌ステージをキツイめに言う医師と 軽めに言う医師がいることを実感しているマイクです
診断結果の説明もどんなに丁寧であっても モットと思う事も何時もです
患者の受け取り方も様々かも知れませんが 時には医師不信にもなり兼ねません
相性があるということでは済まされません

特に人工呼吸器の装着拒否などを考えている患者には相当前から詳細を知らされないと 突然ではパニックになる事でしょう
マイクの主治医はどうも甘め 且つ ゆっくり目で事前説明遅め少なめかも?
清水さんの治療法選択の難しさしもそれです
痛みもなく進行が遅いと言うのが前立腺癌だと気楽に思った訳ではありませんが 先日9/3&6に 「神頼みはしても自分をゆっくり眺められれることを感謝するのが一番だと思います」と「ゆっくり」などと他人事のように軽く言ってしま ったことを 実はずうっと気に掛けていたのです
でも本当にゆっくり考えないと判断・決断できないのです
そのためのゆっくりが出来ればいいのですが 医師からの詳細で確かな情報が得られなかったら 只ゆっくりでは何にもなりません
マイクはいつも思うのが 医師の口頭の説明だけではなく 映像でロールプレイングガイドして欲しいのです
絶対に 有効な医療価値を感じてなりません
先ずはALS人工呼吸器の気管切開手術の様子を映像で見るだけでいいのです

QOL QOD という言葉がありますquality of life, death
QOLは思う様になりませんが QODぐらいは自分の思う様に選択したいものです
その為には 死期・臨終期の症状と特徴に関する情報を知っておいた方がいいと思い調べてみました
言葉だけにして置きますが
「せん妄」とは 臨終前の妄想と行動のことです
「下顎呼吸」は臨終前の努力呼吸のことです
「断末魔」(身体のある小部位で 傷付けると死ぬほど)の苦しみと叫び(臨命終時は吸気発声) のことだそうです

こんな様子を死期が近づいてから映像で見るのは残酷でしょうか
皆んなが最期に味わう死を 前持って覚悟したほうがいいのか それともまさかこんな死に方をするとは知らなかったと(後悔する間も無く)成るが儘に任せた死に方が賢いのでしょうか
これこそ QODの為にも また「死に甲斐」を確実にする為にも そして出来れば「エンジョイです」の助けになるのでしたらとマイクは見知っておきたいと思ってなりません

「神頼みはしても 自分をゆっくり眺められれることを感謝するのが一番だと思います」と言ったのには
自分を眺めている内に もう死にたくないと思うかも知れませんし あんな死に方をしたいと見つかるかも知れません
そんな気持ちがあったのです

(NHKスペシャル「私は安楽死を・・・」に続いての放映を期待したいものです)
映像利用で 西欧の半分しかいない医師の過労を救えると思えるのです
医療財政の危機も

古事付けてでも納得できれば言うことなし

辛い時には気を紛らすのが常道ですが こんな今の清水さんにそんなこと勧められません
お仕事以上に優先して治療の選択肢を探すにしても 選択肢は多過ぎればいいと言うものでもなく また誰にでもお手伝いできるものでもなく そう思うとどうお声がけするかも少なからず気を使います
このような心境は病人同士言わずがなで通じ合える気安さと言うことにしておきましょうか
(告知を受けて沈んでいた頃の友人からの言葉がけは こちらが辛くなるほど大変なことに思われました)

マイクはマイクのALSを 「天罰」と早々に意味付け(故事付け?)し その上に それだけでは余りにも救いのない運命と諦めきれず 考え探したのが「天命」でした
その所為か 早い時期から病そのものへの不安を 今も 全く持っていません
酒を見つけられそうになったことを8/22に マイクが危ない事を恐れない「開き直り」のスコイ性格を持つと書きましたが 合わせて持っているのが「諦観」で これまたスコイ性格の方が(両方かも)効いたのでしょう
だから闘病より逃病が似合っているのです

病だけでなく人生そのものに意味付けする哲学紛いを楽しむことが好きなのも エンジョイ精神としてあるのです
清水さんも妄想をこよなく愛し それに納得出来るまでガンちゃんとゆっくりお付き合いください??
何しろステージⅢでも生存率100%なのですから
また9/3に書きました様に 病は人生共々の運命です
神様に生かされ 自らに任された運命でもあります
神頼みはしても自分をゆっくり眺められれることを感謝するのが一番だと思います

病を得た意味はなんだろう

病室でくつろぐマイクさん 2019.9.3清水写す

マイクさん

久しぶりに会えてうれしかったです。1時間ほどの短い時間でしてが、それぞれの生存とまだまだ元気でいることが確認できたこともよかったなと思います。それに、おたがいの病状を思うのはもちろんですが、大変ですねなどという安っぽい言葉も、同情するような思いも出てこなかったことが、普通ぽくてそれもまたうれしいひとつでした。ぼくらはちゃんと病気を自分のものにして、ちゃんと生きていると。

最初のがんから2年経たずにふたつめのがんが見つかって、ぼくは最近とても考えるようになりました。

<ぼくが病を得た意味はなんだろう>

と。「体質かもしれんなあ。うちの血を継いだ」と、96年の人生で何回もがんの摘出手術を経験してきた母は申し訳なさそうに笑います。確かにそうかもしれないなあとも思いますが、そういうがんになった理由(わけ)ではなくて、意味を知りたいと思っているのです。

ぼくががんになったのは、体質だからか、偶然なのか、不運なのか、運命なのか、宿命なのか、そんなことではなく、何か意味があるはずだと思っています。自分にとっての意味。他者との関係にとっての意味、社会にとっての意味……。そういうひとつ一つの意味を解き明かしていくことで、がんという病気の本質が見えてくるのではないかと。

ただただ恐れるだけではなく、不安を募らせるだけなく、意味を明らかにし、本質を見極め、その病と向き合って生きていく。それががんという病とともに生きていく唯一の道だとも思っています。何せ、がんはもうひとつのぼく自身なのですから。ぼく自身に悪さをする、ぼく自身なのですから。それが何か、そうなっちゃった意味を知らずに、ただただ取り去ってなかったことにすると、果てしなくそれを繰り返してしまいそうな気もします。

「そんなことじゃ消えて無くなってやらないよ」

ほら、やんちゃなぼくが、臆病なぼくの身体のあちこちで笑っているような……。
このやんちゃなぼくを、ガンちゃんと名付けて、ゆっくり付き合っていこうかと。そう思うだけでなんとなく鬱陶しい気分も晴れていきそうです(笑)