今日は他人と自分を比較することとは?に就て少し
先ず マイクの思いから
ツイツイ何の罪悪感もなく無意識にやってしまう
結構 比較を楽しんでいるのですが ミミッチイ「コスパ癖の男」はモテないのは確実
隠れてするもの隠すもので 公表はリスキー ましてヘイトスピーチは度胸
こんな事位しか? でももう少し考える!
何の為にするか?
優劣判断する
差別して選択条件にする
例えば トリアージ 商品購入 結婚
リスク?
被差別からの反感反発
公表でデータミスに責任
メリット?
妄想のバックアップ(バックグランドデータで精度構築)
これ位しか!
なぜ人は比較するのかを これからまたサイトに頼ります
「他人との比較は良くないと分かっててもやめられない3つの理由と改善法」も参考になりますが
「なぜ人は差別するのか。心理学の視点から差別の仕組みを解明」が刺激的でした それに依ると
差別の種類
racism(人種)
sexism(性)
ageism(高齢者)
差別の要因
scapegoat理論(生贄)
内集団バイアス(集団の自尊心敵対 競争意識を生むメリットも)
もう一つ
「差別がこの世からなくならない、根本的な理由について。」2018/12/28岩崎夏海
差別をなくす運動というのは、なかなか上手くいかない。
その根本的な理由は、差別をなくそうとする人そのものが、差別心があるからである。というより、差別をしている。・・・・
誰を差別しているかというと、彼らは「差別をする人」を差別している。・・・・
差別するということが人間の本質の一つだからだ。というより、生き物としての本質の一つだからだ。・・・・・
もちろん、人間だけではなく、他のあらゆる生き物が差別をする。
人間が特殊なのは、むしろ差別をなくそうと努力しているところだ。
差別するのも人間の本質なら、それに抗うのもまた人間の本質というわけである。・・・・・・
そういう矛盾した様相こそが本質で、逆にいえばその矛盾を解決しようとする行為——つまり差別をなくそうとする行為は、本質から外れているのである。そっちの方が、むしろ無理が大きいのだ。
そういうニュートラルに近い状態で、例えば国籍差別をする人と接すると、彼らもその人の言葉に耳を傾けるようになる。
実は彼らも人間である以上、本質的には「差別する心」と同時に、「差別に抗う心」も持っている。
流石に説得力あると感心します
でもここからがマイクの出番
何でもかんでも比較調査している訳ではありませんでし 表面的でしかありません
一か八かギャンブルで決めるべきとした若気の至りもある(見た目だけで)
下方比較は特にメリットを臨床心理士から効用を認められていると9/17に白状を交えて書きました
同病者との進捗の違いから安堵したり 認知症になるよりもよかったのではと思ったり
元々 孤独願望の強いシャイなマイクであっても 拘るのでない只 人を見るのは面白く楽しいものです
他人に関心はあります 好きでも嫌いでも
優生保護主義を完全否定できるか?考えたことはないでは済まされない
多数派に属したくないだけの偏屈マイノリティ
アンチ巨人なだけの阪神ファン
京都のエリートが反自民の隠れ共産党であったりとか
世間は ヒューマンなもの 暖かいもの 心あるものばかりではない
多様共生するにはお互いに違いを理解し合うことが前提
最近では パラリンピックへの理解と また格段に親しみが増している
パラリンピックの意味を考えてみるのも
アンケートでは 理解促進に40%が懐疑的とか
選手だけでなく弱者一人一人に日が当たるように向かう指針に!とか
暮らしや教育の中で弱者も同じ環境の中にいることが気づき合う指針に!とか
弱者の弱者が責められるのでは? アスリートは極一部!
弱者同士が競うことの意味は?
弱者が弱者を意識しない/しないでいい?/個性の多様性ですませる?
元々競争スポーツはライオンが群れで生きる為の修行?
孤独な狼はニッチに個性で生きる奇抜な技を生み出す能力
弱い生き物は群れて生きる為標準が好ましい
弱い生き物が戦い 強くなるのは賢い
周りに合わせられるまで
超える必要は? またまたクドイ!
最後にこんな話しを
イグノーベル経済学賞にカラオケが選ばれた理由を思いだしました
自分のを他人に喜んでもらえると思うには 他人のを辛抱する「寛容」さを育む修行マシンとして
差別の歴史がが寛容な社会を育んできたのですが 歴史に遅れのある・・・・・