
マイクさん
久しぶりに会えてうれしかったです。1時間ほどの短い時間でしてが、それぞれの生存とまだまだ元気でいることが確認できたこともよかったなと思います。それに、おたがいの病状を思うのはもちろんですが、大変ですねなどという安っぽい言葉も、同情するような思いも出てこなかったことが、普通ぽくてそれもまたうれしいひとつでした。ぼくらはちゃんと病気を自分のものにして、ちゃんと生きていると。
最初のがんから2年経たずにふたつめのがんが見つかって、ぼくは最近とても考えるようになりました。
<ぼくが病を得た意味はなんだろう>
と。「体質かもしれんなあ。うちの血を継いだ」と、96年の人生で何回もがんの摘出手術を経験してきた母は申し訳なさそうに笑います。確かにそうかもしれないなあとも思いますが、そういうがんになった理由(わけ)ではなくて、意味を知りたいと思っているのです。
ぼくががんになったのは、体質だからか、偶然なのか、不運なのか、運命なのか、宿命なのか、そんなことではなく、何か意味があるはずだと思っています。自分にとっての意味。他者との関係にとっての意味、社会にとっての意味……。そういうひとつ一つの意味を解き明かしていくことで、がんという病気の本質が見えてくるのではないかと。
ただただ恐れるだけではなく、不安を募らせるだけなく、意味を明らかにし、本質を見極め、その病と向き合って生きていく。それががんという病とともに生きていく唯一の道だとも思っています。何せ、がんはもうひとつのぼく自身なのですから。ぼく自身に悪さをする、ぼく自身なのですから。それが何か、そうなっちゃった意味を知らずに、ただただ取り去ってなかったことにすると、果てしなくそれを繰り返してしまいそうな気もします。
「そんなことじゃ消えて無くなってやらないよ」
ほら、やんちゃなぼくが、臆病なぼくの身体のあちこちで笑っているような……。
このやんちゃなぼくを、ガンちゃんと名付けて、ゆっくり付き合っていこうかと。そう思うだけでなんとなく鬱陶しい気分も晴れていきそうです(笑)