病を得た意味はなんだろう

病室でくつろぐマイクさん 2019.9.3清水写す

マイクさん

久しぶりに会えてうれしかったです。1時間ほどの短い時間でしてが、それぞれの生存とまだまだ元気でいることが確認できたこともよかったなと思います。それに、おたがいの病状を思うのはもちろんですが、大変ですねなどという安っぽい言葉も、同情するような思いも出てこなかったことが、普通ぽくてそれもまたうれしいひとつでした。ぼくらはちゃんと病気を自分のものにして、ちゃんと生きていると。

最初のがんから2年経たずにふたつめのがんが見つかって、ぼくは最近とても考えるようになりました。

<ぼくが病を得た意味はなんだろう>

と。「体質かもしれんなあ。うちの血を継いだ」と、96年の人生で何回もがんの摘出手術を経験してきた母は申し訳なさそうに笑います。確かにそうかもしれないなあとも思いますが、そういうがんになった理由(わけ)ではなくて、意味を知りたいと思っているのです。

ぼくががんになったのは、体質だからか、偶然なのか、不運なのか、運命なのか、宿命なのか、そんなことではなく、何か意味があるはずだと思っています。自分にとっての意味。他者との関係にとっての意味、社会にとっての意味……。そういうひとつ一つの意味を解き明かしていくことで、がんという病気の本質が見えてくるのではないかと。

ただただ恐れるだけではなく、不安を募らせるだけなく、意味を明らかにし、本質を見極め、その病と向き合って生きていく。それががんという病とともに生きていく唯一の道だとも思っています。何せ、がんはもうひとつのぼく自身なのですから。ぼく自身に悪さをする、ぼく自身なのですから。それが何か、そうなっちゃった意味を知らずに、ただただ取り去ってなかったことにすると、果てしなくそれを繰り返してしまいそうな気もします。

「そんなことじゃ消えて無くなってやらないよ」

ほら、やんちゃなぼくが、臆病なぼくの身体のあちこちで笑っているような……。
このやんちゃなぼくを、ガンちゃんと名付けて、ゆっくり付き合っていこうかと。そう思うだけでなんとなく鬱陶しい気分も晴れていきそうです(笑)

ぼくらは同じ水脈を一緒に生きている

マイクさん

「異物を受け入れないなんて」という言葉に、思わず反応してしまいました。異物を受け入れられてないのは、ぼくだって。いや、異物というより、もうひとつの自分といってもいいかもしれません。「がん」のことです。

「がん」は自分にとって異物であり厄介な「悪」なのですから、受け入れられなくて当たり前かもしれませんね。でもね、それでも自分の一部なのです。これが性格ならどうでしょう。人から「君は性格が悪い」と言われたとしたら、「何を言ってるんだか、お互い様じゃないか」などと笑ってすませたり、言われちゃったとしょぼんとしたり、仕方ないなと諦めたり、見抜かれちゃったとどきっとしたり、ああ自分が嫌になっちゃうなと思ったり、いろんな感情は持つけれど、まあ自分は自分だとそれなりに折り合いをつけて生きていけるものじゃないかなとも思います。性格が悪いっていうのも、人から見た自分の側面のひとつですから。

でもね、これが「がん」となると、紛れもなく自分の細胞のひとつ、自分の一部そのものなのに、まったく受け入れられない。当たり前です。命に関わる問題ですから。でももうちょっと突っ込んで考えてみると、性格が悪いっていうのもひょっとしたら命に関わる問題かもしれない……。でも「がん」の方がはるかに深刻だと誰もが考えます。で、その悪を排除する。異物は排除しないと、と。

でも「がん」ってほんとうに異物なんだろうか? 悪なんだろうか? そう考えた時、それが自分の一部だと思うと、自分自身を異物だ、悪だと否定しているような気分になってしまいます。

これを社会に置き換えたらどうなるか。マイクさんの投稿を読みながら考えてしまいました。
自分とは異なった外見、感情、意見を持つ人を、「異物」「悪」だと決めつける窮屈な、狭隘な社会になってしまっていると感じるのはぼくだけなのでしょうか。「がん」の例えで言うと異物を否定するということは、自分自身を否定することに他ならないのに。

そもそもぼくたちが暮らすこの国は、太古の時代から大陸の東の果てで様々なもの、文化、人々を受け入れながら歴史をつないできた社会だったんじゃないかと思います。異物を受け入れて、自分たちのものにする、そういう社会、歴史だったんじゃないかと。
だとすると、マイクさん流にいうと、異物=マイノリティこそが、この社会、歴史、文化を豊かにする原動力だったと言ってもいいんじゃないでしょうか。

「がん」だって排除するだけではなくて、排除するたびに心に得るものがたくさんあります。筋ジス患者轟木敏秀さんは、かつてぼくに、動かなくなる自分の身体を指してこう言いました。
「失うものがあっても、まだ得るものはたくさんある。何かひとつできなくなると、何かひとつ豊かになるような気がする」
と。どうして?と聞くと
「何かできなくなると、清水さんみたいな人が現れて、ぼくの手となり足となっていろいろやってくれるからね」
と笑いました。

ぼくらは誰でも同じ水脈を一緒に生きているのだと思います。
排除からは何も生まれない。異物を排除する前に、まず自ら一歩近づいてみる、寄り添ってみる。自分はそうありたいと思っています。

叱り飛ばしてくださいね

マイクさん

ここのところマイクさんの投稿を読ませてもらって、たくさんの元気をもらっています。ありがとうございます。
とってもいい感じですね。まわりの人のサポートももちろんですが、それに応えようとしてすべてを前向きにとらえようとするマイクさんの姿勢がとってもいいなって。

ぼくはといえば、少々不安に満ちた時間を過ごしています。先だってお話しした前立腺の白い影ですが、泌尿器科の専門病院を受診しました。当日再度採血をしてPSAの数値を計り直しましたが、やはり微妙に高い数値でそのままエコー検査を受けました。その結果を見て医師はこう言いました。
「前立腺はあまり肥大していないようだし、それでこの数値の高さはがんを疑うべきだろう」
ちょっとしたショックでした。おそらく自分は、このがんという病からは逃げきれないのだろうなと薄々は思っていましたが、こんなに早く次のがんの影が迫ってくるとは思ってもみませんでした。
同日のうちにMRIを受けましたが、結果はまだ聞けていません。不安で悶々とした時間を過ごしています。

そうしてマイクさんのことを思った時に、マイクさんの不安はどれほどのものだっただろう、どれほどのものだろうと思いおよんで、ぼくの不安など取るに足りないものだと自嘲しながらも、やはり不安に押しつぶされそうになっている自分が情けなく思えて心が折れてしまいそうになりました。

マイクさん
ぼくはマイクさんがとても羨ましいです。家族に囲まれ、大勢の人に支援され、その大勢の人たちがマイクさんの困難な日々に手をさしのべ、一緒に乗り越えようとしている。ほんとうに羨ましいし、マイクさんは幸せだなあと思いました。前回の返信にも書きましたが、それはすべてマイクさんがこれまでされてきた社会活動の結果なのだと思いました。ちゃんと社会に、大勢の人たちに関わってこられたということなのですね。

どうやらぼくはずいぶん自分勝手に生きてきたようです。なんだか今になって孤独な闘いを強いられているようで……。
そんなぼくがマイクさんに、社会とのパイプは閉ざさないでほしい、そのパイプ役をぼくがしますなどと、そんなことよく言えたなと、これまた自嘲を重ねています。
でも、マイクさんに関わることが、ぼく自身が社会と関わりを持ち続けるためのパイプなんだろうなとも思います。

27日に京都に参ります。29日には「ENJOY DEATH 生前葬パフォーマンス」に参加させていただきます。
大きな不安を抱えていくかもしれません。もしそうだったら、
「何をネガティブになってるんだ!」
と叱り飛ばしてくださいね。お願いします。

まだまだ楽しむ面構えは格好いい

ここ何日かは清水さんが お仕事の多忙なことで マイクの往信が続いているのだとばかり思っていました
それが・・・・
でもそんなにとも思える診断のようですが・・・・

ひとつ病を持つっていると無病息災どころでない自己管理力が備わって長生きすると言われています
だと言って癌は他の病気と違って ひとつ目の癌は長寿の宝物になれる訳でもなく どこに何が発症するかは改めての初めからの宝物でもない宝探しなのだと聞いたことがあります
だけど偶然性の高い病気だけに マイクのように自己管理に関心なく癌検診をしたことの無い者もいる
清水さんは 元より難病などに関心をお持ちでも 大腸癌の高いステージになっておられたり 結局は 結果的な運不運をメンタルにどう受け止められるかです
それでも一回経験者と初めてでは大違いでしょうか
とは言え心配の大きさは いつ誰でも同じでしょう

マイクの歳になると 前立腺と白内障は病気ではないように言う人が多いですね
若い時になって進行が早くて切除してオムツ使う友人もいるし マイクより少し上の京都のお菓子屋の社長は広島が最高だと言って1ヶ月?入院され完治したようです
これ位のことしか知らないのを 恥ずかしげもなく書いてしまいました

会社のOB会で 翌日ゴルフする元気のある友人は殆どが癌などの大病をしたものばかりです
しかも貪欲そうな 面構えは闘病経験者でないと と思いますし ギャンブラーらしいスコアで上がっているようです
人生は寄り道回り道 まだまだ楽しみは巡り続きます

最後まで人生を楽しみたい

マイクさん

今日はぼくの話をさせてください。
5月29日に術後1年半の検査を受けました。CTと血液検査です。これにはいつまでたっても、不安と緊張で、面白いほどいっぱいいっぱいになります。この歳になって、もし問題があれば、もし再発や転移が見つかれば、また手術してとったらいいってもんじゃないかと思いますが、どうもそういうわけにはいかないのです。

ちなみに半年前の1年の検査ではCTの結果、肝臓に白い影があり、MRIで再検査を受けました。再検査前、医者からは、原発性か転移かは不明だががんの可能性は否定できないと言われて、相当落ち込んだことを記憶しています。この時のことを詳細に思い出すと、まず血液検査で腫瘍マーカーは正常値内に収まっていましたが、実際の画像に影がありましたので、念を入れて検査してみようということでした。

ぼくの中には、つらい抗がん剤治療を経て、その上の検査でなんで……、という思いが非常に強くありました。なんのためにつらい治療に耐えたのだろうって。しかし、その反面、手術時にリンパ節に転移が認められた事実を思うと、何があっても不思議じゃないなという、半ばあきらめのような思いもありました。

MRIの結果、肝臓の影は血管腫だと判断され大事には至らずホッとしました。
「もし悪性だったらどうなってたかと思うと……」というぼくに、医者はクールにひと言言いました。「悪性だったら、また取ったらいいですよ」と。それを聞いた時、ぼくは、ああ、ぼくの人生はこんなことを繰り返していくんだなと、そんなふうに思いました。

そうして今回の1年半の検査でした。29日に採血とCTを受けました。そうして1日あけ31日に結果を聞きに出かけました。さすがに今回は何もないだろうという思いと、もしなんかあったら嫌だなという、楽観と不安の両方の思いを抱えながら。

結局はぼくの不安を膨らませるものでした。CTの画像に問題が見つかったのです。今回は肝臓ではなく前立腺でした。画像だけでなく、前立腺の異常示すPSAも、医者の言葉を借りると「微妙に高い」数値でした。しかし、腫瘍マーカーは正常値内。医者の判断としては「これが即座に前立腺がんだということにはならないと思いますが、念のために専門医に見てもらった方がいいですね。エコーとかMRIを撮ればはっきりしますよ」というものでした。

ぼくには大腸がんという事実と、それが転移していたという事実があります。そのために細心の注意を払い、観察を続け、出来る限りのことをしてきました。しかしぼくの身体には、ぼくの思いがなかなか伝わらないようです。
どうやらぼくはこういうことを繰り返していく人生を送るのだろうと思います。悲観と不安と楽観の間を揺れながら生きていく人生なんだろうと。
でも頑張って生きてみようかなと思います。嫌にならずに、もう少し頑張って生きてみようかと。だってまだまだ死ぬ気になれないし、もっといろんなことやりたいし、楽しみたいし。そう、どんな状況にあっても、最後の最後まで人生を楽しみたいと、貪欲に思っているのです。

まっしぐらに落ちても/調子に乗っていたい❓

何時かは 清水さんのお父上の壮絶な信念ある死に方をお聞きし 昨日はお祖父さんの羨ましい生き方に 共に清水さんのDNAを見る様でした

マイクの父は 和菓子屋の祖父に子供がなく 親戚から母を貰い子し 丁稚の父と一緒になって両貰いされたのです
父は養子のように真面目生一本でしたが 菓子組合や町内や公民館の仕事を引き受け 議員の世話役など 信頼されることに喜びを得ている様子をマイクは見て育ちました

逆に祖父は40代から隠居し 女遊びの話は全く分かりませんが 盆栽 畑仕事 釣りに 小鳥を飼い 深山の苔取り ありとあるだけの知識と趣味を楽しんだばかりか 最後は在家の坊主として自宅で法話をし マイクが後継する話があったくらいです
そんな父の堅実さと 仏心と遊びの人生を見せた祖父への憧憬からは逃げられません

今も知的でお元気な95歳の清水さんのお母さんのことはよく存じ上げている積もりです
マイクの父母とも亡くなっていますが 母の子への思いは並み並ならない事を 5人兄弟姉妹の誇りとしていて 今も5人の繋がりの強さの元となっています

家内や子供・孫の話はまたにして 兄弟家族の存在は マイクには何よりも大事なこととは身に沁みて分かっているのですが 現実の人生と言う波は どの家庭でも平穏とは限りません
でもなんとか並みにやってこれたものと満足しています
そんな中でのマイクに起こった事件とも言うべきことは 皆に相当にショックを与えたと思います
しかし長い人生の一場面でしかなく それも天災や事故の被害に比べれば並みのことなのです

病は本人の体でしか苦しめないし 所詮家族には見守りがあるだけで満足なのです
かえって心配過剰は本人に気遣いの負担になります
家族とは互いに自力本願で生きており 最小限の他力本願で繋っていると心得ておくべきなのでしょう

病人に掛けてはならない言葉が参考になるかも知れません
癌患者が言われて傷つく言葉を調べています
がんばって かわいそう 前向きにならなきゃ 手術で・・・とか
『あのひとががんになったら – 「通院治療」時代のつながり方』 桜井なおみ 中央公論新社 (2018/3/20)
には家族だけではないコミュニケーションの大事さを教えてくれています

マイクの人生は 思わぬ78歳で 並みのままで予定していた身体の平均コースから外れたものの 寄り道や回り道どころか 真っしぐらに天命を果さんと道付けられました
それでも2月3月の危険状態を切り抜け 丁度ひと月先の「生前葬 パフォーマンス」に向けて駆け上がり また清水さんからのご支持を受けて マイクのぶち撒けを社会に実らすチャンスを頂いて 少し濃いめの最期を迎えられるよう生きる目標ができたのです

まっしぐらに落ちていても 錯覚にでもそう思える内は 何の不安も無いはずと信じられます
それは マイクが後期高齢者になるまでにして来た「寄り道と 回り道の人生」に 充分心身共満たされているからです
これからひたすら末期高齢者に近づくマイクは 精神力だけで心満たされることでも生きる価値があると次第に思うようになれるような気がして来たのです

一寸 調子に乗り過ぎたかな?

癌とALSの往復書簡の意味❓

往復書簡なのに マイクは自分のALSの事ばかりです
2/6の告知からの2月3月は まさかの難病に沈むばかりで 他の事を考える余裕もなかったのは当然としても 4/8からの入院生活後は 精神的な安定と時間的余裕で 毎日欠かさず またその文章のクドクドしさも 自覚はしていましたが生半端ではなかったようでした
清水さんからは優しく マイクをぶちまけるスペースだから思うようにと言われ 遠慮知らずも甚だしくではありましたが なんとかやってこられました

それでも時々 もしもマイクが癌だったらとの想像をしながら 清水さんのお気持ちを思い知ろうとの努力は してみてはいるのです
2人に1人は病むと言う癌については 誰もがかなり知っている積もりでも 色々ある癌の事を 一括りに理解しているだけです
いざ清水さんのご様子を話題にしてみようとはしても 特別の何かを思いつかず ついついまた自分のことになってしまっていました

でも 考え至って 癌と 難病の違いを
癌が ステージと生存率に賭けて闘病するギャンブル的病気
難病は 完治せず地味な病気で 逃病が似合うと
言った覚えがあります

癌で死にたいという医者(中村仁一)もいれば
ALSは医者が一番なりたくない病だと言うのが定説であったり

最近知ったのは
「阿賀野病院ブログへようこそ ALSの患者さんでは 癌(がん)になりにくいようです 横関明男」に 次のようにあった
いままでの研究から、神経変性疾患と称される神経細胞が減っていく病気では、癌になりにくいことが示されておりました。アルツハイマー病(認知症を起こす病気です)やパーキンソン病(手や足のふるえ、歩行障害をおこす病気です)などが、神経変性疾患の代表的な疾患であり、これらの病気では癌が少ないことが報告されています。

ALSの患者として喜んでいいのか 癌患者がALSにならないと言っている訳でもありませんが どうでもいい事なのでしょう

サイトで癌患者や家族の心得を探っていたら 色々ありましたが割とシンプルな気がしました
それは ALSをマイク自身が経験して悩み抜いたことから比べてですが 違いますでしょうか
マイクはALSを 癌なみに 社会に理解を広めるべき天命を頂いているのです
でもその様なサイトは一杯ありますけども?

それにしても 5/19の「マイクに自然死せよ/ 癌も苦しまない/と言う売れっ子医師」で取り上げた中村仁一医師の言う「がんは完全放置すれば痛まない」は本当でしょうか
それどころか ALSの最期を知らないのでマイクに自然死して見せて欲しいとまで発言しました彼です
本は 『大往生したけりゃ医療とかかわるな 「自然死」のすすめ』(幻冬舎新書)2012/1/30 その 第3章 「がんは完全放置すれば痛まない」 です

この程度の医師は ポックリ死信仰の日本人の類いなのです
第一生命経済研究所の若い小谷みどりは 日本人のポックリ願望70%の矛盾を突いて ポックリと言いながら 今日は死にたくないらしく 死について考えていない証拠だと

今日は入浴日で この病院のサイトのための写真に マイクが一人体を洗う姿を看護師に撮られました
如何してかよく生贄に選ばれるのです
勿論ボカシを条件にです

ぼくをつくりあげているもの

マイクさん

それどころか自分がALSかどうかを忘れて走っているのです

ぼくはこのひと言に、激しく頷き同意してしまいました。
ぼくも時折、自分ががん患者であることを忘れています。時折というよりは、ほとんどの時間と言ってもいいかもしれません。

それを思い出すのは、定期的に血液検査やCTや内視鏡の検査を受ける前後、あるいは抗がん剤の副作用が後遺症のように足の指先に顕れる時くらいです。さらにはテレビドラマでがんに蝕まれた主人公などを見た時かな。それ以外の時は、私は健康ですみたいな顔をして、時には大酒を飲んだり、夜通し仕事をしたりしています。

ぼくは思います。
ぼくはがん患者という縛りを受ける必要はないと。がんに支配されているわけではないのです。不幸にしてがんなどという病気になってしまいましたが、それはぼくのひとつの側面に過ぎないのじゃないかと思っています。まあ、とっても深刻な側面であることには違いありませんが。

ぼくは文筆家であり、写真家でもあります。また、ラジオのパーソナリティや時折ですがタレントの真似事のようなこともしています。さらには様々な社会活動に関わったり、ボランティアとして活動したり、数えたらきりがないほどの側面を抱えています。人は誰しも様々な側面を抱えて生きています。身体的な特徴もそうだし、性格や個性もそういう側面のひとつだと思います。もちろん職業や趣味やあらゆるものを含めてです。そういう側面が一体となってぼく、清水哲男という人間をつくりあげている。ぼくはそういった側面の総体なのだと思っています。

逆に言うとひとつの側面に支配される必要はないということです。ひとつの側面はぼくという人間を語る場合の切り口にはなりますが、決してすべてにはならないということです。がん患者としての存在がぼくのすべてになんかなってたまるものですか。そういう側面もあると自覚していればいいし、必要なことをちゃんとしていればいいということだと思います。

程々かたっぷりかは思うようになれるとは限りませんが 少しは運命をコントロールできる自己責任ですがいい時代になったのです

程々かたっぷりか。ぼくは時間の長さよりも、自分の満足度や納得で自分の人生をはかりたいと思っています。そのためにもぼくは、自分の様々な側面ときちっと向き合い生きていきたいと思います。

「ゼロか無限大か」

マイクさん

がんと難病ではどちらがラッキーか……、ですか。

ぼくの大腸にがんが見つかった時、まわりの人は言いました。
「清水さん、ラッキーでしたね。見つかって」
そのがんがステージ3だとわかり、検査の結果他の臓器に転移が見られなかったとわかった時、まわりの人は言いました。
「ステージ3でよかったじゃないですか。転移もなくてラッキーでしたね」
大腸を40cmあまり切除し、リンパ節を21カ所郭清して、主治医ががんは取り切れたと思うと言った時、まわりの人は言いました。
「取り切れたんだからラッキーだったじゃないですか」
そのリンパ節のひとつに転移が見つかり、抗がん剤治療がはじまった時、まわりの人は言いました。
「転移は1カ所だけだったんでしょ。最近は抗がん剤も良くなっているし、ラッキーだと思わないと」
抗がん剤の副作用で、死んだほうがマシだと思っていた時、まわりの人は言いました。
「苦しさと引き換えに元気になろうとしているんだから、辛抱しないと。抗がん剤も使えない人もいるんだから、あなたはラッキーですよ」
術後1年の検査で、肝臓に白い影が見つかった時、まわりの人は言いました。
「今度は早期発見。ラッキーでしたね。また取っちゃえばいいですよ」
結局その影は血管腫というもので、悪性のものではありませんでした。その時まわりの人は言いました。
「よかったじゃないですか。ラッキーでしたね」

さてぼくはほんとうにラッキーだったのでしょうか?
ほんとうにラッキーなら、がんになんてならないんじゃないでしょうか?

誰かがいい言葉を教えてくれました。

「ゼロか無限大か」

って。
ラッキーならがんになんてならないし、ややこしい病気にはならない。
でももしなったら、その苦しみは病気ごとに比較しても意味はないのではないでしょうか。
当事者にとっては自分の苦しみがいちばんの苦しみなのです。他人の苦しみなどはどうでもいい。自分の苦しみを際立たせるために、他者との比較をするのだと思います。

大切なことは、それぞれの病気に苦しむ患者は、その人なりの苦しみを抱えているということです。ぼくは人としてそういう人たちにまみれながら、思いを寄せ合いながら、自分の苦しみに向き合いたいと思っています。

選択できる筈もない癌と難病

Re:愛の表現はストレートに

その通りだと思います
マイクはシャイでもオープンマインドを信念に生きてきましたので 割りと反応は遅いのですがストレートを好みます
話の最後に余計なことを言って 折角の共感を不意にすることがあるくらいです
しかし表現と受け取りは相手次第です
京女の家内はクローズマインドで マイクのような田舎もんの表現はしょっ中ネグレクトされるのです
これ位にしておきましょう

さて この難病病棟には 色々の難病患者がおられるが パーキンソン病の方がとても多いのです
全国で15万人とか ALSの1万人に比べ て 発症率が高いのと 生存期間も長いからでしょう
この病気は 昭和天皇もなられて 日本では治療方法や薬剤の開発も進んでいるようです
症状に合わせ3ヶ月クールで薬を探す入院とリハビリを繰り返しておられる
生活は徐々にし辛くなるのは同じでも 呼吸器使わないALSの3〜5倍の15年は生きられるのです
これは元々進行が遅いのか 治療の効果の所為かはマイクは分かりません

どちらがラッキーかと言われると パーキンソンはもはや難病から外されるかと心配している患者がいるほどですので 誰でもパーキンソンと言われるでしょう

しかしマイクは 「ALSは楽しめる筈なのです」2019.4.14にも書いたように 高齢でのALS発症なら 健全な人より計画的余生ができて 最期は生き地獄の前に尊厳死できてラッキーな筈なのです
かくて高齢という条件が マイクにエンジョイ・デスを謳わせたのです

パーキンソンの若い難病患者も大勢いて 見るのが辛いのですが 本人はそうでもないようにも感じます
お年寄りも篭もったりしていないようにも見えます
如何してなのでしょう
同病者と接する機会も多く また進行が緩いからの慣れなのかも知れません
割りと気長になれるのでしょうか

ALSは進行が早いので 若い人は呼吸器を選び生きようとするのかも知れませんが 全体的には7割が尊厳死を選びます

パーキンソンの尊厳死のチャンスは多分うんと少ないと思います
生き続けるしかないのかも知れません

病気の一寸したことの違いで 患者の捉え方がこんなに違うのかなと思えてきました
しかもこの事は 個人個人の環境によっても もっと大きく捉え方が違ってくるのだということを教えてくれるのです

マイクのように自死願望真っ只中であったり 愛や希望を持つことを知っただけで最悪から抜け出られたり これが難病という不思議な状況なのです
癌というギャンブル的な病気と違って 難病は地味な病気なのです
癌は考え悩む時間もなくチャレンジするしかないのではないでしようか

マイクが逃病と言ったり 闘病と言ったりする違いに 少しは納得できますでしょうか
大腸癌の清水さんからみて 癌と難病ではどちらがラッキーだと言えるでしょうか

小心でギャンブルに縁のないマイクには 地味な難病からの逃病がぴったりなのです
しかも安楽死という天からの使命を受けたことを天命と肝に命じられたのもラッキーなのです

家内とはぴったりの相性ではないのですが 北陸生まれだから堪忍できているのです