
マイクさん
もうそちらでぼくの母と会われましたか。新参者ですがどうぞよろしくお願いいたします。そちらの世界がどんなふうになっているのかよくわかりませんが、亡くなった歳のままなら98歳ですのでかなりの婆さんです。でも頭は聡明ですので、死についてや、生きることについてなかなか深い話ができるのではないかと思います。親父がずいぶん早くにそちらに行っていますので、3人で面白い話ができるかもしれませんね。でも、空の上からぼくの日常を眺めるというのはやめてくださいね。人に見せられるようなものではありませんから。
ところで、京都で「アンディ・ウォーホル・キョート」に行ってきました。で、作品を感心しながら見て回ったのですが、中でも心惹かれたのは壁のずいぶん高くに掲げられた彼の言葉でした。多分「ウォーホル日記」か何かで前に読んだことのある一文でしたが、作品と共に展示されていてあらためてハッとしました。こんな文章です。
「ぼくは死ぬということを信じていない、起こった時にはいないからわからないからだ。死ぬ準備なんかしていないから何も言えない」
「信じてない」「わからない」「準備なんてしていない」と続くと「死ぬことなんて怖くないよ」と言っているようですが、逆なんでしょうね。あえて言えば「信じたくない」し「わかりたくないし」し「準備なんてしたくない」んでしょうね。彼の日記の末尾に編者のパット・ハケットが日記には書かれなかった彼の最後の様子を記しています。それによると死への恐怖、苦痛はかなりあったんじゃないかと思います。
そこにいくとは母とてもあっけらかんとしていて、面白いなと思わせてくれました。
「やがてあの世へと向かうめでたい秋の一日」
鯛のあら炊きに箸をつけようとして、母がつぶやいたひと言です。
「死ぬことを楽しんでみたい」などと冗談めかして言っていました。まさにENJOY DEATHですよ。ぼくにはまだまだ真似できないと思いました。どちらかといえばアンディ寄りですね。ぼくは68歳。アンディは享年58歳。母は98歳。30年、40年余計に生きるとそんな境地に辿り着けるのでしょうか。生きられるかどうかわからないけど、その歳を経験したいと思いました。
母の本当の気持ちはどうだったんだろう。そう思わなくはないですが、今となってはたずねることもできません。もうちょっと話しておけばよかったなと思います。
マイクさん
そちらで母の本心を聞いてみてくれませんか。よろしくお願いします。