
マイクさん
GWに続く京都での今年2回目の個展〈清水哲男展「物語(ストーリー)の系譜」ある作家の鉛筆1本勝負40年〉は、10月3日無事全日程を終了しました。GWの20日間に加えて、今回は1カ月以上の長きにわたる会期でした。この50日あまりで、京都でも多くの方に名前を知っていただけたのではないかと思います。
今回の個展は、僕の文筆業キャリア40年をふり返るというもので、集大成とは言い難いですが仕事の足跡を大まかには見てもらえるような内容を目指しました。「こんな人がいたんだぁ」というのがご覧いただいた多くの方の感想だったと思います。中でも「命と向き合う現場から」というテーマで、難病や障害、あるいは高齢と向き合う人々の日常の姿を展示したゾーンには、マイクさんの写真も3点展示しましたし、あなたと僕の往復書簡を切り口にした鹿児島での新聞連載〈「生きる」宣言〉の36回のスクラップファイルも展示しました。
写真の中心は、呼吸器をつけるつけないの決断でマイクさんが胸元でOKサインをつくった時の写真です。その時の状況をその場で説明すると、ほとんどの方がマイクさんの意志の強さに驚いていました。そうしてスクラップファイルをじっくり読んでくれるのです。そうしてまた藤井マイクという人のすごさを知るのです。僕もいまだに写真やファイルを見ると、マイクさん自身の強さと生きること生き続けることの難しさを感じずにはいられないのです。僕が撮った写真であり、僕が書いたコラムなのにです。
それで僕は気づくのです。僕は撮ったり書いたりしているのではなく、取材させていただいた大勢の皆さんに、写真を撮らされ、文章を書かされてきたのだと。その積み重ねが40年続いてきたのだと。だからこの40年は大勢の人と一緒に紡いできた時間であり、生まれてきた仕事の集積は時間の結晶のようなものだと。
今回の個展には僕の試算で、およそ180名の来場者があったと見ています。じっくり写真を見、僕や会場スタッフと長く語り合われる人も少なくありませんでした。そういう人たちにマイクさんや取材を通して知り合った人たちの話をするのはとても誇らしいことでした。
マイクさん
そうなんです。マイクさんに出会えて、マイクさんの最後の日々を一緒に過ごしてことは僕にとって誇りであり、幸せなことだったのです。そう感じた時、40年間ひたすらにドキュメンタリーを書き続けてきたことに間違いはなかったなと思いました。
僕はこの確信を糧に次のステップに進んでいきます。また新たな清水哲男を多くの方い見ていただけるよう日々精進してまいります。