
マイクさん
8月はあなたの1周忌を営みましたが、父の7回忌もありました。法要を終えて97歳の母がポツリと言いました。
「あと何年お父ちゃんの法要をしてあげられるやろう。次は13回忌かいな。あと6年やね。うちには無理やね」と。
母はよく言います。そんなことにこだわらなくていいと。節目の法要は、日々忙しい人が故人を偲び思い出に浸るためにあるのだからと。
「うちは毎日お父ちゃんのこと思ってるし、毎日が法要やね」丸6年で普通は7回忌ですが、母の場合は父が亡くなって2189日経つわけですから、2189回忌ということになります。そんなことを言って親子で笑いあっています。
「こんな話をしてる間は、お父ちゃんまだここに生きたはるわ」母はそう言って自分の胸のあたりを指差します。父は母にこんなにまで思われてもちろん幸せだし、母もここまで思いに浸れて幸せなんだろうなと思います。ふたりで生きていた頃が、少しも過去になっていない。そんなふうに思います。
マイクさんだってそうですよ。
1回忌をはさんで、マイクさんのことでご家族とやりとりをすることがあったことは前回報告した通りです。あれからひと月経って、お孫さんのまひるさんからメールをもらいました。彼女には2年間新聞の連載コラム〈「生きる」宣言〉の写真を撮ってもらいました。そのことでのお礼ということでメールをもらったのですが、そこにマイクさんの写真を撮り続けていた毎日の思いや葛藤を吐露した手記が添えられていました。
マイクさんの写真は、僕ではなく家族にしか撮れないと考え彼女にお願いしたのですが、手記の中で彼女も「祖父を撮れるのは、家族である自分しかいないのだと思い、シャッターを切り続けた」と記しています。その背景に、死にゆくマイクさんをファインダーを通して見続けることの辛さ、苦しさにさいなまれている彼女自身の姿が浮かびます。僕はとても残酷なことを依頼したのだなと、読み進みながら胸が痛くなりました。
でもまひるさんはこう気づきます。
「ファインダー越しに、この期間、私は祖父と2人だけの対話をしていたのだ」と。そうして病状が進むにつれ表情までなくしていくマイクさんを目の前にして、必死に内面に迫ろうとカメラを向け、苦しみながらもがきながら泣きながら、彼女は毎月写真を送り続けてくれました。マイクさんの命の灯が消え入りそうな、その瞬間にも
「ありがとうと大好きが少しでも伝わるように、私は最後まで写真を撮り続けるのだろう。あと少しでも多くの時間を(祖父と一緒に)過ごせることを祈って」と。
そしてその想いの一部始終をいま伝えてくれたのです。
1年という時間が伝えることを可能にしたのかもしれませんね。まひるさんの中で、時間が経つことによってマイクさんの存在がよりはっきりした輪郭を伴って浮かび上がってきたのだろうなと思います。それは単なる思い出ではなく、一緒に時を過ごした、死に直面する場面を共有した、堅い絆で繋がれた家族としての思いなのでしょう。マイクさんは亡くなってしまったけど、ご家族の中では生き続けているし、新たに生きはじめたと言ってもいいかもしれません。
「あんたはお父ちゃんと上手いこといってへんかったさかい、お父ちゃんのことなんかすぐに忘れてしまうのとちゃうかて思てたけど、そんなことなかったんやなあ。よかったわ」
7回忌の法要の後、母にこう言われました。確かに折り合いが悪く喧嘩ばかりしていた父子でした。でも父の死を経て、それまで父のことを何も知らなかった自分に気づきました。今は少しでも知ろうと父の残した仕事、写真、手帳などを機会あるごとに見るようになりました。僕の中でも父が生きはじめたのかもしれません。そんな話を母にしたら、
「お父ちゃん、第二の人生やな」
と声をあげてうれしそうに笑いました。