
マイクさん
あなたが旅立った8月がめぐってきました。ちょうど1年になりましたね。
マイクさんと過ごした1年半はなんだったのか。僕はこの1年、ずっとそんなことを考えてきました。ギリギリまで諦めることなく、この往復書簡を通じて、あるいは僕を媒体にして、社会と関わり続けてほしい。生き抜いてほしいと思いながらの1年半だったなあと思います。あなたはそんな僕の思いを受け取って、最後まで思いを発信し続けてくれました。それは僕に、往復書簡をやった意味・意義はそこにあると思わせてくれました。僕にとってはもちろん、あなたにとっても貴重な時間になったはずだとも。その時間はあなたの生きる力を引き出すという意味でも貴重だったと。
だけど、ほんとうにそうなのだろうか……。最近そんなふうに思うようになりました。確かにあなたの生きる力を引き出していたかもしれないけれど、それ以上に僕の力を引き出してくれたのではないかと。マイクさんにとってより、僕にとって貴重な時間だったのかもしれないなと思うようになりました。
僕は、マイクさんと一緒に「生きる」「死ぬ」について深く考え、やり取りすることで、それまで以上に自分自身に生きる意味、死ぬ意味を問いかけ続けてきたように思います。あなたに「最後まで思い切り生きましょうよ」とかけた言葉は、実は自分自身にかけ続けてきた言葉なのだと。極端に言うと、マイクさんは僕自身だったのではないかと思ってさえいます。
ジグソーパズルと言えばわかりやすいかな。マイクさんの思いと僕の思いを集めてはめ込んで、人が生きて死ぬという、人生とはどういうことかを1枚の絵にしよう。ジグソーパズルを完成させよう。1年半の往復書簡はそんなことだったのかなあと。あなたの思いだけでも、僕の思いだけでも完結しない、より深く鮮やかな1枚の絵を描きあげようとしたのかもしれません。多くの人に公開することで、多くの人の思いを合わせることも含めてです。
残念ながらマイクさんを喪ったことで、僕の絵の具は少々数が少なくなりました。だけど僕は、これからもジグソーパズルのピースを探し続けたいと思っています。あなたの思いも受け継ぎ、ジグソーパズルの完成を目指したいと思っています。
マイクさんの1年忌が執り行われた時の話を聞きました。ご家族にはようやく日常が戻りつつあるようです。いろんな思い出話で盛り上がったと雅子さんは振り返っていました。
「そう言えば、大根おろしスリスリおろすのはお父さんの役だったね」
「ウナギの半助(頭)ばかり食べてたね」
「仏さんの花を買いに行くのもお父さんの仕事やったね」
「生協で買い物するのも」
そんな話の果てに、
「まだまだ身近なんだね」
という話になったんだと。
身近にいた人がいなくなった日常に慣れてきたけど、大切なピースがひとつ欠けてしまった。
僕はそんな思いがしてなりません。きっとみんな無意識のうちにそれを探すんだけど、それはもう思い出の中でしか見つからない。
ちょっとさみしいなと思いましたが、そのさみしさがあるかぎり、マイクさんは僕らの中に生き続けているのだとも思います。それこそが、マイクさんが僕らに残してくれたピースなんでしょうね。きっとみんなそれを探し続けるんでしょうね。
マイクさん
ジグソーパズル完成を目指してピースを探す旅は、きっと僕自身を見つけるための旅になるはずです。どうぞ見守っていてください。あらためてよろしくお願いします!