受け継ぐ者の明日

病棟を訪ねたY君とD君を前に熱心に話すマイクさん

マイクさん

あなたが旅立って9カ月になります。やはり時間の経つのは速いですね。去年から今年にかけては、新型コロナウイルスの感染拡大で、動くに動けずほぼ閉じこもった生活をしているので、代わり映えのしない日々を過ごしているにもかかわらず、時間は立ち止まってくれません。過去という時間がどんどん堆積していき、未来という時間がどんどん薄っぺらになっていきます。そんなことを思うと、ふとさみしくなってしまいます。

5月8日は父の誕生日でした。生きていれば94歳になるはずでした。でも、父の時間は6年前から止まったままです。おそらくそれは、僕が過去ばかり振り返っているので止まったままに思えるのでしょうね。振り返るんじゃなくて、父の時間を受け継ぎ前に進めないととも思います。父だけではありません、マイクさんの時間も僕が受け継いで前に進めたいと思っています。

受け継いだ時間の結晶のひとつがこの「往復書簡」だし、南日本新聞で続けてきた「『生きる』宣言」という月1回のコラムです。一昨年の6月にはじまり、今月が最終回です。この2年間、マイクさんと交わしてきたこの「往復書簡」を縁(よすが)に、生きること、死ぬことを自分のテーマとして書き続けてきました。次は「往復書簡」と「『生きる』宣言」を1冊の本にまとめるために動き出したいと思っています。この中にはマイクさんのことはもちろん、父のことも母のこともたくさん含まれるはずです。僕はそんな方法で時間と人生を引き継いでいきたいと思っています。

マイクさん

引き継ぐ人間は僕だけではありません。僕と一緒に病棟を訪ねたY君を覚えていますか。彼もマイクさんから多くのものを受け継いだと思います。

Y君はマイクさんとの面会を終えた後、「マイクさんの言葉の7割がわからなかった」「ちゃんとコミュニケーションできなかった」「あらゆる面で僕はまだまだ経験が浅い」と酷く自分を責めていました。「マイクさんからもっと生きるという本質について聞きたかったのに……」と本当に悔しそうでした。

その彼が鹿児島のある都市の市長選挙に立候補しました。9日が告示日です。

僕は彼がマイクさんと出会って、難病とともに生きる人の事実を垣間見て、生きるとは、死ぬとはどういうことかと考えて、きっとどんなに重い障害や難病があっても最後まで自分の意思で生き抜くことの大切さを感じてくれたと思っています。しかも肌で感じてくれたと思います。

そのY君に僕は、彼にしか発想できない、実行できない福祉の形を期待しています。それこそがマイクさんの時間と人生を受け継ぐことだと。そうしてあの時感じた悔しさをバネに、この国の新しい福祉の姿を鹿児島から全国に発信してくれると信じています。

マイクさん

僕や、彼や、あなたの時間と人生を受け継ぐ者の明日を、どうぞ見守っていてください。
改めてよろしくお願いします! 往復書簡はまだまだ続けていきます。