マイクさんの思い出を生きています

マイクさん

あなたが旅立ってから、今日でちょうど半年です。時間が経つのはとても速いですね。ふとした拍子にマイクさんのことを思い出し、ああ、本当にもう会えないんだなと寂しくなります。

マイクさんが去った後も、僕は南日本新聞の「『生きる』宣言」を書き続けていますし、この「往復書簡」も時々ですが、こうやって書いています。ALSをめぐっては、京都のALS患者尊属殺人事件が明るみに出てから様々な言動が飛び交っています。僕は、「往復書簡」の1年半を振り返り、反芻しながら、こんなときマイクさんだったらどう言うだろうかなどと考えて書いています。

そうしていま、たどり着いた命題が、

〈それでも生きたほうがいい、となぜ言えるのか〉

ということです。マイクさんの人工呼吸器装着をめぐっては、マイクさんやご家族の意向を無視してまで呼吸器による延命を求める人たちが現れました。僕は、彼らの「絶対に生きたほうがいい」という主張には、同意することはできませんでした。僕個人の思いを言うと、〈1日でも長く生きていてくれたほうがいい〉ということに尽きますが、突き詰めるとそれは紛れもなく〈僕のために〉ということで、じゃあ、マイクさんのためにはというと、言葉を飲み込まざるを得ません。

呼吸器による延命を求める人たちは、何か勘違い、錯覚をしているように思います。呼吸器の装着をしないという決断が、何か自殺をすることと一緒だというような。生きることに後ろ向きになっていると。

マイクさんの最後の日々を見た僕にははっきり言えます。マイクさんは徹底的に生きることに前向きだったと。決してあきらめてはいなかったと。自然に生きて、徹底的に生きて、自然に死ぬ。家族も、僕も、その姿を尊敬の念と、誇りを持って見送りました。
〈それでも生きたほうがいい、となぜ言えるのか〉僕にはわかりません。本人の苦痛を無視してまで、なぜ言えるのか、わかりたくもありません。
僕はいま思っています。〈マイクさんに恥じないように、徹底的に生きよう〉と。

マイクさん ありがとう!

節分の日、雅子さんが話してくれました。
「うちの節分は、父が毎年鬼の役でした。今年は鬼がいないから……」
言葉の隙間に隠しきれない寂しさが滲んでいました。
みんな懐かしいマイクさんの思い出を生きています。
鹿児島では咲きはじめた梅の花にメジロが戯れています。
風も少しずつ暖かくなってきました。

春はもうすぐそこまできています。