忘れられない贈り物

マイクさん

マイクさんが旅立って3カ月が経とうとしています。

僕たちは、いや、僕は今、マイクさんに何を望んでいたのだろう、マイクさんに何を求めていたのだろうと、このことを考えています。

マイクさんと僕の関係は、去年の2月、あなたがALSだと診断されてからでした。すぐにでも自ら命を絶ちたいというあなたに、「もう少し生きてみませんか」と声をかけたのがはじまりでした。その時マイクさんからの返事は、

「生きる目標がない」

というものでした。だから1日も早く死にたいと。そういうあなたに対して僕は「ギリギリまで社会と関わることを諦めないでほしい」と伝え、そうしてこの往復書簡がはじまったのです。結論を探さなくていい、ただ話すことだけを目的にして往復書簡という形の中で話し合いましょうと。

それから今年の6月24日まで、何度となくやりとりしました。本当に何の結論も求めない、ただただ言いたいことを言い合う。その繰り返しでした。でも、その一つひとつが、僕にとってはとても大切なものになりました。マイクさんから届く一言一句が僕に多くの気づきを与えてくれ、僕に生きる力を与えてくれました。ここでのやりとりが、僕にとっては生きる目標の一つになっていたことは間違いありません。ギリギリまで生きようとするマイクさんの姿が、僕の生きる目標だったのです。

そう思うと、僕がマイクさんに望んでいたことは「生き続けて、僕の生きる目標であり続けてほしい」ということだったのです。そのために僕には何ができるか、何をしなければならないかを、ずっと考えていました。

そんな僕にマイクさんは、早い時期から呼吸器は着けないと言い続けていました。でも僕は、ギリギリのところであなたは呼吸器をつけるのではないかと思っていました。いや、言い方が正しくありません。呼吸器を着けてくれるのではないかと思っていました。

しかしあなたの意思は固かった。

「生き地獄を見たくない。今でも十分生き地獄です」

そう言い続けましたね。最後までその意思は揺らぎませんでした。7月に入ってから、あなたに呼吸器をつけてほしいという人たちの説得は続きました。マイクさん本人も、家族も、話し合いを重ね、結論を出したその経過を無視するように、呼吸器を着けるよう説得したのです。最後にはマイクさんと家族の中を引き裂いてまで、呼吸器を着けさせようという人たちまで現れました。そういう人たちは、マイクさんに一体何を望んだのでしょう。何を求めたのでしょう。僕にはわかりません。

「支えてくれる人が、あなたの命はあなただけのものではないよと言ってくれました。あなたの命はみんなの命ですよって。そのこと自体はとてもうれしいけど、僕はもうずいぶん苦しみましたし、今も苦しいのです。苦痛だらけなんです。呼吸器を着けたからといって、苦痛が消えるわけではない。この苦痛は僕だけのものなんです。それでも一生懸命生きてるんです。自然に死が訪れるその時までで十分だと思いませんか。僕はもう十分生きました」

「(呼吸器を着けて)スーパーALSになろうとは思わない。準スーパーでもちゃんと最後まで生きます」

そうして最後の2週間を病室で、マイクさんの側で過ごしてはっきりわかりました。最後の時が迫ろうとして、マイクさんには何の悔いも残っていないんだと。その姿を僕は目に焼き付けたいと思いました。そのことでマイクさんは僕の中でずっと生き続けるのではないだろうかと思ったのです。そうすることで生きる目標であり続けると。

マイクさんの病室で過ごした2週間は、僕にとっては忘れられない贈り物になりました。
それを糧にあなたとの対話をまだまだ続けたいと思います。