あたりまえの日常の中で

マイクさん

マイクさんが旅立って2週間以上が経ちました。

僕は鹿児島にもどり当たり前ですが、日常にまみれています。でもこの往復書簡に書き込んだら、マイクさんが返事を書き込んでくれそうな気がして……。そんなはずないのにね、と自分に言い聞かせながら少しだけさみしい気分を味わっています。

この2週間、マイクさんが闘っていた1年半、あるいは2年と比べると、とんでもなく短い時間です。父の場合は半年足らず、166日でした。マイクさんはその4倍の時間を闘い続けたのですね。僕はこの11月に手術からまる3年ですが、僕の場合は生きるための闘いを続けているわけです。これがもし、勝てる見込みのない闘いだとしたら、僕はここまで頑張れただろうかと、マイクさんと父のそれぞれの闘いの日々を振り返りながら思いました。

マイクさん

旅立つマイクさんを見送るご家族に、涙はありませんでした。闘っている最中に、流れる涙はあったかもしれません。しかし旅立たれてからの涙はなかったのです。おそらくご家族の誰もが、マイクさんが闘いながらもよく生きられたことを知っていたからでしょう。そうして自分で決めた通りの死に様を実現されたからだと思います。

ご家族は誰もが、尊敬を持って見送り、誇りを持ってマイクさんの最後の日々を思っているに違いありません。僕もそのひとりです。

僕は尊敬と誇りを持って、マイクさんと出会ってからの1年半の日々と、死を目指してそれでも生きるという意味を文章にする作業に取り掛かりたいと思っています。

第2のスタート

マイクさん

あなたが旅立ってから10日が経とうとしています。あっという間でした。最後の17日間、僕は約束したとおりずっとあなたのそばにいました。何を話すでもなく、ただあなたの顔を眺めながら時間を過ごしました。なのに、どうしても鹿児島に戻らなければならず心を京都に、あなたのそばに残したまま病室を後にしたのです。

「一旦帰ります」

僕がそう言うと、あなたはカッと目を見開き応えてくれました。
「必ず戻りますから、それまで頑張ってください」
僕はそう言いかけましたが、その言葉をそのまま喉の奥に押し込んでしまいました。もうマイクさんは十分すぎるほど頑張ってきたじゃないか、これ以上頑張れって残酷じゃないか!? しかも僕のためにって……。そう思ったのです。

二度と会えなくていい、おたがいの思いはもう十分伝わっている。そう思って鹿児島に戻りました。その3日後、8月9日午後4時5分、
「今逝きました」
というひと言がご家族から届けられました。
翌日とるものもとりあえず京都に、あなたのそばに向かいました。

あなたはすでに病院を出て葬儀場におられました。
お顔を見たとき、僕はハッとしました。とても穏やかで、笑顔さえ……。ずっと病室で見ていたときの表情とはずいぶん違いました。最後の日々は本当に苦しく辛かったんですね。その苦痛から解放されて、本当に楽になったんだ。そう思いました。僕はその苦しみのわずかでもわかっていたのだろうか。共有できていたのだろうかと。

出会ってから1年半。この往復書簡をはじめて1年4カ月。僕はあなたを支えることはできたでしょうか。あなたに寄り添うことはできたでしょうか。なんだか僕の独りよがりだったような気がしています。

なのにあなたは、身を以て僕にいろんなことを教えてくれました。本当にたくさんのことを、心の中に残してくれました。これから僕はあなたが残してくれたものの意味を考えていこうと思います。そうしてあなたが最後まで社会に訴えたかったことを発信していきたいと考えています。

8月11日午後、僕はご家族の許しを得てあなたの骨を拾いました。マラソンやトライアスロンで鍛えた脛の骨でした。ずっしりとした重さを僕は決して忘れないでしょう。それをマイクさんの思いを受け継ぐ重さだと思っています。

マイクさん

この往復書簡、今日が第2のスタートです。繰り返しになりますが、僕はあなたが残してくれたものの意味を考え、そうしてあなたが最後まで社会に訴えたかったことを、この場から発信していきたいと考えています。