父です。最後の最後に迷惑被りました(笑) でも、いい思い出です
マイクさん
おはようございます。なんだか嫌な感じの毎日ですね。
〈何時ものように右往左往して、ああだったりこうだったり?〉
新型コロナウィルス感染拡大というこの状況下、ぼくはビクビクした毎日を過ごしています。右往左往しているのです。何年かぶりに新著が出ましたが、本来ならうれしいほど感じる達成感なんて、感じている余裕もありません。こんな動きの取れない時期に出ちゃったこの本がかわいそうだな。悲しいななどと感じてしまいます。
でも、ちょっと待てよ、と。この本は、生まれてくる過程がとても幸せだったじゃないか、と。そうです今回の本は、大勢の人の物心両面の大きな応援に支えられて産声をあげたのです。そこを忘れるところでした。そのことだけで、この本はすでに幸せな本だったのです。この支援、応援がなければ、この本はこの世に生まれていなかったでしょう。この本は、ぼくの力ではなく、出版社の力でもなく、大勢の人たちの力で生まれたのでした。中には会ったこともない人が、人を通じて応援してくれたり、次の人に声をかけてくれたりしたのです。ぼくも、出版社も、この本も、実に幸せだなあと思います。応援してもらったことに恥じないように、ちゃんと動いていかないとダメだと思っています。
ね、右往左往しまくってるでしょ。そんな情けない奴なんです。ぼくは。でも決して、どこにも欠点のない人間を目指そうとも思いません。情けない奴、人からの支援、サポートがないと生きていけない奴でいいと思っています。そうやって人からもらった支援に応えて、必死に生きていこうと思っています。
〈こんなマイクに気切が本当に必要とは思えません〉
悩んでるマイクさんの姿、思い浮かびます。
〈気切の後の人工呼吸器までのマイクのADLがどれ程衰えているか分からないままQOLを妄想するのは無駄かも? それ以上に、妄想する気力体力が既にありません〉
どんな言葉をかけても、非力だろうなとも思います。京都ではALS患者の7割が気管切開、人工呼吸器を選択しないそうですね。大きな理由が、家族に迷惑をかけられない、家族を介護地獄に巻き込みたくない、在宅で療養する場所が確保できない……、等々だと。ぼく、率直に思います。迷惑をかけちゃあいけないのか、と。
届いた本の中に、ぼくは父との関係を包み隠さず書きました。折り合いが悪かったことも、ケンカばかりしていたことも。決して許さないというくらい憎んでいたようなことも。けど、最後はやはりぼくしか看る人間はいないな。そうでないと他人に迷惑がかかるなと思い、終末の半年を付き合ったのです。正直なところ、迷惑な話でした。
でもね、順送りだと思いました。自分が若い頃、父親には父親の思い通りの道を歩まないという意味で散々迷惑をかけたんだろうなあ。育ててもらうのに苦労もあっただろうなあって。じゃあお返しもありかなと。で、ずっと無頼を気取って生きてきたぼく自身も、ひょっとして人に頼る人生を生きていいのかなとも。それが、新著の出版に大勢の人の応援を募るということにもつながったのだと思います。
マイクさん
ちょっときついですが、はっきり言います。「こんなマイク」とはどんなマイクでしょう? ひとつはマイクさんが言うように、病状が進行しADLが低下して苦しい状況にあるマイクさんです。もうひとつは「去年の一年で最高のQOLを堪能」してきたマイクさんです。後者のマイクさんは、もうマイクさん本人だけのマイクさんじゃない。マヤさんや大勢の仲間に支えられて生きたきたマイクさんですよ。その到達点として今のマイクさんがいる。そうじゃないでしょうか。
この「往復書簡」や、鹿児島での新聞の連載を読んでくれている人たちも大勢います。何人かに話を聞きましたが、その中の難病患者さんは「勇気をもらってる」と筆談で伝えてくれました。マイクさんの右往左往は、彼の道標にもなっているのです。
〈まだまだ生きていれば、何かがあるかもと思っている。それくらいのQOLでいいのです。まだまだ生きているだけの〉
それでいいじゃないですか。それがマイクさんを見る人の道標になる。残酷なようだけど、マイクさんの生きる意味は、そういう意味でまだまだ大きいものがあると思います。ギリギリまで社会と関わることを諦めないマイクさんからの発信を待っている人がたくさんいると想像してください。
で、家族の皆さんには申し訳ありませんが、迷惑かけちゃってもいいんじゃないでしょうか。今までマイクさんは家族のために生きてこられたわけですから、最後くらい迷惑かけたっていいんじゃないでしょうか。10年も20年もってわけじゃないでしょう。でもお子さんたちには成人するまで、10年20年かけて、たっぷり手間暇お金をかけて育ててこられたわけで、その分甘えたっていいんじゃないでしょうか。順送りですよ。その迷惑の一端を社会も、仲間たちも引き受けようとしているわけです。だから、思い切り甘えちゃいましょうよ。迷惑かけちゃいましょうよ。そうしてギリギリまでやれることをやりませんか?
「できなくなったことはたくさんあるけど、まだ何かできることがあるはずだ」
拙著「死亡退院」の主人公、故轟木敏秀さんの言葉です。ぼくはどんなになっても彼のように自分の可能性を信じたいと思っています。