3/30下がるだけのADLにゆっくりがQOL

3/19に2度目の肺炎になり掛けてからは 経口食を禁じられ 胃瘻だけの流動食となり その週は 土日自宅外泊をやめました
昨日一昨日の土日は 自宅で流動食だけなので 家族の世話も経口食を用意しなくて済むので 少しは楽だろうと思い帰ることにしました
溜まった2週間分のメールを開き 土日は何もせずゆっくりしたかったのです

家でゆっくりするのがいいか 病院で安心するのがいいか
これは患者のADL次第です
身体にパワーがあれば 病院より自由度のある自宅に決まっている
治療中だったり寝込んだりのADLなら病院が安心
マイクが新参者の間は 入院の必要があったのだろうか
少しでもの延命の効果を期待して 点滴の為に入院して 土日外泊だけで満足してました
ひょっとすると ADLの高い新参者の内に入院してたのは  今となっては間違いかも
逆に これからADLが下がるばかりになったら入院の方が安心で 単なる延命ではQOLを高める意味も少ない
初めての難病体験者にはどちらが良いのか分かる筈もありませんでした
医師が選択の指導をするか ピアサポートされる機会が欲しかったと今更ですが思います
病院の中では患者が判断できない

平日入院のマイクには 確定申告をやっと終えました
企業年金が18年間の2018.12まであったのですが その後の今は厚生年金だけになって 年収は半分になったのに 2020.7までは前年収入とみなされ 住民税は現役並み課税なのと 保険料高くてかつ3割負担だったのです
去年分の年収申告で 今年8月に解放される筈
ずっと気になっていたその確定申告を初めて家内がマイクの 左手の文字を清書してくれ 税務局に提出もしてくれたのです
一先ず安心しました

このことを1年前の4/15のブログに 九重苦の天罰の話しとしています

https://hikurashi.com/archives/190

久し振りに読み返してみました

3/26意思疎通できない辛さはお互いのストレスに

さてさて 今程の回診で主治医に次の土日の 自宅外泊の許可を貰いました
次いでにもう一言 流動食1600カロリーでは馬力が足りませんと言っても 家では飲み過ぎないようにといつものように返されただけでした

いつか清水さんに白状しましたように マイクの性格は 北陸生まれの他力本願傾向が強いのに 自己責任と自己管理能力にも自信があるものですから 失敗せぬくらいの飲み方は 弁えている筈なのです
しかし自分の病の意識が足りず 失敗がこれ程頻繁にあるようでは 弁えがあるとは確かに言えませんね
性懲りない依存症はこればかりではなく まだまだあれこれあるのですが この病ではもう馬力が足りなくてやれないものもあり 寂しい想いですね
せめて酒だけはと家族から いや主治医からも容認されているのには感謝しかありません

昨日から向かいのベッドに現役の大学教授が入院された
難しそうな雰囲気だからまだお話をしてないのではなく マイクが文字盤でしか話せないので遠慮しているのです

実は 以前は看護師とか同室の患者と色々話ししていたのに 喋りがここまで来ると 会話が億劫になって それもマイクがではなくて相手からの積極性がありません
コミニュケーション出来ないことの辛さを今年からの入院で嫌ほど味わっています
左手の力が弱って 文字盤が使えなくなるともっと惨めになるでしょう
それを見越して「伝の心」を何度かトライしましたが ストレス増すばかりです
「ワンキーマウス」ももどかしい
来週は「おりひめ」を業者から借りることに
「マイクの家」では これらを使いこなせなかったら 窓をいっぱい開けてもストレスがエアロゾル飛沫になって漂うとしか思えません

3/25元気だったら立岩さんに会えたのに

ADL最悪の状況は少しはマシになってくれないと 次の土日も外泊許可が出ないかも知れません
ネバネバの唾液が喘息患者のように咳き込ます
ネブライザー(吸入器)で蒸気を送り込んでも15分のその時だけ先ず先ずですが 効いているのか?
パーキンソン病のある薬を長くALSの唾減らしに転用してますがこれも全く・・・・

ウンチは常時模様すのですが硬軟どちらか分からず 何度トイレに座っても出ない
担当医はビオフェルミンを食前注入追加して様子を見ようと言う
一昨日は座薬で少し出ただけで 今朝からの整腸剤の効き目は夕方になっても今ひとつ?
こんなことで苦労する
まさかこれが不治の病の辛さなのか こんなことが意外と耐え難いのです
今日も最悪のADLが続く
いつ迄?

流動食は朝夕600カロリーに 1日1600に増えた
気持ちだけでもマシになったことにしないと!

清水さんからの温かい返信の方が精神的な薬になって これからのこれどころでない苦しみを思うと ヘコタレてはおられませんと慰めになりました
ありがとうございました

午前中に 立命館大の立岩真也教室の女性博士と面談がやっと叶いました
去年の検査入院を抜け出して聴講した宮下洋一講演会(主催は立岩)で知り合った方です
尊厳死法案に反対する立岩教授にコンタクトして ALSには特例として必要だとアッピールしたかったのですが 今日の彼女にチャンスをセットしてもらう積りでした
今はコロナで 病院は家族でも15分で 面会禁止の状態なのです
清水さんにもそうして貰いました病室でなく廊下のベンチで 隠れてお話ししました
文字盤でやっと通じる辛さはありますがマイクの思いを聞いて頂けました
そしてスーパーになったALS患者を受け入れる病院がない実態と 甲谷・増田さんを在宅看護する仕組みを立ち上げたこと これからマイクの単身在宅看護(マイクの部屋)についてお手伝いできるとのお話を頂きました
甲谷さんの志賀さん・増田さんのバックの方? 新しい?・・・・

それにしても スーパーを勧められる主治医なら 気切のことのをマイクに受け入れるか確認する前に スパーになったマイクを継続して病院に受け入れて呉れるのか その後の療養のあり方を教えてくれずに気切を勧めるのは困ります
昨日書きましたように ALSで唯一のスーパー前の友人の奥さんは既にいくつもの病院で確認されているようです
マイクの部屋の前提要件であることに 最近やっと意識しているマイクは無頓着極まりありませんでした
この障害者マイクに良好なADLの回復がなければ 相当手に負えないのかも知れませんが 清水さん・マヤちゃんに加えて 新しいドクターが現れました

元気だったら 立岩さんの研究室で安楽自死についての話ができるかも知れません

No life, no drink!

病院内でも、マイクさんは人気者

マイクさん

〈昨日は清水さんが面会禁止の病院に来て頂きました〉

はい。新型コロナウィルスの感染防止対策のための面会禁止措置ですから、実はとてもいけないことをしたのかもしれませんね。反省していますが、同時に、それでも近くにいるのだからせめてお顔だけでも見て帰りたいと思い、あんなことになりました。内緒ですよ。しかし、若い頃からダメだと言われるとつい……。感染予防策も徹底し、自分の体調管理もしっかりした上でのお見舞いでした。

〈病院でゆっくりしようと、昨晩はエネルギーを増強したのですが、ムセカエッテ逆流まで起こし、また肺炎かと覚悟して、何とか添加物を隠せて、当直医の世話で何とかなりました〉

やっぱり、食べることと飲むことが、この歳になると生きている楽しみの大きな部分になります。マイクさんの場合は楽しみはもちろんエネルギー増強剤にもなっているのですね。「おとうと」という映画で、吉永小百合が笑福亭鶴瓶演じるダメな弟の胃瘻から酒を流し込むシーンを思い出しました。ぼくも医者からは「あまり飲むな。ほどほどに」と言われているのですが、ついつい度を越してしまいます。気持ちよくなるまで飲まないと、酒を飲んだという気分にはならないので。そうなんです、ぼくは酔いを求めるより、エネルギーを求めるより、酒にはやっぱり気分を求めてしまうのです。

〈何しろ無茶を承知で隠れて、また覚悟してやるのが好きなのはいいのですが、段々ヤバくなっているようです。

元々マイクは自己管理能力が足りないのです。と言うよりギリギリのところでキープする、そんな楽しみを愉しむそんな男なのです〉

マイクさんのこの言葉にも表れているように、QOLは「覚悟・自己管理・楽しみ」の調和だと思っています。「酒」で考えるとよく分かります。なにがしかの病を抱えていて、医者からは制限されても、自分なりの覚悟を持って、ちゃんと自己管理をした上で、すべてにおいて自己責任を承知の上で楽しむのです。そのどれが欠けても楽しめないのは自明のことですね。ぼくは人に押し付けるつもりはありませんが、自分の思いとして

No life, no drink!

と強く表明しておきます。これは何が何でも酒を飲み続けたいということでは、決してありません。酒もうまく付き合えば人生を豊かにしてくれるということです。そういう意味で、酒は人生に欠かせないと。ええ、あくまでもぼくの人生にです。いい言葉をひとつ。

Candy is dandy, but liquor is quicker.

女性に甘いものをプレゼントしたら喜ばれるけど、アルコールの方が口説きやすい、って意味でしょうか。いろんな解釈があるけど、ぼくは手っ取り早く格好つけるのは面倒臭い、辛気臭いくらいの感じで理解してます。格好つけずに、自分のペースで楽しめばいい。そんなふうに思っています。

〈それより何より初めてのオムツを体験。この話はやめておきますが、ADL(activity of daily life)最悪の1日を飾るに相応しい恥ずかしいシーンシーンでした〉

いいじゃないですか。オムツをあてていても。そういうぼくだって、普段は尿もれパッド、長時間移動したり、仕事をしたりするときは履くタイプを使っています。使っていることだけを指せば、ちょっとかっこ悪いかなって思いますけど、仕事や遊びや何かに集中したいと思うとき、楽しみたいと思うとき、これを使うのは、ぼくにとってはいい選択なのです。これを使うことで、心配になったり不安になったりせずに飲み続けたりもできるのです。尿もれパッドや紙オムツは、それ自体決しておしゃれではないけれど、それを使いながら上手に格好良く楽しみを愉しむことができるとぼくは思います。

〈コミニュケーションは大変難しく思うけど、ALS仲間が近くにいるだけでホッとします〉

マイクさん

人間は弱い生き物です。決してひとりでは生きていけないと思います。では仲間という人に何を求めるのでしょうか。救いを求めているのでしょうか。ぼくは思います。おたがいが仲間だと呼びあえる人の中に、ぼくらは自分自身を見ているのではないでしょうか。そうして自分は決してひとりではないと実感しているのだと思います。自分の境遇にくじけそうになったとき、仲間の中のもうひとりの自分に励まされて、また生きる道を選ぶのでしょう。そう、ぼくらは決してひとりじゃないし、孤独でもないのです。

空腹感の話はまたこの次に。

3/24何故か失敗の度に絶食

19日の失敗の後 担当医からcの指示で 何故か胃瘻からの1日1200カロリーの流動食(400cc400カロリーの注入を3食)のみで 水分も口から取ってはいけないことに今もなっています
3連休を挟んでまさかの5日目も経口絶食で いつ迄?
せめて4パック1600にとの文句が担当医にやっと通じても 返事は考えておくとそれだけ
体重は19日の51.5から昨日は50.0に
ALS患者にはリカバー能力ない筈なのに 何故か

今日は週2の風呂の日です
そこで同じような体形で年頃も似た胃瘻造設の人と一緒になり ALSの友人と同じ名前と確認したのですが少しお疲れの表情で違う人と思ってしまいました
でも看護師に確認すると彼に間違いない
マイクが告知を受けた病院で出会ったマイクより1年早い先輩としての またピアとして大事なのです
66歳 告知から1年半の胃瘻造設入院で マイクの検査入院で彼と出会う
何度も会ってた夏の頃とはやつれていてビックリ

彼はズッと奥さんが家で世話を
彼の家には自転車で何度も教えて貰いに行きました
彼にはSMSでここの病院を勧めていました
彼は先週の水曜からのリハビリ入院らしく 病室が空いてなかったので個室です
手先を動かすだけで呼吸が苦しいと言う
寝たっきりに近いようですが 奥さんが1日中世話を
食事は胃瘻だけで 家では375カロリー5本だったが ここではどれだけか聞き忘れました
奥さんが気切後の受け入れ病院は中々ないと調べていることを知る
そうなのだ!

マイクの会話は文字盤でないと伝わりません
彼の言葉は半分くらいか?
コミニュケーションは大変難しく思うけど ALS仲間が近くにいるだけでホッとします

今日は空腹感で気力が低い
ここまでに

3/23今までの最悪のADL

3/20の清水さんに訪問頂いたのその翌日は 祝日でリハビリもないので 家に帰らず病院でゆっくりすることにしました
その晩は隠れてではありますが 何時もの程度の積りが気を緩めてしまい 逆流と誤嚥をやってしまった
2/25の時とはほぼ同じくらいの逆流であの時はあっという間に熱が出て誤嚥性肺炎になったのですが 3/20は当直医がキツくは判断せず自分の咳込みで肺から追い出せとの指示でした
この程度かと安心したのに その晩は寝付けない程咳を続け大騒ぎでした

本当に病室の患者には申し訳ないくらい騒がしかっのです
看護師が翌日担当医に電話で報告したら 絶食せよとのことになる
但し胃瘻から流動食は3食400カロリーのみで 1日1200カロリーです
金土日と今日も 明日も それといつ迄?

体重を測ると50キロジャストで 今までの最低(58.5が元気な頃)

胃瘻造設の後 半分は流動食 半分はゼリー食(カロリーでは三分の一)が ズッと続いていたのに こんなことではもう戻らない

今日はそれ以上に辛いことがことがあった
流動食だけではうんちの量が少ない
それなのに硬かったり軟らかかったり
模様しても中々出ない
出そうになって柔らかいかと思ってもトイレでちびるか その逆だったり
座薬をしてもほんの少し
生まれて初めて指で摘み出す摘出と言うのをやって貰うが 全く下手くそ
爪が痛い

今日はこれだけでなく何時ものタンツバが喉の奥に溜まるのを 吸引するのも忙しい
胃瘻造設の後スムーズな食事になると思ってたのがこんなにも辛いとは

水分まで胃瘻から入れて呉れるだけで 口の渇きはいっこうに改善せず ウンチが硬くなったり軟らかだったり?
それより何より初めてのオムツを体験
この話はやめておきますが ADL(activity of daily life)最悪の1日を飾るに相応しい 恥ずかしいシーンシーンでした

3/20昨夜またやってしまった

昨日は清水さんが面会禁止の病院に来て頂きました
出版社との最終詰めの大仕事をほぼ終えてでした

そのあと実は 昨夜また逆流肺炎?をやってしまいました
今日明日明後日の三連休なのですが 極力自宅外泊は控えようと明日は病院でゆっくりしようと 昨晩はエネルギーを増強したのですが ムセカエッテ逆流まで起こし また肺炎かと覚悟して 何とか添加物を隠せて 当直医の世話で何とかなりました
前回の肺炎ではあっと言う間に37.8度になり 38.1にもなりました
昨晩は37.6から36.6とか微妙でした
それより spO2が90を割って咳き込みが一晩中続いたので 酸素マスクと吸入器と吸引も
肺に何かは詰まっていて咳が苦しくと 今朝担当医に電話確認で明日から経口食事は駄目となり 胃瘻食事のみとなりました

何しろ無茶を承知で隠れて また覚悟してやるのが好きなのはいいのですが 段々ヤバくなっているようです
元々マイクは自己管理能力が足りないのです
と言うよりギリギリのところでキープする そんな楽しみを愉しむそんな男なのです

でも昨日今日の辛さを考えると・・・・・
昨夜から尿瓶で寝たきり 今酸素ボンベ付きの車椅子に乗って ちょっとの時間気分転換です。

こうやってぼくは生きていく

久しぶりに京都の病院にマイクさんを訪ねた。胃ろうで薬を注入中!

マイクさん

久々にお顔を見ることができて、よかったし、うれしかったです。表情は明るく、本来なら「お元気そうで」と言いたいところですが、病気のことを思うと全く元気ではないわけで、ぼくなら「がん以外は元気です」などと冗談にもできるのですが、そこがALSの厄介なところですね。ありのままだと理解すればすむことですが、う〜〜〜ん、なんとお声をかけていいかわからないというのが正直な気持ちでした。

その日の京都新聞夕刊に〈ガンの10年後存命率が向上した〉という記事が掲載されました。それによると、

〈国立がん研究センターなどは17日、2003~06年にがんと診断された人の10年後の生存率を発表した。大腸や胃などがん全体で57・2%で、昨年調査した02~05年(56・4%)より0・8ポイント改善した。部位別では、前立腺は100%に近かったが、膵臓(すいぞう)は5・3%で最も低かった〉

というのです。
この数字というやつは厄介です。確かにがん患者にはひとつの希望になるかも知れません。だけど、逆も言えるわけで、全体で43%の人は10年を待たずに亡くなっているわけです。その逆をどう見るかと言えば、やはり不安だとしか言いようがありません。この「不安」に打ち勝てない限り、がんという病を克服できないなとも思います。

じゃあどうすればいいのか。やはり前を向いて生きていくしかないのでしょう。いろいろあっても前を向き続ける。そのことを支えてくれるのは、ぼくの場合仕事を続ける、書き続ける撮り続ける動き続ける日常を忘れないことだと思っています。どんな状況になってもこの日常だけは変えない。手放さない。そう思っています。

もちろん、思ったように捗らなくなるでしょう。人の手も借りないと何もできなくなるでしょう。やりたいことの半分も、いえわずかのことしかできないかも知れません。それでもやり続けたいと思います。
ぼくもマイクさん同様、せっかちです。だからマイクさんが「『伝の心』はダメだ」と言われていたことに、多分ぼくもそうだろうなと納得しました。でもどうだろう。もし手が動かなくなって、声が出なくなったら……。右手がダメなら左手で、両手がダメなら足にペンをつけて、足もダメになったら口に咥えてでも、それもできなくなったらまた他の方法を!
そうやってでも書き続けたいと思います。

そんなふうにやって、絶対に前を向き続けるんだと心に決めています。
実は今日は朝から全身がだるくて、どうにもこうにもならない状態でしたが、こうやってパソコンに向かって文章を書いていると少々元気になってきました。こうやってぼくは生きていくのだと思っています。

3/16 ADLが衰えてもQOLを夢みる

清水さんが前立腺と闘っている様子は お会いできていないからか思っている以上にご苦労されておられることを 往復書簡で一応理解しています
癌の中でも最も軽い前立腺の しかもステージ2は 何の心配もなくと思わせる情報しかないのに 実際は清水さんのような複合的事情でややこしいこともあるのですね
それに副作用というのも厄介なものなんですね
マイクの年齢の友人達には進行が遅く 心配や苦労と無縁な年寄りを知るばりですが 何事も特殊事情がある時にはあるのですね

ALSの進行が患者によって様々なように マイクのような嚥下と喋りに不自由する球麻痺が先行するのもあれば 手足の筋萎縮が先行する場合もあります
しかも進行のスピードも医者は予測すら出来ません
どうなろうと成るようになれと本人が運命に任せて 楽観的に或いは悲観的に推測するしかありませんが 何方にしても そんな事しても 無駄かもしれません
QOL(quality of life)がただ下がるだけのALSなのです
いや!マイクがこんなことを言うと清水さんは否定されるでしょう
QOL向上させる夢を確かにこの一年でいくつも実現してきましたのにです
これはラッキー&ハッピーな特別の希なのです
でもADL(activity of daily life)が退行するしかないALSであることは間違いなく本人が確実に自覚してしまうことになるのです
だからと言って悲観的に成ることなく 安く楽しくと言うのがマイクの最期の夢です
安楽自死とエンジョイ・デスを スーパーになっても見つけられるか
ADLが下がってもQOLを向上させる夢は実現できるのか 本当を言って自信ありません

清水さんの昨日の最後に
「それを機に、まったく新しい試みをしてみようと思います。まだまだ枯れる気はありません。自分なりの新しい世界を、大勢の人の力を借りながら切り開いてみようと思っています。マイクさん、これからですよ。どんな状態になっても前を目指しましょう!」
こうあり 嬉しい励ましの言葉をマイクにも頂きました
確かにスーパーになってマイクの部屋構想の夢が QOLそのものになるかは そう思いたいのですが 思えるかどうかは自信がありません
癌は癌以外の部位は枯れることないのですが ALSは 確実に全身枯れて行くのです

これからしたいことがあることは 前の振り返りで話しました
病院生活の安心安堵に浸っているマイクには ADLの退行の前に QOLに成る何かを早く手を付けなければ!
と言いながら 胃瘻造設と肺炎で ADLの進行を意識しするようになりました
スーパーのことまで推測するように!

自分なりの新しい世界を

新著表紙デザイン

マイクさん

ぼくはちょっと甘かったようです。ええ、放射線治療の副作用のことです。8週間に及ぶ放射線治療は、無事というか問題なくというか、とりあえず終了しました。その間、頻尿、排尿困難、残尿の末の尿もれという副作用があることはすでにお話ししました。でもそれも治療終了とともに収まるだろうなと思っていたのですが、違いました。

「副作用というか、後遺症は終わってしばらくしてから出てくると思いますよ」

医師の言葉通り、放射線火傷一歩手前の皮膚炎みたいなもの、排尿困難だけに止まらない排便困難がひどくなった気がします。ぼくは直腸の縫合部と前立腺がほぼ癒着していたので、縫合部へも放射線があたっていたことは想像に難くありません。そこに何らかの影響がないとは言い切れないと。だからくれぐれも注意を払うようにと医者からは言われています。しかし、注意しろと言われても、いったい何をどうしていいのやら……。

しかも、放射線治療でがんが根治できたのかどうかも不安です。当面PSA値は下がっとしても、がん細胞がわずかでも残っていたら、それがまたいつか芽吹かないとも限らない。それについては経過観察しかないというのです。
まあ、がんと一緒に、がんと向き合ってゆっくり生きていくしか術はないようです。

マイクさん、ぼくもこの1年を振り返ってみました。
マイクさんと会ったのは最初の手術から1年3カ月後でした。その前の術後1年の検査で肝臓に白い影が見つかり、鹿児島に戻り次第精密検査を受けることになっていました。結局それは血管腫で悪いものではありませんでした。マイクさんとの往復書簡をはじめる頃にはひとつ不安を乗り越えたぼくでした。ところが術後1年半の検査で、今度は前立腺に影が。しかも腫瘍マーカーのPSAは明らかに異常を示す数値でした。

「何でだ!? 抗がん剤治療にも耐えたのに……」
そういうぼくに医者はあっさり言いました。
「前立腺がんには関係ないですからね、お使いになってた抗がん剤は」と。
生検の結果は真っ黒。ステージ2の前立腺がんでした。で、外科的な手術ではなく放射線治療に。
それからの経過はご存知の通りです。で、今日があります。

この1年、ぼくが何を感じていたかというと、それは自身の加齢はどうしようもない事実だなということです。まだまだ若いつもりでいたのですが、正真正銘のじいさんになったなということでした。目も悪くなり、反射的な身体の反応も鈍くなりました。うまく言葉が出なくてイライラしたり、つい昨日のことが思い出せなかったり……。できないことがどんどん増えていくなって感じです。
でもね、これがいまのぼくなんだと思えばそれでいいことだとも思えるようになりました。

若い人と張り合って、いつまでも先頭を行こうとするのではなく、そう、いつまでも競争の中に身を置くのではなく、もうちょっとゆっくりしようかと。いろんなこともっと楽しもうと。仕事だって、この歳になったからこそできる仕事があると思います。そういう分野でいままで蓄積してきた力を発揮したらいいんだって。そんなことを感じるようになりました。

4月に新しい本が出ます。若い人たちに担がれて、新しい試みの末上梓できることになりました。それを機に、まったく新しい試みをしてみようと思います。まだまだ枯れる気はありません。自分なりの新しい世界を、大勢の人の力を借りながら切り開いてみようと思っています。マイクさん、これからですよ。どんな状態になっても前を目指しましょう!