2/29 通じないもどかしさ

今のマイクは 肺炎の治療に専念しなければならないので ベッドの上で絶食と安静をしています
しかしこの身体は既に相当不自由なのです
右手が上がらないし握力はゼロ
右手指は全く言うこと聞かない硬直
少し前は小さな物を摘んだり持ったりはできないだけで できなければ左ですればよかった
左手は不器用でも 力がない右でサポートすれば結構何でもできた
左手だけでなんとか生活できたのですが 今は左も全体的に力が半分になり これ以上左も悪くなると 使えない右でサポートしても何もできなくなる
それを思うと辛さと悲しさで生き地獄を想像させるのです
生活での手の役割を痛感します

それでも足の方は先ず先ずなのですが 歩くには腰が砕けて前屈してしまい どういう訳か首の力がなく頭が下がってしまうのです
見た目は すっかり老人らしくなってしまいました

でも生活の不自由さと見た目の格好悪さは我慢しなければと思いますが 実際に辛いのは嚥下の辛さと 通じない喋りなのです
味わいのないミキサー食でも嚥下に苦労し 今はミキサーと胃瘻と半々ですが その内に胃瘻だけの流動食になるのです
でもこれも我慢の範囲です
ところが25日のような誤嚥性肺炎の危険と窒息の危険が常にあるのです
これも自分の注意次第ですので我慢の範囲です

喋りは半分どころでなく殆ど伝わりません
コミニュケーション不良はこれまでの何よりも辛いのです
自分だけでなく相手にもストレスを与えるのです
看護師からの話し掛けられるのも以前よりうんと少なくなりました
向かいのベッドの患者とは6月も同室で マイクを師匠と呼んで色々楽しい話をしてくれました
しかし今回は彼の方から避けられているとしか思えません

意思疎通できない人間は生きている意味がないと言って入院患者を殺した事件を思い出します
マイクもすでに意思疎通できないレベルかと考えさせられます
喋りの劣化スピードは胃瘻後早くなったように思います
気切してスーパーになって使うコミニュケーションツールがあっても 今は何とか指差し文字盤で何とかやってますが イラチなマイクにはあのモタモタ感には耐えられず 我慢の限度を超えるに違いありません

今度の肺炎で ALSの行く行くの生き地獄が近付いたことを認識したように思います
そして本物の生き地獄がどんなものかはまだ想像のレベルですが少しずつ理解し マイクに我慢できそうなレベルか そろそろ妄想しておいた方が良いのかもと

殆ど治っているのに一週間も絶食とは酷すぎると医師には言っているのですが 通じません
看護師からも言って貰いたいのですが 土日で医師には通じません
今も胃瘻から夕食前の薬を注入に来たので 看護師にALSにとって減量が最悪なことを説明して 薬は効いていないが流動食をと医師に伝えて貰うようお願いしました

2/27 気切を宣言しました

一昨日は スーパーの入り口から生き地獄を一寸覗いたようです
看護師に痰唾をカテーテルで吸引してもらったら 胃から逆流が起こり 気管の方に誤嚥してそこそこ苦しかったのですが それが治ったら直ぐ寒気で震え出したのです
熱は37度6分 直ぐベッドのまま胸のレントゲン 右上部に影がある
主治医は 誤嚥性肺炎で 抗生物質点滴を指示
1時間もない大ごとでしたが熱も38.1まで上がり 肺炎となると 普通2週入院必要だと言う
また1週は絶食で安静が必要と
そしてとうとう呼吸が苦くなって 気切が必要になった時にどうするのかと質問あり
指でマルを作ってマイクの覚悟を示した
いよいよスーパーが近づいた
呼吸も息苦しく酸素濃度SPO2は平常限度90を割っていて  酸素吸入を2リットル/分を鼻から注入する
直ぐにマズマズの元気が戻ったのですが 点滴の管 酸素の管 そして 吸引チューブ ラジオとテレビのイヤホン ナースコール SPO2のメーターの配線などが ベッドの上で絡みついて動く度に苦労する
点滴台持ってトイレへ行くのはとても無理
それで尿瓶を使うことに
医者には絶食で体重下がらないよう 胃瘻で流動食品を摂れるように頼んだが 安全性からダメという
痩せて筋萎縮で減量するより 肺炎を治すのが優先なのです ALSが進行するよりも
水分ばかりの点滴を5〜600グラム3本を一日中掛けてするのです
胃瘻造設で痩せたのは問題ありと考えているマイクは今度も繰り返すのかとガックリしているのです
一度痩せたら取り戻せないALSなのに

2/25あっと言う間に誤嚥性肺炎に

2/24
放射線治療の弊害でご苦労されている様子が 清水さんの返信から伺い知れます
でもお母さんはどうか分かりませんが 清水さんは御自分でパッドやオムツをセットできるのだと思います
マイクの病棟の殆どが手足の不自由で看護師の世話になっています
シモの世話になるくらいなら死んだ方がと 元気なうちは思っているのに そんなことで死ぬ人はいません
看護師はウンチのオムツ交換を難なくやりこなしていますが マイクは堪らず窓を開けるか部屋から出ることにしています
大部屋で唯一我慢できないことです
小の方は 看護師任せで何事もなさそうです
ウンチの方でいつも思うのは マイクが病院で看護師にして貰うようになっても 申し訳ないとは思いますが拒否したりはしません
それが在宅では 家族が 特に家内がしてくれるとは思えません
(一般に血縁の親や子ならまだできるが 異性の義父母の世話はしたくないと聞いたことがあります)
となるとマイクはこの面からも病院療養しか考えられない
ウンチの世話で死んだ方がマシではなく 家内に頼むしかないなら死ぬしか考えられません

いつかこの書簡で中村仁一の講演会で「ひとの世話になってまで生きたくない」の結論はシモの世話だったと報告しました

マイクに自然死せよ/ 癌も苦しまない/と言う売れっ子医師

昨日ここまで書いたところで 今日続けようとして その前に看護師に昼の3時に吸引して貰ったら 胃液逆流して誤嚥してあっと言う間に寒気で震えて 体温も37.8 まで上がり抗生物質点滴と絶食安静となる
主治医から気切が必要になったらどうするかを聞かれ オッケーを宣言しました

しんどいのでここまでに!

追記  鼻から酸素2リットル/分(酸素濃度SPO2が90ギリギリ割る)(通常93〜良くて95)
出来るだけ安静の為尿瓶使用
昨夜38.1に 26日朝は37.1 27日36代

ぼくが生きた痕跡に

目下の必需品。時間が経てば必要なくなると主治医は言うが……

マイクさん

抗がん剤や放射線治療に限らず、副作用というやつは投薬や治療の回数が増え、蓄積が進むと露になってくるようです。これは耐えるしかないですね。しんどいから、煩わしいからといって、やめるわけにはいきません。
ぼくは頻尿、排尿困難、残尿、尿もれがひどくなっています。治療15回目過ぎから尿もれパッドが必要になりましたが、それは備えという感じで、一番小さな20cc(ちょい漏れ用)を使いはじめました。ところが20回をすぎると、いつもれても不思議ではない状態で手放せなくなり、25回を過ぎた今、20ccでは足らず80cc用(中漏れ用)を使い、車で移動したりラジオ番組に出たり行動に融通がきかない場合は履くタイプを使うようになりました。体裁などかまっている場合ではなく、自分にとって何が必要か、しなければならないことをやるには何を選択すべきかを考えて行動しています。

〈気切体験で、一時的にスーパーになる勇気があっても、それは生き続ける覚悟ではないと清水さんに見透かされてしまいました〉

そんな中、ぼくはこの書簡の交換でマイクさんの冷静な思考・行動に驚きをもって接しています。マイクさんからはデータ重視の研究者と感情重視の文学者の違いだと指摘がありましたが、冷静にデータを求め、解析・分析し、行動しようというマイクさんに半ば憧れに近い気分で文章を追いかけています。
だから気管切開をする勇気はあっても、生き続ける覚悟ではないという言葉、実によく分かります。気管切開後の療養生活が具体的にどうなるのか、はっきり見えてこないからですよね。逆に言えばそれが見えて来さえすれば、生き続ける覚悟も十分にできるんだというとても前向きな気持ちだと受け止めました。

〈生き地獄はマイクが耐えればいいのですが、介護地獄は家族の負担です。それは運命とは言え家族の余計な負担になるどころか、やれない無理な大仕事かも知れません〉

やはりここですよね。自分は耐える用意があるけれど、家族にその負担を受け止めてくれとは言えないと。この思いやりはすごいと思いました。
ぼくはここしばらく反省していることがあります。母のことです。年老いた母の排泄について、母の気持ちよりも介護のしやすさとか、効率を中心にして考えていたのです。自分が尿もれパッドや紙オムツを使うようになって、はじめてわかったことです。尿もれで下着やズボンを汚したり、何度も慌ててトイレに駆け込むようなことはなくなりました。でも、いろんな不安が湧きあがります。周囲の人に匂いは気にならないだろうか、そんなのを使っていると知られると嫌がられないだろうか……。並べ上げたらきりがありません。使うことでプラスもマイナスもあるけど、マイナスはプライドとか尊厳(大げさかな)に関わる問題であり、他者から「何も気にすることなんかない」と言われても気休めでしかないなと。
母はもっと大変です。今、ほぼ車椅子で暮らしているので、トイレへの移乗を考えると紙オムツが便利だというのは介護、介助する側の都合なんですよね。幾つになっても女性ですから、母にだって恥じらいはある。自分がこんな状況になったからわかることです。なんと思いやりのない息子かと反省の毎日です。

〈こんな段階でマイクのためにマヤちゃん清水さんが真剣に考えて頂いているのです〉

このことも、気持ちを引き締め直しています。マイクさんがいよいよ大変な状況にさしかかっていくにつれ、自分の言葉の一つひとつが安易になっていないか。ちゃんと裏付けをもった言葉になっているか。そんなことがとても気になります。「生きましょうよ」「生きてください」「頑張りましょう」などという言葉は、ついつい無責任になりがちです。家族ではありませんから、最終的な責任は免れるわけです。でもぼくは、こんなことを言うととてもおこがましいですが、今までもこれからもちゃんと責任を持ってマイクさんに接していきたい、サポートをしていきたいと考えています。
でも決して自分が中心になるということではありません。あくまでも主役はマイクさんとご家族です。まずマイクさんとご家族が話し合って、結論を出すことが大切であることは間違いありません。ぼくたちはその結論を実現できるように、具体的なサポートを考えていきたいと思っています。そのために多くの人の力を集めたいなとも。
どこまでできるか分かりません。でも徹底的に考え、行動したいと思います。おそらくこのことは、後々ぼくが生きた痕跡につながるはずだとも思っています。

愛を信じて生き続けるしかない

変わらず忙しい仕事の負荷に 治療の時間も重なり タフな清水さんでもさぞお疲れだと思います
ご無理なされない様願います

さて 返信で「愛」を語られていますが マイクに「愛を信じましょう」と諭して頂いたのは ここに入院して直ぐの4/16のブログでのことでした
それも 具体的な往復書簡と生前葬パフォーマンスと言う親切を合わせ戴いたのです
https://hikurashi.com/archives/213
6/13にも愛と親切について思いを記しました
https://hikurashi.com/archives/624

今回も清水さんから 「愛は生きる姿です」とお言葉を頂きました
噛み締めて考えてみますと 愛を受け止め それに応えるには生き続けることしかないのですと言われておられて 最近のマイクの危なさを見抜いて おられるのです
元々ネガティブマイクには まだ逃亡癖が根付いている事を見透かされている清水さんなのです

気切体験で 一時的にスーパーになる勇気があっても それは生き続ける覚悟ではないと清水さんに見透かされてしまいました
気切を受け入れても 気切の後が どんな生き地獄なのかを思うと マイクはまだスーパーを受け入れる自信がありません
でも スーパーがどんな生き地獄であっても マイクが耐えられないとは思っていません

皆さんから頂く親切・お世話(愛)は実にありがたいものです
家族でもないのにここまで愛を頂けるのです
遠慮もなく頂いているのです
病に耐えることが 愛に応えることなのだということも分かっています
生き続けなくてはいけないと思いますし そう出来ないとは思ってはいません

しかしマイクの家族には 最期まで運命として 悲運を悲運と思わず介護を尽くすしかないのです
けれどもそれをマイクは好みません
家族に負担を掛けたくないのは あの時以来変わりません
スーパーALSになったマイクの介護は これまでの新参者や身障者レベルどころでない大変な介護の負担になるのです
でも家族にはやらなければならい契りがあるのです
生き地獄はマイクが耐えればいいのですが 介護地獄は家族の負担です
それは運命とは言え家族の余計な負担になるどころか やれない無理な大仕事かも知れません

こんな事を言うのは気切の後 迷惑掛けずに早めに死んでしまいたいと言うのと同じ事です
あの時と同じ危険で 折角愛を信じ救われたのに それこそ恥ずかしい間違いだとも認識しています
気切してしまうと 尊厳死もできず生き地獄が待っているどころか最期まで付き纏うのです
でも今はまだそこまで考えないことにしているのです
気切してしまうと最期まで死ねないと言うことも分かっていないことに

気切の後もスーパーALSのマイクが何時迄も病院で療養続けられるのか
それを望んでいるのですが 在宅を強制させられるかも
その時は 家族と別居し ひとり暮らしで24時間介護を受けることが可能かどうか
こんな段階で マイクのためにマヤちゃん清水さんが真剣に考えて頂いているのです
早め早めに考えておかなければ その時に急な選択で済ませられるほど簡単ではないでしょう

愛は生きる姿なのです

参加者全員の合作としてのマイクさんの生前葬ENJOY DEATH

マイクさん

〈結局家内は強かった〉

笑っちゃあいけないとは思いますが、笑っちゃいました。
マヤさんも、ぼくも、その他大勢の人がいろんなことを言い、いろんなアイデアを出し、いろいろ議論を深めても、そこに帰結しちゃうんですね(笑)
でもそれ、マイクさんの奧さんに対する愛なんですよね。何にも増して愛が優先するという感じですね。じゃあ別の解決方法を考えないといけないかなって、ちょっと思っています。

〈ここまで皆さんにマイクのことを考えて貰える幸せを感じます〉

もちろんマイクさんのことを考えてはいるのですが、それはご家族と切り離してマイクさんのことというわけではありません。ご家族と一体となった生活をするマイクさんのことです。だから、何をどう考えても、工夫しても〈結局家内は強かった〉という結論になるとしたら、さて、どうしたものかと思案にくれてしまいますね。

甲谷さんや、先行するスーパーALSの人たちの事例に学んだとしても、それはそれぞれ個別の状況にあるわけですから、そのまま取り入れるられないのは言うまでもありません。ならどうするか……。ENJOY DEATHグループでやっている議論の中に、ご家族、特に奥さんですね、を巻き込めるといいなあと思うのですが、なかなか難しそうだなと思います。ならどうするか……。

なるようにしかならない。できるようにしかできない。ということになってしまうのでしょうねえ。だったら「なる」「できる」範囲をできるだけひろげることを考え、そのために動くことが必要なんでしょうが、そこでやはり〈結局家内は強かった〉となると、もうお手上げって感じですね。このことを無限ループのように繰り返すと、

〈マイクが、また家族が、介護地獄や転院地獄の現実が訪れる事を知りだすと自暴自棄自死願望が湧いて起こったのです〉

という診断確定直後のマイクさんに戻ってしまうのじゃないかと心配です。そんなことにならないようにとマヤさんや大勢のお仲間が「ENJOY DEATH」の企画を立ち上げたり、具体的な支援としての行動ができるように研修を受けたり、資格を取ったりし、ぼくはぼくで精神的なサポートができないかと「往復書簡」をはじめたりしたわけです。で、マイクさんがスーパーALSへの入り口に立とうとしているまさに今、さらに具体的な支援ができないか、できるとしたら「マイクの家構想」はどうかという話になっている現状ですね。でも……。ならどうするか……。

〈スーパーALSを体験できる事を喜びと思う様にすることにしています〉

ぼくは〈体験できる事を喜び〉に思うんじゃなくて、それでも生きている、生き続けられるということを喜びと思って欲しいと考えています。可能な限り生き続けて、その姿でぼくたちに生きるってどういうことかを教えて欲しいと思っています。

愛の力が、マイクさんをよりよく生きることに向かわせてくれるよう祈っています。愛することは生きることだと思うから。マイクさん、愛しましょう。そして生きましょう。愛は生きる姿なのです。

ひとり暮らしの最期は本当は元気なうちに

昨日はマヤちゃんのセットで ひとり暮らしALSダンサー甲谷さんのお家に行って 支援プロジェクトALSーDの志賀リーダーに マイクが市井でひとり療養する体制を考えるについてのご指導を受けてきました
清水さんもマヤちゃんもマイクがスーパーALSになっても閉じ篭ることがないように マイクの部屋を近所に作れないかを 前々から検討して頂いています
胃瘻拒否で死亡退院を決めていたマイクに 切開の意味を説教して頂いたJALSAの増田さんと同じく 甲谷さんも24時間介護体制で頑張ってられます
甲谷さんの家庭事情や介護体制 そして経済事情まで教えて頂きました
それで今のマイクは少なくとも気切までは体験しなければ男ではないと思う様になったのです
スーパーの入り口だけでも覗き見なければ死に切れないと思う様になったのです
ここまで皆さんにマイクのことを考えて貰える幸せを感じます

実はマイクの部屋構想は1年前の自死願望の時期に 皆さんとお別れを知人友人と生前葬として個人別にしたいと思いがあって できれば我が家の2階で ソファーを取り払い広々として まだまだ残っている断捨離しながら 形見分けにお渡しする事を決めていたのです
何日 何人になるかは凡そですが考えましたが半年もかからないのです
その後 部屋を元に戻し マイクはどこかの病院や老人施設に閉じこもり それからは世捨て人になりたいと決めていてのです
この夢は家族 特に家内からは理解されずに終わりました
娘の1人はソファーをレンタルルームに預ければとまで言ってくれたのですが 結局家内は強かった
代わりvに 近隣のワンルーム賃貸を短期間になるのですが借りて外に出る積りでした
まだ元気だから少ない介護で1人で生活できると思っていました
それも諦めざるを得ないと思い過ごしているうちに それよりこれからのマイクが また家族が 介護地獄や転院地獄の現実が訪れる事を知りだすと自暴自棄自死願望が湧いて起こったのです
この様なお別れができるのがALSの最大のメリットだと本気で考えていたのです

個別に生前葬か忍会にしたかったのです
その時の話題や形見分けの収集品のリストは作っています
元気なうちにエンジョイですをできた筈ですが 夢崩たマイクにマヤちゃんからの救いのパフォーマンス企画をいただいたのです

スーパーになってからではなく新参者のうちにできた筈です
楽しいお別れができるのです
その後の世捨て人になる覚悟を友人知人宛に喪中欠礼の代わりに年賀の皆様宛に文章も住所も印刷して 出さなかったので残っています
内容はこのブログにも白状しています

恥ずかしいマイクをふたつ告白します


今となっては残念ですが 早めの世捨て人にならずに お陰でスーパーALSを体験できる事を喜びと思う様にすることにしています

いろんなことを学びたい

マイクさん

すみません。忙しくてなかなか返事を書くことができませんでした。
ぼくの放射線治療は21回を終えました。あと16回です。放射線科の主治医は副作用を心配しているようで、顔を見るたびに体調に変化はないか、倦怠感はないかなどとたずねてくれます。抗がん剤で激しい副作用を経験したぼくは、今回もとても不安でした。がそれほどではなさそうです。

倦怠感はありませんが、ずいぶん睡眠時間が長くなったので、ひょっとするとだるさくらいはあるのかもしれませんが、自覚はありません。ただ頻尿の残尿というのに悩まされています。頻尿なんだけど、全部出切らないんです。終わったと思っても、ちょこっと残ってそれが漏れ出てくるみたいな……。だから尿もれパッドが必需品になっています。これは前回も書いたかしら……。
ちょっとカッコ悪いなと思ったりしますが、生き続けるためですから、必要なものは必要だと割り切って使っています。でも主治医によると、治療終了後は時間がかかるとしても正常にもとるということですから、一時のことだと思います。

さてマイクさん
今日のマイクさんの書き込みでいろんなことを考えさせてもらいました。まずADLとQOLです。ADLは自分でできることの範囲だととらえればいいのかな。日常の生活動作でできることの範囲。QOLはADLでできないことをカバーした上で、さらに何がしたい、そのためにどのような支援が受けられるかという範囲だととらえればいいでしょうか。

ぼくは思います。ADLとかQOLとか、その正確な意味や実態はさておき、どちらも障害を持った人とか難病の患者にとっての言葉だと思われていないかと。これは健康な人、健常な人にとってもあてはまることではないでしょうか。エイジングがそのものズバリですね。歳を重ねるとできることができなくなる。これはあたりまえのこと。当世の話なら、運転免許証の返納がありますね。ADLでいうと運動能力が車の機能に追いつかない。だけどQOLでいうと車での移動は不可欠だ、みたいな。とするとADLとQOLは裏表の関係にある。いずれにしても、安心して人の手を借りることができたら、ほぼほぼ解決するような気がしますが。
でも人の手を借りるということが難しいんですよね。

ふたつ目に同病ピアから何を学ぶかということです。スーパーALS甲谷さんの暮らしを見学しに行かれるんですね。
ぼくは誤解を恐れずに言うと、マイクさんにとってベストなのは現状の宇多野病院に入院し続けることが、いちばん安心で快適なんだろうなと思います。しかし退院、在宅療養となった時のことを考えると、甲谷さんの暮らしに学ぶべきことは多いように思います。

甲谷さんの暮らしが、在宅療養のある一定の到達点だとすれば、どうすればそこまで到達できるか。何を解決しなければならないのかを、きちっと学ぶことが大切だと思います。たとえば気管切開後、24時間どんなケアが必要なのか。そのためにはどれほどの人員が必要なのか。公的介護を使うとしても、どれくらいの経費が必要なのか。それで主介護者たる家族の負担はどれほど軽減されるのか。そんなことをつぶさに見てきてほしいと思います。できればマイクさんの主介護者になるご家族も一緒に。

早すぎることなんてないと思います。だって、そうなること、それが必要になることは、マイクさんがALSだという診断が確定した時からわかっていたことですから。それだって支えてくれる人がいる限りちゃんと生きていけるということを、甲谷さんは教えてくれるはずです。そうして学んだことを、後に続く人たちに伝えてください。病気は違えどもぼくもその一人です。マイクさんの生き方にいろんなことを学びたいと思っているのです。

早いに越した事はない/スーパーが迫ってくる?

妄想のネタを考えてからではなく 書き出しながらのために 同じことばかり続いて書きそうですが 済みません

脚は先ず先ずなのですが 右手指から始まった筋萎縮が 右腕全体が萎縮で力無く不自由になりました
そのマイクの身体の不具合は 右手ばかりではありません
胴体(胸背腹腰)もALSによるものかどうかは主治医に訊いても不明ですが 確実に痩せて疲れ易く 弱くなっていて 何をしても疲れる様になりました
その為 背中と腰が曲がって前屈みの全くの老人です
それでも下半身が不自由に見えないので 脚に重点を置く身体障害者手帳は無理と言われてきました

しかし今 ALS病状で何よりも進んでいるのは球麻痺なのです
それは機能障害なのですが これまでは承認は無理とも言われました
それでも機能障害が進んできたので 12月に肢体不自由と合わせて1級を承認されました

肢体の不自由が 新参者から身障者のステージに移行したと昨日話しましたのは 身障者認定された通りになったからです
しかもその通り障害資格を自覚するほど病状は進んできたのです
でも肢体の不自由よりも 食事と会話の不自由の方が QOL生活の質を半分程度に下げているのを感じています

QOLとは絶対的な数値化できるもののように 色んな場面に登場しますが 相対的 個人的主観的な曖昧な指標のようで 数字化は無理?
まだADL(activity of daily life)の方が 納得できる指標と思いますが QOLにお株を取られているように思います

昨日は主治医でなく担当医だけだったので 最近は息切れを感ずるときがあると話して見ました
これだけ声が出ている状態では気切で声を失うのは勿体無い まだまだ先で良いと主治医と同じ様に言う
胃瘻造設も積極的に勧められた様に思えないのです
療法士は胃瘻の時も早めに勧めてくれたのですが 気切もこの夏でも必要になる位の積りでいた方がいいのではないかとまで言ってくれました
こんな事を言う立場でないのにリスクを知りながら意見してくれたのです
ありがたく受け止めてボチボチでなく急ぎ勉強したいと思っています

マイクは スーパーALSになるのがこの夏になっても驚かないと思う
マイクの館構想が実現するには スーパーALSになって24時間介護/看護が認められないと無理なのです
JALS近畿ブロック増田さんからお教えいただける筈ですし ダンサー甲谷さんもその実現にご苦労された方です
医師からではなく 同病ピアから教えてもらう覚悟がなければと そう思うこの頃です
一寸早い? 早いに越した事はない?

この落ち込みをどう脱却するか

マイクの病状が 到頭 ALS患者らしくなったと 最近の投稿の話題にすることが多くなりました
去年のマイクは 皆様に支えられながらALSを享受しているかの様に 自死願望から一転ラッキー&ハッピーなエンジョイ・です なる時間を過ごすことができました
またそう出来たのを 間違いなくマイクの病状がまだ「新参者」レベルであるからだとも決め込んでいました

ところが胃瘻造設で一時4キロ痩せた所為だと思っていますが 体力気力が落ちて回復しません
進行性のこのALSは 回復を期待できないのですから そう受け止めるしか策はないのです
凹んでいてはしょうがないのですが気力も今ひとつ
体力は右手が痩せて60度しか上がらず 右指では全く摘めない
左手指も握力が確実に落ちてきているので 両手不具合を考えるのも辛い

胃瘻造設の後の状態を新参者から何に変わったか 気切の前だから生き地獄が見える入り口だと思うと書いたが もっとふさわしい言葉がないか探していました
思いついたのはズバリ「障害者」です
新参者の時でも 障害と言える不自由さはありましたが 右手の器用さを左手のサポートでサポートすれば 殆ど自立生活できたのですが 今は手助けなしではできない作業が一挙に増えました
多分これから気切まで 障害者意識がどんどん増すと思います
病室の周りにはもっと酷い人ばかりで これを生き地獄と思う様では情けない
気力で凹まないよう頑張らなければスーパーに近づけないのです

Facebookに マヤちゃんが2/15名古屋でパーキンソンのダンスワークショップをやるとあった
マヤ観音の気力の凄さを見習わなければ 不思議な仏様です