ALSにも闘病が迫りくる覚悟ありや

清水さんの治療の様子を想像してみますが経験のないマイクはイメージすらできません
癌の友人は多い筈なのに治療の詳細を面会とかでも話題にしたことはなかったと思います
国民の半分が癌を経験するほどポピュラーで お互い理解し合えるからでしょうか しかも一般の手術ならば 切除する位で特別な施術とも思わないからでしょうか?
それより抗癌剤の副作用での苦しみとそれとの戦いが話題として多い様に思います
ホルモン注射や放射線は手術より闘病を実感しにくそうですが?
(大腸癌手術の時と比べ)
実際は 転移やもっと複雑な戦いに悩まれるのです

堀ちえみの舌癌は 舌半分切り取って腿の肉を移植で喋られるまでに
(妹の旦那も30年前に同じだったのです 回復も)
マイクの球麻痺は舌をかなりに萎縮させているのですが 移植は?

小心のマイクが闘病が似合わないことを何度もここで話題にしました
然しどうした事か今日はチラッとALSのマイクが闘病もやってみなければ!とチラッと思いました
と言うのは最近の喋りの劣化の速さに生き地獄の入り口が見えて来たなどと書き込んでしまいました
これは正直な話ですがこのままだと皆さんに心配かけるだけで許されません
闘病でなく逃病がALSに相応しいなどと粋がっているのは見っともない
そうチラッと思いました
チラッとだけですが 今夜はこれを生かして何が出来るか あるかは自信がないのですが ここにオープンする事で少しばかり逃げずに闘える何かを探してみることに!

追記;少し考えただけで少し分かりました
放って置いても生き地獄の前のこれからは色々と辛い状態になり これこそ闘病が迫りくるのです
どんな闘病かは今まだ分かりませんが そう心配せずその時その時を粉すことを・・・・

意思疎通は喋りでなくとも

清水さんからの返信をしっかり読み返しました
何でも比較したがるマイクを懸念しての有り難いお言葉です
今 病室に全く意思疎通できない患者が居られるのですが その方 他人の命を価値をマイクが詮索できません
ましてや ランキングする意味もありません
いのちはそのひとだけのものです
その方の家族を見ると(本人より)家族のものです

だけどそんな尺度があるならマイクのQOLとして知ってみるのも面白い
自分の幸せと 誰彼への感謝となるかも知れません
マイクが価値比較をできるものならと期待したのは 元々 終末期を迎えた老人に限っての安楽死の価値を比較のためです
しかも社会的に それが必要な時期が迫って来ると推察してのことです
勿論清水さんのお母さんの様な元気老人には無用なことです(考えておいた方がいいに決まってますが)

老人のことでなく障害者のことでは相模原事件を考えない訳にはいけません
意思疎通できない障害者には生きる価値がないとする植松哲学を否定する論客が現れるのを待っているのですが 3年経って未だ植松は堂々と正当化している
間違いなく殺人については 罪であるのは明白です
本人自ら殺人を詫びていますが 障害者の無価値論は全く変えていない

弁護士は大麻精神病による無罪とする戦略ですが 植松哲学をどう論ずるのかに期待しています
検察側も単なる殺人の量刑では済まされない
被害者の無念を晴らすには社会の障害者差別を明かにしなければならない

世間には殺人を否定しても 価値で差別することに共感する者が多いのです
法廷ではその様な差別を否定する哲学で無念を晴らして欲しいのです
なのに法廷で被害者が匿名で闘うのは悲しい

返信には 清水さんからマイクの価値を痛く持ち上げて頂くばかりで恥ずかしい限りです
意思疎通が極めて困難になったマイクは 指差し文字盤から タブレット入力読み上げ にこれからチャレンジします
2/1に 京都芸術センターで 前田耕平(コンテアーティスト)企画の パフォーマンスに参加します
テーマLove Noise でグランドに集まった目標500人が 「愛について」声を発する
その映像が作品化される
マイクは音声読み上げの文章をこれから・・

現実を紡いで生きる

マイクさん

おはようございます。
前回返信の続きのような話から。命の価値の話ですね。
写真はとある社会福祉法人の広報紙を送る際の帯封です。母の写真と手書きの言葉が入っています。そこにはこう書かれています。

外に出る事ができるうれしさ
1人ぽっちでも みんなと溶けあえるから 淋しさはうすれる
毎朝大きい声で「おはようございます」の交かんは
元気100倍になります
今日もよろしくね

そうしてこれをぼくに見せながら、母はこう言って笑いました。
「いくつになってもどんなになっても活躍する場はあるんや」
94歳という高齢で鹿児島に移って2年半、ぼくは母がちゃんと自分の居場所、生き方を見つけてくれたような気がして、とてもうれしく思いました。それだけではありません。必要とされている自分、だからこそ愛されているという自分、そういう自分が96歳になってなおも生きていくという意味、価値をちゃんと知っているということ、それが他者に対する大きな愛になっていると、強く感じることができました。命の価値ってこういうもんじゃないかなあと。

生産性の問題でいうと、果たしてどれだけのものがあるのかはわかりませんが、少なくともこの帯封で届けられた広報紙は、読んでみようかなと思わせるだけの力は持っていると思います。生産性とは係数で測らないとダメだと言われるとそれまでですが、それこそがあの殺人鬼のトリアージュの理屈を支えているものじゃないでしょうか。

〈夢も愛も欠けた現実思考だからなのでしょう〉

マイクさん
マイクさんは少なくとも大勢の人に愛されていますよ。2度の「ENJOY DEATH」がそれを物語っているし、象徴していると思います。サポートしているまやさんたちKDEの皆さんは、「マイクさんを最後までダンサーとして」って一緒に夢を描いてくれているのではないでしょうか。それに実際の療養生活の面でも何とかサポートしたいと考えているはずです。これがマイクさんの現実だと思います。夢も愛もあるじゃないですか。ぼくはとっても羨ましいです。

〈マイクが自身の価値を知り得るものなら知り、自分の価値を実感・納得して生きたいと思うからです。その為には先達の一般的な基準があれば参考に出来ないかと〉

マイクさんの命の価値は、マイクさんが思っている以上にすごいものがあるんじゃないでしょうか。〈先達の一般的な基準〉なんてとうに上回っていると思います。マイクさん自身が新しい基準になるのだと思います。マイクさんがよく言う〈Super ALS〉ですよ。

〈本当言うて知らんけど・・・〉

これ、ぼくも同じ気分です。これから先ぼくの体内のがん細胞がどんなふうになっていくのか、ぼくにはわかりません。不安でいっぱいです。
マイクさんも、胃ろう造設後の暮らし方、気管切開と、これからたくさんの困難が待ち受けていると思います。だから頑張りましょうなどと言うのが、マイクさん、いや当事者である患者本人や家族にとってどれだけ無責任かということはわかっているつもりです。でもその上でなおかつぼくは言いたいと思います。
みんなで、現実を一つひとつ紡いでいきましょう。そうすることでぼく自身の、マイクさんの人生を最後まで織り上げて生きましょうよ。そうすることではじめて命の価値って、生きてきた意味ってわかるんじゃないでしょうか。

マイクさん
マイクさんは決してひとりじゃありません。たくさんの仲間が、マイクさんをひとりにしないと、させないと思っています。

胃瘻造設は簡単でも胃瘻生活は大変です

相模原事件で思うところを書き始めても 直ぐに行き詰まるのは毎度のことです
マイクには障害者の領域を考える思考能力がないことに気付くかからです
障害者当人になったのですからとの思いがあるのに!
元より 安楽死について考えるのも 終末期の老人だけに限っています
人の(命の)価値を数量で認識することが 将来財政的に必要な時代になるとするベッカーや麻生の社会的見方に マイクもそれに染まりかけなのを清水さんが懸念されているのです
その程度の思考レベルでしかないのですが 夢も愛も欠けた現実思考だからなのでしょう

清水さんからの返信で昨日気がついたのは 命の価値を一般論で理解しようとすることの間違いを指摘されて目が覚めたかもしれません
しかし多様な命の個性をランキングするほど不埒なことを望んでいる訳ではありません
他人のことでなく マイクが自身の価値を知り得るものなら知り 自分の価値を実感・納得して生きたいと思うからです
その為には先達の一般的な基準があれば参考に出来ないかと思った時にベッカーを知ったのです
絶対比較の意味はありませんし 出来ないでしょう
自己満足としての自分の価値を求めているのだけなのです

ここまでで書いたところで 実はふらふらなのです
今日の朝食後エンシュア500ccの胃瘻注入を終えて ベッドで寝転んでいたら 胃液が逆流して それをうがいしたら誤嚥してしまいました
相当苦しく昼食をやめたくらいです
胃瘻注入の後は寝転ぶのはまずいとリハビリ療養士から事後注意されました
入院生活で胃瘻造設後は色々と問題があります
胃瘻後は気切まで ゆるゆると体力が落ちるだけかと思っていましたが 殆ど会話が通じなくなり 右手の使い勝手も殆ど使えません
これからはもう新参者でなく 既に生き地獄の入り口らしき雰囲気なのです
胃瘻造設は簡単でも胃瘻生活は大変かも
気切はもっと大変なのです
本当言うて 知らんけど・・・

これはもう新参者でなく 既に生き地獄の入り口らしき雰囲気なのです

命の価値に一般論なんていらない

マイクさん

怒涛の3連投ですね。まず、参りましたと。どこからその元気、出てくるんでしょうねえ。ここらあたりで返信しておかないと、大変なことになりそうなので。で、今回は「命の価値」と「トリアージュ」について考えてみました。

1点目。

〈清水さんは、マイクがカール・ベッカーと麻生財務大臣に刺激されて命の価値を知りたがるマイクを懸念されていることは分かっていています〉

ぼくが何を懸念しているかを、もう少しはっきりさせておきたいと思います。ぼくは命の価値を知ろうとすること自体、悪いことだとは思っていません。自分の命の価値をちゃんと知ることは大切なことだと。じゃあ何に懸念しているかというと、他人の命の価値をどうのこうのと評価することです。カール・ベッカーも麻生某もそこが問題だと思っているのです。

自分の命の価値を考えることは、あるいは自分の命、人生とは一体何なのかを考えることこそが哲学だと思います。「いやあ、普遍的に物事を考えるには、人間一般の命にの価値を考えることこそが大切でしょう」と、〈私は世間を知っています〉という物知り顔をした人ならいいそうです。でも本当にそうなのでしょうか。

ぼくは思います。大切なことは一般論では何の答えも出ないと。自分の問題として、個別の問題として徹底的に考える。そこに普遍性が見えてくるのではないでしょうか。自分の命の価値を徹底的に考えることが、命というものの本質に近づくことだと。だから自分の命のことを考えるべきです。他人の命の価値なんてどうでもいいじゃないですか。それに一番厄介なのは〈コミュニティマインド〉ってやつですよ。これって直訳したら〈世間〉とか〈世情〉になるんでしょうね。

2点目ですが、ここから〈トリアージュ〉などという考えが出てくるんでしょうね。例えば震災時の限られた施設、人員、医薬品で、怪我をした人をその程度に応じて、すべての人の命を救うことを前提にどう治療していくかを考えた場合。例えば限られた予算でどこに手厚く福祉の手を差し伸べるか。最大多数の幸せを実現するかを考えるときなど、選別ではなくて優先する思想、基準というのは必要だと思います。

でもこれは切り捨てるということではありませんよね。誰にだって生きる権利は保証されているのです。〈あいつら生かしといても生産することなんかないのに、だったらあいつらに無駄な金を使うなら、こっちに回せ〉って、トリアージュでも何でもない。優勢なものをもっと優勢にって、そういう背景に〈コミュニティマインド〉があるのだとしたら、そんな世間は腐っていると思います。ここで注意していただきたいのは、ぼくが〈社会〉ではなく〈世間〉という言葉を使っていることです。このことに対してはまた。

だから、繰り返しますが、自分の命の価値をちゃんと知ることは大切なことだけど、他人の命の価値をどうのこうのと評価するなんて余計なお世話です。そのことだけ明らかにしておきたいと思いました。

命の価値に一般論なんていらないのです。

身障者本人として考えなければなりませんが・・

今日は家内の稽古日で 帰宅は邪魔になるので病院でのんびりすることにしました
明日には マヤちゃん主催のパーキンソン患者向けダンスワークショップがあるので 朝一に日帰りで病院から会場へ参ります
マヤちゃんの行動力には頭が下がります
ワークショップはパーキンソン患者への福祉事業ですし またKDEのリーダーも仲間にとっても 地域にも貢献する慈善事業です
生前葬も個人マイクの命の救済イベントでしたし そこで集まったカンパを難病研究のクラウドファンディングに寄付したのです

さて1/16には3年前の事件に関心があることを話しました
意思疎通できず生産性もない人間は生きている意味がないと 知的障害者を1時間に45人を 然もトリアージして殺傷した植松聖(29)被告の津久井やまゆり園相模原事件(2016/7/26)の初公判が1/10から始まったことのニュースと解説で賑わう

3年前のマイクの安楽死のブログで「相模原」を検索すると18件でます
https://sky.ap.teacup.com/applet/jishi/msgsearch?0str=%82%A0&skey=%91%8A%96%CD%8C%B4&inside=1&b=15

終末期老人にとって 死にたくても死ねない現実の儘でいいのかを考えて 安楽死の社会的容認に考え至りブログで考え続けました
しかし終末期老人に限定しているのは 身障者まで含めるのはマイクの思考能力の範囲を超えるからです
そしてこの事件はマイクに障害者について 命の価値をも考えることを強いてきました

清水さんは マイクがカール・ベッカーと麻生財務大臣に刺激されて命の価値を知りたがるマイクを懸念されていることは分かっていています
しかし難問の答えを見つけられず3年経過しました
3月の結審にどの様な福祉哲学が使われるのか 知りたいのはのはマイクだけではないでしょう
被害者の人権は明白で  殺人を許せる筈がありません
しかし単なる殺人ではなく人権と福祉の哲学としての考えが反映されなければこの事件は収まらせてはいけないと思います
マイクが知りたいのはベッカーのマイクも考えるのを諦めた命の価値に対する植松の哲学とそれへの知識人や社会の批判です
3年経っても変わってないようではまた繰り返されるのです

現実 生きているだけで大事だと言う家族が 患者を施設に入れっ放しであったりその施設のケアの悪態事件があったらしく本人より家族が・・・とかとでマイクが書けない
実態が表に出ない様では単なる殺人で終わるでしょう
被害者が匿名でしか話せない様では家族の真実を明かせないものを・・・

この問題はやっぱりこれ以上に話を進められる自信がありません

震災で忘れられないこと

今日1/17は 阪神・淡路大地震から25年になるのですね
天災や事件は避けられない運命なのですが その運命にも何故か人に幸不幸の違いを神は付けるのです

マイクは25年前 会社の在宅酸素(濃縮器)事業部門がレンタル先の患者宅を隈なく訪問確認するのを手伝って 現場を沢山見る機会がありました
現場で損壊した家と何でもない立派な家が隣り合っている現実を沢山見て 果たしてそんな隣同士で助け合いがあっただろうかを知りたく思ったのが 今も脳裏に残るのです
ボランティアの話は報道の話題になるが近隣・地域同士の助け合いの様子をニュースが扱っているかとずっと意識して探して来ましたがありません(25年間?)
ボランティア支援より 大丈夫な家が近隣の潰れた家を支援する事が何よりも急がれる筈です

災害の助け合いは先ず自分で自分を 次に隣近所町内で 自治会レベルで その後公共からの支援に期待したいものです
ボランティアの前に自分でできることできないことを明確にすることが大事なのです(必要な支援を)
25年前には 自治会のことなど考えたこともなかったので 災害前提に近隣との付き合いの大事さを考えたことなどありませんでした
最近はマイクも自治会役員するなどで災害での自治会の役割活動が進化しているのを見ています
コミニュティの意識の変化が防災だけでなく広く生活に根付いてきていると言えると思います

防災だけでなく社会福祉や共生社会の向上もコミニュティマインドが必須なのです
震災がボランティアや防災で日本の地域力を育て 社会を進化させるイメージが見えるように思えます

今テレビで小泉環境相が育休とるとのニュースで100%実施の会社の紹介と 公的病院統合推進に 地方病院を含めるよう厚労省指示があったと
日本人が忘れた家族や地域の助け合いが蘇らせる動きを感じます

震災で 忘れられない話をもう一つ
会社の芦屋の独身寮の近くの神社の鳥居が倒れたのを 寮生がこんなにひどい地震とは思わず 鳥居に立ち はしゃいで写真を撮って 後で罪悪感に苛まれたと言う
彼らを慰める言葉を誰も掛けなかった

優しい主治医に逆らっては

再入院で療養生活の安心感と余裕ができたのに 体力と共に気力も落ちて 書簡のテーマも中々浮かばないと書いてきた通りの最近です
清水さんはこう言う時 どうやり過ごすのでしょうか

これには原因があって 胃瘻造設前後で体重が減り(つまりALSの症状として筋肉が減少して)体力が減ったからに違いありません
リカバーできないのが 体重を減らさないのがALSにとって最大の対処療法な筈です
なのに 造設する前から 誤嚥性肺炎をさせないようリスク回避に絶食しましたが 本当に絶食が必要だったのでしょうか
この点を主治医に質問したいのですが 主治医に逆らうことは利口でない?
それでも主治医に 造設の後に体重が中々戻らないことを意見しましたが 良質のタンパク質を摂るように言われました
エエッ!こんなことが出来るなら プロテインサプリの方が 効くか効かないかの今服用中の錠剤と点滴より 有用な筈です

もう一つ一年先に治験の結果で使えるようになる筈の筋肉注射を楽しみに待つようマイクを何時も慰めてくださるのです
一年先は加速度的に進行しているとしか思えないマイクにです

また更に嚥下のリハビリ療法士からは 現状の食事では蒸せたり咳き込みが多く危険だから ミキサー食を半分にして 胃瘻からを増やすべきとの指導が入る
またマイクは一回の飲み込みが唾のように少ないスプーン一杯の量では嚥下できず 2〜3杯の量でないと飲み込めないのですが 誤嚥窒息のリスクが高いので絶対やめるよう指示されている
スプーン一杯づつでは却って誤嚥し易いのですが 窒息リスクの方を避けるべきと言うのですが 時間が掛かり過ぎて疲れるのです
なのに 慌てずユックリしかも20分以内に食べるようにも言われるのですが 焦って食べるしかないのです
20分で食事を終えて 残しなさい でないと疲れて球麻痺が進み また咳き込む分体力消耗激しいと言うのです

マイクは窒息リスクより 体重を下げたくないのです
療法士は窒息リスクある早食いと疲れるような食べ方をさせたくないのです
体重が減ってもとは言わないのですが 危険な食べ方を避けるような指導を真剣にやって頂いてます

とか何とかで疲れています

テーマや話題が気力低下で浮かばないとは書きましたが 実はマイクには大事な事件が今話題になっていて それを書きたいのですが マイクには手に負えない障害者問題です

意思疎通できず生産性もない人間は生きている意味がないと 知的障害者を1時間に45人を 然もトリアージして殺傷した植松聖(29)被告の津久井やまゆり園相模原事件(2016/7/26)の初公判が1/10から始まった

書き始めると止まらなく?改めて!

てげてげに楽しみましょう!

マイクさん

お孫さんの晴れ着姿、いかがでしたか? 目を細めていらっしゃるマイクさんの表情が浮かびます。そうして思いました。人生どんな困難に見舞われても、何がしかの楽しみ、幸せは必ずあると。

考えてみれば、今のぼくにとってそんなものがあるだろうか……。そんなふうに思ってしまうと、あらら、全くないやと思わざるを得ませんが、実はその逆で生きているということ自体がうれしくて、楽しい、幸せなことなんだと思いました。気づくのが少々遅いかもしれませんが。

〈ALSには頑張り過ぎ禁物ですがエンジョイの為なら頑張ります〉

これはすべての人にあてはまることではないでしょうか。みんな頑張り過ぎてないかって。頑張りに見合うだけのエンジョイはあるのだろうかって。
鹿児島にはとってもいい言葉があって、「てげてげ」っていうんですけど、意味としては「だいたい」「適当」「ええかげん」みたいな感じです。一見マイナスなイメージがありますが「ちょうどいい頃合いに」「ほどほどでいい」という、プラス思考で使うことが多いかな(よそ者ですので、そこんとこはよくわかりませんが)。

〈頑張らねばと思っても気力をキープ出来るか自信が萎みそう〉

だから、そこ、てげてげでまいりましょう。
ぼくは今日から放射線治療が始まります。1日のうち、ほんの2時間ばかり割かれるだけです。でも、それがほぼ1日のど真ん中の時間帯で、動きを大きく制限されます。さらにどんな副作用、影響があるのかもさっぱり見当がつきません。それをこれから7週間あまり毎日続けることになります。副作用で倦怠感が出る前に、面倒臭くて怠くなりそうです(笑)。まさに〈頑張らねばと思っても気力をキープ出来るか自信が萎みそう〉です。

でも問題はここからですね。ぼくの場合は頑張り甲斐があります。頑張ればなんとかなるという希望があります。そういうぼくがマイクさんのことを思うと、とても切なくつらい気持ちになります。なんだかよくわからないけど、申し訳ないなあという気分にさへなります。だからいうべき言葉を見失ってしまうのです。

ああ、何を言ってるんだろ、ぼくは。
ここはもっとマイクさんを励まさなきゃいけないとこなのに。何も言えない、何もできないかもしれない。でもぼくは、ちゃんと見たいと思っています。マイクさんのこれからの事実を、これからのすべてを、たとえ離れていようと、ちゃんと見続けていきたいと思っています。

だから共にあると思ってください。病と共に闘おうなどとは言いません。ただ共にあるだけでいいです。言葉を交わし、前向きにも後ろ向きにも、思いを通わせ、思いだけでもただ共にある。それだけでも続けていきたいと思います。

ぼくだけじゃないと思います。マイクさんと共にありたいと思う人は、ご家族だけじゃなく大勢いるんじゃないかな。ご家族はもちろん、そういう人たちと思いを共有するためにも、ここにありのままの思いをぶつけてください。
〈自信が萎みそう〉
〈気力も落ちて往復書簡の話題も思いつきません〉
辛いけど、そういうありのままの思いを、これからはもっと聞かせて欲しいと思いました。

いいことも悪いことも、楽しいことも苦しいことも、言葉にして思いを伝えて、頑張り過ぎずに、共に生きましょう。てげてげに楽しみましょう!てげてげに!

生き地獄への加速度は?

土日祝の3連休でしたが 今日13日は孫娘の成人式で ひと目見ておきたく 昨日今日だけの外泊にして 11日は家内の初釜があって邪魔できないので 家に行かず病院でユックリする様にしました

家での休息が結構疲れることを 正月明けての再入院で 気が付いたようです
それは家では食事に疲れるばかりでなく 病院だからの安心感と比べるからなのでしょう
それどころか マイクをALS新参者と言って身体に余裕があった頃とは違って 急に体調に変化と言うより衰えを感じます
胃瘻造設以降からだったかもとの思いもあります
造設時の肺炎を避ける為の絶食で 4.5kgも痩せたのが 筋萎縮を促進させたのではないか
不可逆進行性のALSだから取り戻そうと懸命に完食しようと頑張りましたが 筋肉が増える訳もなく 脂肪で半分戻しただけだと思います
造設前より確実に筋肉減少して右手が90度も上がらなくなったのもそれに違いない
左手で色々こなしてはいるのですが 右のサポートなくては何も出来ないのに 右の不具合で左も儘ならなくなるっているのです

ALSには頑張り過ぎ禁物ですが エンジョイの為なら頑張ります
だけどその気力も新参者の時とは違い弱気に思います
頑張らねばと思っても気力をキープ出来るか自信が萎みそう
喋りと右手の衰えの劣化が これまでより相当進んできた感があります
それに並んで気力も落ちて 往復書簡の話題も思いつきません
ここ何日かに症状の進み方に時間軸を感ずるようになったと書きましたが それは症状が今まで以上に加速度を付けてきたからで それを感じてしまいます
それで今日はいつもなら家の夕食をとってから戻るのを 病院の夕食に合わせて早く家を出ました
病院にる方が安堵感?

ラッキーなことに 長期に病院の安心感が8ヶ月続いているのです
しかし明後日に10ヶ月で強制転院となったパーキンソンの方がマイクに夕食時に挨拶されました
今夜までは 転院地獄とは無縁かと思っていましたが この希望は消えた様です
かと言って我が家での在宅療養は これから症状が加速度的進み 今でももたもたして疲れる老老介護地獄なのです
介護地獄か転院地獄か いよいよ迫ってくるのでしょうか
生き地獄は?