マイクさん
マイクさんはどんな「愛」を叫ばれるのでしょう。楽しみです。興味あります。先だって母のインタビューの一部を公開しましたが、やはり「愛」の力はすごい!と思いました。母の生きる力は、父への「愛」が支えているのです。愛する、愛されるというのは、とても大切なことだと思いました。だからマイクさんの「愛」にもとても興味があります。
〈世間には殺人を否定しても、価値で差別することに共感する者が多いのです〉
確かにぼくもそう思います。殺人は否定しながらも、重度の障害者や難病患者、高齢者の〈生産性〉を否定し、その上で安楽死を認めようというのです。係数としての〈生産性〉しか認められないのでしょうねえ。そういう人たちは、自らは死ぬ直前まで〈生産性〉を維持し、高め、係数で社会に貢献できると思っているのでしょうかねえ。
自分自身の〈生産性〉が否定されたとき、潔く安楽死を選択できるのでしょうかねえ。麻生さんに聞いてみたいですね。あなたが認知症になったり、その他の難病や病気でベッドに縛り付けられた状況になったら、自分をどう処しますか?と。
ああ、そうか、これは無駄な考察でした。彼らはうなるほどお金を持っているわけですから、お金をたっぷり使って介護を受けること自体が〈生産性〉を高めるわけですね。明らかなことでした。
〈法廷ではその様な差別を否定する哲学で無念を晴らして欲しいのです〉
ぼくもそう思います。〈生産性〉ではない、命そのものの価値、生きるという意味、価値を、追究して欲しいと。そうでなければ、あの事件で無残にも奪われた命を、犠牲者の命の価値を本当の意味で切り捨てることになるのではないかと思います。奪われた命の価値を取り戻すことこそ、この法廷に課せられた使命だと思います。
ぼくの闘病ですが、実はぼく自身闘っているという実感はないのです。治療に身を委ねている。そうとしか言えません。確かに少々ではありますが、身体に異変、変化が現れはじめているようです。だからと言って、何をどうするということもありません。どうにもならないものなら、耐えるしかないな……。その程度です。だから、
〈どんな闘病かは今まだ分かりませんが、そう心配せずその時その時を粉すことを・・・・〉
というマイクさんの言葉通りの状態になっているのです。ただ厄介なのは、気のせいか身体がだるくって、なんだかやる気が出ない感じがします。まあ、やる気はいつもてげてげ(鹿児島弁でちょうどいい感じ、かな)ですから、取り立てて言うことでもありませんが。だからやる気が出ないというのはぼくも同じです。
〈清水&マイクの部屋構想立ち上げや、友の会ピアネットの種撒きらしきことも出来ていません〉
これは焚きつけたぼくにも責任の一端があります。マイクさんだけじゃなくて、周囲のぼくらが、支えると言ったぼくらが、いえ、ぼくが、もっとちゃんと動かないとって思っています。3月まで待ってください。ぼくの治療が終わったら動きたいと思います。今はウゴウゴといろんなことを考え、動けずに悶々としています。まるで啓蟄を待つ土の中の虫みたいなもんです。春になれば一気に、元気よく動き出しましょう。
そのための闘病だと思って耐えていきたいと思います。