忘己他利(もうこたり)まで 何でもあり?

昨日の「自分に徹する」に続いて
「社会と繋がる 関わる」 とはを考えてみます

人は皆支え合って生きていることを忘れてしまい易いのです
例え個人主義・自由主義者だと宣言しても 一人で生きられないので社会連帯責務を免れられません
しかし社会とは曖昧でもあり 意識せずに生きられることも事実ですが 時には確実に認識し合うことがあるのです
対等な繋がりもあれば一方的な世話を受ける付き合いもあるし 敵対することも稀ではなく 留意を欠かせないのも事実
人に善悪を 繋がりにも善悪を考えたくはないものの 無意識にでも避けられないのが現実

マイクはこんな事でエネルギーを費やさない様 見るのを避けたりフラついてみたりで 日頃意識もせず頑張ってもいません
清水さんの言葉に刺激され 他人を比較せず 繋がっていれば自分に徹するも良しの信念を見習えるかと考えてみたのです
これも最近の利己利他に悩むマイクの告白から展開したものでしたね

ところがNHKブラタモリで比叡山を取り上げ 延暦寺 伝教大師の教えの「忘己他利」の紹介がああった
利己でも 自分を通すでもない?
忘己他利こそ慈悲の極みとか
尚更難しいこの教えには着いて行けないのでここら辺で自分に戻ります

追記1 よく考えると仙人修行に憧れたり あの時もそうであった様に 逃避願望の強いマイクこそ 忘己 亡己 の素質を?

追記2 自己中をヘイトするマイクです
自己ファースト化する世界を誰も止められないなんて 人類皆兄弟と言った人に何とかならないかお願いしたいものです

今日は10/6の5団体合同パフォーマンス「オドルタカラバコ」の合同リハーサルに参加しました
この日はパーキンソンダンスWSもあり 9/30からの再入院再点滴中ですが 土日外出でチョイ出演します

明日は 徹する 関わる よりマイクにはミミッチイ癖である「比較」について考えて置かないとと思います
多分更に手に負えないテーマなので 途中で投げ出しそうですが?

強くなりたい/無頼のままで!

清水さんの昨日のお言葉を 何度復唱しても 何うしても現状(矛盾)を把握した上で課題解決する癖が取れないマイクを意識してしまいます
何でも比較したくなるのを マイクの理系の貧乏性ではないかと
しかし決して現実主義者ではなく 理想主義者・楽観主義者なのです
とお話ししています
また文系の清水さんが見るからの無頼の豪傑なのに繊細な理想主義者であられるのは多彩な経験による世間とご自分を知り尽くしておられるからなのでしょうと思っています

でも清水さんの今日の返信で 無頼のままでは生きられない人間の社会性を説かれています
その上での無頼を徹する生き方の力強さを羨ましく思います
「自分に徹する」などと言うことを生き方とするなどとは 何事にも自信のないマイクの言える台詞では在りません
然も 社会を徹底して意識すれば マイウエイが必然的にオールウエイに繋がるとの信念は素晴らしいですし 社会的なベースがなければ言えないことです

それで「自分に徹するとは」と サイトに助けを求めてみました

HatenaBlog[May the force be with us]
http://silver-stone.hatenablog.com/entry/2017/02/25/082624の答えは
2017/2/25「自分を知り自分に徹する」
『道は開ける』より
「他人の真似をするな。自己を発見し、自己に徹しよう」
不安感、劣等感など、生きていると自分を他人と比べて、劣っていると卑下してしまうことがあります。そしてイライラしてしまったり、心配のあまり集中力をなくし、本来の力を発揮できなかったり。

そんなときは「どんな時も自分らしく振舞う」ことを意識してみましょう。
私たちは「自分らしくふるまう」ことができていません。順応できない型のなかへ自分自身をはめ込もうとして、イライラしたり、不安になったりしています。
誰もが他人になることはできません。あなたはあなたでしかない、自分らしく振舞うことで、初めて本来の力を発揮できます。

「我々は本来あるべき姿にくらべると、ようやく半分だけ目覚めた状態にすぎない。我々が利用しているのは肉体的にも、精神的にも、自分の資質のごくわずかな部分だけだ。大雑把ないい方をすれば、人間は自分の限界のはるか手前のところで生活している。彼は種々雑多な力を有しながら、いつも決まってそれを発揮しない。」ウイリアム・ジェイムズ

と ありました
詰まり「マイペース」と言うことではないのです
自分を知らなければ 徹することは許されません
即ち 己の育ちを知り その育ちに従うべきか自己判断した自分の責務を意識し その上でそれに従うことができる

それにしても これにも「他人と比べたりすること」を避けるべきと言っています
しかし ヘーゲル的には 現状把握から始まるその結果 嫌でも比較することにより矛盾(保存) に気がつくのです
理想や神から始まっても 現実無視(否定なし)では高揚はあり得ないのです

妄想もマイクは上下平等比較抜きでは 人権問題なら尚のこと 高揚されないものと信じています
詰まり 清水さんの理想主義妄想と マイクの現実否定妄想が揃ってこそ人間としてのユートピアが見えるかも知れません

とかなんとか書きながら まだまだ清水さんの信念の領域に至る修行に何が欠けているかも分かっていません
でもアウフヘーベンのためには 清水さんとマイクの往復書簡の両方が役割すると言うことであることは間違いないでしょう

無頼を捨てて……。

マイクさん

台風の影響でしょうか。強い風音につつまれて返信を書いています。

ぼくは強い信念など持ち合わせていません。自分自身に頼るしかない生き方をしてきた結果ではないかと思います。カッコウをつけて言うなら無頼を気取って生きたきたのです。頼るべきものは何もいらない。自分だけを頼みに生きていく、と。それは言い換えると、究極の利己かもしれません。ただそこに社会と関わっていたいという願望があるのです。それがなくなっちゃうと、自分自身が存在する意味がなくなる……。そういうことです。

ぼくはとても弱っちい人間なのです。昨日もある女性の話を聞いて、激しく動揺してしまいました。その人のご主人は、ずいぶん前に亡くなられたのですが、大腸がんにはじまり、肺、肝臓、腎臓と続き、亡くなったと。その間ありとあらゆる治療を試みよくなったり悪くなったりを繰り返したそうです。彼女も共に立ち向かったけれど、最後はどうすることもできなかったと肩を落としました。

その話を聞きながら、ああ、ぼくも同じような道をたどるんだなとちょっと凹みましたが、その一方で母のことを思っていました。母も何度となくがんだと診断され、手術を繰り返し、そうして96歳のいまも問題を抱えながらも元気で過ごしている。そんな人生もあると思うと、ぼくもそこを目指そうとちょっと元気が湧いてきます。

でもそう思っても、無頼を気取っていたのでは、ひとりでは何もできないなというのも実感としてあります。共に立ち向かってくれる人がいれば、もっと勇気が湧いてくるんじゃないかと。だったら無頼など捨ててしまえばいいと。自分に頼るなんて、いちばん狭い生き方だなあと知ってしまったのです。そう、社会に関わり続けたいと思うのは、大勢の人の力を借りたいということと同じことなのです。自分ひとりの力ではどうにもできない。だったら人の力を借りよう。そんな思いなのです。

無頼と言えばカッコウいいかもしれませんが、ひとりぼっちだったのです。とても弱い人間だったのです。そのことに気づかせてくれたのが、がんという病気だったのです。

ぼくはいま大勢の人の支えで生きています。そのことがわかっただけでも生きる意味があるのかな、生きている意味があるのかなと思います。そうしてその意味をどういう形で実らせたらいいかを必死で考えているのです。

ぼくの信念なんて、とてもちっぽけです。この風に吹かれたら飛んで消えてしまいそうなくらい。こんな信念に振り回されて生きるより、大勢の人の中で、その人たちの力に支えられて生きる方がずっと幸せだと思います。それがたとえひとりの人であっても、共に立ち向かってくれる人がいる幸せを噛み締めたいと思います。無頼を捨てて……。

遅れましたが敬老の日とはを考えます/強くなりたい

敬老とは?
70年前は 55歳以上が老人であり 敬えるべき老人が多かった頃の発想だったのでしょう?
長寿天国と日本を褒め称えたいい時代があった様に思いますが 今は?
高齢者医療無料のバブル時代もあったのは S48年頃〜(老人保険法S58〜)

断然トップ と 言われ出した高齢化率も 今や28.4% 長寿先進国?
平均寿命より切実です
人生100年時代は流行語に(金融庁まで95を標準に)
不老長寿を究める薬でも?出来たのでしょうか
2017に日本老年学会が「高齢者を75歳以上」と提言し 65から一挙に10年先に

麻生の「老人はさっさと死んで欲しい」発言2013を待たず 老人の社会負担が 言われる様になり 嫌老社会の風潮が生まれる
それに対して健老社会をコスパだとの信仰を起こし 健康寿命まで設定した
人夫々のバラツキを忘れて 恰も誰でも100年と錯覚する迄に嵌る

マイクのネガティブ思考は 尊敬に値する老人だけを敬老せよと言いそうですが マイクとしては敬老を 羨まれるほどの尊敬される老人で在りたいとの願望祈念を意味すると 無難に思うことに
但しそれは人生55年時代のことで 健康寿命を越した老人にはバラツキがある 100まで生きると 現実には 敬意敬老より要支援要介護認定?
支援の要否が社会的な問題・福祉として取り上げられたのです
介護保険法1997〜 支援の時代そして人権の時代へ

敬老の日9/16と老人の日9/15の違いは
祝日法1966の敬老の日の趣旨は、多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝うこと。
老人福祉法1963の老人の日の趣旨は、国民の間に広く老人の福祉についての関心と理解を深めるとともに、老人に対し自らの生活の向上に努める意欲を促すことである。

社会に尽くして来た老人は敬老されて まだQOL向上の可能性ある老人しか社会は受付けないと言っているようなものです
これから見ても2000年以前の日本の福祉は人権問題がありそうです

さて 今日の清水さんの言葉に感心して繰り返し読んでいます
「利己か利他か……。
ぼくは他者との比較で自分の在り方、立ち位置や境遇、さらには恵まれているかどうかなどを探ったり、確認したりというやり方を好みません。ぼくは徹底的に自分自身に集中したいと思っています。自分に徹するということです。ぼく自身がやりたいように、徹底的にやる。そのぼくが自分のことだけを考えているようなら、それはとんでもなく利己的な結果を招くでしょうが、そのぼくが社会との関わりの中で生きることをやめない限り、他を利することに繋がると思っています。そこではじめて利己・利他という二項対立を止揚できるのではないかと。そういう生き方をしたいと思っています。」

マイクは今日のテーマの文章でも 最近の書き込みでも何時も白状している通りです
マイク自身が利他であったり利己であったり 比較や差別志向があったり 時と場合にふらつく人間であることを自己不信に思ったりするのです
清水さんはそれを自分に徹することで避けられるとの信念をお持ちだと読み解きました
社会との関わりをやめないと言う強い信念も何処から生まれるのか羨ましい限りです
繰り返し読んでみますが 弱々しいマイクには刺激的ですが そのようになれないことを 何度もここで白状するだけで悩みが消えません
清水さんの様な強い信念を身に付けたく思うマイクをご叱責下さることを強く望みます

不良な療養生活

マイクさん

この往復書簡への時間も割けなくなってって……。ぼくにはちょうどいいタイミングになってきました(笑)充実の退院生活ですね。精力的に動き回るマイクさんの姿を思い浮かべて、ぼくも頑張ろうと思いました。ぼくはまだ治療の方針も立たず、宙ぶらりんのままというか、取り残されたままというか、はっきりしない時間を過ごしています。いまはただ、来週の写真展に向けてあれやこれやと準備に追われ、がんのことなど考えているヒマもないというのが、実際のところです。

ご夫婦での里帰りとご兄妹との再会、お墓まいり……。楽しい時間を過ごされたことが手に取るようにわかります。奥様と水入らずの道中、特に在宅療養のことについてどのような会話があったのか、とても気になるところです。ただ今回のポストを読む限り、マイクさんがご家族との時間を切望されていることが、ぼくにはよくわかります。マイクさんのことだから、どうしたら思いを遂げられるかいろいろと考えて、いろいろと試行されていることでしょうね。しかもこれからの時間を、社会との関わりを持ち続けるという視点で考えておられること、とても力強く感じました。

難病連を訪れて患者会の結成を探ったり、マヤさんのワークショップの広報をしたり、不動産屋を訪ねて「マイクの家」(ぼくの居場所も考えてもらったりして)の実現の可探ったり、そういう動きの積み重ねが、あの6月29日の「えんじょい・デス」のものすごい人の数に繋がってるんだなと思うと、これまでマイクさんが深く社会と関わってきた風景が鮮やかに浮かび上がりました。そんなマイクさんに「最後まで社会との関わりを諦めないで」などと……。まるで釈迦に説法でした。お恥ずかしい。

利己か利他か……。

ぼくは他者との比較で自分の在り方、立ち位置や境遇、さらには恵まれているかどうかなどを探ったり、確認したりというやり方を好みません。ぼくは徹底的に自分自身に集中したいと思っています。自分に徹するということです。ぼく自身がやりたいように、徹底的にやる。そのぼくが自分のことだけを考えているようなら、それはとんでもなく利己的な結果を招くでしょうが、そのぼくが社会との関わりの中で生きることをやめない限り、他を利することに繋がると思っています。そこではじめて利己・利他という二項対立を止揚できるのではないかと。そういう生き方をしたいと思っています。

こんな小理屈を書きながらも、「マイクと哲男の家」のことを思い浮かべて、ついニヤッとしてしまいます。マイクさんとひとつ屋根の下で議論したり、冗談を言いあったり、いろんな行動を起こしていく。なんだか楽しそうな感じです。

当たり前のことですが、楽しいことを考えることで、元気が湧いてきます。ぼくがそばにいたら、マイクさんがもし胃ろうになっても、お酒を入れてあげようと思います。ぼくがそうなったら、お酒を入れてくださいね。そんな不良な療養生活も面白いかも。お酒には申し訳ないですが(笑)

利己の安心安全か 利他行動力か?/在宅?

昨日は 一時退院でしたかったことの一つを 楽しみました
金沢に日帰りで 墓参りに家内と行くことです
朝イチ7:29京都発 金沢の実家(長姉長兄の家)で仏壇を拝む
持参した昼食の食べ具合を見て また喋りの半分も分からぬ様になったことに驚いた様子! 尤もです
妹2人と4人で野田山の墓参りへ 元気で歩くマイクに安心した様でした
妹の家への 夫々訪問も定番
夜7:05金沢を去る(ホームで兄妹と姪たちに派手に見送りされる)
ありがたきかな 兄弟姉妹の多い一族
また兄家族に 初ひ孫が出来て目出度きかな
こんなマイクの土産に困ったと思う! 最近は ALSには「燃料は酒」が定番になってしまいました

一時退院でやりたかったもう一つは 「難病連」で 近隣のALSピア(同病者)のネットを作ることで その見通しを得た
今現在は スーパーALSの増田さんと 1年先輩のTさんがマイクのメンバーです
この2人には15日と16日にお会いできて マイクの症状について確認したきことをお聞きすることができました

更にパーキンソン病患者にダンスワークショップを楽しんでもらうマヤちゃんプロジェクトの広報のために 難病連のパーキンソン友の会会長に 10/6のWS案内パンフレットを会員150名全員に配って貰えるよう段取りできました

多分 京都に2000人以上はいるパーキンソン病患者の友の会メンバーが150人なら ALS100人のピアネットは良くて10人かも知れないとイメージすることに

また今度の一時退院で やっぱり入院中の土日だけではできないことを幾つもできました
在宅の魅力を実感しました
歯医者も3週間で済ませる様お願いして通っています
退院日にお二人 明日も先輩が来られます
ギャラリーもいくつか巡りました

もう一つの 「哲男・マイクの家」構想の準備として 賃貸不動産会社へは顔を出しましたが 構想自体の具体化すれば直ぐ行動できるのではないかと思いました
それより在宅をどの時点で判断しないといけないのか シミュレーションの必要性などを考えてからと思いました

一時退院の半分が過ぎました
入院中と大きな違いは 一日中食事とチビチビのみに時間が取られ 外出の時間を取り難く このブログの時間すら少ないことです
快適で安全安心な入院が懐かしい様な・・・?

白状します ALSで良かった/まだ新参者で

お便りで 清水さんがこれまでになかったのに 自覚症状が気になり出したとか?

マイクが粘っこい唾と節々の痛み(腰痛までも?)が ALS特有のものなのか?気にして医者に訊いてもハッキリしません
と言うことは気にしても何う仕様もないと言うことなのですが 尚更気になるマイクです
医者に訊いても断言せずなら 確かめに 増田スーパーALSと胃瘻の1年先輩に 一昨々日と昨日にお宅に行って確かめました
結果は何うあれ大いに気休めになり一時退院でしたかったことの1つを済まして安堵しています

もう一つお便りでマイクの自転車乗りを心配して頂けたことを有り難く思います
自転車で死ぬのは覚悟のことで 昔は自転車禁止の河原町と四条通りの車道から取り戻す(世界的なクリティカルマス)運動に参加し 車道を走り信号待ちは路面で横たわりデス・アピールをしていた頃(60歳〜)を懐かしく誇らしげに思い出します
マイクの死は家系で脳卒中か
50から自覚症状きつく医者から不整脈の心臓肥大候補生と言われてニトロを携帯してマラソン・トライアスロンに出てました
この3つのどれかと覚悟は出来ていました
のにまさかALSとは全くの・・・・

後半に 老人排除まかり通りそうな世間を嘆かれて 老人には多くを学ぶ経験と知識の宝庫で 尊敬の対象にすべきだと主張されていますね
マイクには そうであるのは繋がりのある老人知人には個人的にに思うことととして受け入れられるのですが 道端で見る
或いは 病室で見る そうは思えない人を見る度に自問し 悶々とするのです
こんな危機一髪だったマイクを分け隔てなく救っていただいたのに今も尚更悶々とするのです

入院間もない頃の4/19 に 自分を他の患者と比べてしまうことを卑下してしまう気持ちのあることを白状しました
「プラライドは捨てられません」

プライドは捨てられません


大した生まれや育ちでもないのに 人は皆何かプライドを持っているような錯覚で生きようとする
その方が前向きでいられるし 何らかの生き甲斐を感じられるでしょう
エリート意識が社会を向上させる原動力にもなっているのです

そこに差別を意識するのは不純なのかも知れませんが 健常者で弱者の居ない世間ではエリートも個性の多様性ぐらいのことでしかなかったのです
それどころか 事実は 競争を美しく称えた社会に育っているのです

所が患者同士の間では確かに病の多様性で済まないQOL の差が目につくのです 見えてしまうのです
人間をコストとプライスで見る様な目ではなくとも 自然と自分とQOLを比較して仕舞うのです
弱者共生社会のあり方を考えているにしては エリート意識や 差別自体が許されない筈です

でも今でもマイクは 病院にいる多くの色々の患者を見るにつけ 差別をしてる積もりはありませんが トリアージしてしまいます
こんなマイクに下った天罰がALSだと決め込んでまでいました

れいわの増原裕子(41) は 誰1人取り残されない社会 誰も切り捨てられない社会をつくる 障害児が健常児と同じ場所で学ぶインクルーシブ教育を実現する と言っています

それはそれで理解していてもマイクに優生思想や差別が全くないのかと迷い悩み続けているのです
大げさに言うと4/19あれ以来!

所が昨日のラジオで 依存症を治すには 同じ仲間が集まり苦労話しや慰め合うしかないと一般的言われている通りのことを臨床心理士が言う
だけど他に 不安解消として 「下方比較」が有効だと認められていると言われました
これはエリート「上方比較・平等比較」や ズバリ差別の効用を説いているのです
ただし多分 暗黙内密に心の中だけということなのでしょうか?

マイク自信を卑下していたことの慰めになるかと思ってみたにしては 二重人格になれと言われているようで堪らない

こんなことを真剣に下方比較していました
ALSでよかった・・・・より
でも全部言いたい
白状したいのです

お金持ってたらいいんだ……。

マイクさん

人間ておかしなものですね。自覚症状なんてカケラもなかったのに、あなたは病気だと指摘されると、突然あちこち痛くなったり、違和感があったりで、突然重病人になった気分になります。病は気からとはよく言ったものです。って、ぼくは明らかに重病人なんですけどね(笑)

そうなると厄介なことに、気が滅入ったり、凹んだりするし、なんだか毎日が、身の回りすべてのことが、うまくいってないようで憂鬱な気分になります。そんな時ぼくはマイクさんの顔を思い浮かべます。今日は雅子さんから、マイクさんがまだ自転車で出かけていると聞き驚きました。握力ゼロの右手でブレーキは大丈夫なのかと。すると雅子さんが「もともとブレーキは使わない人だから」と笑ったので、つられて笑いましたが、くれぐれも気をつけてくださいね。ALSじゃなくて交通事故で死んじゃったなんていうの、やめてくださいね。

でもそこまでして、自分の思いを通そうというマイクさんの姿勢に、ぼくは励まされているし、断固支持したいと思っています。ぼくもマイクさんのように生きたいな、と。

ところでここ4回のマイクさんのポスト、興味深く読みました。で、自覚症状のことが頭に浮かんだのです。自分では何もわかってないんだなって。いや、病気のことじゃなくて、自分がどんな社会に生きているのかってことです。なんで医療費ばかりが問題になるのでしょうねえ。なんで高齢者がお荷物扱いされるんでしょうねえ。これって、高齢者に医療費をかけるのが国家財政の危機を招いているって、みなさんそういう認識なんですよねえ。だから抑制しろと。

そんな主張に賛同する人も多いから、社会全体がそういうものの見方になる。その結果、高齢者に冷たい社会になりつつある。ぼくはそう感じています。

「無駄」なんですよ。高齢者を生かしておくことが。LGBTに対する姿勢もほぼ似たようなものですし、障がい者、難病患者に対しても同じだと言ってもいいかもしれない。LGBT、障がい者、難病患者はまだ許せるんでしょうねえ。少数派、マイノリティだから。だけど高齢者はそうはいかない。社会の大多数が高齢者になっちゃう。だから始末しちゃえ……。

そんな感じかな。

高齢者、老人、年寄り……、呼び方はなんでもいいけど、そう呼ばれる人たちは邪魔者扱いされるような存在ではなく、逆にレガシーとして大切にされなければならない存在だと思います。多くを学ぶ経験と知識の宝庫で、尊敬の対象にすべきだと。96歳の母は、身体は思うように動かなくなってきましたが、頭の中は聡明でしっかりしています。学ぶべきことは山ほどある。たとえばこれが逆だとしましょう。身体は動くけど、認知症になっちゃったと。どちらにしても介護が必要なことに間違いはない。歳をとるというのは、生まれてから独り立ちするまでの子どものように、手がかかるものなのです。子どもは邪魔にしないのに(最近は邪魔にする親も多いようですが)、高齢者は邪魔だっていうの、ぼくは自分で自分の首を絞めてるようなものだと思えてならないのです。子どもだっていつかは高齢者になる……。

財政のことでいうと、医療費や高齢者福祉のことがすぐに抑制の対象にあげられますが、じゃあ戦車を買ったり、戦闘機を買ったり、道路や橋をつくったり、そこら中に新幹線を走らせたり、もっと早い列車を走らせたり、米軍を思いやったり、オリンピックをやったり、国内の災害復興にお金を費うより海外にばらまいたり、そんなことの中にもっと無駄はないのでしょうかねえ。

麻生さんももっと考えてくれたらいいのに。ん? 麻生さんも高齢者じゃないのかな……。あ、お金持ちだからなんの心配もないのか。あ、そうか。お金持ってたら人のことなんかどうでもいいんだ。お金持ってたらいいんだ……。

こんな現実を無責任に見過ごしたくない

読売TV「そんなこと言って委員会」9/15の今日
医療費抑制対策がテーマに取り上げられ ゲスト長尾和宏(尼崎の町者で 中村仁一の受け売りの様な本35冊もある またマイクが虚偽と誇大広告違反で訴えたいと痛感している尊厳死協会の副理事長であることも引っかかる)医師が
今話題になっている花粉症などの薬を健康保険対象外薬品にする厚労省案の他に 自身の案として

薬は5つまで
4種類の高認知症役は保険適用外に
男性80歳、女性85歳以上のがん治療は保険適用外に
「大往生手当」 (マイクの言う安楽死希望者に出すべき還付金と同じ)
「医者ログ」(食べログならずのイシャログ)

を提案していた

この内の高齢者のがん治療を 保険から外せと言うのは 麻生副総理が 2013/1/21終末医療について 社保国民会議で 老人が「さっさと死ねるように」と言ったのと同じことです

この様な現実が迫っていることを見過ごす事のできない現実主義者の本音について 2012/2015/2018に マイクのブログで取り上げています
75歳過ぎたら覚悟せよと 高齢者差別排除の時代を感じると案じたのです

2018/11/8「75歳安楽死法案が映画化」(最善の死とは)
https://sky.ap.teacup.com/jishi/868.html

月・木の井戸端会議の仲間から 映画「十年」 “Ten Years Japan”が上映中との紹介を受けた
調べてみると 10年後の香港を舞台に、5人の若手新鋭監督達が近未来を描き、
社会現象となった短編オムニバス作品『十年』(2015年製作。日本公開2017年)。 とある
短編5作の一つが 『PLAN75』
監督:早川千絵 出演:川口覚、山田キヌヲ、牧口元美 ほか
75歳以上の高齢者に安楽死を奨励する国の制度『PLAN75』。公務員の伊丹(川口覚)は、貧しい老人達を相手に“死のプラン”の勧誘にあたっていた。

長生きは恥 高齢者を減らさなければこの国の未来はありません 等 10年後の未来を考えさせるテーマを扱っている

マイクのteacupブログ内検索「75歳」で11件の同じ内容を取り上げています
中でも
2015/10/29「極め付きの75歳限界論が」
https://sky.ap.teacup.com/jishi/532.html
の新潮45 11月号 特別寄稿「医学の勝利が国家を滅ぼす」臨床医 里見清一とはズバリですし

2012/3/10「70歳強制自死法まで8年」
https://sky.ap.teacup.com/jishi/58.html
で紹介した小説『七十歳死亡法案、可決』垣谷美雨 幻冬舎のことと同じなのです

反響や如何に
話題になって欲しいものです

なかでも里見清一は 尊敬して止みません
安楽自死支援の必要を思い悩んだ3つの原点 「麻生発言」と 「厚労省の死に場所2030年のその他が47万人の推計図 」と 「赤ちゃんポストの活動」に重なり 彼の勇気に痺れたままです
でも 彼の内容は 対策の無い麻生も厚労省よりも 具体的であっても完璧でなく実践の運動には繋がってはいないのです
それに比べ凄いのは赤ちゃんポストなのです

久しぶりにこんな事を書かせていただきました
読売TV「そんなこと言って委員会」で 「安楽死・尊厳死」が取り上げられ Nスペで「私は安楽死を・・」が放映され 参議院選で「れいわ」程ではなかったが「安楽会」も話題になった
時は来た!

卑しいこころの時代?/宗教について

土曜日の昼はテレビで「よしもと新喜劇」を観て泣き笑いするのが楽しみなのです
今日もと 先程チャンネルを変える時 に 偶々 Eテレ(再放送) で
『こころの時代〜宗教・人生・〜「長崎の祈りー水がめを運ぶ人々に導かれてー」』
をやっていたので 新喜劇の方を録画にして 古巣馨神父カトリック長崎大司教区司祭(64)の語りをじっくり聴き 信仰の美しさに感激しました

マイクは幼少より祖父母父母から仏教に馴染んで育ちました
7/8には自死の宗教性をこのブログでも考えています

再入院で回復させたい/自死の宗教性


マイクは物理を学んだ所為でもないのですが神の存在を信ずることはできませんが 大の仏教ファンです
神が居る居ないでなく 律令としての仏教があって欲しいと言う認識です
閻魔ファンであることもHPに述べています
http://mike12.web.fc2.com/enma.htm

このマイクの閻魔ファンは ネガティブマイクが世間の乱れを嘆いての想いなのです
性善説は世の中に微塵もない自己中社会としか思えなくなているからです
それでも健常者と違った立場になった今と違って その頃はネガティブなボヤキと閻魔崇拝を唱えるだけで済ましていました

弱者本人になった告知の頃は 他人を意識すればするほど 救いや許しと言う優しい時代ではなくなっていることを過剰に意識し 逃避しようと考えるまでになったのです

今日のEテレで感じたカソリックの信心ある人が いまの日本にどれだけ居るのかと言う何時もの妄想が始まる
調べると キリスト教徒全国1,914,196人で 100人当たり1.51人(2016)と少ないのです
意外なのは東京が6.29でダントツで 1以上は 長崎と3県のみ
勿論 仏教と神道は合わせると人口を超えるほど居るのですが マイクには僧侶神官まで救いや許しを感じられません

それなのに身障者・難病者など弱者が1割も居ると 5/9のこのブログでも調べました

弱者が情けを社会に育む


なのに救いや許しを信心とする人が1.5%しかいない?日本に思えたマイクの勘は不幸なことに当たっていたのです

でもマイクはラッキーにも神様仏様に出会い 救われたのです
しかしそれはマイク?が天命として受け入れたのがALSであったことにもあるのではないでしようか?
日本人社会が宗教性の高い欧米並みに優しい利他的である人が多いと言うことではない様に思います

最近 何度も 日本の社会性の欠如 そして人権思想の遅れ 共生社会の未発達を嘆いてきました
今日もこんなことを考えることで 何れ何を社会にすべきか その思いが生まれるものと信じていたいのです