嚥下は人間の宿命と知って欲しくて

今日はマイクの最大の悩みを解決すべく 高粘度唾液を解決できるか 早速 病院の売店で求めた酢昆布「都こんぶ」と ロッテ「小梅のこだわり」(梅エキス0.3%ソフトキャンディ)を食べて試した
焦っていたので両方一緒に間を開けず食べたので 何方が効いたのか判断できませんが 耳下腺の漿液性唾液ドット出てサラサラとまではいきませんが 吐き出した唾の糸引き具合が少ないのです
今夜から就眠まで 吸引器で 何時もとの違いを確かめます
入院中のマイクは 流石の理系で ?体重や尿の頻度ばかりか毎回量まで記録したり 結構数字に拘って 楽しんでいます
実はもっと拘りたい測定もあるのですが 35万する測定器が要ります
ALSにピッタリですが 医師に言うと5万以上は予算計上が要るとかで逃げられました

実は唾の話はこれ迄にして 嚥下リハビリが始まった随分前に 呼吸と飲み込みの機構を調べた事をお話ししたいのです
四足歩行の動物が 二足歩行になった為に 嚥下の宿命を負ったと言う事を知って 偉く感動したので そのサイトの内容を大事に残していて 是非ともと紹介させて下さい

残念にも その後出典を調べても分かりません
メモに「おもしろい歯の話より」とあるだけですが この様に徹底した雑学者(多分 歯科医)に 畏敬の念やまずのマイクです
最後の方だけでも読んでいただきたく思います

咀嚼[そしゃく]された食べものをのみこむ運動を「嚥下[えんげ]」といい、食べものは喉[のど]を通って胃に送りこまれます。液体は「飲」む、固体は「呑」むという字を使うようですが、敵を呑むは呑、清濁併[せいだくあわ]せ飲むは飲と使いわけもなかなかむずかしいものです。飲至[いんし]、飲泣[いんきゅう]、飲徒[いんと]、飲涙[いんるい]、飲燕[いんえん]、呑吐[どんと]、呑声[どんせい]、呑恨[どんこん]、呑却[どんきゃく]、呑舟之魚[どんしゅうのうお]。
「咽」も「喉」も同じのど、双方とも口の奥で口偏がついています。煙でむせるのは咽頭[いんとう]なので、烟[けぶ]ると書きます。喉は口の奥でも声帯のある部分を指します。喉自慢、喉鼓[のどつづみ]、喉笛[のどぶえ]、喉輪[のどわ]、喉頸[のどくび]、喉から手が出る、喉(喉元)過ぐれば熱さ忘れる、喉元過ぐれば鯛[たい]も鰯[いわし]もおなじこと、喉のしたから耳舐[なめ]る─などなど。
食べものが口のなかにあって、咀嚼運動をしているとき、上下の歯と歯は接触していないのが普通です。ですから、食べものが歯と歯の間にあるときは、それほど強い力で噛[か]んでいないことになります。そして、食べものが呑みこめる程度にかみ砕[くだ]かれ、すり潰[つぶ]され、だ液と混ぜ合わされてはじめて、上下の歯が接触するようになります。嚥下するときには、やはり上下の歯が接触して、下のあごの骨が固定されて嚥下の準備が行われます。まれに、上下の歯が接触しなくても嚥下が行われる場合もありますが、口を開けた状態ではスムーズに嚥下できないはずです。
すべての歯がなくなって、総義歯[そうぎし]も入れていないお年寄りで、歯ぐきだけで食べている人がいます。成人の嚥下は三叉神経[さんさしんけい]の筋肉によって行われますが、歯のないお年寄りの嚥下は、顔面神経支配の筋肉によって行われます。平均的な嚥下の回数は、食事以外の座っている時では1時間20~80回、横になっている時では12~60、睡眠時ではもっとも少なくなります。食事中の平均嚥下回数は1分間9回、1日の総嚥下回数は1200~2400回と言われていて、かなり個人差があるようです。
上下の歯が接触し、下顎骨[かがくこつ]が固定されますと、食べものは舌の上に乗せられて後方へと送り込まれます。食べものが喉を通るときに、喉仏のあたりがひょこっと上方に持ちあがるのがわかりますが、これは食べものが気管に入らないように鼻咽頭[びいんとう]を閉じ、喉頭蓋[こうとうがい]という蓋[ふた]を閉めるための運動でもあるわけです。これは、人間の口においては、食べものの通る道と、呼吸のための空気の通り道とがいっしょになっているためなのです
・・・中略・・
咽頭は、鼻から入った空気が、咽頭・気管・肺へと向かう気道と、口から入った食べものが、食道から胃へと向かう食道の交差点に当たるところです。普通の哺乳類では、頭の後ろに首があり、口蓋垂[こうがいすい](のどちんこ)と喉頭の入り口の蓋(喉頭蓋)がほとんどつながっていて、気道と食道が立体交差になっています。ところが、人間では直立の姿勢にともなって、口蓋垂と喉頭蓋が離れてしまい、気道と食道が平面交叉をしていて、食べものを呑み込むときは喉頭を引き上げて気道をふさぎ、一時的に呼吸を停止させなければならなくなったのです。これに失敗しますと、気道に食べものが入り込み、激しくせきこむことになるのです。咽頭における気道と食道の交差点は「魔の十字路」と呼ばれていて、人間が進化したことによって得たところの急所となっているのです。

医療も悩みも高度に/ALSは?

神様にもなったような豪放磊落の風貌でも 人は時には運命に任せようにも任せられない残心に戸惑うものです
それにしても悩む時間が他力に依存するばかりで何ともしょうがない辛さは マイクも味わうしかなかったのです

8/8に 前立腺癌の生存率のことを参考に書きました
https://hikurashi.com/archives/910
国立がん研究センターニュースでは 癌5年生存率の平均は67.9%で トップは98.6%の前立腺癌でした
ステージIの5年生存率では100%(ステージII・IIIでも100% ⅳは62.2%)

100%と知ると思い出します
高齢友人から聞く話では 白内障・前立腺は病気でないとか言いますが しかしパーキンソンまでもそう言われると 毎日苦労している患者を見ていると そんな他人事で済ますのは それこそ昨日書き込んだように無視隠蔽することこそ罪なのだと言ったのを思い返しました

また清水さんの癌を眺めて 闘病という言葉の意味をいつも感じさせられましたが 今回はもう一つ 高度化した医療が 病気そのものよりも 不安をも助長してしまっているのではとも感じてしまいました

それに比べALSは何にも進歩のない 選択肢も少ない 今や古典的程度の治療ですから マイクがそうであった様に 病気そのもので闘病の覚悟も 悩みも少ないのです
でも医療制度の矛盾では 国際的遅れや無駄がある様に思います
マイクの住まいの貧困以外は 制度で改善されるべきではないでしょうか
日本の財政不足の問題と関係ない様に思います

こんな能天気なALS患者の悩みは 医療制度に考えるところはありますが 確実に衰えを感じても 余りストレスにならず 精々 唾のネバネバが堪らなく辛い程度です
マイクは癌に耐えられなくとも ALSには耐えられそうです

マイクの様子を
唾で滅入ってますとの書き込みが最近多い様に マイクの最大のストレスです
粘度の高い唾液は舌下のネバネバ唾液腺がストレスで活発になるからだと言うのですが ネバネバが更にネバネバをと落ち込むのです
ALSとは関係なく 医師と薬剤師に聞いても唾の量を減らす薬があるがネバネバはと言う
ストレスを減らすしかないが そのストレスがALSそのものか 肉体的や精神的なものかは分からない
兎に角交感神経を宥めよと言うしかないと

今の清水さんのことを考えると ALSほどシンプルな病で悩む事はこれ位かと思ってしまいます
それに比べ清水さんの唾はもっとネバネバしてる筈ですが?

昨日の書き込みの最後に 薬がなくとも嗜好品とかで如何なるか調べればと気がついたのです
医師はアイスクリームでサッパリすると言われたのですが 自分で酢昆布とか確かめるのも 入院の楽しみかも

そう思いながら 今朝からネットで「唾液の粘度を下げたい」と訊ねると いっぱい出てきて呆気にとられましたが 酸っぱい物と昆布を食べるとサラサラになるとあるだけで 口臭とドライマウス対策ばかりでした

それより何より緊張しているときは固い粘りのある唾液が出て これが固唾(かたず)を飲むという言葉とか
粘液性唾液にはニオイの元を分泌する嫌気性菌をおさえる自浄作用が利きにくいので口臭になりやすいとも

それよりもサラサラしたきれいな漿液性唾液を増やすことも考えると 姿勢 鼻呼吸 耳下腺マッサージ そして副交感神経がカギとか
今日から唾液増加トレーニングを始めましょうとあります
では 売店で酢昆布をすぐ買いに参ります!
(忘れていました!マイクにはしゃぶるしか出来ないのです)

「ああ、よかった」

マイクさん

ぼくはこの2カ月ほどとてもしんどい思いをしていました。自分でしんどいというのが、すでに弱っちいですが……。

6月26日、大腸がん摘出手術後1年半の検診を受けました。血液検査とMRIです。その結果を2日後の28日に聞きに行ったのですが、意外な指摘を受けました。腫瘍マーカーは正常な範囲内にあったのですが、MRIの画像診断では前立腺に影が出ているというのです。

「前立腺がんの疑いがありますね。PSA(前立腺の腫瘍マーカー)の検査を受けた方がいいですね」

「えっ、だって先生、ぼくはこの1年抗がん剤も飲んできましたよ」

「大腸がんの抗がん剤は前立腺には効果ないですから」

ということで、泌尿器科への紹介状を受け取り専門医を訪ねることになりました。その病院は前立腺がんの手術では全国的に有名で、検査施設、機材も最新鋭のものを揃えていましたし、医師もマスコミで何度も取り上げられ名医とされていました。特にロボット(ダビンチ)支援の手術では数多くの実績を残していると。つまりは手術をしたい病院ということなのです。

ところがなかなか予約が取れずに、結局月が変わり7月15日になってようやく病院へ。その日のうちに血液検査、MRIを撮りその上で、がんの疑いが濃厚なので入院して組織検査を受けるようにと言われました。そうして10日後の25日に入院、26日に組織採取のための手術を受けました。

この間に医者から聞かれました。自覚症状はありませんでしたか?と。

「自覚症状って?」

「おしっこが出にくくなるとか、頻尿になるとか、したいと思ったら我慢できなくなるとか……」

たしかに頻尿にはなっていたし、我慢もできなくなってはいたけど、それは歳のせいだと思っていました。同世代の友人、知人もみんな似たようなことを言っていたし……。

結果が出るまで2週間は必要だということでしたが、夏休みやお盆休みが入り結局8月21日になりました。待合室で長い時間を過ごし、身体も気持ちもヘロヘロになった頃にようやく診察室に呼び込まれました。医師は淡々と言いました。

「前立腺の組織を15カ所採取したうちの7カ所から悪性のがん細胞を検出しました。極めて危険度の高いものです。まず他臓器や骨への転移の有無を調べて治療の方針を立てましょう」

「そんなに悪いですか? ステージでいうと?」
「それをはっきりさせるために検査をしようということです」

その日のうちにCTスキャンを受け、骨シンチの予約を入れました。他臓器や骨に転移しているということはステージ4にあたるのかな……。そうなると手術も難しいっていうことだろうし……。治療は難しいだろうな……。その時点でぼくの頭の中は不安でいっぱいになりました。

その一方で、大腸がんの手術から1年半、何度となく検診を受け、身体もスキャンしてきたのに、なんで今頃と、疑問と憤りがごちゃ混ぜになったような気分でした。しかしどこかで、何かの間違いに決まっているとも。

そうして8月26日、骨シンチの検査を受けそのまま結果を待ちました。その待ち時間の長く不安だったことと言ったら……。

診察室に呼び込まれて医師の口から「他臓器、骨への転移はありませんでした」と聞かされた時、

「ああ、よかった」

と呟いていました。ほんとうによかった。医師は続けました。

「ステージでいうと2ですね。よかったです。ラッキーでしたね」
「ええよかったです。ラッキーでした」

そう答えるぼく。
おかしいですね。ほんとうにラッキーなら、がんになどにはならないのに。

それは前立腺がんという疑いをかけられて、白黒がはっきりするこの2カ月が思った以上にしんどくて、結果としては悪かったのに、最悪ではなかったということにホッとしてしまったということなんでしょうねえ。人間って弱っちいものですね。

ステージ2ですが、ぼくは間違いなく前立腺がんになったのです。大腸がん、前立腺がん、さて次は……と、まだ治療もはじまっていないのにそんなことを思ってしまいました。

そうして思いました、こうなったらぼくもスーパーながん患者になってやろうと。がん患者としての社会的な役割を探し出し、果たしていこうと思ったのです。

これは、たしかにマイクさんのおかげなのです。

マイノリティが堂々と共生社会の理念を築く

やっぱり言い尽くしていないので 昨日はマイクが我慢して辞めましたが 今日は清水さんがもう少しばかりお身体に触らない程度に我慢してお聞きください

昨日言いました 利己的閉鎖的社会とは 敗戦で知った自由を 無責任と混同し 利己主義だけで生きられることを学習してしまった日本のことです
成長経済社会では利己主義がズル賢いと分かっていても 意地ましくもやって行けたのです
日本人は元より 忖度と税金や利権にすがる他力文化に馴染んでおり これを維持するために 隠蔽主義閉鎖性を好むのです

一昨日 「中国人と日本人は 70%利己的で 官僚依存強い文化で アメリカ人は90%利他的(ある遺産調査から参考)で 個人主義の文化に関係すると思います」と言いました
アメリカ人は自由を求め 開拓で築いた宗教と相互共存の社会で 自己責任がベースにあり お互いに助け合う90%利他的社会なのです
しかも多民族多様な個人を開示する事なくては互助も利他も叶わないので オープンが共生社会の前提にあるのです

安定した社会の為には 利己的な無責任は無用で しかも自由気儘なクローズでは 共存できない社会なのです

昨日はWHOが自死を個人の問題ではなく社会の問題だと宣言していることを知りました
また欧州連合の理念も自由で多様な共生社会を可能にするのは 隠蔽のない透明性にあるとしています
その様な認識が日本に育つことなしで 自死の少ない またマイノリティの平等を守れる共生共存社会を期待できるでしょうか

拡大自殺が賑わった6/3に このブログで「死ぬなら1人で死ね」という言葉の社会性の無さを少し考えました
https://hikurashi.com/archives/584

また日本の自殺防止施作の社会性を調べるため 自殺防止指針として の下記2つに目を通しましたが 自死を個人の責任問題とする理念しかないようです

自殺未遂者と自殺念慮をもつ者への危機介入
http://www.pref.nara.jp/secure/135583/siryou1.pdf
奈良県精神保健福祉センター

自殺に傾いた人を支えるためにー相談担当者のための指針
http://www.zmhwc.jp/pdf/campaign/support01.ppt
平成20年度厚生労働科学研究(こころの健康科学研究事業)編

マイクは死を個人から解放し 隠蔽すべきではない社会の問題だと認識したいのです
昨日はまた こうも多い日本人の自死の半分は社会的な殺人だとまで言い切りました
「死にたい死にたい」とマイクはオープンし過ぎたからこそ 救いの神様仏様が現れたのです
「死ぬなら一人で死ね」と拡大自殺者に言うだけでしかない様な社会には 共生社会は無理なのです
隠蔽や無視は罪なのです
共生社会の理念を理解する前に利己主義は罪なことを知るべし知らすべし
色々のマイノリティが 率先してカミングアウトすることの意義を もっと著名人が意識してやって欲しい
その様な社会の遅れを明確にし また認識すべきなのです

結局言い残したというよりも 何時もの様に 同じことを繰り返しているだけだったかも知れません

それより今日も薬剤師の回診があったので 医師が勧めた唾液を少なくする薬でなく ネバネバだけを抑える薬がないかを 待ちに待って聞いてみました
医師が知らなくても薬剤師なら知っている可能性があると信じたからですが 見事外れてガッカリでした
帰ってから気づいたのは 薬ではなくとも食べ物嗜好品で解決出来そうではと思いつきました
食通の誰かに期待したいものです

利己的閉鎖的な社会は共生社会に向かえるか

昨日の続きに 自死をサイトで調べると いきなりこんな日本が見えました

自殺未遂50万人の衝撃…私たちの「一言」の功罪(日経ビジネス)
https://business.nikkei.com/atcl/opinion/15/200475/092300070/
河合 薫 健康社会学者(Ph.D.)
(もう一つ下記転記した財団のサイトに就ての 河田の解説)

53万5千人 これは過去1年以内に自殺未遂を経験した人の数である(推計)。
「自殺未遂者は、自殺者数の10倍程度」というのが、これまでの定説だった。ところが日本財団が行った調査で、20倍近くもいることが明らかになったのである。
・・・・・
「自殺(自死)は『追い詰められた末の死』であり、『避けることの出来る死(avoidable death)』。つまり、個人の問題ではなく、社会的な問題である」
これは世界保健機関(WHO)が、2003年に国際自殺予防学会(IASP)と共同で開催した世界自殺防止会議において出した、メッセージである。
と・・・・・
人間は、たった一言で「自分の存在価値」を見出せる
「有意味感(sense of meaningfulness)」――。これは人間の生きる力である、Sense of Coherence(=SOC)のエンジンになる感覚で、半歩でも一歩でも前に進もうという、モチベーション要因となる感覚を示した概念である。
と・・・・・
私たちは価値あるメッセージの送り手になれているか?
1986年から国家レベルで自殺対策に取り組んだフィンランドでは、自殺に至った要因の徹底的な分析と、数年にも渡る遺族の聞き取り調査を行い、自殺予防の全国的な戦略を立てた。自らも自死遺族であった社会保健省の大臣の強力なリーダーシップのもと、「必要な人」に届く政策が進められ、20年間で自殺死亡率を30%減少させることに成功している。
自殺への偏見、自殺未遂者への適切なケア、うつ病に関する知識などの正しい普及、著名人によるうつ病の公表など、国家プロジェクトとして取り組んだことで、国民の意識も高まった。
と・・・・・(以上から河田の言う WHOの理念を汲み取ってください)

(以下は 上記が参照した詳細な財団サイトです)
日本財団自殺意識調査2016 (結果概要)
https://www.nippon-foundation.or.jp/media/archives/2018/news/pr/2016/img/102/2.pdf
4人に1人が「本気で自殺したいと考えたことがある」
「5人に1人が身近な人を自殺で亡くしている」
半数以上が自殺念慮や自殺未遂を 経験しても相談しない

(日本財団の調査の現実と河合薫の解説からマイクが見る日本とは)
自殺率が先進7カ国で最も高く「自殺大国」とも称される日本です
自死はどこの国より身近なのです
5/9に 身障者や難病者が国民の1割にもなるほど 誰にでも身近であることを告げた
https://hikurashi.com/archives/388
自死者はその倍も近しいのです

なのに元気な個人は死を無視し 弱者に拘らなくとも利己的生活に支障がないと考える世間が普通になってしまっている日本なのです
この儘では 利他社会であった筈の日本なのに 「情けない」ばかりの劣等国から脱しきれません
もう一つ世間の問題は 死も弱者も隠してしまう「みっともない」閉鎖性です

戦争で疲弊した欧州は戦争を避けるためには 多様な共生社会を理想とし 「欧州連合は人間の尊厳に対する敬意・自由・民主主義・平等・法の支配・マイノリティに属する権利を含む人権の尊重という価値観に基づいて設置されている
これらの価値観は多元的共存・無差別・寛容・正義・結束・女性と男性との間での平等が普及する社会において 加盟国に共通するものである」

この連合理念をこれ以上語ることは要らない
共生社会を必要としないのなら

昨日は
「自殺死亡率の国際比較(上位50カ国)」
https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/hoken-sidou/dl/h22_shiryou_05_08.pdf
より知った
日本 23.7人/10万人 は 利己的 閉鎖的社会性なのです
米国 11.0 で オランダ 9.3 なのです
この差 14.4が 共生社会を意識すらしていない日本社会による殺人だとマイクは妄想するどころか 断言までしました
WHOが 自死は個人の問題ではなく 社会の問題だと言った事に通じます
欧州連合の理念とも重なります

何時もの様なクドクドになりそうなので ここらで我慢もします
しかし 何のストレスか分からないのも原因となっているのか ストレス性のネバネバ唾液には参っていて 我慢ができません

福祉財政は十分か/日本に共生社会は?

こんなことも考えてみたかった 考えねばと思い!
入院患者だからできる 贅沢な書斎にいる学者気分で?

「社会保障制度等の国際比較について」(参照)
https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/000394936.pdf
成る程 制度は歴史や考え方で様々であるが 財源や自己負担配分は夫々国の考えが見られる
しかし 高齢化で社会支出増えたにしてもだらしなく みっともないのです
GDP対比社会保障費は20%〜30%の範囲と言え 日本の少なさをハッキリ認識した上で 相対的にはそうでも 絶対不足かを考えて見たい

「日本の社会保障給付費の国際比較」(参照)を見てください(古いデータです コメントを転記)
医療・年金・福祉 全てで最悪のグラフ みっともない・情けない・税金勿体ない のではないか
https://hodanren.doc-net.or.jp/kenkou/gkhtml/gktop/gk6s/gk6s1p/gk6s1p.html
「日本社会の社会保障給付費は低い」コメントー1
日本の社会保障給付費の水準は、世界からみてどうなっているのでしょうか。
国内総生産(GDP)に占める社会保障給付費の割合を、ILO(国際労働機関)が定める基準にもとづき、「医療」「年金」「福祉他」とその合計について、比較してみました。
 福祉先進国といわれる北欧のスウェーデンやドイツ、フランスに対し、日本はかなり低い水準となっており、公的医療保険が未整備であるアメリカと同水準となっています。日本の水準は、ヨーロッパ諸国の3分の2、北欧諸国の2分の1であることがわかります。
 今後求められるのは、国と企業の負担で国力にふさわしい社会保障の充実です。

「日本だけが支給を減らす」コメントー2
社会保障への国の支出を減らすという政策は、世界的な流れなのでしょうか?政府が社会保障に対して、どれだけ国庫支出しているかを、国内総生産(GDP)に占める割合で比較してみましょう。
 日本以外の5カ国をみると、平均で5.9%から7.8%へと、国庫支出を増やしているのに対し、日本だけが4.1%から3.4%に、その割合を低下させたことがわかります。1980年代から1990年代にかけて20年間は先進各国で、老人人口の増加が頭打ちとなるなか、日本だけが世界一のスピードで老人人口を増やした期間でもありました。日本の姿勢が、いかに世界の流れと比べて、異常であるか明らかです。

(マイクの妄想)
さてと 社会保障にGDP比20%は 確かに日本は社会保障を疎かにする文化国と言われても可笑しくない
日本人は 共生社会の保障制度に疎くなってしまっているのです
何故か? 中国人と日本人は 70%利己的で 官僚依存強い文化
アメリカ人は90%利他的(ある遺産調査から参考)で 個人主義の文化に関係すると思います
アメリカは医療福祉も自由で自己管理のため社会保障費は少ないのですが 元々開拓民の互助性と利他の宗教性で 生活貧困者が出ないような優れた生活保護救済制度があるのです

自殺率の国際比較を見ると 日本 23.7 アメリカ11.0 9.3オランダ
(H21年5月8日 内閣府自殺対策推進室資料より 10万人当たり人数)
この日本の数字の差の12〜4 詰まり半分の自死者は 自殺ではなく 世間の目による社会的な他殺なのです
安楽死容認のオランダでは 社会が 市民が 共に救っているのです

幸福の質を知ることも 量を上げることも大事だと思います
でも現状の儘の これで満足する方法はあるのです
金融庁の言う2千万円を準備しなければ老後を生きられない筈がありません
95歳で現役並みに元気で贅沢に遊びたいのでしょうか
QOLはお金で埋めなくとも 妄想でも高められます
量や質の問題ではなく 平等感や透明感があれば 互助共生社会は不安なく安心できる社会なのです

日本は 1人当たりGDPが30年で倍になったのに 幸福感は「幸福のパラドックス」の通り 3.5/max5と何も変わらずの生活満足度(平成 20 年度国民生活選好度調査)とと言われています
GDPの支出配分項目を国際比較して その国の思想の違いを理解したいものです
利己的個人的税金依存競争(パンとサーカス体質)で忖度と既得権の儘の国では 共生社会は無理です
北欧の様な 矛盾を納得できるまで改善し きめ細かい理解し易い透明な制度を効果的に運用していければ GDPの20%でも 質の高い幸福感も増した共生社会が可能なのです
先ず 社会保障に感謝! そしてそこにある社会的な矛盾を!妄想の中に見つける!!

何事も自己決定自己責任とは厳しい/感謝を知る

今 こちらから往信しようとしたら 清水さんからのが入っていました
結果が思わずの方向だったのかの知れませんが 難しい状況のご本人に安っぽい励ましは今夜はやめて書き立てをそのままの返信でお許しください
でも一つだけ加えてみます

マイクが今のALSを”ENJYOY DEATH”と言えるようになったのは 実は2008年のダンス公演の後 激痛の椎間板ヘルニアになり 「腰痛日記」ブログを立ち上げたのですが 半年ほどヘルニアの勉強をし治療に苦しんだことを 治ったからでもあるのですが 「腰痛にこんなに楽しい思いをさせて貰った」と思ったのが原点なのです
その時同時に こんなことになるとは知らず「自死という生き方」読後感ブログも立ち上げました

では
多分清水さんは前立腺の精密検査の結果待ちで 不安のピークの頃かと思います
これも多分ですが 結果が出てもそれならそれでどんな選択肢を選ぶかが待っている筈です
医師の勧める標準治療の他まで考えると多分頭がパンクします
選択権は本人ですと念を押すのですが 自己責任にするのは医師の言い逃れ?で それが医師の義務だとは変な決まりです
それより医師からの説明責任の方が問題だと思います
専門知識のない患者本人が短時間で自分の症状を理解し 治療方法も数多ある全てを理解し 自分の財力にあった処方なのか迄もは判断できません
説明の程度を明確にするのはできる筈がありません
医師に任せるような責任なら 医師を信ずるしかないでしょう
自己責任というのであれば医師無責任と何も変わりません
自己都合利益優先の商業医療が放置されている実態を知っても 医師を信ずるしかないのです

どの選択肢にしても条件付きなのですから複雑すぎて素人には直感か神頼みのギャンブルでしかないように思えます
医師の説明が完全である筈はなく 最悪怪しげな教唆?かも?
加えて何れにしても 第三者があれこれ知ったか振りするに違いないのです
今マイクが言っていることもその類かも?

病気そのものよりも 高度医療が複雑化して 精神的ストレスで悩まされているのではないでしょうか
同じことが 社会福祉制度の完全性のお陰で 貧富に拘らず 平等な治療が保証されているのですが 野放図にはできず 申告主義で判定は慎重で長期間 何よりも書類が難しく煩雑でストレスが溜まる
医療と福祉に護られて 最高に安心な社会なのに これで十分な技術と財政だと言える筈なのに ほんの少しの不満と不安な筈なのに ストレスが無い訳ではありません
如何してか人間には 有り難さを思い知る心が希薄で もっともっとと欲張る「みっともなさ」と 「勿体無い」と我慢や諦めや 満足感謝することを知らないし またストレスとなるもの「矛盾」の改善を他人事とする「情けなさ」しかないのです

またまた清水さんのことをどれだけ思って書いたのか マイクが慣れない病気と入院に不安を持っていた頃のことを思い出しながら この長期の入院だからこそ見つけられた 社会福祉の有難さや それでも矛盾と言うだけでは済ませられない福祉の歪みや改善点を 当事者として感謝と期待を表意する義務を感じてなりません
ついつい 何時もの様に 思い付きばかりの妄想のトッカカリで失礼します

なんだかんだ言いながら楽しもうとしています

作業を終えた麦の芽の仲間たち

マイクさん

「色々と濃くギリギリまでも」
ぼくは今まさにそんな心境です。

ご心配いただいていた前立腺の生検。結果は真っ黒でした。前立腺がんです。大腸がんからの転移か原発のものかは、現時点では不明です。非常に危険度の高いものだと指摘されました。然るべき治療法を決めるための検査に入りました。

正直にお話ししますと、少々のショックでした。大腸がんとの診断からほぼ2年。手術から1年と10カ月。ようやく普通の暮らしに戻り、さてこれから何をしようかといろんなことを考え、いろんな計画を立て、予定を埋めはじめていた矢先のことです。大きな見直しを迫られそうです。しかし、命と引き換えにできるものなどそうありません。思いました。

ぼくはこの状況を真正面から受け止め、淡々と生きていくしかない

と。生き長らえれば、また新たな時間も生まれてくるでしょう。その時にまたいろいろと考えればいい。その時まで生きることを最優先に考えようと思っています。幸いなことに、ぼくにもマイクさんのように支えてくれる友人知人がたくさんいます。そういう人たちに甘えてでも生きようと思っているのです。

「夢 仲間たちの明日」を読んでいただいたのですね。ありがとうございます。
ぼくが障害を持った人たちをはじめて取材させてもらった本です。これ以降ぼくは障がい者、難病患者との関わりを深めていくことになります。そうして彼ら彼女たちの生きることに真摯で貪欲な姿勢、あるいはありのままに自分を表現しようとする生き方に、衝撃といってもいいほどの感動をもらいました。それがあの後書きの一言ひとことに繋がっていくのです。

今のぼくががんという病を得て、彼らほど真摯で貪欲で、ありのままになれているかどうかはわかりません。でも、マイクさんの言葉の通り「色々と濃くギリギリまで」生きてみようと思っています。

先だっての返信「暮らしたいまちで最後まで」を思い返してみました。ぼくならそのまちはどこになるだろうと。で、思いました。ああ、やっぱり京都かなって。そうしたら、「マイクの家」じゃなくて「マイク&哲男の家」なんてのもいいのかな……、などとなんだかんだ言いながら楽しもうとしている自分に気づきました。

この「往復書簡」のお付き合いは、ぼくにとっても生きる力を与えてくれるものになっているようです。

入院体験は人生を短時間で/色々と 濃く ギリギリまでも

マイクの最近の悩みは 粘ねばの唾液が口に一杯 溜まることなのです
医師と相談したら 薬で唾を少なくする事を勧められましたが 今は我慢する事にしています
ところが昨日 不安な気持ちになると交感神経の働きで唾が粘っこくなるらしいと薬剤師が自信なさげに教えてくれました
(しかもサラサラと粘度の高い2種類の唾液腺がある?とも?)
退院が決まって寂しいような不安な気持ちの所為なのか その粘った唾を とろみ付けたお茶で 下手に飲み込んでしまい誤嚥で咳き込んだ
偶々ベテラン看護師が聞きつけて吸引してくれたまでは良かったのですが お茶の匂いを嗅いで怪訝な顔して臭うといって取り上げられ ドキッとさせられました
捨てると言ってナースセンターに持ち帰られ 流石のマイクも覚悟はしましたが その後主治医の回診でも何もなくホッとしました
どんな匂いだったのでしょうか?詮索なしで・・・

マイクは学生時代の山登りのザックに “Mine albaiten est das abenteuer”
と書いて粋がっていました
弱虫でシャイな癖に 正義感があると言うより憧れていた程度ですが 弱い者の味方を好み 危険・冒険をも結構楽しむ方です
と言うか実は 只の開き直りに自信があるスコイ奴 なだけなのです
でも確実に 危険な所には 面白い人間がいて 楽しいのです

危険とは一寸違いますが 入院患者を見ていると 色々の人がいて或る意味で楽しいのです
昨日はこの病棟の入り口に変なセンサーが特設してありました
看護師に聞くと1人抜け出す患者がいての対策だと言う
これくらいではなく 爪切りで酸素呼吸器の管を切った人がいて その方は夜になると酒を酒をと探すのですが看護師からここは家ではないと諭され諦めて寝ます
何を言っているのか如何しても分からない奇声を 一日に何度もあげる人にも特別の関心があります
こんな人が側にいてもマイクは殆ど気にならないか 却って関心があるのですが 病院ではこれ以上近づくことは難しいのです
話したくても全く話せないのは カーテンを閉めて閉じこもる人と 今はもう一人 家族が来られても全く反応のない 胃瘻で生きてるだけの人もいます
閉じこもる方には お風呂で一緒になれるので何とかしたいのですが 無理は無理と諦めるしかできません
これまで何人もこれ以上QOLが下がりようもないの方が同室におられましたが ご家族には少ししかお聞きできず 折角の機会なのに「勿体ない」と感ずるばかりです
病院の中では 全てクローズに思えて「情けない」思いがします
折角の色々の人生を堂々と見せ合えないのは 何としても「みっともない」ことだと思ってしまいます

昨日は清水さんの著書「夢 なかまたちの明日」を読み あとがきに かごしまコープ障害者共同作業所の62人の仲間たち一人ひとりに贈る感謝の短くても心ある言葉には 感激し大泣きしました
それにはKDEまやちゃんが 何時も公演の打ち上げで 全員に一言づつ手書きで大入袋を配るのが恒例になっているのと重なって思えたからです
昨日メッセンジャーでこのことを 誰にでも平等に優しい神様仏様に泣かせてもらってありがとうと伝えました

序でですが マヤちゃんからは 北海道に行った時に大仏様をバックに観音様をポーズした写真を拝んでおいてとの返信があり ナンマンダブと拝みました
それである質問を返したのですがそれは秘密と逃げられました
その秘密ということですが マイクは相当危険なことをやってきた自負はあるのですが 世間体を弁えれば それを直ぐには話せず 秘密の儘か 暫くしてからなら自慢話なのです
秘密は自慢話になり また多い方が豊かな人生の証拠なのです
それも失敗話や恥ずかしい事でも尚更です
しかしその自慢話を若い現役の人間には語れないのですが 逆に年寄りには 語らずには死ねないのです

もっと病気を誇らしげに そしてオープンに
年寄は自分を告白し懺悔し 今は出来なくとも 罪滅ぼしの切っ掛けになるのです
年寄りには 少しでもいいからの世直しのチャンスがあるのです 命を懸けてでも

理想を求めるトルストイが晩年 日記で 自分の醜聞ばかりか 3大悪妻として有名なの妻をあからさまにしている事を6/13に書きました

愛ある親切で絶望から救われました

嫌老社会に生きる老人よ 終末期を悟ったら 罪滅ぼしに懺悔だけでも必ず!
老人よ 大志を忘れては 地獄行き確実なのです!

何時まで新参者でいられるか/自立するスーパー目指し

5クール目のラヂカット点滴2週間が今朝から始まりました
詰まり9月初めには退院するとを決め それまでの5ヶ月ものマンネリ入院を思い返してみる積りです

マイク自身は胃瘻が近いと最近は強く自覚しているのに 主治医からはまだまだだと言われます
4/8に2週間限りのリハビリ入院したあの頃は 家族に迷惑少ないのは死亡退院しかないと考えていて 胃瘻拒否が最短のチャンスと決め込んでいたのです
ところが2週間で球麻痺が進行する筈もなく 最近になってやっと近付いたと言うことでもないのですが 手足がこう元気では 胃瘻拒否しても断食往生は不可能なのは明白です
こう考えるとマイクは手足先ず先ず元気な儘 気管切開に至る可能性もないとは言えないかも?

マイクが「スーパーALS」と言い始めたのは 5/23難病の日のコンサートに「気切のALS患者」が多数参加すると開催者から知らされてからです

ラッキーが続いています/スーパーラッキー

スーパーとは他人事でしかないと思っていたマイクに それ以来身直かに感じられるようになったのです
加えて入院以来の往復書簡や生前葬に続くスーパーラッキーがそうさせました

難病患者にも元気な方は実業や芸能で「スター」紛いの方も多いと聞きます
「れいわ」の議員もその類でしょう
マイクは難病という特例を受けて延命の可能性を頂く限りは 死に甲斐のためにも社会的なお返しをできればと願っています
ALS患者の現状に社会的な矛盾を知った当事者としての発信をどう進めるか
弱者共存社会の理想を当たり前化する共生啓蒙活動にもマイクなりの遣り方をやれたらと願っています

取り敢えずは 「ALSピア活動」の不十分な京都に 定着させたいとの思いがあります
ダンス仲間のKDEが パーキンソン病患者がエンジョイダンスできるサポート活動を進めていて その事業は出来る限りお手伝いせねばと思っています
またKDEには マイクを活かしたパフォーマンスを外部からの依頼であります
年内はこれらの在宅活動が 可能かどうか 気力や体力を掴みたいと思います
ALS新参者が そろそろ終焉かとの思いがあるのですが そんな弱気ではいけません
マイクの症状に関係なく 清水さんのご提案の自立支援の家/部屋についてを真剣に考えながら そうなる準備/考えを進めてまいります