何事も自己決定自己責任とは厳しい/感謝を知る

今 こちらから往信しようとしたら 清水さんからのが入っていました
結果が思わずの方向だったのかの知れませんが 難しい状況のご本人に安っぽい励ましは今夜はやめて書き立てをそのままの返信でお許しください
でも一つだけ加えてみます

マイクが今のALSを”ENJYOY DEATH”と言えるようになったのは 実は2008年のダンス公演の後 激痛の椎間板ヘルニアになり 「腰痛日記」ブログを立ち上げたのですが 半年ほどヘルニアの勉強をし治療に苦しんだことを 治ったからでもあるのですが 「腰痛にこんなに楽しい思いをさせて貰った」と思ったのが原点なのです
その時同時に こんなことになるとは知らず「自死という生き方」読後感ブログも立ち上げました

では
多分清水さんは前立腺の精密検査の結果待ちで 不安のピークの頃かと思います
これも多分ですが 結果が出てもそれならそれでどんな選択肢を選ぶかが待っている筈です
医師の勧める標準治療の他まで考えると多分頭がパンクします
選択権は本人ですと念を押すのですが 自己責任にするのは医師の言い逃れ?で それが医師の義務だとは変な決まりです
それより医師からの説明責任の方が問題だと思います
専門知識のない患者本人が短時間で自分の症状を理解し 治療方法も数多ある全てを理解し 自分の財力にあった処方なのか迄もは判断できません
説明の程度を明確にするのはできる筈がありません
医師に任せるような責任なら 医師を信ずるしかないでしょう
自己責任というのであれば医師無責任と何も変わりません
自己都合利益優先の商業医療が放置されている実態を知っても 医師を信ずるしかないのです

どの選択肢にしても条件付きなのですから複雑すぎて素人には直感か神頼みのギャンブルでしかないように思えます
医師の説明が完全である筈はなく 最悪怪しげな教唆?かも?
加えて何れにしても 第三者があれこれ知ったか振りするに違いないのです
今マイクが言っていることもその類かも?

病気そのものよりも 高度医療が複雑化して 精神的ストレスで悩まされているのではないでしょうか
同じことが 社会福祉制度の完全性のお陰で 貧富に拘らず 平等な治療が保証されているのですが 野放図にはできず 申告主義で判定は慎重で長期間 何よりも書類が難しく煩雑でストレスが溜まる
医療と福祉に護られて 最高に安心な社会なのに これで十分な技術と財政だと言える筈なのに ほんの少しの不満と不安な筈なのに ストレスが無い訳ではありません
如何してか人間には 有り難さを思い知る心が希薄で もっともっとと欲張る「みっともなさ」と 「勿体無い」と我慢や諦めや 満足感謝することを知らないし またストレスとなるもの「矛盾」の改善を他人事とする「情けなさ」しかないのです

またまた清水さんのことをどれだけ思って書いたのか マイクが慣れない病気と入院に不安を持っていた頃のことを思い出しながら この長期の入院だからこそ見つけられた 社会福祉の有難さや それでも矛盾と言うだけでは済ませられない福祉の歪みや改善点を 当事者として感謝と期待を表意する義務を感じてなりません
ついつい 何時もの様に 思い付きばかりの妄想のトッカリで失礼します

なんだかんだ言いながら楽しもうとしています

作業を終えた麦の芽の仲間たち

マイクさん

「色々と濃くギリギリまでも」
ぼくは今まさにそんな心境です。

ご心配いただいていた前立腺の生検。結果は真っ黒でした。前立腺がんです。大腸がんからの転移か原発のものかは、現時点では不明です。非常に危険度の高いものだと指摘されました。然るべき治療法を決めるための検査に入りました。

正直にお話ししますと、少々のショックでした。大腸がんとの診断からほぼ2年。手術から1年と10カ月。ようやく普通の暮らしに戻り、さてこれから何をしようかといろんなことを考え、いろんな計画を立て、予定を埋めはじめていた矢先のことです。大きな見直しを迫られそうです。しかし、命と引き換えにできるものなどそうありません。思いました。

ぼくはこの状況を真正面から受け止め、淡々と生きていくしかない

と。生き長らえれば、また新たな時間も生まれてくるでしょう。その時にまたいろいろと考えればいい。その時まで生きることを最優先に考えようと思っています。幸いなことに、ぼくにもマイクさんのように支えてくれる友人知人がたくさんいます。そういう人たちに甘えてでも生きようと思っているのです。

「夢 仲間たちの明日」を読んでいただいたのですね。ありがとうございます。
ぼくが障害を持った人たちをはじめて取材させてもらった本です。これ以降ぼくは障がい者、難病患者との関わりを深めていくことになります。そうして彼ら彼女たちの生きることに真摯で貪欲な姿勢、あるいはありのままに自分を表現しようとする生き方に、衝撃といってもいいほどの感動をもらいました。それがあの後書きの一言ひとことに繋がっていくのです。

今のぼくががんという病を得て、彼らほど真摯で貪欲で、ありのままになれているかどうかはわかりません。でも、マイクさんの言葉の通り「色々と濃くギリギリまで」生きてみようと思っています。

先だっての返信「暮らしたいまちで最後まで」を思い返してみました。ぼくならそのまちはどこになるだろうと。で、思いました。ああ、やっぱり京都かなって。そうしたら、「マイクの家」じゃなくて「マイク&哲男の家」なんてのもいいのかな……、などとなんだかんだ言いながら楽しもうとしている自分に気づきました。

この「往復書簡」のお付き合いは、ぼくにとっても生きる力を与えてくれるものになっているようです。

入院体験は人生を短時間で/色々と 濃く ギリギリまでも

マイクの最近の悩みは 粘ねばの唾液が口に一杯 溜まることなのです
医師と相談したら 薬で唾を少なくする事を勧められましたが 今は我慢する事にしています
ところが昨日 不安な気持ちになると交感神経の働きで唾が粘っこくなるらしいと薬剤師が自信なさげに教えてくれました
(しかもサラサラと粘度の高い2種類の唾液腺がある?とも?)
退院が決まって寂しいような不安な気持ちの所為なのか その粘った唾を とろみ付けたお茶で 下手に飲み込んでしまい誤嚥で咳き込んだ
偶々ベテラン看護師が聞きつけて吸引してくれたまでは良かったのですが お茶の匂いを嗅いで怪訝な顔して臭うといって取り上げられ ドキッとさせられました
捨てると言ってナースセンターに持ち帰られ 流石のマイクも覚悟はしましたが その後主治医の回診でも何もなくホッとしました
どんな匂いだったのでしょうか?詮索なしで・・・

マイクは学生時代の山登りのザックに “Mine albaiten est das abenteuer”
と書いて粋がっていました
弱虫でシャイな癖に 正義感があると言うより憧れていた程度ですが 弱い者の味方を好み 危険・冒険をも結構楽しむ方です
と言うか実は 只の開き直りに自信があるスコイ奴 なだけなのです
でも確実に 危険な所には 面白い人間がいて 楽しいのです

危険とは一寸違いますが 入院患者を見ていると 色々の人がいて或る意味で楽しいのです
昨日はこの病棟の入り口に変なセンサーが特設してありました
看護師に聞くと1人抜け出す患者がいての対策だと言う
これくらいではなく 爪切りで酸素呼吸器の管を切った人がいて その方は夜になると酒を酒をと探すのですが看護師からここは家ではないと諭され諦めて寝ます
何を言っているのか如何しても分からない奇声を 一日に何度もあげる人にも特別の関心があります
こんな人が側にいてもマイクは殆ど気にならないか 却って関心があるのですが 病院ではこれ以上近づくことは難しいのです
話したくても全く話せないのは カーテンを閉めて閉じこもる人と 今はもう一人 家族が来られても全く反応のない 胃瘻で生きてるだけの人もいます
閉じこもる方には お風呂で一緒になれるので何とかしたいのですが 無理は無理と諦めるしかできません
これまで何人もこれ以上QOLが下がりようもないの方が同室におられましたが ご家族には少ししかお聞きできず 折角の機会なのに「勿体ない」と感ずるばかりです
病院の中では 全てクローズに思えて「情けない」思いがします
折角の色々の人生を堂々と見せ合えないのは 何としても「みっともない」ことだと思ってしまいます

昨日は清水さんの著書「夢 なかまたちの明日」を読み あとがきに かごしまコープ障害者共同作業所の62人の仲間たち一人ひとりに贈る感謝の短くても心ある言葉には 感激し大泣きしました
それにはKDEまやちゃんが 何時も公演の打ち上げで 全員に一言づつ手書きで大入袋を配るのが恒例になっているのと重なって思えたからです
昨日メッセンジャーでこのことを 誰にでも平等に優しい神様仏様に泣かせてもらってありがとうと伝えました

序でですが マヤちゃんからは 北海道に行った時に大仏様をバックに観音様をポーズした写真を拝んでおいてとの返信があり ナンマンダブと拝みました
それである質問を返したのですがそれは秘密と逃げられました
その秘密ということですが マイクは相当危険なことをやってきた自負はあるのですが 世間体を弁えれば それを直ぐには話せず 秘密の儘か 暫くしてからなら自慢話なのです
秘密は自慢話になり また多い方が豊かな人生の証拠なのです
それも失敗話や恥ずかしい事でも尚更です
しかしその自慢話を若い現役の人間には語れないのですが 逆に年寄りには 語らずには死ねないのです

もっと病気を誇らしげに そしてオープンに
年寄は自分を告白し懺悔し 今は出来なくとも 罪滅ぼしの切っ掛けになるのです
年寄りには 少しでもいいからの世直しのチャンスがあるのです 命を懸けてでも

理想を求めるトルストイが晩年 日記で 自分の醜聞ばかりか 3大悪妻として有名なの妻をあからさまにしている事を6/13に書きました

愛ある親切で絶望から救われました


嫌老社会に生きる老人よ 終末期を悟ったら 罪滅ぼしに懺悔だけでも必ず!
老人よ 大志を忘れては 地獄行き確実なのです!

何時まで新参者でいられるか/自立するスーパー目指し

5クール目のラヂカット点滴2週間が今朝から始まりました
詰まり9月初めには退院するとを決め それまでの5ヶ月ものマンネリ入院を思い返してみる積りです

マイク自身は胃瘻が近いと最近は強く自覚しているのに 主治医からはまだまだだと言われます
4/8に2週間限りのリハビリ入院したあの頃は 家族に迷惑少ないのは死亡退院しかないと考えていて 胃瘻拒否が最短のチャンスと決め込んでいたのです
ところが2週間で球麻痺が進行する筈もなく 最近になってやっと近付いたと言うことでもないのですが 手足がこう元気では 胃瘻拒否しても断食往生は不可能なのは明白です
こう考えるとマイクは手足先ず先ず元気な儘 気管切開に至る可能性もないとは言えないかも?

マイクが「スーパーALS」と言い始めたのは 5/23難病の日のコンサートに「気切のALS患者」が多数参加すると開催者から知らされてからです

ラッキーが続いています/スーパーラッキー

スーパーとは他人事でしかないと思っていたマイクに それ以来身直かに感じられるようになったのです
加えて入院以来の往復書簡や生前葬に続くスーパーラッキーがそうさせました

難病患者にも元気な方は実業や芸能で「スター」紛いの方も多いと聞きます
「れいわ」の議員もその類でしょう
マイクは難病という特例を受けて延命の可能性を頂く限りは 死に甲斐のためにも社会的なお返しをできればと願っています
ALS患者の現状に社会的な矛盾を知った当事者としての発信をどう進めるか
弱者共存社会の理想を当たり前化する共生啓蒙活動にもマイクなりの遣り方をやれたらと願っています

取り敢えずは 「ALSピア活動」の不十分な京都に 定着させたいとの思いがあります
ダンス仲間のKDEが パーキンソン病患者がエンジョイダンスできるサポート活動を進めていて その事業は出来る限りお手伝いせねばと思っています
またKDEには マイクを活かしたパフォーマンスを外部からの依頼であります
年内はこれらの在宅活動が 可能かどうか 気力や体力を掴みたいと思います
ALS新参者が そろそろ終焉かとの思いがあるのですが そんな弱気ではいけません
マイクの症状に関係なく 清水さんのご提案の自立支援の家/部屋についてを真剣に考えながら そうなる準備/考えを進めてまいります

暮らしたいまちで最後まで

マイクさん

スーパーALSってなんだ?! ぼくは考え込んでしまいました。
たしかぼくは、マイクさんにこんなふうに言いました。「マイクさんをALS患者のスターにする!」って。これにはいろんな解釈が成り立ちます。でもこの言葉を聞いた多くの人たちが思い描いたのは、あの「えんじょい・デス」の時のように、華々しくイベントを成功させ、メディアの注目を集め、ALS患者として有名、著名な存在になっていくマイクさんの姿ではないでしょうか。それは間違いでも、的外れでもありません。「えんじょい・デス」以後のマイクさんは、自らの存在と思量に自信を深め、文字通り綺羅星のごとく輝いてますもんねえ(ちょっと言い過ぎかな)。

実は何を隠そう、ぼくもはじめはそう思っていました。超有名になったマイクさんが、医療制度や介護保険制度、難病患者の療養支援の在り方などに発言することで、社会に対する影響力を行使するみたいな。そのためにメディアの世界とも関わりを持って生きているぼくの力を発揮していこうと。

でもぼくは今、ちょっと違った考え方をしています。それはマイクさんに注目を集める方法です。イベントで話題をつくって注目を集め、それがメディアに取り上げられることで、さらに注目度を高めていく。そんなことを考えていたのですが、ちょっと違うことを考えるようになったのです。
たしかにイベントというのは効果があるし、注目も集め、人も集まるだろうけど、結果としてマイクさんのための支援、サポートに具体的にどう結びついていくのかな、もう少し直接的な支援、サポートにつながる方法はないのかと考えるようになったのです。直接的に支援することから始められないだろうか、と。
並行して、スーパーALSってなんだろう? 何をもって「スーパー」って言うんだろうって考えたわけです。いろいろ思い悩みましたが、ぼくの結論はこうです。

どんなに症状が進行して、身体状況が悪くなったとしても、自分が暮らしたいまちで最後まで暮らす。どんなに思い難病、障害でも、向き合いながら地域社会に参加し続けること。これが「スーパー」と呼ぶにふさわしい条件じゃないかなと。つまり、マイクさんが暮らしたいまちで、普通に暮らし続けることこそ大切だと。それがぼくがサポートすべきことだと考えたのです。

イベントで話題をつくり、注目を集めてメディアに取り上げられる方が、インパクトは強いじゃないかという声もあります。もちろんそうですし、その方法を放棄するつもりはありません。大切なサポートのひとつとして考えています。しかし、先だっての「マイクの家」が実現し、マイクさんの自立生活が可能になれば、そちらの方がスーパーだし、インパクトは強いに決まってるじゃないかとぼくは思います。
あわせて、ALSに関する情報や知識をひろく流布していく取り組みもはじめていきたいと考えています。その情報や知識は、マイクさんの暮らしの中で蓄積されるものも含めてです。マイクさんには、ALS患者ではじめてのピアカウンセラーとして社会と関わるという道もあるのではないでしょうか。それがマイクさんの竟の仕事になるかもしれません。あるいは患者の立場で、福祉用具や機器、コミュニケーションツールの開発などに関わることも可能でしょう。
この暮らしと仕事を車の両輪にして、前に進んで行きたいなあと。

ぼくは鹿児島でこの2つを実現するために、仲間たちと動きはじめています。鹿児島でも同じことを考え、思いを共有できる人たちがいます。京都であれ、鹿児島であれ、1つの成功例をつくることができれば、その経験と知恵を全国にひろめることができます。それがALSにかぎらず、多くの難病患者さん、障害を持ったみなさんの希望になればいいな、それをマイクさんに担って欲しいなと思っています。

どんなに思い難病や障害があっても、暮らしたいまちで最後まで社会の一員として生き抜く。そんなことをスーパーだと思わなくてもいい、当たり前にできる社会になればいいと思います。

昨日の中途半端を気にして/博愛こそと

台風はこちらは 何もなく 今夜の大文字も無事終わっている事でしょう
仕切り直して考え続けてみます

単純に世の中が善人(Z)と悪人(A)で成り立ち 夫々を互いに意識するとします
人間はバラバラに住まいして生きるよりも 集団を作るメリットを学習している筈です
ZとAは ZとAが混在したままの共生集団に居るべきか ZとA夫々だけの集団に棲み分けすべきか
ZA共生では善悪混在のイザコザがあって問題であり 自然に棲み分け社会や世間ができてイザコザを避けようとする
多分Z集団は問題ないが AばかりのA集団では内部問題があるばかりか A集団がZ集団を襲うことまで考えられる(A山賊)
A集団が纏まるにはリーダーがZを少し取り込み虐めること(被差別・奴隷)で治まることがある
Aのなかには Z集団に紛れ込む方が住みやすいことを知る者もいる(泥棒A)
Z集団が このAを認識すれば排除したいが簡単ではない
実際にはAかZかの判定と排除の労力をリーダーが取れば Z集団の中にAを棲み分けた集団(被差別)が発生する
共生Z集団とは言え棲み分けシステム(除外者A排除捨て場)を備えていれば成り立ちやすいのです

このようにZとA集団共に 共生集団ですが 所謂マジョリティがマイノリティを必要悪として利用するシステムなのです

現実の社会や 地域(世間)には善悪という単純な人間ではなく見方(視点)と程度(深さ)で多様性(個性)を持つために 人間を棲み分けることは 判定困難で不可能なのです
世界に実際にある国家や民族・地域性などの棲み分けは 長い歴史の闘争と支配の試行錯誤の結果なのです
21世紀が民族と宗教の戦争で始まり 今起こっている経済戦争では済みそうもない全体主義と自分ファースト主義の遣りかねない危機が目前に迫っているのも 「人間の多様性とその淘汰」という「神々の悪戯」なのです

では マイノリティは 共生を理想とする共生マジョリティ集団にとって必要ないのでしょうか
マイノリティを排除すれば治まるのか?
否 共生マジョリティとて 実は 多様性の集団でしかないのですから 個性の定かでない曖昧なマイノリティの崩れた集団なのです
つまりは マイノリティとは 万人受けはしないが はっきりした個性を持っているだけで 本来なら棲み分けすれば見過ごされるほどの個性集団なのです
ところが棲み分けとは誰にでもできるものではなく 多様性に依存し合う社会がなくては生きられない生き物に進化し 共生社会に依存している同じ人間なのです
それなのに マジョリティ側はマイノリティは無用で 何も依存する必要性を全く気付かないのです
マジョリティだけで それの方が より有利に生活できると考えるからです

それならマイノリティはこの集団に依存する権利を主張する理由を見つけ 支援を受けるのが当然であって その代わりにマジョリティに少なくとも依頼や感謝を示さなければなりません

マジョリティとは言え実は多様なマイノリティの集団で相互依存なくては成り立たない集団なのです
世界が社会(国家)がそして世間(地域)が 相互依存する共生社会に向かっていることは 神々の悪戯(ゲーム)の「上がり」なのです
マイクは人間の試練が淘汰の結果を生むのだと信ずるにしても 神々を憎みたくなります
それくらい人生には天国や地獄の混在する多様な世界なのです
こんな世界に一杯の生き地獄があるのは避けられません
だからこの世にユートピアを求め民主主義を求めても 人類滅亡までにも辿り着けないのです

でもこんな多様な個性を持つ 個性を主張する人間社会を住みよくする方法はあるのです
人の幅広い個性を決める「自由」についての思いは 生まれ持ったものや育ちにあり 進化の結果であり大事にしたいものです
「平等」も 全ての人間の欲望を最大限に満たすべく絶対的に大事ですが 考え方は多様であることは避けられません
しかし 「博愛」はただ一つ 人類に共通して存在してきたからこそこれを共生の旗印にした社会だから進化してきたのです
「博愛」を人類共通のキーワードに生きる事です

それでも紆余曲折の苦難の現実があり 多様な社会にはマイノリティ排除がある過程で生まれます
その時には闘争(ライオン)の道と棲み分け(狼)の道があるのです
人間は弱い生き物と自覚して 進化したのです
そこで身につけたのが相互扶助 つまり共生なのです
それでも時には 自由三昧なライオンであった事を 忘れられず
時には負けて孤独になった狼が 平等をと雄叫びし
(負けるが勝ち)(逃争)(寝返り)(出戻り)などの生きるテクニックを使い熟し 共生社会が最も住みやすい事を人間のDNAにしているのです

その姿は世界に求めても色々ありすぎるので見えないかも知れません
しかし身の回りの地域社会(世間)の生活の中に探すならば 絶対あるし 探し知って見習わなければならないと思います

この妄想は これから社会的弱者を考えるために してみたのですが 果たして素人思考で何のためかも分からず マイクの悪戯でしか?

スローペース/こんな事でスーパーになれるか?

清水さんが「同じ水脈」と言われる意味を考えているうちに5日もゆったりした時間を過ごしてしまいました
この間 心境が少し変化しているかも知れません

その前に「同じ水脈」についてマイクも妄想してみます
この世の中が理想郷を求めているからこそ 人間の歴史には紆余曲折があったにしても進歩を歴史に見ることができます
地球の生物が 長い時間を経て進化しているのは 生物の進化系統図が証明しているのですが そのシステムが「突然変異による多様性の自然淘汰」だとするのは動物だけで このシステムだけでは絶滅の危機は避けられないのも事実です
人間には 自然淘汰に加えて 人と人の繋がりをより強くするシステムとして 王者ライオンの子育てのような「優生保護」と 孤独な狼などの「棲み分け」と 群れを作る弱い者・植物にまで見られる「共存/共生/協調」を意識する事を覚え それらの選択を時には学習して「世間」を作ってきた結果の進歩なのです

マイクはそう考えてユートピアとは何か?はあるか?を考え 優勢保護の持つ意味(絶対悪か?)を知ろうとし 多様性を棲み分けることで保つべきか? 共生に限界がありや? など 随分昔に「マイクスタンディングのHP」で 「マインドイノベーション」のテーマの一つにして考えてきた事なのです
(マイクが中々悩んだもう一つの「ユートピア」と同じようなテーマは「民主主義はあるか?」です)

「同じ水脈」とは 社会全体のこととではなく ほんの少しでも繋がりのある範囲という意味の「世間」のことだと思います

国家社会には優秀な人材を必要とし社会をリードして理想世界に導いて欲しいものです
(歴史には これを完全否定した史実が多数の国にあります)

世界には自治権を尊重した棲み分けで治まっている国も多いのです(合衆国・自治国)

しかし世間と言う眼の届く範囲では 差別は見たくないものです
世間は必ずしも公平ではありませんが 世間は平等でなければなりません
そうでなくとも自由博愛も備わって そうありたいものです
同じ水脈に生きるものは平等でなければなりません
そしてまた実際の社会の世間は多様であり また多様に構成されてあるのです
現実 あることではある仲間 あるところでは別のグループと渡り歩く変身者にもなれる
それらの世間はこのように棲み分けられることで格差を閉ざし容認することで 多様性と共存することができてい複雑な閉鎖社会でもあるのです

では世間の中にも多様性と自由を保ったっまま平等を権利として主張できるか
お互いが見える世間では 死にかけの人でも生きる権利がある事を否定しない博愛を示すのが世間での共存の条件なのです
妄想は中途半端ですが マイクに纏める力がありませんのでここまでにします

最後に 初めに言いかけた心境の変化というのは マイクの自立生活プロジェクトの思考が進展していないことです
8月末に退院を決めたので プロジェクトのタイミングにピッタリなのですがこれをチャンスとはいかないお尻の重いマイクに自分ながらがっくりしているのです
それは借家調査ぐらいは始められるにしてもこの暑さでと言い訳したくなりますが そうではなく 体の力が全身落ちてきた感じが強く それ以上に球麻痺が進行しているのに何故退院?と言う疑問も重なっているのです
でも退院後でも歩けない訳でもなくしたいこともある筈なので 決心は決まっています
しかし次のマイクの症状の予測がつかず 再入院や胃瘻の説明が全くないのです
と言うのは人工呼吸器の気管切開にしても色々のケースがあり事前に知っておかないといけない事を他の患者から知りました

でもこんな程度のことですのでご心配入りません
でも確かに言えそうなのは 始めの入院以来のハッピーラッキー続きも退院まで?

ぼくらは同じ水脈を一緒に生きている

マイクさん

「異物を受け入れないなんて」という言葉に、思わず反応してしまいました。異物を受け入れられてないのは、ぼくだって。いや、異物というより、もうひとつの自分といってもいいかもしれません。「がん」のことです。

「がん」は自分にとって異物であり厄介な「悪」なのですから、受け入れられなくて当たり前かもしれませんね。でもね、それでも自分の一部なのです。これが性格ならどうでしょう。人から「君は性格が悪い」と言われたとしたら、「何を言ってるんだか、お互い様じゃないか」などと笑ってすませたり、言われちゃったとしょぼんとしたり、仕方ないなと諦めたり、見抜かれちゃったとどきっとしたり、ああ自分が嫌になっちゃうなと思ったり、いろんな感情は持つけれど、まあ自分は自分だとそれなりに折り合いをつけて生きていけるものじゃないかなとも思います。性格が悪いっていうのも、人から見た自分の側面のひとつですから。

でもね、これが「がん」となると、紛れもなく自分の細胞のひとつ、自分の一部そのものなのに、まったく受け入れられない。当たり前です。命に関わる問題ですから。でももうちょっと突っ込んで考えてみると、性格が悪いっていうのもひょっとしたら命に関わる問題かもしれない……。でも「がん」の方がはるかに深刻だと誰もが考えます。で、その悪を排除する。異物は排除しないと、と。

でも「がん」ってほんとうに異物なんだろうか? 悪なんだろうか? そう考えた時、それが自分の一部だと思うと、自分自身を異物だ、悪だと否定しているような気分になってしまいます。

これを社会に置き換えたらどうなるか。マイクさんの投稿を読みながら考えてしまいました。
自分とは異なった外見、感情、意見を持つ人を、「異物」「悪」だと決めつける窮屈な、狭隘な社会になってしまっていると感じるのはぼくだけなのでしょうか。「がん」の例えで言うと異物を否定するということは、自分自身を否定することに他ならないのに。

そもそもぼくたちが暮らすこの国は、太古の時代から大陸の東の果てで様々なもの、文化、人々を受け入れながら歴史をつないできた社会だったんじゃないかと思います。異物を受け入れて、自分たちのものにする、そういう社会、歴史だったんじゃないかと。
だとすると、マイクさん流にいうと、異物=マイノリティこそが、この社会、歴史、文化を豊かにする原動力だったと言ってもいいんじゃないでしょうか。

「がん」だって排除するだけではなくて、排除するたびに心に得るものがたくさんあります。筋ジス患者轟木敏秀さんは、かつてぼくに、動かなくなる自分の身体を指してこう言いました。
「失うものがあっても、まだ得るものはたくさんある。何かひとつできなくなると、何かひとつ豊かになるような気がする」
と。どうして?と聞くと
「何かできなくなると、清水さんみたいな人が現れて、ぼくの手となり足となっていろいろやってくれるからね」
と笑いました。

ぼくらは誰でも同じ水脈を一緒に生きているのだと思います。
排除からは何も生まれない。異物を排除する前に、まず自ら一歩近づいてみる、寄り添ってみる。自分はそうありたいと思っています。

異物を受け入れないなんて何時まで亜細亜人や

啓蒙するアート「表現の不自由展」が受け入れられないようでは
https://www.huffingtonpost.jp/entry/aichitriennale-report_jp_5d43c7eae4b0ca604e2fb0fe
「平和の少女像」などを展示した国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」内の企画展『表現の不自由展・その後』が、開催から3日間で中止に追い込まれた。「ガソリン携行缶を持ってお邪魔する」と書かれた脅迫FAXなどが届き、安全面に気を配ったという。
(名古屋市長の発言に続いて今日は神戸市長まで見っともない発言を!)

定年後のマイクが好んで過ごす時間はコンテンポラリーアートの鑑賞です
元々 子供の頃から褒められたこともあって センスはある方だと自覚してはいました
でもコンテ・アートの鑑賞し始めは コンテ・ダンスと同じで こんなジャンルがあること自身知らなかったのにです
経済成長の豊かさの最中でも 亜細亜人サラリーマン マイクは ゴルフとカラオケを文化と信じ 古典・近代止まりで世界の 国際的な現代文化には価値を理解する余裕はなかったのです
ビジネスマンでない自己中サラリーマンでしかなかったマイクの世代が 文化の大事さを忘れ 文化を疎かにした為 後進国に先を越されて 日本がダメになった
そのことを「懺悔」すべきとの想いがあって アートで「罪滅ぼし」が出来ないかと思い 芸大生から若手のアートに関心を持つ事に意義を見出したことが切っ掛けです

今度のことは こんなマイクには放っては置けない関心事なのです
名古屋・神戸市長たる亜細亜人がまだ沢山いる日本なのです
それでも少しづつ国際レベルに近付かざるを得ない日本なのです
「れいわ」や「安楽会」(台湾と韓国は尊厳死法施行済)の前には マイノリティ法案や活動も進展し「共生社会」インクルーシブを養育されて身についた若者には普通に受け止められて 活動家も大勢いるのです

マイクが今日ここで話したくなったのは 展覧会出展作家の1人岡本光博さんと懇意であり「生前葬」にも参加頂いた方で それより何より アートの社会啓発を信念とするマイクの20年来のファンだからです

さてもう一つ 昨日 「生前葬」仕掛け人の摩耶観音が マイクの入院する病院で「パーキンソン病患者にダンスを楽しんでもらう」とする企画を院長に提案したのです
マヤちゃんは 芸大舞台院卒のダンサーですが マイク所属のカンパニーの代表であり 内外での公演も数多い
知的障がい者向けバレエクラス開設
ダンス療育指導士
ダンス介護予防士
ホームヘルパー2級
重度訪問介護従業者資格保有
コミュニティーダンスファシリテーター養成講座(プロ)修了
マーク・モリス・ダンス・グループ開発(Dance PD®️パーキンソン患者を対象とするダンスプログラム)を受講

以前大阪の特養で マイクもダンス体験WSを手伝いました
7/27 ワークショップフェスティバル DOORS @大阪芸術創造館 ALS患者参加
予定
8/18 ワークショップ @東山いきいき市民活動センター
9/1 ワークショップ @東山いきいき市民活動センター
10/6 ワークショップ @明倫自治会館

誰と言わず 人々を平等に愛で纏める不思議で多忙に飛びまわるダンサーです

「楽しくないとリハビリにならない」との院長の言葉もあり 彼女仏様のこれからのダンス人生の発展の何かが見えるように思えて まだ決まってもないのに 許しも得てないのに 嬉しくて書いてしまいました

それと亜細亜人を卑下するような言葉ですが そうではない立派な面もあるに違いないですが 色々の面で 例えば7/22のブログでジェンダー・ギャップ指数が日本は110位/149調査国だとか 文化レベル 思想レベルで思うことが多いことを真摯に いや過剰に受けとりたいからで 精神文化で見れば逆の事もあるでしょうが これはネガティブマイクのボヤキでしかないとお見捨て下されたく

同病患者(ピア)から自分を占う/ そんな日本に

昨日は入院感想でしかなかったのですが 本当は入院した事で強く思った別の事をお話ししたかったのです
一昨日唯一のALSの友人に会って思うことで 症状の判断や予測は中々医師から聞けず 同病者から自分で判断するしかないと言うことをです

その前に 今日の国立がん研究センターニュースでは 癌5年生存率の平均は67.9%で トップは98.6%の前立腺癌でした
ステージIの5年生存率では100%(ステージII・IIIでも100% ⅳは62.2%)
もう癌ではなく 前立腺「カン」くらいでしかないのですね
なのにALSは相変わらず 生存3〜5年と言われ(気管切開なしでは)10%くらいもあるのでしょうか?

実は今のマイクは自分のALSよりも パーキンソンに詳しくなっている事をも話したかったのです
それもネットで調べられるような一般的なことでなく 医療現場で見聞きしなければ分からない具体的臨床的事実なのです
しかも医師ではなく 長年の患者でないと分からないことなのです

ベッドの向かいもその隣も パーキンソンなのですが それよりもこの難病病棟の入口には パーキンソン病センターの看板が掛けてある通り 多分半分以上がそうではないかと思われます
それでも隣の方の病名も何にも 看護師からは聞けませんし教えてももらえません
ところが患者同士はフリーなのです
部屋に篭った個室の人やカーテンを閉めたままの方もいますが 特に向かいのベッドの方は外に出歩くのが好きで ここの主みたいに 看護婦やリハビリ療法士だけでなく 患者の名前どころか個性まで 一人一人に詳しい

それどころか病気の症状を見ての観察力には素晴らしいものを感じます
発症から告知まで苦労して入院し その闘病歴の長さだけではない本人の努力があっての パーキンソン病患者の当人の患者観測なのです

本人は 震えが頻繁に起こり またロボットのように固まるのが オンとオフするのです
症状の頻度は薬に依存し 多い時は20錠を一口で飲んだという
今回も3ヶ月1クールで 新しい薬を何種類も試し飲みし 効果を医師に判断されるのですが それどころか自分で判定してるようにも見えるのです
看護師も1日8回の投薬に手間の掛かる患者で 薬も25種類以上を毎回氏名と薬名を確認し飲み込んだのをチェックする
症状の発症には癖があり 震えだすとスクワットで膝をボキボキ言わせるとオンになるとか 自前のコントロールを編み出したり 他人の観察で色々の症状のあることも教えられた
医者以上としか思えないし 自己管理もしっかりしている
薬の効用も弁えていて 患者が暴れているのはあの薬のせいで 逆のモノもあるとか
人生を達観できるようになったのは パーキンソンのお陰だとも
それと何よりもパーキンソン病は ドーパミン不足だけあって 気の持ちようが大事だということを実践しているような方なのです

パーキンソンカウンセラーとして院外で活動されたらと本気で思い パーキンソン病患者のシェアハウスやグループホーム経営を勧めたりもしました

この同室の方のお陰で 結構楽しく会話ができて退屈しません
パーキンソンだけでなくALSについても随分と教えてもらっています
そして何よりもALSとの違いが筋肉の回復力の違いであって リハビリには重要な効果があって BIGと言うパーキンソン認定の筋トレの効果があるのです
ALSは 筋トレは絶対やり過ぎるのは進行を早めるだけでダメなのです
それと今日分かったのは 隣のベッドの相当きつい方も よく観察されていて パーキンソンはああなるのだと ALSのマイクの理解と参考にもできました
もっと重症の難病病棟は別にあって そちらにはALSもいるらしいのですが マイクの知りたいのは胃ろう前の方と 人工呼吸器前の方です
そのような方を見たい要望を 担当医にしてみたいのですが中々勇気がいると思うのと 言うだけ無駄ではと思ってしまいます

こんなところです

今はリハビリ入院していますが 実はその必要度を殆ど理解していなかったのです
それよりも何よりも 検査入院でALSを告知された急性期病院では 確定とリルテックとラジカットの説明をしただけで マイクからのリハビリの必要性の質問を否定しただけで 直ぐの退院を勧められたのです
リハビリ無用と言われた退院なので ここでのリハビリ入院など信じられる筈がありません
今の主治医からも当初リハビリの必要性の説明を受けていませんし マイクはなる様になれと 無用かも知れないリハ入院を体験の積りで決めました
しかし 受けて見てから療法士から少しづつ教えてもらったのです
特にマイクは嚥下トレーニングが必要なことを理解し 納得し受けてよかったと思っています
何よりも 「生前葬」までは絶対発声を保つべきと トレーニングとALS臨床に詳しい言語療法士からの知識をたっぷり頂けた事に感謝しています

ラジカット点滴も入院3日目に突然勧められたのです
ラジカットの効用も5日後にパンフレットで理解しました

この様に医師は質問には必ず答えてくれますが 経過観察をするだけで 説明指導に十分な時間も取れないのです
日常のバイタルチェックは看護師の体温血圧排便確認 そして投薬管理だけです
看護師への質問は医師に確認しての返事になり となりのベッドの方の病名も秘密保持で聞けないのです
それよりも患者同士に部屋や食堂などで教えられことも多いのです
しかし病院としては患者間の接触を勧めることはなく ALS患者がいるかどうかも教えられないのです
残念なことです

患者との接触は 退院してから探して欲しいらしいのです
日本ALS協会・難病連・難病相談支援センター等があると聞いていていますがまだコンタクトできていません
実際には京都には日本ALS協会近畿ブロック(大阪)があります(協会副会長・ブロック会長は京都在住で何度もお会いしています)が事務局が大阪なので登録していません
ですが 京都にはALS患者200名いるらしいのですが 難病連の中には京都ALS友の会はありません
難病別に友の会を作っていて 難病連は統括していても個人患者情報は掴むことができないのです
アメリカにはしっかりした医療方針として患者同士の情報交換が大事だとして ピア・サポートを推奨していると知った(2019/5/13療法士より)
調べると日本に地方でもその動きがあるようですが そうあって欲しいと願っています

と こんなところですかな

でも気を遣って もう一言
ここに書いた様子は どこの病院でもの一般的な現実だということは間違いありません
医療の高度化と高齢化で 財政逼迫していて 少ない医師の効率優先で数をこなすしかないのが現状なのです
多忙な医師に遠慮してしまうほどの毎日です
自分の症状の進捗を自分で占うしかない運任せの なるがままの療養生活をしています(ちょっと言い過ぎですか?)