貧乏はしょうがないけれど理念を失くしては /在宅?

4/8に 2週間だけのリハビリ入院が 如何したことか 途中2週間の退院をしましたが 今日までラッキーなことに 入院が続いています
世話好きで家事などに余裕のある家内なら しかも豪邸なら そうではないのですが 在宅療養できないマイクは ALSはするべき治療もないと退院を迫られて 転院地獄がこれからかと そんなこと覚悟しきれず悩んでいたのにです
しかしお陰で リハビリの効果と点滴の効果で 医師からは進行が緩いと回診の度にいわれて 生前葬までやれたのです
昔聞いたこともなかった転院地獄は何故流行り言葉になったのでしょうか
厚労省ばかりでなく医療機関まで在宅のメリットを謳う
入院生活を続けていると 昔とは違う理由を知りたくなって 数字で見てみることに

先ずは
「死亡前 30 日の在宅医療介護費と入院医療費の比較調査」
http://www.mhcclinic.jp/zt/kenkyu3085.pdf
<考察>
死亡前 30 日以内の 1 日当たりの在宅医療介護費は 24,960 円であり、入院医療費 30,980 円(薬剤料除く)と比べると 約 20%低く、費用抑制効果があることがわかった。すなわち自宅での看取りの推進は、病院 で死亡した場合に比べて経済的な面にも寄与することがわかった。 ただし、当調査では正確な解析ができていない介護費用、薬剤料、また家族介護などのイン フォーマルサービス費用についても更に詳細な調査・検証の必要性がある。

家族の介助マイクはサービスが1日当たり 6,020円以下と見てもトントンなのに です
別の胡麻擂りデータは 1/3だと次のように言い切る

次にもう一つ
「超高齢社会を支える 在宅医療・介護の取り組み」
https://www.mof.go.jp/pri/research/conference/fy2014/zk102_03_02.pdf
(入院に比べて在宅医療は医療費・介護費を低減する)
高齢者の医療・介護にかかる入院と在宅医療の月額社会保障費比較(要介護度2の場合)

入院(30日間) 一般病棟(10対1)
の場合
487,020円(医療保険)• 入院基本料 17,610円/日×14日+15,030円/日×16日
(実際はこれに治療費用が加算される)

在宅医療(1カ月) 隔週の訪問診療/平均的な介護サービス
の場合
166,080円(入院の約1/3)医療保険+介護保険
• 在宅時医学総合管理料 42,000円/月
• 訪問診療 8,300円/回×2回
• 居宅療養管理指導料 2,900円/回X2回
• 介護保険居宅サービス料 101,680円/月

こちらでも 家族の介助サービスを1日当たり10,698円と見れば トントンなのです

理念のカケラもない財務貧困省は 数字のマヤカシを理解できない厚労省に 家族を犠牲にすればいいのだと 在宅を説得する
(話は違うが河合隼雄文部長官の頃 文化ボランティアを押し進めたのは予算節約でしかなかった 土日に帰宅するように京都に分室を作ったり フルート演奏会を度々した)

数字のマヤカシは容易に作れても 簡単にバレる(金融庁2千万円問題)
何かいいことを言っているようでも そんな効率のいいことがあるのかは 直感でも分かる
弱者を蔑視しても誤魔化せるという傲慢か ただの胡麻擂り忖度でしかありません

どう考えても 在宅では 医師や看護師を訪問派遣させる非効率を隠せないと思います
隠す為には 介護士並みの人件費扱いにするしかないでしょう
外来は患者に非効率でも少ない日本の医師でカバーできる現実的医療でしょう
訪問医はお金持ちの為のものですし 訪問看護ならそうではないとは言えない筈です
訪問介護士の現状は 家族サービス並みに軽視されてしまった 在宅医療介護の矛盾現象なのです
在宅のメリットの一番は 住み慣れた家でと言う事ですが 我が家はそれに当たらず 羨ましくも余程の豪邸の方々です
そんな人がそれほど多くない現実を無視して セレブのための在宅医療システムを夢見る厚労省なのでしょうか
マイクのALSにとって 治療方法もなく看護がいるだけなら 昔あった粗末な老人病院でいいのです
粗末でとは言いません チョットだけ洒落たフランスALS(専門)センターの雰囲気を見習って欲しいけど 大金持ちのALS患者さんがいたら フランスのようにご自分で転院先を考えられるでしょう
いつから貧乏財政日本に慣れてしまったのでしょう
そんなに豪邸をお持ちのようには見えませんし ご家族に介護する喜びを味わえるほど余裕のあるご家庭の日本だったかと疑問に思います

「理念」を数字で裏付ける力あるか

「れいわ維新組」について もう少し問い詰めて見たい
「安楽会」が今ひとつ頑張り不足だったのは何故かを問い詰めたいからでもあるのです

国民や難病身障者の代表者としての 228万票の数字の重さの実感を前々回のブログでしました
それにはそれだけの重さだけの魅きつけたものがあったからです
それは 山本太郎の演説で繰り返し取り上げたのが 社会のあるべき「理念」です
新聞から選挙活動を読み解いてみます
「生産性がないと(生きる)価値がないのではなく 存在するだけで価値があるのです」
「弱者が住みやすい国に なって欲しい そんな社会をつくろうとする政治を」
こんな弱者の愚痴を問題提起に持ち上げ 「生産能力で 人の価値を測る風潮が『同調圧力』となり 弱者自身に自己責任論を押し付けてしまっているのだ」と熱弁を振るう
「権力へのゴマスリと忖度が横行する社会を壊して欲しい」とツイッターで広がる
欲望社会が社会をトリクルダウンで潤すとの体制側の「理念」に裏切られ信じられなくなった右派ポピュリストが期待したのでしょうか

この選挙結果は 繁栄を前提とする欲望社会ではなく 平等を前提とする社会への理念作りに新しい社会の可能性を求めようとするマイノリティの存在を ハッキリした数字で見える化したものとして 認識されているのです
ただの一時的左派ポピュリズムだと軽視していたのに 自民幹部に「やっかいな敵が現れた」と身構えさせたともある

日本農業新聞には
参院選で示した政策を見ると、食料安全保障を「最重要事項」とし、食料自給率目標は「100%」に据える。その実現に向け、農業だけでなく全ての第1次産業就業者への戸別所得補償を主張する。夢のような政策も並ぶが、政権批判の舌鋒はどの政党よりも鋭い。国会での農政論戦でも“台風の目”となるか注目だ。・・・・・

理念だけでは政治はできないが 理念なき保守政治に理念を求め始めた大衆が左派ポピュリストに育ってゆくようにも感じられてなりません

しかしながら実際は山本太郎への信頼性を疑わない人はいないではなくて当然2人へのヘイトも飛び交う
議員としての仕事を疑問視し 無駄とは言わなくても余計な税金を使うなとのバッシングがツイッターに
れいわは 「5%に減税」ほか ウケ狙いの公約も見えるが 2人を確実に守ることなくば・・・

所が 5%減税については 山本の税収に関する「独自計算」に基づき「財政赤字にはならない おつりが来る」と言う
計算の論拠が公開されていて討議に値するものであることを期待したい
まさか 財務省の年金2000万円不足の二の舞でないことをと 祈ります

さて「安楽会」については マイクが「安楽自死施設」の採算性を説いています
安楽会の公約に使って欲しかったと今更ながら悔んでいます?

理念が先で生きるか 欲望を先にして生きるか

新聞書評欄で マイクの性癖を 代わって批判してくれそうな本を見つけたので紹介させてください(読んで頂くほどでもなく マイクの愚痴癖の為のご紹介でしかありません)
https://www.msz.co.jp/book/detail/08793.html
「測りすぎ――なぜパフォーマンス評価は失敗するのか? 」ジェリー・Z・ミュラー みすず書房(2019/4/27)
「成功へのカギは成果評価にある」――今日あらゆる組織に蔓延している信念だ。
しかしわれわれは業績を数字化することに固執するあまり、測定そのものを目的化ししまっていないだろうか。その結果、この「測りすぎ」が組織のみならず個人の生活を破壊しつつあるのだ。

マイクは一応サイエンティストの積りですが 物理を学んだ縁で ホーキングに憧れてALSになった訳でもありません?
理論物理の彼でもそうですが 実証のために欠かせない実験物理学なら尚更に数字に拘るのが宿命なのです
この本は数字に拘り過ぎると数字により繊細な信号に気付かずして より本質を見落とす可能性があり 合わせて悪用される恐れがあることを警告しています

マイクにして見ればそんなこと当たり前で 心配過剰だと思います
それよりも 数字なしの人間の気持ちや機微だけで 妄想や理念作りをやられる事の方が見ておられません
マイクが言っているのは 現実把握の為には 数字が「便利」ですとだけです
それも多面的に見れば見るほど妄想を刺激してくれるのです

人間のコストやQOLは 見方によって変わる筈だし 多様な価値観に合わせた見方をすれば 人夫々のボンヤリした価値(プライス)を重さとして実感できるならば 社会で共有・理解できるかも知れません
本当にそれが出来るかどうかより その数字の使われ方の心配も懸念しておくべきです
理想が先にあれば 悲観的現実を数字で知ることにもなり 思考が止まります
目的や目標が先行した欲望思考なら 偽造データが簡単に利用されてしまいます
情けないことに 自己ファーストに落ちぶれた世間ではこの様なことが当たり前のように流行って絶えません

マイクが 石田梅岩顕正会で学んできたことを何度かお話ししてきました
その心学から生まれた近江商人の「三方よし」をトランプに教えたいのですが その裏技は数字しかないのです
計数経済学者に 先ず心学を学んでもらって 今一番やって欲しいことです

それも自由・資本主義の「欲望」が先行する経済社会が数字的に優勢なようでは ポピュリズムを分かり易い数字が後押しするのです
欲望が支配する世界など 見飽きて見たくもないとは思いませんか
それより「理念」が将来を作る可能性を信じられるような 経世済民社会であったはずの時代に戻らなくてはと思います
数字はその為の理念を妄想する手段としての また妄想を実現させる可能性を導くと信じています

マイクは 難病患者の数字を調べてからでないと 議員の役割りを重さで納得し切れないし 「れいわ」が議会内のバリアフリーを越えて マイノリティをも越えて 公平・平等な社会に向かい始めた兆しだと 早過ぎる安堵を得票数を見て味わいました
マイクが 限りある命のコスト(殆ど多額な療養費)を使い切って どんな価値(社会的貢献)あることができるか
スーパーALSになってからではなく 今できるその為の準備は何か 病院のベッドからではなく 市井に交わらなくてはと前々から悩んでいるのですが 当分何か見付かるよう ベッドの中で夜な夜な妄想する積りです

楽しんでから死んで欲しい/誰もがE.D.出来るよう

清水さんの返信を読ませていただきました
生検の段階以前から気になることもあったでしょうし 予想される可能性を自分で色々余計に考えてしまうとか いくら豪快な清水さんでも心揺らいだことは想像が付きます
マイクの同僚や先輩の話をいっぱい聞いていますので 白内障と変わらぬ安易なものと信じていました
しかし全身麻酔で生検15針も と聞いて 65歳と言う若さだからなのでしょうか
78歳のマイクのALSのこれからの割とシンプルな選択と違って 検査結果によっては選択と決断を求められるのが普通ですが ラテントとか過剰診断とかややこしい事と関係なく 放置で済ますことで済めばと 願ってしまいます

返信の最後にある「すべての人に幸せな人生の終焉を,」とある清水さんの思いは 実は マイクの「死ねない老人に 最期だけでも 安くて楽しい想いを味わって欲しい」との思いと同じです

昨日は全くお酒の飲めないリハビリ療法士に それならオランダで殆どお酒と変わらず楽しめる大麻を経験してみたらと勧めながら オランダの大麻や安楽死と 日本の安楽会の話に繋げました
それから 彼らには度々話しているマイクの安楽自死支援が 単なる自死幇助ではなく 色々効用があり楽しくなる麻薬なども最期にお手伝いすることも考えていることを話しました
するとご自分の母親が 若くて喉頭癌で 長い期間に 何度もの辛い手術の後 無残な顔を最期に残して死んだことで 医師を今も許せないと言われた
身内の死に顔は一生離れないと マイクの話を支持されました
勿論マイクは安上がりで死にたい終末期老人ご本人のためだけです
清水さんのお父さんの様な信念を通される選択も死に甲斐として美しく羨ましい
死に難いこんな世界に誰がしたと 問いたいマイクです

昨日で 第4クールの点滴が終わり 2週の休薬期間も入院のまま リハビリに専念します
それほど最近は看護師・療法士から誤嚥を心配していただいています
それも誤嚥性肺炎でなく 窒息をです
土日の自宅外泊のために 吸引器を購入しました
早速 甘エビとウナギの夕食で 喉に溜まった何かを とろみを付けた焼酎で流せず咽せてしまい 無事に使い熟せて役に立ちました

すべての人に幸せな人生の終焉を

マイクさん

2泊3日の前立腺生検のための手術入院から、たった今戻ってまいりました。半身麻酔をかけ、前立腺の15カ所にに針を刺し組織を取り出すというものです。麻酔の注射がずいぶん痛かったけど(情けないですね:笑)、検査自体は何の苦痛も感覚もありませんでした。

手術前日から入院し、2日目に手術というスケジュールでした。術後は状況を観察するのに回復室というところに入ります。ぼくは14時からの手術に備えて10時頃にそこに移動しました。ベッドが4台並んだ部屋でしたが、ぼくひとりだけ。点滴を打ちながらぽつんと時間を過ごし、ぼくはこの後の人生もこうやって検査と手術を繰り返していくんだなあ、ぼくが生きていくというのは、きっとそういうことなんだと思っていた時でした。カーテンの向こうの隣のベッドに、患者が運ばれてきました。数人の家族も付き添っているようでした。

漏れ聞こえてくる家族と看護師の会話から、いくつかのことがわかりました。患者本人は96歳であること、耳がよく聴こえないこと(補聴器がないとほとんど聴こえない)、日常の行動はほぼひとりでできていたこと、認知症はないこと。今回の入院は貧血がひどく、翌日輸血を受けるためであること、かなりしんどいと訴えているということなどでした。実際カーテンの向こうからは、苦しそうなうめき声が頻繁に聴こえてきました。

ぼくは95歳になる母のことを思い浮かべていました。母は元気で今この時を過ごしているのだろうかと。その時です、96歳の患者が苦しそうな息でつぶやきました。
「早よう死なんならね(早く死なないとね)。早ようお迎えが来んもんかね」
そこまで生きて、それでも早く死んでしまいたいって……。母もそんなふうに思うのだろうか。
娘らしき人が言いました。
「お迎えが来るまでは元気で生きんとね」
「迷惑やなかけえ。厄介やなかけえ」
「なに言うとるの!」
「家で死にたかあ」
「元気になってお家に帰るよ。まだ死なんよ」
「こげなしんどかこつ。長生きした甲斐もなかなあ……」
長生きしたのに、幸せな人生だったはずなのに、最後はこんなにしんどい。家族にも迷惑をかける。いっそのこと早く死んでしまいたい。そんな悲しい思いが伝わってきました。

今の世の中は「楢山節考」の時代と何も変わっていないのです。家族のために年老いた人々が自ら死に向かっていく。マイクさんがよく言う「死に場所を求めて彷徨う」などというのは、まるで現代の姨捨山譚だと思いました。先進国であり、福祉国家だというのに、「楢山節考」の時代と何も変わっていないのです。しかも、高齢者が福祉や医療の制度を利用しながら生き続けることを、家族の迷惑どころか、社会の迷惑だとも受け取れるような社会のあり方を考えると、「楢山節考」の時代よりももっとタチが悪いように思えてなりません。

若い世代は「老い」を他人事のように捉えているようです。こう言うぼくもそんなひとりでした。これは自分が歳を重ねるしか実感できないのかもしれません。
「介護地獄」からの介護保険導入から、ようやく老いの問題を良くも悪くも社会の問題として捉えようとするようにはなってきました。でもね、もっと言うなら「老いの幸せ」を社会の問題としてちゃんとサポートできるような時代になってほしいと思いました。

母はもちろんですが、マイクさんにも幸せな人生の終焉を迎えてほしいと願っています。いえ、すべての人に幸せな人生の終焉をと。

「れいわ」で日本を変えられる/「議員」の重み

今日は先ず 「れいわ新撰組」の2人の当選の意味・役割を考えるために 議員の実態を知ろうとしました
『日本の政治家数は多すぎるのか(定数削減すべきなのか)検証する』
http://tamojun51.com/archives/1496
世界の国会議員数と総人口の比
このサイトには15カ国の 国名・政治家数(2017)・総人口(2016)・人口百万人当たりの政治家数が載っています
百万人当たり政治家数だけを転記します
中国2.1 イギリス22.2 イタリア15.7 フランス14.3 インド0.6 日本5.6 エチオピア7.7 ドイツ8.6 北朝鮮27.1 ロシア4.3 スペイン13.3 アメリカ1.7 カナダ12.0 スウェーデン34.9 韓国5.
日本が多いとは言えないようです

同じく地方議員については、人口100万人当たりの議員定数は、
* スイス:7571人 ? ?
* ドイツ:2500人 9 2509
* スウェーデン:1608人 35 1643
* フランス:866人 14 880
* アメリカ合衆国:586人 2 588
* 日本:500人 5 506
* イギリス:383人 22 405
* 大韓民国:80人 5 85
とあります 後ろに追加した数字は国会議員数と その合計です
アメリカは合衆国議員で多いと言うことですが 多過ぎる?

議員報酬は高い
日本 2200万円
アメリカ 1530
英国 970
ドイツ 1130
カナダ 1260
韓国 800

日本の地方議員は貰い過ぎで ボランテァの国も多いと言う

もっと正確なデータがありました
・衆議院議員:465人
・参議院議員:242人
・都道府県議会議員:2687人
・市議会議員:19,100人
・町村議会議員:11,197人
ということが分かりました。
これらを合計すると,なんと33,691人!

こんなことを言いたかったのではありません
実は「れいわ』の2人の 国民代表としての重さを見たかったのです
初めに見ましたように 議員1人の重さは 100万人当たり5.6ですから れいわの2人では11.2です

身障者と難病者を合わせると国民の1割近いとこのブログ5/9に述べtました
これは 100万人当たり10万人に相当します
この10万人の代表としての2人は 100万人当たり20人になります
身障者・難病者の代表としての重みは20の意味がるのに れいわ議員としては 11.2でしかないのです

こう見てみると 身障者国会議員としての八代英太さんの例もありますが 今回の2人の持つ責任の重大さをご本人以上に多くの支援のもとに 「れいわ」をこれから 倍以上にご発展願わなければなりません
3万以上いる地方議員にも議席を確保せねばならないのです

また身障者・難病者自身が国民からそこそこに支援されていることを認識せねばなりません
このようなチャンスを思わず知らず掴んだ事実をこれからの日本の行く末を明るくするものに違いないと信じていいのです
又そう自覚しないと この特別枠がどうして生まれたかを十分理解していないマイクですが 素直に感謝できません
凄いことがこの 知的文化的後進国日本に「精神性」をもたらすのではないかと思いたくなって またまた 清水さんが生検で痛いめをされているかも知れませんのに ややこしいことを考えてしまいました

「パタカラ」って結構いいもんです/ナースこそ修道の人

今日は 清水さんの生検が始まって 検査結果が出るまでのお気持ちを察するのですが マイクは下手な 要らぬ言葉が出ないかと思うだけで気遣いしてしまいます
祈りながらお待ちしますとだけでお許しください
誰もこんな時 と言うよりマイクは 占いや祈祷などは虚しく ただ運命に従う心でしか向き合えません
幸運や悲運も 何よりも何も変わらない日常すら これを運命だと(感謝する)しかないのです
京アニの あんな事件にも ただ同じような言葉(諦める)しか浮かばないようでは マイクの心の貧困を情けなく思います

今日は3週間の看護学生の実習の最後でした
ナイチンゲールにも負けない献身的な心の彼女に刺激されたことが マイクにとって大いにこれからを考えさせてくれました
彼女とは 昨日一昨日の論文?を書く切っ掛けとなった彼女のパートナーの本物の論文を通じて繋がり続けられそうにも思います
彼女からは 前回の実習生の(嚥下体操図)のように マイクの似顔絵と(嚥下の喉の様子を図解)したパネルに 留意事項を書いて渡されました
またまた皆んなに見せびらかす物が増えました
そんなことよりこれからの彼女が思いあって選んだこの道で 尽くされることを信じまた祈ります

マイクの症状は このブログのこの月の19日に載せました通りですが 飲み込みと喋りの悪化が深刻で 昨日は色々な食べ物(造影剤処理)を飲み込む様子を動画レントゲンで撮影しました
結果は多分27日です
今日の入浴では肺炎で喉仏から酸素補給するお爺さんをしっかり観察しました
低酸素でいいので 喋りの問題がない部位なのです
胃瘻や気管切開が愈々かと思っているマイクですが 医師にもう直ぐですかと聞くのは野暮と言うものらしい?です
それより 今日貰ったパネルにある「パタカラ」訓練に精を出そうと思います
口腔の機能を 飲み込みも発声も保持する基本的な発声訓練です
ゆっくり正しく発音すればいいのですが ALSだけはやりすぎが却って悪くすると言う難しさがあります
困ったものですが まだまだ新参者でいられる筈ですので 笑顔は当分続きます
入院も結構忙しい生活で 土日は自宅へ帰りながらも 吸引機に守られ 随分休んでいる断捨離に手が付けられないくらい あれこれと用事があって身体を使っています
これもALSにとってやり過ぎは良くないと リハビリ療法士からキツく言われています
でも勇気を出すまでもなく やれることをやっておきたいマイクです

情けない・みっともない・勿体無い/NO!虐めの文化

今日の祇園後祭巡行は 梅雨明けに合わせたかのように盛大に行われた様です

昨日は 山田創平さんのジェンダー芸術論に刺激され 社会に於ける弱者と平等について考えながら返信を書き込んでいるうちに 支離滅裂の状態にはまり込んでしまい抜け出せなくなりました
エクセル型の升枠を埋め尽くそうとするマイクの文章癖が 何時まで経っても抜けません

言いたかったのは 「虐め文化」の日本社会を非難したかっただけなのです
実に「情けなく」も「みっともない」ことだと思うからです

例えば弱者を差別する虐め側の本当の理由は 弱者排除と言う意地ましい敵対意識以前に 軽い気持ちで偶々見付けたくらいのマイノリティであっても それをターゲットにしてみたことで 自分がマジョリティのリーダー感覚を味わえたことから始まるのです
こんな程度の弱い者虐めの構造は 確実に脆弱に決まっていますし リーダーの信念も熱意もないに等しいのです
だけど一度味わうと簡単には手放そうとしません
その構造が持続するのはリーダーの思想や信念が優れているからでもなく その軍団の一体感によるのです
一体感は付和雷同する国民性にあると言ってもいいかも知れません
マジョリティ帰属本能なのかも知れません
大衆迎合型の民族レベルなのです
政治と国民を見てもそれを否定できません
国家の保守的構造は 革新的な筈の明治維新の不完全さによるものなのでしょう
今現在の問題は 野党まで与党を虐めることしか考えていない政治文化なのです
(れいわ維新や安楽会がそれを気づかせてくれればいいのですが)

ではどうすればいいのか
例えばマイノリティであっても自国民なのです
排除や差別を自国の文化と言い切るなら別ですが 共生と平等を掲げる日本であろうとするなら マイノリティの存在を蔑視することは罪に値するのです
弱者や少数者がいる社会は現実であり それを敵対視や虐める現実があっても それは歴史の中で改善されるべきものです

弱者差別する者を非難することも世間で多く見られるし 嬉しいことに多くの社会運動にもなっています
しかし 弱者差別する者を非難することは戦いに違いなく 時に悲惨で醜い
彼等は彼等で 既得権保身で身を張るのです
彼らと戦うのは至難で歴史の運命を待たねばならないほどです
政治とはこのような無駄な戦いなのです

しかし 弱者差別する者を非難する前に 弱者を蔑視し 弱者を無視すろことをも非難したい
実はこの輩は 必ずしも弱者批判者でもなく関心が無いだけのポピュリストでしかないのです
しかも国民の大方はポピュリズムの中身も知らず 大衆迎合に満足していて しかもそれがマジョリティなので 安心感と一体感で結ばれているだけなのです
問題はこの無頓着層を少しでも減らすこととで解決させたいのですが 理論も信念もない保身だけの自己中を崩すことです
甘い水や人参ぐらいで済むのですが そこはもっと別のやり方があるはずです

虐められる者を救うためには 虐める者やそれに加担する者だけでなく その前に 虐めを黙認したり 見ぬ振りしたり 自己保身の心しかない者全てを漏れなく非難せねばならないのです
虐める者より その方が効率的で 確実性が良いのです
この考え方は 個人主義が蔓延る以前は 文化としてあったのです
エリートがポピリスト導く責務があるのに それを忘れた政治家・知識人・報道人までもが保身の自己中ポピュリストに落ちぶれ 彼等がマジョリティなる大衆を先導しているのです
彼等を閻魔様に裁かせる前に いや無関心で騙されているだけでも地獄へ行くことを 国民こそ知るべきなのです

昨日と代わりなくなりました
明日は別のテーマを探してみます

やれることをやる勇気と魂/屁理屈妄想

薩摩魂よりもっと相応しい言葉があるのかも知りませんが 清水さんの返信から西郷のように理想を創り上げる鹿児島人の魂を感じました。
またそこが 清水さんを遠くそしてこれまで長く惹きつけてやまないところなのでしょう。

お陰様で精神的に安定したALS新参者のマイクには 医師からは殆ど余命宣言らしきこと知らされず せめて胃瘻や気管切開の見込みぐらいは知りたくて 自分でALS占い師にでもなろうかと考えています。
その始めに、ALS同病者に沢山合って、自分で推測するのが一番頼りになると思い京都難病連に行ってきましたが、京都にALSは200人は居るらしいのに革新京都に「ALS友の会」はないのです。

ALSマイクはこれから、ALSに拘らず 「死に切れない老人」や力及べば「悩める人」も、全ての弱者の何らかの支援を当事者か経験者として「マイクらしい遣り方」でやりたいと考えています。
(本当にできるかはこのブログで妄想することから始めたいと思います)

今、終末期の老人のためを考えることを、マイクは使命にしたいと思っています。
老人は決してマイノリティではありませんし、いまやメジャーなのですが、悲しいかな他人に頼るしかない弱者としての存在なのです。
その多くの老人が、死ぬに死ねない地獄のような現実を知り、看取られる最期の場所もなく彷徨うであろう真実を見過ごすことを出来ないマイクは、救世の解決策として、安楽死の必要を直感し、多くの終末期の老人には 特に貧乏な弱者には それを支援する施設が必要と結論したのです。
(今も安楽自死支援施設の実現を夢見ています)

一般に、その弱者への政治の取り組み方と、多くの国民の弱者への関心は、弱者支援福祉全般の質や充実そのものの為の理念よりも、自分の立場だけの周辺にしか関心や見る目がないように思えます。
多くの老人は、自分の年金が充分貰えることだけに関心があるのであって、自分に関係無い他の弱者には関心関係無用なのです。
そしてその老人ががメジャーなので、多数決民主政治のターゲットになるのです。
(世間の弱者への関心の希薄さに問題があることが気になりますが メジャーによるマイナー差別こそ問題なのです)

マイノリティを差別する者が現実にいて、それを許せないとの思いを持つ反差別者がいることも事実です。反差別者が差別是正への対決をする社会現象もよく見られるようになりました。
しかし反差別活動はマイナーだと思います。
大方は、より平等であるべき社会の実現には関心なく、平等という言葉すら無視して暮らしています。民主主義を誤解し、マイナーを無視したメジャーだけの世界の中だけでは豊かで擬似平等なのです。
それが多数決主義を誤解し、メジャーがメジャーであることを正当だとする風潮がのさばっているのです。
(民主主義の誤解を解かねば社会を変えられない)

社会をラジカルに完全にフラットに方向付けしないと差別は無くならないと考えがちです。しかしラジカルは不幸を生む危険と完全遂行の困難が在ります。マイナーがメジャーに立ち向かうことのバランスから明らかです。
しかしマイナーがメジャーの論客指導者とだけ正論で戦うのは容易なのです。それを見越せなければ戦う意味がなく、見越せるから戦うのです。
メジャーと雖も、その中身はマイナーなエリートだけで、その他大勢のメジャー構成は、メジャーパラサイトに過ぎず、戦いに勝った方に鞍替えする輩ばかりです。
(ラジカルとは正論で戦うことだけです)

しかし実際の戦いはメジャーの中のエリート軍団が、甘い既得権や、大きなメジャーを支持するパラサイト軍団を固守するのは当たり前で、最後まで生き残るしか活路はないのです。
それに対抗するのには、メジャーパラサイトをマイナーだったこちら側にパラサイトさせることです。この方が、労力がいるが確実にメジャーを引っくり返せるはずです。
メジャーパラサイトとは、どっち付かずと言うより、ただの自己中がメジャーが強そうな方を正義とする民主主義偽善者なのです。
(ポピュリズム社会での社会変革の仕方)

こんな論文?を書く積りではなかったのですが、途中で修正が効かなくなってきました。
だからと言って今日の返信を作り直すには消灯時間もすぎたので、いつもの書きながら考えを展開する支離滅裂の 、れも相当酷い返信のままお読み捨て置きいただけるようお願いして終わります。

自分に何ができるかを考えること

マイクさん

なんの盛り上がりもない低調な選挙でしたね。ぼくらのいる場所から、ずっと離れたところでの権力争いみたいな。本来政治というものは、暮らしと表裏一体になっていなければならないと、ぼくは思っています。台所に立ったとき、ガス、電気、水道などといった公共料金だけではなく、大根1本の値段、キャベツ1個の値段、牛乳、バターの値段などで、今の政治状況が読み取れるかどうかが大きな問題だろうと。そういう目で見ると、TPPとかEPAなどというわかりにくいことも、ずいぶんわかりやすくなるはずです。でもこの頃の政治は、そういうところに目を向けていろんなことを考えようにも、すでに答えありきで何を言っても無駄なような気さえするのです。

そうは言うものの、砂を嚙むような思いを抱えながら投票には行ってきました。自ら社会参加を放棄するつもりはありませんから。

しかし、京都というか大都市の状況はある意味羨ましいなと思いました。
鹿児島のような「田舎」になると、残念ながら経済に対する問題意識が突出します。地域経済にとって、中央と太いパイプを持っていちばん働いてくれるのは誰かということです。経済の多くの部分を公共投資、補助金、助成金から切り離して考えることができません。街頭インタビューなどで、福祉の問題、年金の問題などを最重要課題に挙げる人は少なくありません、しかし、最終的には地域の活性化、経済の活性化というところに集中していくのです。

言葉を換えると「利権」ということになるでしょうか。つまり自分の利害に合わせて誰がいちばん利益をもたらしてくれるかが最大の興味なのです。そしてそれが候補者を選ぶ場合の最大の判断基準になるようです。政治の多様性、革新性はもちろん、政治の細部が自分の暮らしとどのように結びついているかなど、まったく関係ない、知ったことではないのです。れいわ新撰組をポピュリズムだというメディアや人が多くいるようですが、あれだけ情熱を持って政治理念を語れる政党、人は近年いなかったのじゃないかな。安楽会も同じような気分で見ていました。残念ながら投票することはありませんでしたが、大きく期待をさせてくれる政治勢力だと思いました。多くの政党の候補者が、議員という身分を求めて右往左往しているのに比べるとずいぶん気持ちいいなと。N国党はちょっと……。

鹿児島の話に戻ります。
じゃあ鹿児島の福祉は最低なのかというと、決してそんなことはありません。革新性の強い京都や大都市に比べると、保守王国の鹿児島は福祉の分野が遅れているんじゃないかとは、大都市に住む友人からよく聞かれることです。くり返します、決してそんなことはありません。

その背景には、政治の力よりも、行政の力よりも、政治、行政を動かそうという市民県民の力があるのだとぼくは思っています。例えばALS協会や患者会、家族会を見てもそうなのです。もちろん個々の患者さん、家族、関係者の頑張りに支えられてですが、行政の制度、施策で不備なところをうまくカバーしていると言っていいでしょう。

鹿児島のALS患者会・日本ALS協会鹿児島県支部では、もしALSだと診断されたらどうするか……。療養生活にとって必要なことは何か……。福祉用具、コミュニケーションツール、呼吸器などはどうしたらいいのか。療養生活の不安はどのように解決したらいいのかなど、難病であるからこそ、不安だからこそのきめ細やかな対応とサポートを目指しています。
さらに、そういった難病関連の患者会が結集して、かごしま難病支援ネットワークを設立し支援活動に力を入れています。

ある会員さんに話を聞いたことがあります。その人はこう言いました。
「政治の状況、制度の不備に一喜一憂するよりも、自分に何ができるかを考えること。そこから政治を変えようという意思が出てくるのではないでしょうか」
政治で大切なことは、政治に対して何かを求めるということよりも、政治を変えたいのならそのように動くことだと、ぼくは思いました。